ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

文学から見るジェンダー平等の世界。『特別な友情』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

『特別な友情』を読みました。

 

萩尾望都先生が『トーマの心臓』を書くきっかけとなった映画『悲しみの天使』の原作が載っていると知り、手に取りました。

掲載されている12編の中で、私が気に入ったのはカサノヴァの『わが生涯の物語』です。

 

    こうした贅をつくした夕食を済ますと、ベルリーノが歌ったが、その声は、最高のワインがぼくたちに残しておいてくれたわずかな理性までも失わせるほどだった。その身振り、目の表情、物腰、歩調、立ち居振る舞い、顔立ち、声といったら。なかでも、ぼくの直感からすれば、彼に感じたものからどうにもカストラートだとは思うことができなくて、何を見てもぼくの期待ばかりが強固なものになるのだった。それにしても、ぼくはこの目で見て確かめねばなるまい。
    何度も何度も賛辞と感謝を述べてから、ぼくたちはすばらしいカスティーリャの男の部屋をあとにした。 そしてぼくの部屋に移動した。ついにそこで、秘密が明らかになる。ぼくはベルリーノに約束を守るよう促した。さもなければ、翌日、夜明けとともにぼくがひとりで出発するのを見ることになると告げた。
    ぼくはベルリーノの手を取り、暖炉のそばにいっしょに腰をおろした。チェチーリアとマリーナを帰すと、ぼくはこう言った。
「ベルリーノ、何事にも期限があるんだよ。きみはぼくに約束したよね。話はすぐにつく。きみの言うとおりなら、自分の部屋に引っ込んでくれたまえ。ぼくの思ったとおりなら、どうかここに残ってぼくと過ごしてもらいたい。そうしたら明日、きみに百ゼッキーニあげよう。そしていっしょに出発しよう」
「どうか、おひとりで出発なさってください。あなたとの約束を守れなくても、それはぼくの弱さだと思って許してください。あなたに言ったようにぼくはカストラートです。あなたをこんな恥辱の目撃者にする決心なんてできないし、こうして釈明してもひどい結果になるとわかっているのに、自分をさらすことなんかできません」
「ひどい結果になんてちっともならないよ。だって、ぼくの思いが外れて、残念ながらカストラートだったとしても、それを確かめてしまえば、白黒がついてしまうから。そうなればもう何も二度と問題にはならない。ぼくたちは明日いっしょに出発することになるし、きみをリミニで降ろしてあげるよ」
「いいえ、決めたことです。あなたの好奇心を充たしてはあげられません」
     この言葉を聞いたとたん、堪忍袋の緒が切れて、ぼくは暴力に訴えようとしたが、なんとか自分を抑え、優しくケリをつけようとして、問題の部分に直進しようと思った。でも、手がそこに達する前に、強い抵抗にあってしまった。ぼくは力をさらに込めたが、とつぜん彼に立ち上がられて、面食らった。瞬時に落ち着きを取りもどすと、不意をつこうと思い立ち、ぼくは手を伸ばした。だが、ぼくは恐怖におののきながら、こいつは男だと思ったのだ。 去勢されているからではない。その表情に読み取れる非情冷徹さから、軽蔑すべき男だと思ったのだ。ぼくはうんざりし、混乱し、自らを恥じ、彼を送り返した。
(p350)

 

青年カサノヴァがイタリアの港町で出会ったカストラート(少年時の声を保つため少年の間に去勢をした男性歌手)に恋をする話です。

男性の格好をしたベルリーノを、本当は女性なのではないかとあれこれ探りをいれる様子が面白い。そして、やっぱり男性だと確信しても暴力を振るわなかったこのシーンが好きです。

 

シニガリアまでの行程の半ばに達するまで、ぼくは毅然としてひと言も口を利かなかった。そこで夕食をとり、泊まるつもりでいた。とうとうそこに着いたときには、自分との葛藤もかなり済んでいた。
「リミニまで足を伸ばせていたら、良き友として旅の疲れを休めることもできたかもしれないね、 もちろんきみにぼくへの友情がいくらかでも残っていたらということだけど。だって好意が少しでもあれば、きみはぼくの恋心を癒してくれることだってできるだろうから」とぼくは彼に言った。
「そうしたところで、あなたの恋心は癒えないでしょうね」とベルリーノは勇気をもってぼくに答えた。
でもその声の調子にふくまれる優しさに、ぼくは驚いた。
「ええ、癒えることはないでしょうね、たとえぼくが女であっても男であっても。 なにしろあなたはぼく自身に恋をしているのですから、ぼくの性別に関係なく。ですから確証を得たとしても、あなたは激高してしまうでしょうね。そうした状態になれば、あなたはぼくを血も涙もないヤツと思い、きっと過激なことをなさってしまうでしょうね。そして無駄な涙をあなたは流すことになるかもしれません」
「そんなふうに立派な言葉を並べて、きみは自分の強情な態度がさももっともだとぼくに認めさせるつもりだね。でもきみは完全にまちがっているよ。だって思うに、ぼくはすっかり落ち着いているし、ぼくが抱く友情はきみにとって好意に値するんじゃないかな」
「ぼくがお伝えしているのは、あなたは激高してしまうでしょうということです」
「ベルリーノ、ぼくを激高させたものがあるとすれば、それはきみがあまりにリアルな魅力というか、つれない魅力をひけらかしたからだよ。そしてもちろんきみは、その効果のほどを知らないはずはなかった。あのとき、きみがぼくの恋心の激高を恐れたなんてことはなかった。どうしてきみはいまになって、この恋心の激高を自分が恐れているとぼくに思わせたいのだろう。それも、こちらに嫌悪感を催させるようにできているモノにただ触れさせてほしいとお願いしているだけなのに!」
「ああ! 嫌悪感を催すだなんて! まちがいなく、それとは正反対ですから。聞いてください。もしぼくが娘だとしたら、思うに、あなたを愛さずにはいられないでしょう。でも、男ですから、ぼくの義務はあなたの望んでいるような好意を示さないことです。なにしろあなたの恋心は、いまは自然なものですが、怪物のようにものすごくなりかねません。あなたの情熱的な資質は理性を上回ってしまうでしょう。そしてその理性もまた、いとも簡単にあなたの感覚に協力してしまい、半ばあなたの資質の味方になることでしょう。こうした説明にも教唆的なところがあって、あなたがそんな説明を受けたら、もう自制さえしていられないかもしれません。見つけようがないものを探し求めているあなたは、見つけられるものをなんとか受け入れようとしています。そしてその結果はおそらくひどいことになるでしょう。あなたの性向を考えると、ぼくが男だとわかったからといって急にこちらを愛さなくなんてことを、どうして期待できるでしょう。 あなたがぼくのうちに見出している魅力が存在しなくなる、とでも言うおつもりですか。男だとわかったところで、おそらく魅力は強烈になるばかりでしょうから、あなたの恋の炎は容赦ないものになり、その恋を充たそうとして、あなたは思いつくかぎりのあらゆる手を使ってみることでしょう。 ぼくを女に変えることができる、とあなたは確信するまでになるでしょうし、さらにひどい場合は、自分自身を女に変えられるとさえお思いになることでしょう。あなたの情熱は無数の詭弁を生み、友情という美名で飾って自らの愛を正当化しています。 そしてご自分の振る舞いを正当化しようと、その種の破廉恥な言動を山ほどほくに対して必ず言い立ててきます。ご自分の要求にぼくが従わないと思っているあなたが、殺すぞと言ってぼくを脅す以外に、いったい何を言おうというのですか。なにしろその点について、ぼくのことを従順だとは間違いなくお思いになっていないのですから」
 そんなふうにこの気の毒な哲学者は言葉を並べ立てたが、彼がそうして並べ立てた言葉は、千々に乱れた恋心が精神の能力を迷わせるようなときにやってしまうものだった。きちんと言葉を並べて筋を通すには、恋をしていてもいけないし、怒っていてもいけない。というのもその二つの感情には共通点があって、それらが過度に発揮されると、われわれを、本能に支配され、本能のみにしたがい行動する野蛮人同然にしてしまうからだ。そして残念ながら、この二つの感情のどちらか一方に駆られたときにだけ、ことのほか言葉を並べ立てたくなるわけではないのである。
    とっぷりと日が暮れてから、ぼくたちはシニガリアに着き、最上の宿屋に泊まることにした。 良い部屋に満足してから、ぼくは夕食を注文した。部屋にはベッドが一つしかなかったので、ぼくはベルリーノにきわめて穏やかな態度で、もう一つ部屋をとって火をおこしてもらってはどうかと訊いた。しかしこちらの驚きを想像していただけるといいのだが、そのとき彼は、同じ一つのベッドで寝ても何らイヤではない、と優しくぼくに答えたのだ。そんな返事をぼくはまったく予期していなかったが、それでも、心を乱していた鬱々とした気分を一掃するには、その返事が必要だった。これまでの成り行きの大詰めにさしかかっているのがぼくにはわかった。だがぼくは気をつけて、自分におめでとうと祝福を言わないようにした。彼がぼくを受け入れてくれるのか、くれないのか、不確かな状況にいたからだった。とはいえ、彼の主張を何とかしのいだという紛れもない充足感をぼくは感じていた。たとえ自分の感覚と本能にだまされていたとしても、ぼくは充実した克己心を確実に手にしていた。つまり、ベルリーノが男だとしても、まちがいなく彼を尊敬できる。逆に彼が女だとしたら、ぼくは最も甘美な愛情のしるしを期待できると思っていた。
(p356)

 

自分を女性だと思っているカサノヴァの求愛を、(ときに暴力に訴えそうになったりして相当鬱陶しいであろうに)ベルリーノは何故のらりくらりかわすのだろう、と読んでいるこちらは不思議に感じていたのですが、だんだんベルリーノもカサノヴァのことを憎からず思っていることが明らかになってきます。なんだそうだったのね、と和らぎました。

そして、男性だとしても尊敬出来るし、女性であっても嬉しい、というカサノヴァの表明が、読者としてもなんだか嬉しい。

結局、本書に掲載されている部分ではベルリーノは男性だったのか女性だったのかは明かされずに終わります。

 

副題に「フランスBLセレクション」とありますが、同性愛者の作家の作品もあれば、クィアの登場人物が出てくる作品(ジャン・ジュネ泥棒日記』)や、異性装や性別交換の物語(ラシルド『ムッシュー・ヴィーナス』)もあります。

本書に収められた作品で書かれた年代がもっとも古いのは、マルキ・ド・サド の『閨房哲学』(1795年)ですが、その頃の読者はどのように受け入れていたのか、気になるところではあります。

日本は江戸時代(円山応挙が亡くなった年です。)ですが、もしかしたら現代よりもおおらかに受け入れられたかもしれません。

短編集に収められた作品の作者たちの意図や、書かれた時代を思うと、単に官能とか耽美とかいう言葉でくくるのは浅慮かなという気持ちになりました。

 

そして肝心のペールフィットの『特別な友情』について。

恋愛の結果自殺した少年にもう一方が「悪かった」という気持ちを抱かせておしまい、というラストに不満を抱いて、自殺から時間を巻き戻す形で『トーマの心臓』を描いた、といったことを萩尾先生が述べていましたが、上級生に憧れるところや、ライバルの足を引っ張るところなど、映画から受け取ったものを余すとこなく補完してくださっていたことがこの話を読んで分かりました。

順序が逆だと思っていても、読んでいるとつい、萩尾先生の描く人物とか風景とかでイメージしてしまいます。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。