ニジタツ読書

読んだ本の感想です。胸に刺さった言葉をご紹介します。時々美術館のことなども。

ヤニス・バルファキス『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

ヤニス・バルファキス、関美和(訳)『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』を読みました。

 

著者であるギリシャの元財務大臣が10代の娘に伝えたかったのは、端的にいうと以下のことだと感じました。

 

・世の中はお金持ちが更にお金持ちになるために作られている。

・そうならないためにも自分たちで考えて行動することが大事。

 

著者は2008年の金融危機に憤りを感じながらも、人間らしい心と常識を取り戻すのに、経済危機という犠牲が必要だったことを「需要と売上と価格の悪循環」という項目で説明しています。

しかしそんなおかしな犠牲を払わなくても、機械を賢く使って、機械の労働がすべての人に恩恵をもたらすような大転換があればいい、とも述べています。

 

 すべての人に恩恵をもたらすような機械の使い方について、ひとつアイデアを挙げてみよう。

 簡単に言うと、企業が所有する機械の一部を、すべての人で共有し、その恩恵も共有するというやり方だ。たとえば機械が生み出す利益の一定割合を共通のファンドに入れて、すべての人に等しく分配してはどうだろう?それが人類の歴史をどんな方向に変えていくか、考えてみてほしい。

 いまのところ、自動化の増加によって全体の収入の中で労働者に向かう割合は減り、ますます多くの富が機械を所有するひと握りの人たちのポケットに入るようになっている。ここまでに説明したように、富の集中が極まると、大多数の人たちは使えるおカネが減り、ものが売れなくなる。

(p166)

 

利益を共通のファンドに入れて、等しく分配する、そんなことが取り入れられたらいいなとは思いますが、そんな姿がなかなか具体的にはイメージできませんでした。

 

映画や神話の話がふんだんに例に出てきて、それらに触れたことがある人は分かりやすいだろうけど、かえってとっつきにくくなる人もいるだろうな、という印象です。

オイディプス王ファウストの話は面白かったけど、ブレードランナーマトリックスの話になるとよく分からなくなったので、親しみやすい、親しみにくいの差は人それぞれだと思います。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

岩田健太郎『1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方』を読んで

おはようございます。ゆまコロです。

 

岩田健太郎『1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方』を読みました。

 

著者は感染症専門内科のお医者さんです。 

岩田先生が思う上手な時間の使い方とは、端的に言うと、

「その与えられた場にふさわしい時間の使い方がある。その場にふさわしい時間の使い方をすること」(あとがきより)らしいです。

 

上手に時間を使うための方法として、本書では、3つが挙げられています。

1.ちまちまと時間をやりくりして時間を削り取ること。

2.大事な時間を慈しむこと。

3.停滞や挫折を恐れないための方法。

これらの視点から筆者の考えが書かれています。

 

岩田先生が大学でどんな授業をしたり、オフをどのように過ごしたり、どんな本を読んだりしているのかがふんだんに書かれているので、時間管理術やノウハウというよりは、限られた時間を意識するための考え方を、エッセイの中で展開している、といった感じです。

 

時間にいいようにこき使われ、支配されるのがせいぜいで、絶対的に時間を上手に使うことなどできない、と言い切りながら、感染症治療学分野の教授を務める著者にとっては、時間を有効に使うことはごく自然なことなのだと思います。

 

そんな著者の、5年先、10年先の目標は立てない方がいい、という主張には重みを感じました。

 

 正直言って、今のような目まぐるしく転換していく世の中で、5年後、10年後のキャリアプランを立てても、あまり意味はないと思います。環境が劇的に変遷する中で、5年先の世の中を予見することは極めて難しいのです。5年前、サブプライム問題を予見した人が何人いたでしょう。民主党政権ができることを予見した人が何人いたでしょう。あの巨大な大地震津波が東北を襲い、原子力発電所のレゾンデートルが(文字通り)根底から揺るがされると予見した人が何人いたでしょうか。

 

 未来に対するビジョンと未来予測は同じではありません。ビジョンは「あり方」を指し示すものです。僕は学生のころから「世界で通用する」人になりたいと思っていました。今でもそう思っています。でも、これこれの職業に就いて、こういう役職に就いて…という予見は一切立ててきませんでした。「世界で通用する」ビジョンに至るには、「今」どうしたらよいか。そのことしか考えていませんでした。僕のまなざしは未来のほうを向いていますが、立っている地面は「今の地面」だけです。今どうするか。それしか僕は考えていません。(p92)

 

この本が出版されたのは2011年ですが、このコロナ禍で読むと、本当に先のことを予見することは困難だと思い知らされます。だからこそ、”今どうするか” を真剣に考えることが大切であると感じました。

 

また、仕事を抱え込んであっぷあっぷしないためには、能ある鷹は爪を隠すように、程よく能力を隠すとうまくいく、というお話の中で著者が挙げていた、古今亭志ん生の『火焔太鼓』という落語が面白そうだと思いました。

今度見てみたいと思います。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

ブッツァーティ『タタール人の砂漠』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

ブッツァーティ脇功(訳)『タタール人の砂漠』を読みました。

 

そう、いまでは彼は将校なのだ、金も入るし、美しい女たちも振り向くことだろう。だが、結局は、人生のいちばんいい時期、青春の盛りは、おそらくは終わってしまったのだ、と彼は気づいた。こうしてドローゴはじっと鏡を見つめていた、どうしても好きになれない自分の顔に、無理につくった微笑が浮かんでいるのが見えた。
 なんとしたことだろう、母が別れの言葉をかけてきたときに、なぜお義理にもなんの屈託もなげな笑顔を見せてやれなかったのだろう。どうして母が最後にいろいろと気づかってくれる言葉をろくに気にもとめずに、その優しい情味のこもった声をただの音としてしか耳にしなかったのだろう。なぜ、ちゃんとあるべきところにあるのに、時計や、鞭や、軍帽が見つからず、むやみにいらだって、部屋の中をあちこち歩きまわったりしたのだろう。もちろん戦さに出かけるわけではない。古くからの仲間の、彼とおなじ十人ばかりの中尉たちが、そのおなじ時刻に、まるで祭りにでも出かけるみたいに、楽しそうな笑い声に送られて、生家をあとにしているのだ。母を安心させるような、情愛のこもった言葉のかわりに、なぜ曖昧な、無意味な台詞しか口に出なかったのだろう。みんなの期待のもとに生まれ育ったわが家を初めてあとにするつらさ、変化というもの自体にともなう不安、母に別れを告げる感動などで心がいっぱいだったのは確かだが、しかし、それにもまして、よくは分からないが、二度ともどることのない旅に出立しようとでもしているかのような、なにか運命的なものに対する漠とした予感のような、つきまとって離れぬ想いが彼に重くのしかかっていたのだった。
(p8)

 

主人公ドローゴの家を出た時の自分の振る舞いへの後悔と、薄っすら感じる不安が、その後の彼の人生を予言しているようで、出だしから気になりました。

(この不安は折に触れて出てきます。)

 

 そのときまで、彼は気楽な青春期を歩んできたのだった、その道は若者には無限につづくかに見えるし、また歳月はその道を軽やかな、しかしゆっくりとした足取りで過きて行くものだから、誰もそこからの旅立ちに気がつかないのだ。物珍しげにまわりを見ながら、のんびりと歩いて行く、急ぐ必要はさらさらない、後ろからせきたてる者もいなければ、先きで待っている者もない、仲間たちもしょっちゅう立ち止まってはふざけながら、のんきに道を行く。家々の戸口からは、おとなたちが優しく挨拶をして寄こしながら、うべなうような笑みを浮かべて地平線の方を指し示す。こうして、英雄的な、あるいは甘い望みに心が躍りはじめ、先きで待っているいろんなすばらしいことを前もって想像裡に味わうのだ、それはまだ視野にはない、だが、いつかそこにたどり着けることは間違いないのだ、それは疑う余地のないことなのだ。
 まだまだ先きは遠いのだろうか? いや、むこうに見えるあの川を渡れば、あの緑の丘を越えればいいのだ。それとも、もしかしてもう着いたのではないだろうか? この木立が、この野原が、この白い家が探し求めているものではないだろうか? 一瞬そのように思えて、足を止めようとする。だが、先きへ行けばもっといいものがあるという声が聞こえてきて、またのんきに歩き出す。
 こうして、確かな期待を抱いて道を続ける、日は長いし、平穏だ。太陽は空高く輝き、いっこうに沈む気配もなさそうだ。
 だが、あるところまで来て、本能的に後ろを振り返ると、帰り道を閉ざすように、背後で格子門が閉まりかけている、そしてあたりの様子もなにか変わってしまっていることに気づく、日はもう頂点にじっと留まってはいず、急に傾きはじめ、もはや留めるすべもなく、地平線に向かって落ちて行く、雲はもう蒼穹にゆったりと漂ってはいず、次々と折り重なるように、足早に逃げて行く、雲も急いでいるのだ、時は過ぎるし、道もいずれは終わることが分かっているからだ。
 そしてまたあるところまで来ると、背後で重い鉄門が閉まり、あっという間にかんぬきが掛けられ、引き返そうにも間に合わない。だが、ジョヴァンニ・ドローゴはその時間をなにも知らずに眠っているのだった、赤児のように笑みを浮かべた顔で。
 ドローゴはわが身に起こったことに気づくにはまだ幾日かかかるだろう。そのとき彼はまるで夢から覚めたように思うだろう。信じられないような思いであたりを見まわすだろう。すると背後から押し寄せてくる足音が聞こえ、彼より先きに目覚めた者たちが息せき切って駆けてきて、先きに着こうと彼を追い越して行くのを目にするだろう。むさぼるように人生を刻んでいく時の鼓動を聞くことだろう。窓辺に立つ人々ももう微笑みを浮かべてはいず、無表情、無関心な顔をしているだろう、そして彼がまだどのくらいの道のりがあるのかたずねても、地平線の方を指さしはするものの、その人たちの顔にはもう親切そうな、楽しそうな表情のかけらも見えないだろう。その間に、仲間たちも、疲れてずっと後ろになってしまう者もあれば、はるか先きへ進み、地平線上の小さな点になってしまう者もいて、彼の視野からは消え去るだろう。
 あの川のむこう―人々は言うことだろう――あと十キロも行けば着くだろう、と。ところが道はいっこうに終わらない。日は次第に短くなるし、旅の道連れも次第にまれになっていく、窓辺には生気のない、青白い顔をした人々が立っていて、首を横に振るだけ。
 ついにはドローゴはまったくのひとりぼっちになるだろう。と、地平線に一筋の続となって果てしなく伸びた、死んだように動かぬ鉛色の海が見える。もう彼は疲れ果てている、道沿いの家々はたいてい窓を閉ざし、まれに見かける人々は陰鬱そうな身振りで彼に答える、いいことは後ろに、はるか後ろにあり、彼はそれに気づかずに、通り過ぎてきたのだと。ああ、もう引き返すには遅すぎる、彼の後ろからは、おなじ幻想にかられて押しかけてくる大勢の人間の足音が轟き寄せてくるが、その群れはまだ彼の目には見えず、白い道の上にはあいかわらずひとけはない。
 いまジョヴァンニ・ドローゴは第三堡塁の中で眠っている。彼は夢を見て、笑顔を浮かべている。その夜、完全無欠な幸せに満ちた世界の甘美な幻影が、彼のもとに最後の訪れをしているのだ。ああ、彼がやがて訪れるいつの日かのおのれの姿を見たならば、道の尽きたところ、一様に灰色の空の下、鉛色の海の岸辺に立ち尽くすおのれの姿を。そしてまわりには家もなければ人影もなく、立木もなければ一本の草もない、すべてはるか太古からそうなのだ。

(p72)

 

 

この部分を読んで、ドラえもんのび太に時間の流れを見せた「タイムライト」というひみつ道具のことを思い出していました。

「きみがひるねしてる間も、時間は流れつづけてる。一秒もまってはくれない。

そして流れさった時間は二度とかえってこないんだ!!」

というあれです。

 

 なにか崇高にして大いなる出来事への予感がーーそれともそれは単なる希望にすぎなかったのだろうか?--彼をこの砦に引き止めたのだったが、しかし、それもただ砦を出るのを先(さ)き送りしただけのことかもしれず、結局のところはなんの支障ももたらさないだろう。彼にはこの先き時間は充分にある。人生における善きことのすべてが彼を待っているように思えるのだった。なにを心配することがあろう。女性というあの愛すべくも不可思議な生き物も、彼には確かな幸せをもたらすもの、人生におけるごく普通の定めによってはっきり約束されたもののように思えたのだった。

 先きはまだなんと長いことか!ただの一年でさえ彼にはとても長いものに思えるし、すばらしい年月はやっと始まったばかりなのだ。それは果てしなく続き、その行き着く先きを見きわめることはできなかった。それは飽き飽きするには大きすぎる、いまだ手付かずの宝なのだった。

 「ジョヴァンニ・ドローゴよ、気をつけろよ」と彼に言う者は誰もいなかった。青春はもうしぼみかけているのに、彼には人生は長々と続く、尽きせぬ幻影のように見えた。ドローゴは時というものを知らなかった。この先き、神々とおなじように、何百年と青春が続こうが、それさえも大したことではないだろう。ところが、彼にはただの、人並みな人生しか、両手の指で数えられるほどの、ごく短い青春しか、そんなみすぼらしい贈り物しか、与えられていないのだったし、そんなものは気づくよりも前に消え失せてしまうだろう。
 まだまだ先きは長い、と彼は考えた。でも、ある年齢になると(おかしなことに)死を待ち始める人間もいるとのことだ。しかし、そんな、よく耳にする、馬鹿げた話は彼には関係はなかった。ドローゴはそう思って微笑むと、寒さにせきたてられて、歩き出した。
(p113)

 

ドローゴは4カ月でこの砦を出る、と決めたのに、その間に新しい環境に愛着が湧き、結局砦で暮らすことを選びます。最終的にはその決定が彼の人生を決めるものになるのですが、職場にも仲間にも不満がない、というのは考えようによってはなかなか恵まれた環境ではないのかな、と思いました。

 

 確信は次第に薄れていった。人間はひとりっきりで、誰とも話さずにいる時には、あるひとつのことを信じつづけるのはむつかしいものだ。その時期、ドローゴは、人間というものは、いかに愛し合っていても、たがいに離ればなれの存在なのだということに気づいた。ある人間の苦しみはまったくその人間だけのものであり、ほかの者は誰ひとりいささかもそれをわがこととは受け取らないのだ、ある人間が苦しみ悩んでいても、そのためにほかの者がつらい思いをすることはないのだ、たとえそれがいかに愛する相手であっても。そしてそこに人生の孤独感が生じるのだ。
 時計の打つ音が次第に繁くなってゆくように感じるにつれて、ドローゴの確信は弱まり、焦躁がつのってゆくのだった。幾日も北の方角には目を向けずに過ごすことさえあった(そして、すっかり忘れていたのだとみずからそう思い込もうとし、そう言いきかせようとするのだったが、本当は次に見るときにはより可能性が濃くなっているかもしれないと思って、わざとそうしているのだということは自分でも分かっていた)。
(p286)

 

「人間というものは、いかに愛し合っていても、たがいに離ればなれの存在なのだ」というのは、作者からのメッセージであるようにも感じられます。

 

  九月のよく晴れたある朝、ドローゴは、ジョヴァンニ・ドローゴ大尉は、平地からバスティアーニ砦へと通じる急な坂道を、ふたたび馬でのぼって行く。一か月の休暇を取たのだが、二十日もたたぬうちにもう砦へもどって行くのだ。今ではもう町にはなじめなくなってしまったのだった、昔の友達たちは出世して、要職につき、その辺のありきたりの将校に対するみたいに、ぞんざいに彼に挨拶するだけだった。わが家も、もちろんドローゴは自分の家を愛しつづけてはいたが、もどってみると、言いがたい苦痛が心を満たすのだった。家にはいつもひとけはなく、母の部屋はもう永久に空いたままだし、兄たちは家を離れたまま、ひとりは結婚して、別の町に住み、もうひとりは絶えず旅をつづけていて、居間にはもう家庭の団欒の気配ひとつなく、声だけがやけに大きく響いて、窓を開け、日差しを入れてみてもむなしかった。
 こうしてドローゴはまたもや砦へと谷道をのぼって行く、少なくともまだ十五年はそこで暮らさなければならないのだ。だが彼は自分があまり変わったとは思っていない、時があまりにも速く過ぎ去ったので、心が老いる間がなかったのだった。過ぎゆく時に対する漠とした不安が日々につのるとはいえ、ドローゴは大事なことはこれから始まるのだという幻想になおもしがみついているのだった。ジョヴァンニはいまだ訪れない自分にとっての運命の時を辛抱強く待ちつづけて、未来がもうひどく短いものになっていることには思い至らない、もう以前のように将来の時間が無限にあり、いくら浪費しても心配ないほど無尽蔵だと思うことはできないのに。
 それでも、ある日、彼はしばらく前から砦の裏手の広っぱで馬を乗りまわしたことがないのに気がついた。と言うよりもむしろいっこうにそんな気が起こらないし、それからまた最近では(だが正確にはいったいいつからだろう?)仲間と階段を二段ずつ駆け上がる競争もしなくなっているのにも気づいた。他愛もないことを、と彼は考えた、肉体的には今までどおりだし、また始めるかどうかだけのことだ、その気になればできるに決まっているが、そんなことを試すのは馬鹿げた、余計なことだと。
 そう、肉体的には、ドローゴは衰えてはいない、もう一度馬を乗りまわしたり、階段を駆け上がったりしようとすれば、充分できるだろうが、大事なのはそんなことではない。そんな気にならないということが、昼食後に石ころだらけの広っぱを馬で走り回るよりも、日なたで居眠りをする方がよくなったということが由々しい問題なのだ。大事なのはそのことなのだ、そしてそれが過ぎ去った歳月の証なのだ。

(p290)

 

 

「彼は自分があまり変わったとは思っていない、時があまりにも速く過ぎ去ったので、心が老いる間がなかったのだった。」

心が老いる間がない…、不思議な表現です。成熟しないまま歳を取ったことを表しているようで、なんだか怖い言葉だと思いました。

 

 「いいかね」ドローゴは言葉を返したが、言い争うのも馬鹿げたことだと分かっていた、その間彼は木の壁を斜めに登ってくる日差しにじっと目をやっていた、「断ってすまないが、私はここに残りたいんだ。厄介はかけないよ、誓ってもいい、なんならそう一筆書いてもいい。もう行ってくれたまえ、シメオーニ、私をそっとしておいてくれたまえ、私はもうあまり長くはない、私をここにいさせてくれたまえ、三十年以上もこの部屋で寝てきたんだ……」
 相手はしばらく口をつぐみ、軽蔑するような目で病気の同僚を見て、意地の悪そうな笑みを浮かべ、それから声を改めてたずねた、「もし上官としてそう要求したら? 私の命令だとしたら、君はなんと言うかね?」そしてしばらく間をおいて、その台詞の生み出す効果を味わっていた。「ねえ、ドローゴ、今度は君のいつもの軍人精神とやらを発揮してもらいたくないんだ、こんなことを言わねばならないのはつらいが、結局のところ、君は安全なところへ行くんだし、君の代わりは大勢いるんだ。残念だろうとは思うけど、この人生からすべてを望むことなどできはしないんだ、諦めなきゃあならんことだってあるさ……いますぐ君の従卒をよこして、荷物の準備をさせるからな、馬車は二時に来るはずだ。じゃあ、またあとでな……」

(p325)

 

 

30年以上も待ちに待って、ついに現実となった敵襲を目前にして、病に倒れるドローゴ。

事態を尻目に、足手まといだから街に帰れと言われてしまいます。

「残念だろうとは思うけど、この人生からすべてを望むことなどできはしないんだ、諦めなきゃあならんことだってあるさ……」

その通りかもしれませんが、自分事として受け入れるのは耐えがたいだろうなと思います。

 

 戸口のところにひとりの女が座って、熱心に靴下を編んでいた。そしてその足元の質素な揺籃の中には赤ん坊が眠っていた。大人のそれとはまるで違った、柔らかく、深い、そのすてきな眠りを、ドローゴは驚いたように見つめた。その赤ん坊にはまだ不安な夢も芽生えず、その小さな魂は、まだ望みも悔恨も知らず、静かな、澄みきった大気の中を無邪気にたゆたっていた。ドローゴは立ち止まって、じっとその赤ん坊の寝顔を見つめているうちに、刺すような悲しみに胸が突かれるのを感じた。彼は眠りにおちている自分の姿を、自分では決して知ることのできない一個のドローゴの姿を思い描いてみようとした。暗い不安に掻き乱され、寝息も重く、半ば開いた口元をだらしなく垂らして、醜く眠っている自分の姿が浮かんできた。だが、彼もかつてはその赤ん坊のように眠っていたのだ、彼もまた可愛く、無邪気であったのだ、そしておそらくは年老いて、病んだひとりの将校が彼の前に立ち止まり、苦い驚きをもって、彼の寝顔を見つめたかも知れないのだ。《哀れなドローゴ》と彼は呟いた、そして、たとえそれが弱音であったとしても、結局自分はこの世でひとりぼっちで、おのれ以外には誰ひとり自分を愛してくれる者はいないのだと悟った。
(p332)

 

 最後に自らも赤ん坊だったと顧みる、このシーンが印象的です。

 

物語全般を通して、老いに対する不安や、青春がなくなっていくことへの寂寥感が散りばめられているのが良いです。

 読者にタイムライトのように時間を見せてくれる本でした。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

都甲幸治『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

都甲幸治『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』を読みました。

 

本書は、翻訳家であり、早稲田大学文学学術院教授でもある都甲幸治さんが、世界の八つの文学賞を選び、書評家、翻訳家など本にまつわる職業の人々に1つの賞につき1冊選んでもらって鼎談(三人で話すこと)する、という試みの本です。

 

取り上げられている八つの文学賞は、ざっくりまとめるとこんな賞です。

 

1.ノーベル文学賞

正式名称:ノーベル文学賞

主催:スウェーデン・アカデミー(スウェーデン

開始年:1901年(1年に1度)

賞金額:その年によって異なるが、一億円を超えることが多い。

受賞対象:作家。

 

特徴:

・「人類にとっての理想を目指す、世界でも傑出した文学者」が選考基準。人権擁護、国内で迫害されている人を描くものが多い。

・受賞者に高齢の人が多い。

・選考委員はヨーロッパの主要言語しか読めない人が多い。そうした言語で書いている人が圧倒的に有利。北欧諸国出身だとさらに有利。

そうじゃない作家は、本人が非常に英語ができるか、あるいは翻訳版がとても優秀だと獲りやすくなる。

 

2.芥川賞

正式名称:芥川龍之介賞

主催:公益財団法人日本文学振興会(日本)

開始年:1935年(1年に2回)

賞金額:100万円。

受賞対象:作品。

 

特徴:

芥川龍之介の没後に友人の菊池寛が文壇を盛り上げるために作った賞。

・文芸誌に載った純文学の作品が対象の新人賞。

・歴代の選考委員がほとんど作家しかいない。

 

3.直木賞

正式名称:直樹三十五賞

主催:公益財団法人日本文学振興会(日本)

開始年:1935年開始(1年に2回)

賞金額:100万円。

受賞対象:作品。

 

特徴:

・大衆小説やエンタメ小説が受賞する。

・作家のそれまでの実績に対しての表彰でもある。

 

4.ブッカー賞

正式名称:マン・ブッカー賞

主催:ブッカー賞財団(イギリス)

開始年:1968年(1年に1度)

賞金額:50,000ポンド。

受賞対象:作品。

 

特徴:

・フランスのゴンクール賞に対抗してイギリスで作られた賞。

・英語で書かれていたら何でもノミネートされる。

・選考委員は大学教授、文芸評論家、政治家、芸能人など。毎年変わる。

・一次選考に残った作品を「ロングリスト」として公開、その後最終選考に残る作品を「ショートリスト」として発表。受賞作が決まる十月の三か月前から販売促進などがされ、何カ月もの間イベントとして機能している。

 

5.ゴンクール賞

正式名称:ゴンクール賞

主催:アカデミー・ゴンクール(フランス)

開始年:1903年(1年に一回)

賞金額:10ユーロ。

受賞対象:作品。

 

特徴:

・フランスで一番古い文学賞

ゴンクール兄弟(作家)の遺産によって創設。

・40代くらいの若めの作家が獲りやすい。

・詩や批評の部門もある。

 

6.ピュリツァー賞

正式名称:ピュリツァー賞フィクション部門

主催:コロンビア大学アメリカ)

開始年:1917年(1948年にフィクション部門という名前に変更、1年に一回。)※小説の初受賞は1918年。

賞金額:3,000米ドル。

受賞対象:作品。

 

特徴:

・ジョセフ・ピュリツァー(ジャーナリストで新聞社をやっていた)が作った賞。

・文学のほか音楽、報道など広い範囲の人たちに与えられる。

・選考委員はもいろいろな分野の人の集まり。受賞者でその後選考委員となったジュノ・ディアス(『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』)いわく、“文学に全然理解がない人たちを説得しないと、賞をあげられない。”

 

7.カフカ賞

正式名称:フランツ・カフカ賞

主催:フランツ・カフカ協会(チェコ

開始年:2001年(1年に一回)

賞金額:10,000米ドル。

受賞対象:作家。

 

 特徴:

カフカはドイツ語作家だが、領土的には今日のチェコ生まれ。第二次世界大戦後にドイツ系住民の強制移住があり、ドイツ語作家自体が実質的にいなくなり、社会主義の時代にはカフカは退廃的な作家と見なされてチェコ国内ではあまり読まれていなかった。民主化以降、カフカを再評価し、プラハのドイツ語文学を復興させようという主旨で設立されたのが、フランツ・カフカ協会。

フランツ・カフカ協会はユダヤ系の人が中心になっている組織のため、受賞者もユダヤ系の作家が多い。

・少なくとも著書が一点以上チェコ語で刊行されていなければならない、という決まりがある。

・2004年にエルフリーデ・イェリネクカフカ賞ノーベル文学賞を獲り、2005年にハロルド・ピンターカフカ賞ノーベル文学賞と、二年連続で同じ人が二つの賞を獲ったことから、「ノーベル賞の一歩手前の賞」と噂される。次の年、村上春樹カフカ賞を獲ったが、ノーベル文学賞は獲れなかった。

・選考委員はチェコ、フランスなど、ヨーロッパ系の文学者が多く、ノーベル文学賞の選考委員と思考回路は近い。

 

 

8.エルサレム賞

正式名称:社会の中の個人の自由のためのエルサレム賞

主催:エルサレム国際ブックフェア(イスラエル

開始年:1963年(二年に一回)

賞金額:10,000米ドル。

受賞対象:作家。

 

特徴:

・とくにユダヤ系やイスラエルのための賞というわけではない。

・ややヨーロッパ中心的、大国中心的な受賞作。アジアで獲得したのは、村上春樹のみ。

・「わからないものをわかろうとする」作品が選ばれるのが特徴(倉本さおり)。

 

本書で紹介されている24冊はどれも魅力的で、気になるタイトルが目白押しでした。

賞の傾向から、好みの本を探すのも楽しそうです。

最後に、「文学賞に縁のない作家たち」という藤井光さんのコラムの中で、ゆまコロの好きなポール・オースターについての記述があったのでご紹介します。

 

 ポール・オースターも、その人気とは裏腹に、母国アメリカではあまり賞に恵まれていない作家である(フランスでは受賞歴あり)。簡素で美しい文体と実験性も兼ね備え、人と他者との関わりを描くオースターの重要性は誰もが認めるところであり、その功績を讃えて功労賞もあちこちから授与されているが、小説がアメリカで文学賞を獲得したことはこれまでない。

(p190)

 

賞に恵まれてもそうでなくても、応援したい気持ちは満載です。

次に何を読もうかとわくわくしてくる本でした。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

ポール・オースター『インヴィジブル』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『インヴィジブル』を読みました。

 

 私はこれが終わってほしくなかった。不思議な、測りがたきマルゴと一緒にその不思議な楽園で暮らすことは、それまで私の身に起きた最良の、最高にありえない出来事だったのだ。だが次の日の晩にはボルンがパリから帰ってくる。私たちはこれを断ち切るしかなかった。そのとき私は、これは一時的な休戦にすぎないと思っていた。最後の朝に別れをマルゴに告げたとき、心配は要らない、じきに続けるやり方が見つかるよと私は言ったが、そんな私のはったり気味の自信とは裏腹に、マルゴは心乱れたような表情をしていて、私がアパートメントを去ろうとすると突如彼女の目に涙があふれた。
    いやな予感がするの、とマルゴは言った。なぜだかわからないけど、これで終わりだという気が、あなたと会うのもこれが最後だという気がするのよ。
 そんなこと言わないで、と私は答えた。僕はここからほんの数ブロックのところに住んでるんです。来たければいつでも僕のアパートに来ればいい。
 やってみるわ、アダム。できるだけのことはする、でもあんまり期待しないでね。私はあなたが思ってるほど強くないのよ。
 わかりませんね、どういうことか。
 ルドルフよ。戻ってきたら、あの人は私を追い出すと思う。
 追い出されたら、僕の部屋に越してくればいいじゃありませんか。
 で、汚い部屋で大学生の坊や二人と暮らすの? 私はもうそんな歳じゃないのよ。
 僕のルームメートはそんなにひどくないですよ。部屋だって案外きれいです。
 私はこの国が嫌いなのよ。あなた以外、この国のすべてが嫌いなの。あなただけでは、私をここにとどめてはおけない。もしもうルドルフに求められないんだったら、荷物をまとめてパリに帰るわ。

 何だかそれを望んでいるみたいな口ぶりですね。まるでもう、自分からおしまいにする気みたいな。

 どうかしらね。そうなのかもしれない。

 ぼくはどうなるんです?この五日間はあなたにとって何の意味もなかったんですか?

 もちろんあったわ。あなといてすごく楽しかった。でももう終わったのよ。ここから出ていった瞬間、あなたももう、私が必要なくなったことがわかるはずよ。

 そんなことありませんよ。

 あるわよ。あなたにはまだわからないだけよ。

 何を言ってるんです?

 可哀想なアダム。私はあなたにとっての答えじゃない。たぶん誰にとっての答えでもないのよ。

(p51)

 

 

「私はあなたにとっての答えじゃない。たぶん誰にとっての答えでもないのよ。」

このセリフが、マルゴという女性が自らをどう思っているかをよく表していると思います。料理が得意で、性的な魅力に溢れているけど、他人からはそれ以外の面で求められることはない女性としてマルゴは書かれています。またそれを、彼女自身も自覚していることが、彼女の孤独に拍車をかけているように思いました。

 

  親しい間柄ではなかった。秘密を打ちあけあったりもせず、一対一で長いこと話し込んだり、手紙をやりとりしたりもしなかった。だが僕がウォーカーを素晴らしいと思っていたことに疑いの余地はないし、彼が僕を同等の人間と見てくれたことも間違いないと思う。いつも変わらず敬意と友好の念をもって接してくれたのだ。いくぶんおどおどしたところがある男だったことは覚えている。こんなに鋭い知性の持ち主で、しかもキャンパス有数の美男子でもあるのに――映画スターみたいにハンサム、と僕のガールフレンドの一人は評した――妙なものだと思った。まあでも傲慢より内気の方がいいし、耐えがたい完璧さで皆を萎縮させてしまうよりひっそりみんなに溶け込んでいる方がいい。というわけで、一人ぽつんとしている傾向はあるが、ひとたび繭の外に出てくればいつでも愛想好く剽軽で、鋭い風変わりなユーモアのセンスを持つ男だった。僕が特に気に入っていたのはその関心の広さであり、カヴァルカンティ (ダンテの友人だった文人)やジョン・ダン (17世紀イギリスの詩人)について語りもすれば、それと同じ深い洞察と知識をもって、野球についてこっちが考えたこともないようなことを言ったりするところだ。だが彼の内的生活となると、僕は何も知らなかった。姉がいるという事実を除けば(ちなみに姉はとびきりの美人だった。どうやらウォーカー一族は天使の遺伝子に恵まれたらしい)家族についても育った環境についてもまったく無知だったし、むろん弟の死についても細かいことは何も知らなかった。そしていまウォーカー本人が死にかけていて、六十歳の誕生日を過ぎて一月が経ったいま、世に別れを告げはじめている。ためらい混じりの、胸を打つ手紙を読んだ僕は、これが始まりなのだ、遠い昔の輝かしき若者たちはついに老いてきたのだと思わずにいられなかった。まもなく僕たちの世代全体がいなくなってしまうだろう。

 (p72)

 

 

主人公であるアダムの言葉を、その友人(「親しい間柄ではなかった」らしいけど)が代わって語っているという手法が、なんともオースターっぽくってわくわくします。

「どうやらウォーカー一族は天使の遺伝子に恵まれたらしい」という表現が素敵です。

 

 君はそんなことを考えたくない。君はもう逃げたのであり、あの悲鳴と沈黙の家に戻る気はない。二階の寝室から響く母親の絶叫を聞いたり、薬のキャビネットを開けて安定剤と抗鬱剤の壜を数えたりする気にも、医者や神経衰弱や自殺未遂のこと、君が十二だったときの長い入院のことを考える気にもなれない。長年、君を向こう側まで見通しているように見えた父親の目も思い出したくないし、毎朝六時きっかりに起きて夜九時にやっと帰ってくるロボットのような父の生活や、君や姉の前で決して死んだ子の名を言おうとしない態度も思い出したくない。君たちはめったに父と顔を合わせなかったし、母はもう家事や料理はほとんどできなくなっていたから、一家揃った夕食の儀式も消滅した。掃除や食事作りは、次々入れ替わる、主に五十代か六十代の疲れた黒人のメイドの仕事で、たいていの夜母親は自室で一人で食べたから、ほぼいつも君と姉の二人だけで、キッチンのピンク色の合成樹脂のテーブルに向かいあわせに座っていた。父親がどこで夕食をとっているのか、君たちには謎だった。あちこちのレストランに行くのか、それとも毎晩同じレストランに行くのかなどと想像したが、本人はそれについて一言も言わなかった。
 こうしたことを考えるのが君には辛かったが、姉と一緒に過ごすようになったいま、考えることは避けられず、意志に反して記憶が押し寄せてきて、机に向かって六月に書きはじめた長い詩に取り組むときも、しばしばフレーズの途中で中断し、ぼんやり窓の外を見て、子供のころをふり返るのだった。
 自分で思っていたより実はずっと早く逃げはじめていたことが、いまの君にはわかる。アンディが死ななかったら、君はおそらく、家を出る日までずっと、親の言うことをよく聞く素直な子供でいただろう。が、母は罪悪感に苛まれた恒久的な喪に服し、父はもうほとんど姿を見せなくなって家庭が崩壊しはじめると、君はまっとうな生活を求めてよそへ目を向けるほかなかった。子供のころの限られた世界において、よそとは学校のことであり、友人たちとプレーする野球場のことだった。君はすべてに秀でたいと願い、幸い、それなりの知力と丈夫な体に恵まれていたから、成績はつねにトップクラス、どんなスポーツでも際立っていた。こうした事柄をじっくり考え抜いたことはなかったが(それにはまだ幼すぎた)、そうやって活躍できたおかげで、家で君を包囲する暗さもいくらか和らいだし、活躍すればするほど、父母からの独立を打ち立てることにもなった。もちろん二人とも君のためを思ってはくれたし、はっきり君に敵対したわけでは
ないが、やがて(たぶん十一歳のときだ)両親の愛にいまだ焦がれはしても友人の賞讃にも焦がれる時期が訪れた。
 母親が精神病院に運ばれていった数時間後、君は一生ずっと善人でいることを、弟の記憶にかけて誓った。一人でバスルームにいたことを君は覚えている。一人バスルームで、涙を懸命にこらえていた。善人とは正直で、親切で、寛大な人間のことであり、人をからかいもせず、見下しもせず、誰にも喧嘩を吹っかけたりしないということだ。君は十二歳だった。十三のときに神を信じるのをやめた。十四歳から夏は三年続けて父のスーパーマーケットで働いた(袋詰め、棚出し、レジ、配送受付、ゴミ捨て。コロンビア大学図書館図書整理係という栄誉ある地位に就く素地はこうして築かれた)。十五歳で、パティ・フレンチという名の女の子に恋をした。同じ年、詩人になるつもりだと姉に告げた。十六のときにグウィンが家を出て、君は内なる亡命生活に入っていった。

(p99)

 

 

運動も勉強もできるのに、辛い少年時代だと思います。

「一生ずっと善人でいる」、この時のアダムの決意が、その後の彼の内面的な魅力に磨きをかけるのに一役買っていることが分かります。

 

 君たちは二人ともトルストイドストエフスキーを、ホーソーンメルヴィルを、フロベールスタンダールを愛するが、この時点では君がヘンリー・ジェームズに耐えられないのに対し、グウィンはジェームズこそ巨人のなかの巨人だ、ジェームズの前ではほかの小説家はみなこびとみたいなものだと主張する。カフカベケットについては完全に意見が一致するが、セリーヌも同じ次元に属すと君が言うと彼女はあざ笑い、あんなのはファシストの狂信者だと断じる。ウォレス・スティーヴンズまではいいが、次の詩人となると君はウィリアム・カーロス・ウィリアムズであってグウィンがすらすら暗唱できるT・S・エリオットではない。君はキートンを擁護し彼女はチャップリンを弁護し、二人ともマルクス兄弟は大爆笑だが君の偏愛するW・C・フィールズは彼女から笑みひとつ引き出せない。トリュフォー最良の作品群は君たち二人の胸を打つが、グウィンはゴダールを格好ばかりだと考え君はそう考えない。彼女はベルイマンとアントニオーニこそこの宇宙の双璧だと讃えるが、君は彼らの映画に退屈してしまうことをしぶしぶ白状する。クラシックに関してはバッハが最高ということで軋轢はないが、君はジャズへの関心を深めつつある一方、グウィンは依然、君にはほとんど何も訴えてこなくなったロックンロールの狂熱にし
がみついている。彼女はダンスが好きで君は好きではない。彼女は君よりよく笑い、君ほど煙草を喫わない。彼女の方が君より自由で幸福な人物であり、君も彼女と一緒にいるたびに世界はより明るい、より友好的な、陰気で内向的な君の自我すらほとんどくつろげそうな場所に思えてくる。
 会話は夏のあいだずっと続く。本や映画や戦争を君たちは語り、自分たちの仕事や将来の計画を、過去と現在を語り、加えて君はボルンのことを語る。君が苦しんでいることをグウィンは知っている。その経験が君の胸にいまだ重くのしかかっていることをわかってくれて、君がその話をするのを、何度も何度も同じ話をするのを辛抱強く聞いてくれる。いまや君の魂にまで食い込んだ、君という存在の本質的な一部と化した妄執的な物語。君がまっとうにふるまったこと、ほかにやりようはなかったことを彼女は力説してくれるし、セドリック・ウィリアムズ殺害自体は防ぎようがなかったことは君も同意するが、自分が臆病でためらって警察にすぐ行かなかったせいでボルンが罰されずに逃げることを許してしまったという事実も君ははっきり自覚していて、それについては自分を許す気になれない。いまは金曜日、ニューヨークで過ごすことにした七月初旬の週末第一日目の晩であり、君と姉はキッチンテーブルに座って、仕事のあとのビールと煙草を楽しんでいる。

(p115)

 

 

ポール・オースターのエッセイ『内面からの報告書』で、作者の家族関係を知った時、オースター作品できょうだいの姿があまり描かれないのも納得だと思いました。が、本作では姉・グウィンと弟・アダムというきょうだいがかなり強烈に描かれています。話が進むにつれ、マジかと思うこの二人の関係性も、読んでいるうちに末っ子アンディの死を乗り越えるためにはある意味仕方がないことなのかも、という気になってきます。

そんな中で、グウィンとアダムがニューヨークで共同生活を送るこの描写は、かけがえのない時間のように丁寧に描かれていて好きです。この本の中でも特に輝いて見えます。

 

 こうしてウォーカーとセシル・ジュアンの交友が始まる。多くの面で、セシルがどうしようもない人間であることをウォーカーは知る。いつもそわそわ落着かなげで、爪は噛む、煙草も喫わず酒も飲まないコチコチのベジタリアンで、自分に対する要求が厳しすぎるし(例 破棄した翻訳)、時おり唖然とするほど未熟(例 リュコフロンの翻訳をどこで見つけたか言わない―――子供っぽい秘密への固執)。その一方、これほど頭のいい人間はそうざらにいるものでないことも間違いない。その精神は驚くべき思考機械であり、およそどんな話題でもウォーカーのはるか先まで考えることができ、文学、美術、音楽、歴史、政治、科学等々の知識でウォーカーを圧倒する。それにただの記憶マシンではない。何のフィルターも通さない莫大な量の情報をひたすら摂取するだけの典型的秀才などではない。繊細で、明敏で、その意見はつねに独創的だし、内気で臆病ではあっても、議論になればいつも自分の意見を貫き通す。六日続けてウォーカーはマゼ通りの学食で彼女と会って昼食を共にする。午後は一緒に街をさまよい、本屋を見て回り、映画や美術展に行き、セーヌ河畔のベンチに座る。自分がセシルに性的に惹かれてはいないことがウォーカーには安堵の種である。セックスについての思いは、マルゴ(この六日のあいだに彼女は一夜をウォーカーのホテルで過ごす)と、ここにはいない――だが一瞬たりとも遠く離れてはいな――グウィンに限定できる。要するに、いろいろ苛立たしい癖はあっても、セシルの精神とともに時を過ごすだけで十分楽しいのであり、彼女の肉体については何も考えずにいられる。手を出さないということで、ウォーカーとしては何の異存もない。

(p194)

 

 

 本作に登場する女性はどの人物もちょっとよく設定しすぎではないかと思うくらい魅力的なのですが、このセシルという女性は、特に友達になりたいなと思いました。(最終的には彼女が本書をラストまで引っ張ってくれます。)

 

話が終わってしまって残念だな、と思わせる本でした。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

オルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

オルガ・トカルチュク、小椋彩(訳)『昼の家、夜の家』を読みました。

 

 ノヴァ・ルダの協同組合銀行に勤めるクリシャは夢を見た。一九六九年の早春のことだった。

 夢のなかで彼女は、左耳に声を聞いた。はじめは女性の声で、それが休みなく話しつづけている。クリシャにはなんのことかわからなかった。彼女は心配になった。「いつも耳もとでだれかがごちゃごちゃおしゃべりしてたら、仕事なんてできないわ」声は消せると、夢のなかで彼女は考えた。ラジオのスイッチを切るとか、受話器を置くとかするみたいに。ところが、消せなかった。声の出処は耳のずっと深いところ、ちいさな太鼓と螺旋がつまった、曲がりくねった回廊のなか、湿った膜でできた迷路のあいだ、暗い洞穴の奥まった部分にあるようだった。指で耳に栓をしても、手でふさいでも無駄だった。クリシャは、世界中がこの騒音を聞かなくてはいけないような気がした。もっとも、実際にそうかもしれなかった。全世界がこの声にぶんぶん共鳴していた。絶えず聞こえているのは、ある文章のくり返しだった。それは文法的には完璧で、音の響きも美しかった。でも、人間の話し方を真似ているだけで、意味を成してはいなかった。クリシャは怖かった。ところがしばらくして、クリシャの耳にべつの声が聞こえてきた。感じがよくて明瞭な、男性の声だった。彼と話をするのは楽しかった。「ぼくの名前はアモスです」声の主は言った。彼はクリシャに、仕事のことや両親の健康状態について尋ねたが、彼にとってそんなのはそもそも(と彼女には思われた)、聞くにはおよばないことだった。だって彼女のいっさいを、彼はもう知っているのだから。「あなたはどこにいるの?」クリシャはおずおずと尋ねた。「マリアンドだよ」彼は答えた。ポーランドの中央部にそういう場所があることを、彼女も知っていた。彼女はつづけて尋ねてみた。「どうしてわたしの耳のなかであなたの声が聞こえるのかしら」「きみは特別なひとだからだよ。きみのことが好きになった。愛してるよ」おなじことが三回か四回くり返された。いつもおなじ夢だった。

 

 朝、彼女は銀行で、書類の山にかこまれてコーヒーを飲んでいた。外は水っぽい雪が降り、降ったそばから溶けていった。湿気はセントラルヒーティングで暖められた銀行のなかにまでしみとおり、ハンガーに掛かったコートや合皮でできた婦人用ハンドバッグや、ブーツや顧客までもが、そのせいですっかりじめついていた。そしてこの特別な日、信用貸部門責任者のクリシャ・ポプウォフは、生まれて初めて自分が、完全に、徹底的に、絶対的に、恋していることを悟った。この発見は、顔をぴしゃりとたたかれたみたいに強烈だった。彼女は頭がくらくらした。銀行の待合室の景色は視界から消え去り、耳にはしばらくのあいだ、しんとした静寂が訪れた。突然おぼえたこの恋の感覚に、クリシャは自分が、おろしたてのティーポットになって、はじめて透明な水で満たされたみたいに感じた。一方、彼女のコーヒーはすっかり冷めていた。

(p36) 

 

《自分はおろしたてのティーポットで、はじめて透明な水で満たされている》。ちょっとよく分からないけど、心地良さげな感じは伝わってきました。

 

「どうしたの」彼が尋ねた。

 ふり返ると、不思議そうに自分をじっと見ている彼の目があった。彼女は彼のにおいを感じた。タバコと埃と紙のにおいだった。彼女はそのにおいにぴったりと身を寄せた。そうしてふたりは数分のあいだじっと立っていた。彼は彼女から両手をはなし、しばらくためらい、やがて彼女の背中を撫ではじめた。

「やっぱりあなただわ。あなたを見つけたわ」彼女はささやいた。

 彼は指で彼女の頬に触れると、キスをした。

「じゃあ、きっとそうだ」
彼は彼女の脱色した髪に指を入れ、彼女の唇を吸った。それから彼女をソファベッドにひっぱっていくと、服を脱がせはじめた。彼女はこんなのはいやだと思った。これはあまりに急すぎる。それに、なんだか楽しくない。でも、これは必要なことだった。捧げものをするみたいに。彼女はいっさいを許さなければならなかった。それで、スーツとブラウスとベルトとストッキングとブラジャーをとった。あばら骨の浮いた彼の胸が、彼女の目の前に現われた。それは石のように乾いて、ごつごつしていた。
「夢のなかで、ぼくの声はどんなふうに聞こえたの」吐息のまさったささやき声で彼が尋ねた。
「わたしに耳うちするみたいに話してたわ」
「どっちの耳?」
「左の」
「こっち?」彼は尋ねると、舌を耳にさし入れた。
 彼女は両目をぎゅっとつぶった。もう自由になることはできなかった。それはあまりに遅すぎた。彼は彼女に全体重をかけてのしかかり、彼女をつかまえ、貫き、突きさした。ところが、どうしたわけか、まるで彼女はわかっていたような気がした。まさにこうしなくてはならなかったと。はじめにアモスに取り分をあたえなければならない。あとで自分が彼を連れて帰るために。植物みたいに、あの大木みたいに、家の前に彼を植えるために。だから彼女は、この見ず知らずの身体に自分を捧げたのだ。両腕で
ぎこちなく彼を抱き、リズミカルで不可思議なダンスに加わりさえしたのだ。
「ちくしょう」おしまいに男はこう言った。そしてタバコを吸いはじめた。
クリシャは服を着て、隣に腰かけた。彼がグラスふたつにウォッカをそそいだ。
「どうだった」彼は彼女をちらと見て、ウォッカをぐいとあおいだ。
「よかったわ」彼女は答えた。
「寝よう」
「いまから?」
「明日は汽車に乗らなくちゃ」
「わかってるわ」
「目覚ましをかけとこう」
 A・モスがのろのろと浴室に歩いていった。クリシャはじっとすわったまま、アモスの聖堂を観察していた。聖堂の壁はオレンジ色に塗られていたが、蛍光灯の冷たい光にあたって、気味の悪い青色に反射していた。壁に立てかけられた菓の敷物のすきまから、塗ったままの鮮やかなオレンジ色がのぞいていた。オレンジ色が光輝き、目を射抜かれそうにクリシャには思われた。

(p 52)

 

目の前にいる彼が、自分の探している人物かどうか確証が持てないけど、とりあえずアモスと思われる人のもとに辿りついたクリシャ。「こんなのはいやだと」思いながらも、こうするしかないとわかっているクリシャの気持ちの変化がリアルだと思いました。

 

【クマーニスの生涯のはじまり】
 クマーニスは、父親から見れば不完全な子どもとして生まれた。しかしこれはあくまで、人間からすれば不完全、という意味である。というのも、父親が熱望していたのは息子だったから。とはいえ、人間の世界の不完全は、ときとして神の世界の完全である。彼女は六人目の娘だった。彼女の母は彼女を産んで亡くなった。よって、彼らは道をすれ違ったという言い方もできる。ひとりがこの世にやってきたとき、べつのひとりは世を去った。クマーニスは洗礼のとき、ヴィルゲフォルティス、またはヴィルガという名を授かった。
 これは、山麓の村、シェーナウでの出来事である。山々が北風を防いでくれるので、村の気候は温暖だった。南側の斜面では、いまもときどき葡萄の木にお目にかかることができる。その昔、この地がもっと神に近くて、もっと暖かかった痕跡である。西側には、かつては巨人たちのテーブルだったかのように平らな頂の、べつの荘厳な山々がそびえている。シェーナウの東側は、森が茂った陰鬱な高地に取りかこまれている。南を向くと、チェコの平原をぐるりと見渡すことができ、世界旅行へと人を誘う。そういうわけでヴィルガの父は、自宅の椅子を長々と温めたりするようなことはしなかった。彼は一年中狩りをしていたが、春になると、十字軍の遠征に出かけた。体つきはがっしりとして、気性が激しく、怒りっぽかった。自分の娘たちには乳母や子守をあてがったが、実のところ、それは
娘のために彼ができるほとんどすべてのことだった。ヴィルガがこの世にやってきた数か月後、彼は、あらゆる騎士団の集まる地プラハにむけて旅立った。みな、そこから聖地に赴いたのである。

 

【クマーニスの幼年時代
 ヴィルガは人生最初の数年間を、姉たち、乳母、それに召使といった女性ばかりに囲まれて過ごした。子沢山で、家は騒々しかった。あるとき、父は彼女を呼ばうとしたものの、娘の名前を思い出せなかった。子どもも、頭のなかを占めるものも、馳せ参じた戦争の数も、それに家来もがあまりに多かったので、娘の名前は彼の記憶からすべり落ちてしまったのだった。ある年の冬、父は遠征先から新しい妻を伴い帰宅した。この継母は、幼い少女の人生においてもっとも愛すべきものになった。その美貌や美声、楽器をあやつり魔法のような音をつむぎだす白い手を、少女は感嘆の目で眺めた。継母を見ては、いつか自分もこうなるのだと考えた。かろやかで、美しくて、鳥の羽根みたいに、繊細な女性に。
 ヴィルガの身体は、彼女が夢みたとおりに育っていった。少女は美しく成長し、彼女を目にするだれもが、沈黙のうちに、この創造の奇跡に驚嘆した。そのためたくさんの領主や騎士たちが、彼女の所有者である父親の帰りを、首を長くして待っていた。みずから名乗りでて、だれよりも早く結婚を申し込むために。(p70)

 

 

突然始まるクマーニスという女性の話は、以前はグリム童話にも憂悶聖女(ゆうもんせいじょ)というタイトルで収録されていた話なのだそうです。

それはさておき、「 彼女の母は彼女を産んで亡くなった。よって、彼らは道をすれ違ったという言い方もできる。ひとりがこの世にやってきたとき、べつのひとりは世を去った。」印象的な文章です。こんなふうに誰かの不在を感じることは、確かにあるなと思いました。

 

 ノーベル文学賞を受賞されたときから気になっていた筆者の本ですが、内容に入り込みやすいかと聞かれれば、言葉に詰まってしまいそうです。

同じ場所で起こる、違う出来事が次々展開されるので、似たような主題やモチーフが繰り返し登場します。それが既視感のような効果を生んで、特徴的といえば特徴的であるように思います。

 

物語の展開は(個人的には)、ややネガティブな村上春樹さんが1冊の本を書く間に、ときどき星新一さんが協力して書いた、みたいな印象を受けました。

 

同じオルガ・トカルチュクさんの『ヤクプの書物』も面白そうなので、邦訳されたら手に取ってみたいです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

ポール・オースター『内面からの報告書』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『内面からの報告書』を読みました。

 

    君の住む地域最大の有名人はトマス・エジソンだった。君が生まれたとき、エジソンが亡くなってまだ十六年しか経っていなかった。彼の研究所は君の住むサウスオレンジのすぐ隣のウェストオレンジにあって、発明家の死後は博物館に、全国的な名所になっていて、君も小さいころ遠足で何
度か訪れてはメンロー・パークの魔法使いにしかるべく敬意を表した。白熱電球、蓄音機、映画をはじめ数々の発明を行なったエジソンは、君にとって最大級の重要人物であり、史上最高の科学者だった。研究所内をひととおり見学したのち、来館者はブラック・マリアと名付けられた別館に案
內される。世界初の映画撮影所だった、その大きなタール紙貼りのバラックで、君はクラスメートたちとともに、史上初の物語映画「大列車強盗」の映写を見学した。天才の一番奥なる領域に、聖なる神殿に足を踏み入れた思いだった。当時の君の一番お気に入りの思考者ということで言えばシ
ャーロック・ホームズであり、何ものも恐れず一点の嘘もないその知性の鑑(かがみ)は系統的で合理的な推論の驚異を君に明かしてくれたが、とはいえホームズは単なる想像の産物であり、言葉の中にしか存在しない架空の人物である。これに対しエジソンは現実の、肉体を備えた人間であり、しかも彼の一連の発明品は君が住んでいるところのすぐそば、ほとんど叫べば聞こえるくらい近くで作られたのである。君はエジソンと特別なつながりを感じた。エジソンに対して尋常ならざる敬意を、ほぼ全面的な崇拝の念を抱いた。十歳になるまでに少なくとも二冊のエジソン伝を読んだし(まずランドマーク・ブック、それから影絵イラストの入ったオレンジ色の本)、エジソンをめぐる映画もテレビで二度観ていたし――「若い科学者」(ミッキー・ルーニー主演)、「人間エヂソン」(スペンサー・トレイシー主演) ーー君もエジソンも誕生日が二月初旬であること、そしてそれ以上に君がエジソンのちょうど百年後(の一週間前)に生まれたことになぜか大きな意味があると(いまの君には馬鹿げていると思えるが)考えたのである。だが何よりも嬉しく、何より重要で、君とエジソンとの結びつきをこの上なく深い絆にしてくれたのは、君の髪を切ってくれる人物がかつてエジソンのかかりつけの床屋だったという発見だった。床屋は名をロッコという、小柄の、もはやそれほど若くない男で、シートン・ホール大学キャンパスのすぐ向こう、君の家からほんの数ブロックのところで櫛とハサミを操っていた。これは五〇年代なかばから後半のことで、角刈り、クルーカットの時代、白いバックスキンと白い靴下とサドルシューズ、ケッズのスニーカーとごわごわの、おそろしくごわごわのジーンズの時代であり、君も当時の男の子ほぼ全員と同じに髪を短くしていたから、床屋には頻繁に、平均して月二回は通うことになった。つまり少年期のあいだずっと、二週間に一度はロッコの店の椅子に座って、鏡のすぐ左に掛かったエジソン肖像画の大きな複製を見ていたのである。額縁の右下隅にはメモ用紙が差してあって、わが友ロッコへ 天才は1%の霊感と99%の発汗なり――トマス・A・エジソンと手書きされていた。ロッコこそ君をエジソンとじかに結びつけてくれる環(リンク)だった。かつて発明家の頭に触れた両手が、いまは君の頭に触れているのであり、ひょっとしたらエジソンの頭の中にあった思いがロッコの指に入り込んで、その指がいま君に触れているのだから、それらの思いの一部がいま君の頭の中に染み込みつつあると思ってもいいのではないか? もちろんそんなこと、本気で考えたりはしない。が、そう考えるふりをするのは楽しかったし、ロッコの店の椅子に座るたび、君はこの魔法の思考転移ゲームを楽しんだ。あたかも君が――何も発明しない運命であり、将来も機械的なことにはおよそ何の才能も示しはしない君こそが――エジソンの精神の正統なる継承者であるかのように。やがて、君を愕然とさせたことに、ある日君の父親が、何気ない口調で、高校を卒業してからエジソンの研究所で働いたことがあると告げた。一九二九年、父にとって初めてのフルタイムの仕事だったという。メンロー・パークの巨匠の下で働く大勢の若者の一人、それだけの話である。おそらく父は、君の気持ちを傷つけまいとして話の後半は語らなかったのだろう。いずれにせよ、エジソンが君の家族の歴史の一部であった――つまりいまや君の歴史の一部でもある――という事実は、あっさりロッコの指に代わって、偉人との最重要リンクの地位を占めるに至った。君は父親のことが心底誇らしかった。これこそ父がいままで自らについて打ちあけてくれた最重要情報であり、君はそれを飽きることなく友人たちに伝えつづけた。僕の父さんはエジソンの研究所で働いてたんだぜ。いまや君は、よそよそしく打ちとけない人だと思っていた自分の父を、もうまったくの謎とは考えず、やっぱり父さんだって血の通った人間なんだ、世界をよりよくする大事な仕事にちゃんと貢献したんだと考えるようになった。父は君が十四歳になったとき初めて、物語の後半を語った。エジソンの研究所での父の仕事は、数日しか続かなかったことを君は知った。君の父が無能だったからではなく、父がユダヤ人であることをエジソンが知ったからである。メンロー・パークの聖域にはいかなるユダヤ人も入ることを許されなかった。エジソンは君の父を執務室に呼びつけ、その場で解雇した。君の偶像は狂信的な、憎悪に満ちたユダヤ人嫌いであることが判明したのである。よく知られたこの事実は、君が読んだどのエジソン伝でも触れられていなかった。

(p28)

 

本書は筆者が彼自身の生い立ちを振り返るエッセイになっています。

エジソンにそんな好き嫌いがあったことをこの記述で初めて知りました。憧れだった偉人は、オースターの父親はじめ彼らの属する人種をどう思っていたか。事実を知った子ども時代のオースターがどれ程衝撃を受けただろうかと考えると、苦い気持ちになります。

 

 バスター・クラブを始めとする映画のカウボーイはいち早いモデルとして、丹念に吟味し見習うべき男性的な行動規範を教えてくれた。寡黙で、自分からは決して面倒を起こさないが、面倒が向こうからやって来たら大胆かつ巧妙に対応する男。物静かな、控えめな威厳とともに正義を支え、善と悪の闘いにおいて自らの命を危険にさらすことも辞さぬ男。もちろん女性だって英雄的にふるまうし、時には男よりもっと大きな勇気を示すこともあるが、女性は君の手本にはならなかった。それは単に君が男の子であって女の子ではなかったから、男の大人に成長するのが君の運命だったからだ。七歳になったころには、カウボーイはスポーツ選手に主として野球とフットボールの選手に代わっていた。いまから考えると、球技に秀でることで人生をどう生きるかが学べると当時の自分が思ったことには戸惑うほかないが、とにかくそれが事実だった。いまや君は熱心なスポーツ狂で、スポーツがまさしく生活の核となっていたから、五万、六万の観衆でひしめくスタジアムで一流選手たちがここ一番という瞬間にすさまじいプ
レッシャーの下で実力を発揮するのを見て、彼らこそ君の世界の紛うかたなき英雄だと決めたのだった。砲火の下の勇気から、決定的瞬間の技術への移行。厳しいカバーをくぐり抜けて弾丸パスを通す力、ヒットエンドランのサインを受けてライトに二塁打を放つ力。倫理的偉大さはいまや肉体
の武勇に取って代わられた。もしくは肉体的能力が倫理的偉大さを帯びるに至ったと言うべきか。いずれにせよ、少年時代中期ずっと、そうした崇拝の念を君は育みつづけた。八歳になる前に、早くも初めてのファンレターを、当時トッププレーヤーだったクリーヴランド・ブラウンズのクォー
ダーバック、オットー・グレアムにてて書き、ニュージャージーでもうじき開かれる君の八歳の誕生パーティに彼を招待した。君を永遠に驚愕させたことに、グレアムは返事をよこした。クリーヴランド・ブラウンズの公式便箋に短いメッセージをタイプして送ってきたのである。言うまでもなく、その日は先約があるからと言って誘い自体は断っていたが、その丁寧な返事で君の失望も和らげられた。もちろん可能性は薄いとわかっていたが、心のどこかで君は、本当に来てくれるかもしれないと思っていたのであり、彼がやって来た場面を頭の中で何度も思い描いていたのである。
 そしてその数か月後、今度は地元の高校フットボール・チームの主将でクォーターパックのボビー.Sに、あなたは素晴らしい選手だと思いますという旨の手紙を君は書いた。何しろまだほんの子供だったから、きっと綴りの間違いや馬鹿げた誤用に満ちた噴飯ものの手紙だったにちがいない
が、かくも年少のファンがいると知ってきっと心を動かされたのだろう、ボビー・Sはわざわざ返事をくれて、もうフットボールのシーズンは終わったからとバスケットボールの試合に招待してくれて(彼は秋にフットボール、冬にバスケット、春に野球をプレーする三競技スーパースターだっ
たのだ)、ウォームアップ中にフロアに降りてきて声を掛けるよう君に指示し、言われたとおり君が訪ねていくとボビー・Sはベンチに君の場所を空けてくれて、君はそこでチームのメンバーたちと一緒に試合を観戦したのだった。ボビー・Sは当時十七歳か十八歳、思春期の若者にすぎないが、
君から見れば大の大人であり、巨人と言ってよく、それはチームのほかの選手たちも同じだった。一九二〇年代に建てられたその古い高校体育館で、君は幸福の後に包まれてゲームを観戦し、周りの観衆が立てる音に動揺しかつ鼓舞され、タイムアウトとともにフロアに跳ね出てきたチアリーダーたちの美しさに圧倒され、こうしたことすべてを可能にしてくれたボビー・Sを精一杯応援したが、試合そのものについては何も覚えていない。ショットひとつ、リバウンドひとつ、スティールされたパスひとつ。覚えているのはただ、自分がそこにいて、高校チームと一緒に夢見心地でベンチに座り、チップ・ヒルトンの小説の中に紛れ込んだような気でいたことだけである。

(p34)

 

7歳でファンレターを書くオースターがすごい。それにお返事が来るのも微笑ましいです。

 

 君の目的はあくまで、君の若き精神のありようをたどり、君を抽出して眺め、君の少年時代の内的地理を探ることだが、君は決して孤立して生きていたわけではない。君は家族の、奇妙な家族の一員だったのであり、疑いなくその奇妙さが、かつての君であった子供と大いに関係している。ひょっとしたらすべてはそこから来ていると言ってもいいかもしれない。といってもべつに、語るべき恐ろしい物語が、暴力や虐待の劇的な話があるわけではない。あるのは、ずっと途切れぬ底流のように続く悲しみであり、君は生来悲しみがちな子供でもあからさまに辛い思いで生きている子供でもなかったから、それを精一杯無視しようと努めた。けれども、ある程度大きくなって、自分の状況をほかの子たちのそれと比較できるようになると、自分の家族が壊れた家族であることを君は理解した。両親は自分たちが何をやっているのかわかっていないのであり、たいていの夫婦が子供のために築こうとする砦はこの家にあってはいまにも倒れそうな掘っ建て小屋でしかない。
 ゆえに君は、自分が世界の脅威に直接さらされていると感じた。自分は何にも護られず、無防備なのだと感じ、だから生き延びるためには強くなってどうにか一人でやっていくすべを考えないといけないと思った。この二人は夫婦でいる謂(いわ)れなんて全然ないのだと君は悟った。君が六つのときに母親が外で働き出してからというもの、二人はろくに顔も合わせず、話すこともほとんどないみたいで、たがいへの寒々しい無関心の中で共存していた。罵倒、けんか、どなり合い、一目でわかる敵意等々があったわけではない。ただ単に、どちらも情熱を欠いていて、偶然同室させられた囚人二名が厳めしい沈黙を保ちつつ刑期を務めているような有様だったのだ。もちろん君は二人のどちらも愛していたし、二人のあいだがもっと上手く行けばいいと強く願ったが、年月が過ぎていくにつれてだんだん望みを失っていった。二人とも大半の時間は出かけていて、夜まで長時間働き、家はいつも空っぽのように思えた。一家揃っての夕食はめったになく、四人が一緒になる機会もごくわずかで、君が七歳か八歳になったあとは、君と妹の食事も大半は家政婦の女性が世話してくれた。
 キャサリンという名の黒人で、君が五つのときに登場し、その後長年、君の人生の一部であり続け、君の両親が離婚し母親が再婚したあとも母親の下でそのまま働き、一九七九年に君の父親が死んだのちももうだいぶ耄碌(もうろく)していたけれど依然君と手紙をやりとりする仲だった。けれどキャサリンはとうてい母親的な人物とは言えなかった。メリーランドの田舎の出の変わり者、数度の結婚歴と数度の離婚歴、ゲラゲラよく笑う冗談好きで、こっそり隠れて酒を飲み、煙草(クール)の灰を自分の手のひらで受ける。そんな人間だったから、母親代わりというより友だちみたいなものだった。そういうわけで、君と妹は二人きりでいることが多かった。いつも心配している、ひ弱な君の妹――約束の時間に母親が帰ってくるのを窓辺に立って待ち、車が予定時刻ぴったりに道路から入ってこないようなことがあれば、取り乱し、泣き出し、お母さんは死んだんだと信じて疑わず、何分かが過ぎていくなかで涙は激しいすすり泣きと突然の癇癪へと膨らんでいき、君は、まだ八、九、十歳の君は、妹を落着かせよう、慰めようと懸命に頑張るものの、足しになったためしはまずなかった。哀れ君の妹は、二十代前半に至ってとうとう完全に壊れてしまい、狂気へと墜ちていく旅が何年も続き、現在は医者と向精神薬に支えられて何とか崩れずに済んでいる。妹の方が、君よりはるかに、君たち奇妙な家族の犠牲となったのだ。母親がひどく不幸だったことがいまの君にはわかるし、父も不器用ながら母を愛していた――父が人を愛せる限りにおいて―こともわかる。だがとにかく、二人はやり損なった。子供のころ自分がその悲惨な事態の一部だったという事実が、君の目を内面に向けさせたこと、君を人生の大半部屋で一人座って過ごしてきた人間にしたことはまず間違いあるまい。

(p42)

 

オースター作品できょうだいを書いた作品をあまり思いつきませんが、この彼の妹のことを書いた文章を読んで、何となく腑に落ちました。

 

両親が東ポーランドやロシアのユダヤ人街(シュテトル)から移住してきた大統領候補もいない。まあ三〇年代、四〇年代にボクサーは何人か活躍したし、クォーターバックのシド・ラックマン、野球界の三名手(ハンク・グリーンバーグ、アル・ローゼン、一九五五年ドジャースでプレーしはじめたサンディ・コーファックス)もいたが、彼らは例外中の例外であり、人口分布上の異常、統計上の逸脱でしかない。ユダヤ人でもバイオリニストやピアニストはいるし、時には指揮者もいるが、人気歌手やミュージシャンはみなイタリア人か黒人か、南部出の田舎男(ヒルビリー)だ。ボードビル芸人もいるし、コメディアンもいるが(マルクス兄弟ジョージ・バーンズ)、映画スターはいないし、ユダヤ人として生まれても俳優はかならず名前を変える。ジョージ・バーンズは元はネイサン・バーンバウムだった。エマヌエル・ゴールデンバーグはエドワード・G・ロビンソン
変身した。イスール・ダニエロヴィッチはカーク・ダグラスになり、ヘートヴィヒ・キースラーはヘディ・ラマーに生まれ変わった。「紳士協定」について言えば、結局は生ぬるい作品であり、非ユダヤ人のジャーナリストがユダヤ人に対する偏見を暴こうとユダヤ人になりすますという筋立て
はわざとらしいし、主張も偽善的だが、一九四七年のアメリカ社会――君が生まれ落ちた社会―の中でユダヤ人が占めていた位置を知る上では参考になる。ドイツが一九四五年に敗北したことで反ユダヤ主義は永久に抹殺されたはずだ、少なくともその可能性は高いはずだと考えたくなるが、
君の国の現実はさして変わっていなかった。ユダヤ人の大学入学者数制限はまだあったし、クラブなどへの入会もいまだ限定され、毎週のポーカーの席上ではユダヤ人をダシにしたジョークに相変わらずみんなが笑い転げ、民族の主たる代表となればいまだにシャイロックだった。君が育ったニュージャージーの町でも、幼い者にはまだ理解できず気づけもしない不可視の境界や障害があった。
君の最大の親友ビリーが一九五五年に一家で引越してしまい、もう一人の仲良しピーターも翌年に消えてしまうとーーこれら辛い別れに君は戸惑い、悲しんだーー君は母親から説明を聞かされた。あまりに多くのユダヤ人がニューアークを出て、人並みに芝生の庭を求めてこうした郊外に移ってきているせいで、昔からここにいた人たちが立ち去っているのだ、非キリスト教徒の突然の流入から逃げているのだ、と。母は反ユダヤ(アンティ・セミティック)という言葉を使っただろうか? 思い出せないが、母の話の含むところは明らかだった。ユダヤ人であるとは、人とは違うということ、離れて立つこと、部外者と見なされることなのだ。そして君は、それまでずっと自分を掛け値なしのアメリカ人だと、メイフラワー号に乗ってやって来た純血の人たちと同等にアメリカ人だと思っていたのに、君のことをよそ者だと思っている人々が存在することをいまや理解した。自分の場所(ホーム)と呼んでいる場所にいても、本当に自分の場所にいるのではないことを君は悟ったのだ。


 その場に属していると同時に、その場に属さないということ。大半の人間には受け容れられても、一部の人間に疑いの目で見られるということ。アメリカは特別だという華々しい物語を小さいころは信奉していた君は、だんだんその物語から身を引きはじめた。いま住んでいる世界とは違う別の世界に自分が帰属していることを君は徐々に理解していった。君の過去は、どこか遠くの、東ヨーロッパのユダヤ人居住地に根ざしている。君の父方の祖父母と、母方の曾祖父母とがその世界を離れるだけの知恵があったからよかったものの、もしその知恵を欠いていたら君たちのうちほとんど誰一人いま生き残ってはいないだろう。ほぼ全員が戦争中に殺されていただろう。人生は危険をはらんでいる。君の足の下の地面はいつ崩れてもおかしくない。君の一族はアメリカにたどり着き、アメリカによって救われたわけだが、だからといってアメリカが君たちに温かく接してくれると期待してはいけない。追放された者たち、蔑まれ虐げられた人々に君は共感を寄せるようになった。

(p62)

 

「蔑まれ虐げられた人々に君は共感を寄せるようになった。」この感情に、オースター作品らしさを感じます。

 

  帰って来て以来嬉しい事の一つは、ピーターとの交友が――手紙で依然続いている事だ。彼の手紙には本当に心が温まる。僕にはこんなに良い友を持つ資格は無い。ピーターと来たら、根っからの親切心、自己犠牲の精神を発揮して、出し抜けにパリを去った僕の持ち物をまとめて、アメリカまで送ってくれたんだ。そういうのって凄く鬱陶しい仕事なのに、大いなるユーモア精神を以てピーターはやってくれた。目下荷物は空港にあり、明日配達される。タイプライター、ノート、本が戻って来るのは実に有難い……それに、これでやっとズボンが替えられる……


 1968年1月1日 祖母が亡くなった――昨日葬儀だった予想していた事とはいえ、僕は未だに……動揺している。葬式自体もひどく心乱されるものだった――祖父が取り乱して、わあわあ泣いて……何もかもが哀しい。とはいえ、祖母がもうこれ以上あの恐ろしい責め苦(筋萎縮性側索硬化症。)を味わわずに済むのは救いだ。それに幸い、眠ったまま静かに逝った――窒息するんじゃないかと心配していたから…


 翻訳のタイプ清書が終った(160ページ)。大枚はたいてコピーを一組作った―ひょっとしたらもう一組ただで作れるかも知れない――そうなったらすぐ君に送る―ならなかったら、来月もう少し懐が潤うまで待って貰うしかない…
 本当に上等の、深々とした笑いが望みなら、フラン・オブライエンの「スウィム・トゥー・バースにて」を読み給え。自信を持って勧める。
 

 2月2日  丸一月、君から一言の便りも無い…何かあったのかと、君のお母さんに電話してみた。君の新住所はロンドンW6だと言われた。君が知らせてきたのはN6。もしかしたらこれが原因で仕分け室において混乱が生じたのか。
 僕はと言えば、21歳の誕生日が何事もなく訪れて、過ぎていったという事位だ……こんなに自分が誰からも必要とされず、求められてもいない気になったのは初めてだ。僕は真空の中で生きている―誰とも何の関りも持たない――それは苦痛だ。他人を眺める事しか出来ない。僕には誰かが必要だ。

 

 3月2日 君からの最新の手紙…もう一度君に言う、僕の事は心配しないで。僕は大丈夫だから、本当に。僕との関係において、君が自分を疑うには及ばない。現時点で解決しようが無いと判っている問題についてあれこれ思い悩むのはよそう。今はただ、君の生活が何から成り立っているにせよ、それを抱えて精一杯良く生きるよう努める事だ。人間は現在の中で生きる事によって最も永遠の感覚に近付けるのだと僕は思う……
 自分は誰に愛されるにも相応しくないのだと思い至って、時々身震いしてしまう。恐らくは生来の理想主義故なのだろう、この世界の何一つ善いものに思えない。僕の抱えている寂しさは自虐的な欲望だ...
 周り中で目に付く……狭量さ、愚かしさ、偽善……その結果、自分が寛容でなくなって行くのが判るーーそうして、人に不愉快な思いをさせぬよう、人前から消える。

(p202)

 

上記は彼の最初の奥さんに宛てたお手紙からの文章です。

21歳の筆者が孤独の渦中にいることがひしひしと伝わってきます。手紙からも、(彼が書いたのだからあたりまえなのですが、)オースターの文章らしさが存分に出ています。

エッセイなのに、やっぱりいつものオースター作品っぽいところに、ファンとしては何だかときめいてしまいます。

 

巻末の、文章にまつわる写真がたくさん載っているのも面白いと思いました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。