ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

懸命な巣作りにぐっと来る。『身近な鳥のすごい巣』を読んで 

こんにちは、ゆまコロです。

『身近な鳥のすごい巣』を読みました。

 

著者は鳥の巣研究科でもあり絵本作家でもある鈴木まもるさんです。

日本で見られる36種の鳥とその巣がスケッチされています。でも全然見たことない鳥も載っていて、興味深かったです。

新書サイズの本なのに、オールカラーで絵本のようにイラスト満載なのが楽しい。

そして鳥好きの私がもっとも盛り上がったのが、巣とともに描かれた卵のイラストが実物大なところ。実際に手にすることはないけれど、もし手に乗せたら、このくらいかなーとイメージすると心躍ります。

身体も小さいスズメ目のセッカ(全長約13センチ)の卵なんて、長径約16mmx短径約11mmだというから、手のひらサイズどころか、指先に乗るくらいしかない。

そんな小さな卵が、イネ科の植物の葉っぱをクモの糸で編んだ巣の中に入っているとか…。うーん、愛おしすぎる。

 

www.birdfan.net

鳴き声もかわいい。

 

鳥が好きで図鑑などをよく見ていたつもりなのに、まったく知らないことばかりで目からウロコでした。

例えば、まえがきにある「鳥の巣」は鳥の家ではない、というお話。

 

 多くの人が、「鳥の巣」というと鳥の家だと思っているがそうではない。卵を産むときにつくり、ヒナが巣立つと、もう二度と使わない。通常、雨や風などで崩壊してしまう。
 「我が家のツバメは毎年同じ巣を使う」という人がいるが、あの土の部分は家の基礎のようなもので、毎年あの中に枯草や羽毛などを入れて新たに巣をつくっている。だからツバメも毎回つくっているのと変わらない。
 鳥の巣は、一番大切な卵とヒナが襲われないよう、発見されにくい場所につくると同時に、暑さや寒さから小さな生命を守るという任務を課せられた、鳥にとってなくてはならない重要なものだ。
 しかし、過去の書物をひも解いて見ても、その重要性、かつ面白さを表記したものはほとんどないといっても過言ではない。したがって、世界中の人が鳥や鳥の巣という言葉は知っていても、本当の鳥の巣を知る人はほとんどいないというのが実情だ。
 試しに読者の中でメジロやウグイスの巣をパッと頭に思い描ける方がどれだけいるだろうか?さらに、メジロがクモの巣から糸を取って巣をつくっていること、ウグイスがササの葉で屋根のある球体の巣をつくっていることを知っている人はほぼいないのではないだろうか。(「そういえば知らないなあ」と思われた方は、この本を最後まで読むことをお勧めする。)
 鳥の巣を知ることは、鳥やヒナのことを知るだけでなく、その鳥の住む環境を知ること、周囲の生物との関係、さらに人が生きるうえで欠かすことができない家や服など、人の暮らしとの関係を知ることにもつながるだけでなく、人がなぜ生きるのか、本能とはなんなのかという哲学的なことまで教えてくれるものなのだ。
 恐竜が鳥へ進化したこと、 恐竜が絶滅し、鳥が今の世界に生きていることなど、今までの科学では解明できていなかった謎も、鳥の巣から知ることができるだけでなく、現在の人間社会と、未来を新たな見地で見なおすことにもつながることなのだ。
(はじめに)
(p3)

 

クモの糸で巣を作るメジロもそうですが、気が遠くなりそうな作業をして巣を作っている鳥が多くて、本当に感心させられます。しかも、教わったわけでもないのに、皆同じように巣作りをするというのが不思議です。

 

 リノベーションされたヒヨドリの巣


 ある日、山でヒヨドリの古巣を見つけた。取ってみると、枯葉でドーム状の屋根ができて横に入り口があるではないか。こんなケースは初めて見る。
 筆者の住む本州中部は、温暖なためヤマネがツルや枝が密集した場所に枯葉をボール状にした巣をつくることがある。きっとヒヨドリの古巣をヤマネがリノベーションしたのだろう。上野動物園の職員の方に聞いてみると、「ヤマネの生態は不明な部分が多く、可能性はあるだろう」とのことだ。その後、海外の本に「ヤマネが鳥の古巣を使うことがある」との記述を見つけた。 実際に巣箱で寝ているヤマネも発見した。生命が育っていく自然界の営みの豊かさを感じて嬉しくなる。

(p52)

 

このページには、

1.【夏 】ヒヨドリのヒナが巣立った

2.【秋】ヤマネが枯葉で屋根をつくった

3.【冬】ヤマネが春まで冬眠した

 

という図解があるのですが、そのイラストがとてもかわいい。

冬眠中のヤマネ、見てみたいなあと思ったのですが、見つけても起こすのは厳禁ということなので、写真を見て想像を膨らませます。

下記のリンクから見られる、赤ちゃんを口に咥えて運ぶ写真が、むちゃくちゃ可愛らしいです。(2ページめにいます。)

 

blog.nagano-ken.jp

 

 

 (・・・)しかし、シャカイハタオリはこの巣をつくることでこんな厳しい環境でも生きられるようになったのだ。実はこの巣は一羽の鳥の巣ではなく、数百羽の鳥が集団で暮らすマンションのような鳥の巣なのである。 断面図でわかるように、それぞれの部屋は個室になっていて下側が入り口になっている。
 この巣で重要なのは壁で、枯草を差し込んで形を維持させており、ものすごい数の枯草の集合体のため、壁が厚く断熱効果が高いのだ。外が日中四十度以上の時や夜のマイナス十度の時も巣の中は常に二十六度に維持される。これはNHKの「ダーウィンが来た!」番組制作で現地に行き、実際に温度を測っているから、嘘ではない。
 最初に鳥の巣はヒナが巣立つともう二度と使わないといったが、この鳥は例外で、この巣に一年中暮らしている。日中暑いときは、巣の中や下の木陰で休み、夜寒くなると、巣の中に入るので消耗が少なく生きていけるのだ。毎年繁殖期に新しく巣を増築していくので、年々大きくなり、数十年かかってこのような巣になっていくわけだ。
 そして、このシャカイハタオリの巣を見るとわかるように、人がつくるかやぶき屋根と形も構造も同じだ。
 数百万年前、人は洞窟を住居として暮らしていた。食料を得ようと出かけた時、灼熱の地で木陰を求め一休みしたのがこの巣の下だったのだ。そこは涼しく快適で、上を見ると鳥が枯草を集めて巣づくりしている。「自分たちもやってみよう」と、草を集め、家をつくるようになったのが人の家の始まりといわれている。かくして洞窟のないところでも人は暮らせるようになり、人類発祥の地アフリカから世界中へと、人類は広がっていったのだ。
 こうして、枯草を集めた家から始まり、農耕文化を発達させながら、木や土、石などを使ってより快適な空間をつくろうと建築技術を向上させ、現代の人間社会へとつながっていく。
(p22)

 

このシャカイハタオリは南アフリカにいるスズメに似た鳥なのですが、巣のインパクトがすごい。何も知らないで下を歩いたら腰を抜かしそうです。

 

manabu-biology.com

 

 大きなくちばしを持つ理由

 

 カワセミはセルリアンブルーの美しい色の鳥で、バードウォッチャーの憧れの的だ。
 前述の巨大隕石衝突後、崖などに巣づくり場所を求めたのが、カワセミの仲間だ。巣は雨が入らないように、水辺の土手などの上方が下方より突き出ているところに、オスメス共同で穴を掘る。小さな体に見合わない、大きなくちばしがカワセミに備わっているのは、この巣づくりが関係している。太いくちばしをつるはしのようにして、土手に体当たりして掘り進んでいくのだ。
 少し話は逸れるが、つるはしとはツルのくちばしという意味を持つ。これに限らずヘラサギ (英語名は White Spoonbill) やイスカの食い違ったくちばしなど、昔の人間は鳥のくちばしを模して、はしやスプーンなど様々な道具をつくったのだろう。
(p99)

 

絵で解説されたものを見ると、たしかにイスカのくちばしは缶切りみたいだし、ヘラサギのくちばしはスプーンみたい。

 

他にも、著者のお家のクリスマスリースの中にキセキレイが巣を作ってくれた話があって、とても羨ましく感じました。キセキレイがリースの内側の下のところにちょこんと座っちゃって、可愛すぎるでしょ。「ホバリングの様子が室内からよく観察できた。」とあり、鈴木先生は見るたびに幸せな気持ちになっただろうな、と思います。

 

寝る前の楽しみにちょっとずつ読んだのですが、卵を産む際に一生懸命巣を作っている鳥たちのことを考えると、その器用さと創意工夫に驚くとともに、いじらしくてなんだかこちらも元気づけられました。

 

鈴木先生の展覧会やワークショップでは、実際の鳥の巣を見られることもあるらしいので、チャンスがあれば行きたいなーと思っていたら、8月に東京ミッドタウンの中の「21-21デザインサイト」で展示があるそうなので、今からとても楽しみにしています。

 

mamorusuzuki.wixsite.com

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

対岸の火事ではない。『第三次世界大戦 日本はこうなる』を読んで 

こんばんは、ゆまコロです。

 

池上彰さんの『第三次世界大戦 日本はこうなる』を読みました。

 

 第一次世界大戦第二次世界大戦も、初めから「世界大戦になる」と考えられていたわけではありません。想定外の出来事が相次ぎ、気が付いたら世界大戦に発展していたというわけです。
 ロシア軍によるウクライナ侵攻は、いまのところは戦場がウクライナに限定されていますが、これからどうなるかわかりません。ウクライナにしてみれば、ロシアに奪われた領土を奪還するのは「正義の戦い」です。しかし、その戦いがクリミア半島奪還に向けて進展すると、ロシアにとっては「2014年にようやく取り戻すことができた領土がウクライナによって奪われてしまう」という思いになります。今度はロシアが「領土死守」というスローガンを掲げやすくなります。
ウクライナ周辺の各国も気になります。かつてウクライナの一部が自国の領土だったポーランドは、ウクライナでの戦いを我がことのように受け止めて支援を惜しみません。しかし、ロシアにしてみれば、「自国の戦争にポーランドが介入した」と受け止めるかもしれません。
 あるいは、ベラルーシはどう動くのか。モルドバは……と視野を広げていくと、紛争の種はあちこちにくすぶっています。かつてのソ連圏だったアルメニアアゼルバイジャンの紛争も再燃しています。両国は、ソ連崩壊前後から紛争が続き、ロシア軍が重しになることで紛争が抑止されていましたが、ロシアの力が弱まったことで緊張が高まりました。
 日本にとって気になるのは、中国と北朝鮮の動向です。中国の習近平国家主席は、台湾を併合したいと熱意を燃やしています。中国共産党総書記として異例の三期目に突入し、独裁体制を確立しました。もし習近平が台湾侵攻を命じても、国内でブレーキをかける勢力は存在しないのです。
 いま中国は、ウクライナでの戦況を注視しています。ウクライナを支援する国がどれだけあり、どれだけ経済制裁が実施されるのか見定めています。将来、台湾に軍事侵攻したときに、世界がどんな反応を示すか知っておきたいからです。
 果たして中国は台湾侵攻に踏み切るのか。中国建国の父・毛沢東には有名な言葉があります。「権力は銃口から生まれる」。つまり軍事力があってこそ権力を掌握できるという意味です。習近平は、この言葉をどう受け止めているのでしょうか。
 しかし、軍事侵攻すれば、世界の反発を買い、経済は大打撃を受けます。それを考えれば、いまの習近平の戦略は「孫子の兵法」である「戦わずして勝つ」ということでしょう。今後も台湾に対して硬軟両様のアプローチをかけ、台湾が共産党に親近感を抱く国民党政権に交代するのを待つ方針を取るでしょう。
(p10)

 

第一次世界大戦第二次世界大戦も、初めから「世界大戦になる」と考えられていたわけではありません。想定外の出来事が相次ぎ、気が付いたら世界大戦に発展していたというわけです。」

なぜ二度も世界大戦が起こってしまったのだろうかと、学生の頃は不思議に思っていました。しかし当時その時代を生きていた人たちも、世界大戦になるだろうなという予測をしていなかった、と聞くと、気がついたら戦争になっていた、といった事態も、ありえなくはないなと思えてきます。本書を読み進めると、特にそう思わされます。

 

 ロシアのウクライナ侵攻でさらに過激に!

 

 このようにますます過激になっている北朝鮮ですが、実はウクライナ問題とも大きく関係しています。
 ロシアがウクライナに侵攻するのを見た北朝鮮は、こんなふうに考えたのではないでしょうか。
「やっぱり核兵器は手放せない」
 そう推測するのには理由があります。
 ウクライナが一時期、アメリカ、ロシアに次ぐ世界3位の核保有国、核大国だったことはご存じですか。
 東西冷戦の頃、ウクライナはロシアと共にソ連を構成する15の共和国の一つでした。このソ連時代にウクライナには大量の核兵器が配備されました。狙いは西欧諸国への対抗です。ソ連の指導者たちは、地理的に西ヨーロッパに近いウクライナに軍隊や核を配備することで、西欧諸国と対決する姿勢を明確にしたのです。

 ところが1991年、ウクライナに核を残したまま、ソ連が消滅してしまいました。
ソ連内のそれぞれの国が独立したためです。結果として、ウクライナは世界3位の核保有国となりました。
 ちなみに、当時のウクライナ保有していた核弾頭数は1240発だったといわれています。
 しかし、ウクライナは結局、核兵器を放棄することにしました。そのことを約束したのが1994年の「ブダペスト覚書」です。ハンガリーの首都ブダペストで署名されたのでこう呼ばれています。
 具体的には、ウクライナ核兵器を放棄し、その全てをロシアに引き渡せば、ウクライナ領土の安全と独立国家としての主権をアメリカ、イギリス、ロシアの3カ国で保障するというものです。
 東西冷戦が終わり、既にロシアは民主化されていました。そのままロシアに自由と民主主義が定着していれば、この覚書が破られることはなかったかもしれません。しかしその期待は打ち砕かれ、約束を無視してロシアはウクライナに侵攻。アメリカやイギリスは直接的な軍事介入を避け、ウクライナに武器は提供するけれども、軍隊は送りませんでした。つまり、ブダペスト覚書は反故にされたのです。
 そんな様子を見た北朝鮮は、一連の出来事から教訓を引き出しました。
ウクライナが侵略されたのは核を放棄したからだ。核兵器を持っていれば、ロシアが攻め込むことはなかったのではないか。またアメリカやイギリスがロシアを攻撃しないのは、ロシアが核保有国で核戦争になるのが怖いからだ。だとしたら核兵器さえ持っていれば北朝鮮の安全を守ることができる。よって核は手放せない」
 金正恩総書記はこう考えているのではないか、とみることができます。
(p60)

 

ソ連から独立したことでウクライナが世界有数の核保有国となっていた時期があったことを、本書で初めて知りました。被爆国にいると「核兵器さえ持っていれば安全」という発想はなかなか出てきませんが、北朝鮮が核を手放せないという考えに至るのもまた、理解できなくもないかもしれません。

 

 ロシアを強く非難できないインド

 

 ロシアへの経済制裁を行っていない国の一つにインドがあります。インドは侵攻直後に行われた国連でのロシア非難決議(2022年3月)も棄権しました。
 なぜインドはロシアに毅然とした態度をとらないのでしょうか。これには歴史的な背景があります。

 アメリカとソ連が対立していた東西冷戦さなかの1950年代、インドの製品は質が悪く、輸出ができなくて経済はボロボロ。そんなインドを救ったのがソ連でした。インドはソ連の経済援助のおかげで発展できたともいわれているのです。
 そういうソ連あるいはロシアに対するお礼の気持ち、自分たちの国がここまで発展できたのはロシアのおかげだという思いがあるのと、ロシアとは1993年に友好協力条約を結んでいて軍事面で大切なパートナーだということがあります。
 インドの近くに、インドともめている国が2カ国あります。パキスタンと中国ですね。インドはどちらとも戦争したことがあります。とにかく国境や領土をめぐって争いが絶えない。常に緊張状態にあり、最近もインドと中国が軍隊同士で衝突して、インド兵が死亡しました。
 インドとしては、対立する中国を背後からソ連(ロシア)に牽制してもらいたい。そこで冷戦時代に中国と仲の悪かったソ連に接近し、その時築いた関係がずっと続いているわけです。
 さらに、パキスタンとまた戦争になるかもしれないということで、ロシア製の安い兵器を大量に買っています。インド軍の兵器の約6割がロシア製というデータもあります(出典:ストックホルム国際平和研究所)。アメリカ製は値段が高いのがネックになっているようです。
 そうやってロシア製の兵器を大量に買っていると、ロシアとは喧嘩したくないという気持ちになるのは自然の成り行きです。
 結局、インドとしては、自分の国を守るためにもロシアとは良好な関係を維持したいと考えているのです。
 しかし、インドはQUADの重要な一画を占める国です。 QUADに参加している以上、日米豪と足並みを揃えて対ロ制裁に参加すべきと思うのですが、インドの考えは違っていました。
 アメリカはインドに、武器も原油も支援するからロシアへの制裁を考えるよう求めました。これに対してインドのモディ首相はこう言っています。
「世界が二つのブロックに分かれている時、インドは人類に対して独立した立場をとり国益を優先していく」
 要するに、インド・ファーストなんですね。 対中包囲網という点ではインドは頼もしい存在ですが、ロシアに対しては及び腰です。その根底にはインド・ファーストの方針があるということです。

(p144)


今までインドを力強くサポートしてきてくれたロシアに冷たくできない、という事情がよくわかりました。

5/20にG7サミットで来日したゼレンスキー氏は、インド首脳らとさっそく会談していましたが、これからどうなるのか気になるところです。

 

www.yomiuri.co.jp

 

(…)「あらゆる手段」という言葉で核兵器の使用をほのめかし、「これは脅しではない」と典型的な脅し文句を付け加えています。また、 核兵器で脅されたときは同じことをするとも発言しました。
 要するに、ロシアの領土が攻撃されたら核兵器を使うこともありえるし、もし欧米側が核兵器を使えば、それに対しては核兵器で報復すると示唆したわけです。


 一歩間違えば第三次世界大戦に発展!

 

 さらに危険な動きが立て続けに起きました。9月下旬、東部ルハンシク州とドネツク州、南部ザポリージャ州とヘルソン州の合計4州で「ロシアへの編入を問う住民投票」が行われ、圧倒的多数の賛成で承認されたと発表しました。
 これを受けたプーチン大統領は、9月30日に4州のロシアへの併合を発表。 ウクライナ東部・南部一帯を一方的にロシアの領土にしてしまったのです。

 4州はロシア軍が完全に掌握しているわけではなく、ウクライナ側が支配している地域やウクライナ軍が奪還した地域もあります。しかし、ロシアが併合を宣言したのは4州の境界線の内側全てです。 他国の土地を併合するのはもちろん国際法違反ですが、未占領地域まで自分たちのものだと言う神経の図太さに、多くの人は唖然としたのではないでしょうか。

 ウクライナ政府は猛反発し、バイデン大統領もロシアを非難、国連のグテーレス事務総長も「国連の目的と原則に背く行為で、危険なエスカレーションである。現代社会にはふさわしくないし、決して容認してはならない」 とロシアを厳しく批判しました。
 こうしたロシアの強引な行為により、ウクライナ情勢をめぐって国際社会は一気に緊迫の度を増しています。
 既にウクライナ軍は、ロシアが併合したと称する東部・南部の4州内に兵を進めています。 戦いは4州内でも行われており、プーチン大統領の言葉を額面通りにとれば、「ロシアの領土の一体性」が脅かされていることになります。
 かねてよりロシアは、「通常兵器による攻撃であっても、国家の存立が危険にさらされた場合は核兵器を使うことができる」としており、プーチン大統領核兵器を使うかもしれないという心配が急速に高まっています。
 戦略核兵器のような巨大な破壊力を持つ核をいきなり使うことはないと思いますが、戦術核兵器と呼ばれる小型で小規模な核兵器を使うことは、あり得ないことではありません。
 しかし、万が一そんなことになった場合、アメリカやNATOがどう出るかです。これまでのように、戦闘はウクライナ軍に任せて、背後から武器支援するというやり方を続けるわけにはいかなくなるでしょう。
 アメリカが直接、軍事介入する可能性が出てきます。そしてロシア軍とアメリカ軍が直接交戦することになれば、NATO加盟国はアメリカ側に立ってアメリカと一緒にロシアと戦うはずです。

 これはもう後戻りのできない戦争、 すなわち第三次世界大戦の勃発です。ロシアはベラルーシカザフスタンなど6カ国でCSTOという軍事同盟を結んでおり、それらの国々はロシアと共同歩調を取る可能性もありますが、こちらは加盟各国がロシア離れの姿勢を示しているので、どういう行動をとるか現時点では不明です。
 北朝鮮は否定していますが、砲弾不足に苦しむロシアに北朝鮮が大量の砲弾を提供したという情報もあります。
 ロシアと軍事的に緊密な関係にある北朝鮮、そして軍事大国中国の動きも気になるところです。

(p154)

 

いまだに多くの国が核兵器保有する現代で、もしそれが使われたらどうなるのだろう、と漠然と不安に思っていましたが、ちょっとしたきっかけで大きな戦争になる可能性は十分あることが分かります。

 

 実は安保理で物事を決める仕組みには問題があり、今回、その問題がクローズアップされることになりました。


 ウクライナ侵攻を止められない理由

 

 平和を守るはずなのに戦争を止められないなんておかしいですね。でも、その理由は仕組みを見ればよくわかります。
 193カ国で話し合っていたらなかなか話がまとまらないので、15カ国から成る安保理が全加盟国を代表して物事を決定します。
 この15カ国は、さらにこんなふうに分かれています。
 常任理事国という5ヵ国と非常任理事国の10カ国です。 常任理事国が常に固定された同じメンバーなのに対し、非常任理事国は任期2年で地域別に選挙で選ばれます。
 日本は直近の選挙で非常任理事国に12回目の当選を果たし、2023年1月1日から安保理で仕事を始めました。12回目というのは、非常任理事国の中では日本が最多です。
 問題は常任理事国です。5カ国にだけとても大きな特権が与えられています。 それが、いわゆる拒否権です。安保理決議案を採択するときは、原則15カ国のうち9カ国以上の賛成があれば通るのですが、常任理事国5カ国のうち1ヵ国でも「ノー」と言えば通らない仕組みになっています。
 たとえ14カ国がやろうと言っても、常任理事国が1カ国でも反対したら採択できない。そんな強い力を持っているのが「5大国」と呼ばれる国々です。
 アメリカ、イギリス、フランス、 ロシア、中国の5カ国です。
 今回、常任理事国のロシアが他国を侵略するという暴挙を行いました。安保理ではそのロシアが拒否権を使ってくるため、ほとんど何も決まらない状態が続いています。それでウクライナ侵攻を止めることができないのです。
 日本や欧米はロシアに対して経済制裁をしていますが、これはあくまで自主的なもの。 安保理で決めて全加盟国に命じるのが本来のルールです。 しかし安保理の機能不全でそれができません。そこで各国がそれぞれの判断で制裁を行うかどうか決めています。
 ロシアへの経済制裁は国連が決めたものではなく、そのため経済制裁していない国の方が多いのです。
 国際社会で暴挙を繰り返しているのはロシアだけではないですよね。 北朝鮮も核・ミサイル開発を推し進めてきました。 ウクライナ侵攻後もミサイルを連発する北朝鮮に対してもっと厳しい経済制裁をしようという提案には、ロシアと中国が拒否権を使って反対を表明。こうなると手の打ちようがありません。
「平和を守ると言いながら何もできないではないか。国連は無力だ」と批判の声が高まっています。

 

 特別な「5大国」はどうやって決まった?

 

 ここで疑問が浮かびます。なぜこの5カ国だけ特別なのでしょうか?
 第二次世界大戦戦勝国だから。これがその理由です。

 そもそも国際連合第二次世界大戦に勝利した国によって作られた組織です。戦争で勝った国の中心メンバーで、当時の大国がこの5ヵ国だったことから常任理事国に選ばれました。
 第二次世界大戦は、今からおよそ80年前、枢軸国と連合国と呼ばれた国々の間で戦われた戦争です。日本やドイツなど枢軸国が敗北し、アメリカ、イギリス、ソ連など連合国が勝利。勝った側の連合国が「我々が戦後の平和を守ろう!」と言って作ったのが国際連合(国連)です。
 国際連合を英語にするとUnited Nationsです。しかしUnited Nationsを 「国際連合」と訳すのは日本だけと言ってもいいでしょう。これは日本独特の訳し方で、直訳すれば「連合国」にもなります。
 United Nations (連合国)が作ったのがUnited Nations (国連)。戦争に勝った連合国がそのままの名前で作った組織が今の国連です。
 日本は1956年12月に国連に加盟しました。 国連に入るとき、日本が戦争で戦った相手の「連合国」に入るのでは国民に説明しにくいということで、訳語を変えることになり、これを「国際連合」と読み替えたのです。
 ところで、アメリカとソ連は敵対関係にあるというイメージが強いのに、なぜ揃って常任理事国になれたのだろうと不思議に思うかもしれません。
 確かに戦後は東西冷戦で長く対立しましたが、第二次世界大戦の時は協力し合う関係だったからです。 当時仲が良かったのは、米ソ両国にとって共通の敵ドイツがいたからです。ソ連はドイツに攻め込まれて甚大な被害を出しながら戦い、そのソ連アメリカは全面的に支援して協力関係にありました。
 第二次世界大戦で最も多くの犠牲者を出したのはソ連です。その数、約2700万人。これほどまでに多くの犠牲を払ってドイツに勝ち、戦争を終わらせた。その功績が認められてソ連常任理事国入りしました。
 でも、一部の国を特別扱いして拒否権を認めたら、話し合いがまとまらなくなるのは目に見えています。なぜそんな仕組みにしたのでしょうか。

 

 拒否権がある限り国連の機能不全は続く?

 

 国連を立ち上げるとき、拒否権という考え方が最初からあったわけではありません。ソ連が強く要求して作ったといわれています。
 当時の中国は中華民国、現在の台湾ですから、社会主義ではありませんでした。そうすると、5ヵ国の中でソ連だけが社会主義の国ということになります。アメリカやイギリスなどから見て社会主義国は極めて異質な存在です。それはソ連も自覚していて、何か物事を決めるときにソ連だけ孤立するのではないかと恐れました。ソ連に不利なことを決められたら困ると考えて、ソ連が「拒否権を作れ」と強く要求したというのです。
 この拒否権があるために、ロシアのウクライナ侵攻も北朝鮮の核・ミサイル開発も止められない現実があります。国連ができてもう80年近く。そろそろ何とかならないものでしょうか。
 多くの国が何とかしなければと思っているのに変えられないのは、変えるためのハードルが高すぎるからです。
 拒否権をなくそう、あるいは常任理事国を増やそうという提案をしても、そのためには国連憲章という国連にとっての憲法のようなものがあり、それを改正する必要があります。
国連憲章の改正は、総会を構成する国の3分の2の多数で採択され、かつ、安全保障理事会の5常任理事国を含む国連加盟国の3分の2によって批准されて可能となる」(出典:国連広報センター)
 このように、国連憲章を改正するには5常任理事国も含めて加盟国の3分の2以上の賛成が必要なので、常任理事国が1カ国でも「嫌だよ」と拒否権を発動すると改正できないのです。

 拒否権を持つ常任理事国にしてみれば、拒否権がなくなれば自分たちが不利になるので、そんな改革には絶対賛成しないでしょう。
 結局、拒否権はなくならない。なくならないから争いを止められない。国連の機能不全が続く、というわけです。

 

 日本の常任理事国入りは簡単ではない

 

 2022年5月23日、訪日したアメリカのバイデン大統領は日本の常任理事国入りを支持すると発言しました。
 しかしこれは、アメリカの後押しがあれば実現するというものではなく、現実にはなかなか難しい問題です。以前から「常任理事国を増やそう。日本なども加えよう」という議論はあるのですが、反対する国があって進んでいないのです。
 国連の機能不全は今に始まった問題ではありません。戦後から1980年代末にかけての東西冷戦時代は、アメリカとソ連が対立していたので、国際紛争が起きると必ずどちらかの国が拒否権を発動していました。
 どこかで紛争が起きれば、大抵の場合、アメリカとソ連の代理戦争のようになります。アメリカがそれをやめさせようとするとソ連が拒否権を発動し、アメリカも結構な頻度で拒否権を発動しました。
 結果的に、東西冷戦時代の国連は何も決められず、「国連には何も期待できない」と言われたものです。ところが東西冷戦が終わった途端、「お互い協力し合いましょう」ということになって、近年は国連が役に立つ場面が増えてきました。
 それが今回、ロシアのウクライナ侵攻で元の無力な国連に戻ってしまい、世界の人々の間で不満が高まる結果となっています。
 ここまできたら、いっそのことロシアを国連から追放すればいいのにと思う人もいるでしょう。
 国連憲章には「除名」の規定があり、できないことはありません。ロシアを追放するには、国連総会で決議をして3分の2以上の賛成があれば可能です。
 ただ、国際社会にはロシアの仲間、中国の仲間もいるわけで、ロシア追放の決議案を国連総会に出したところで3分の2以上の賛成票を得るのは非常に難しい。逆に、追放してロシアが国連からいなくなってしまったら、どこがロシアに対して働きかけを行うのかということになってしまいます。ロシアに圧力をかけ続けていく上では、むしろ国連の中にとどまってもらったほうがいいのです。


 現実味を帯びてきた第三次世界大戦の危機

 

 国連が機能不全に陥っている今、第三次世界大戦の可能性はかつてなく高まっています。ロシアがこのまま暴走を続けた場合、国連にこれを止める力はなく、最後は武力対武力で決着をつけるしかなくなるからです。
 これまで何度も核兵器の使用をちらつかせてきたのがプーチン大統領です。ロシアは2014年にクリミアを占領し、2022年にはウクライナ東部・南部の4州を併合。いずれもウクライナや国際社会は認めておらず、不法な併合です。しかし、プーチン大統領は自分たちの領土への攻撃があった場合は核兵器を使うかもしれないと示唆し、「これは脅しではない」とまで言い切りました。
 実際、2022年10月にロシア本土とクリミア半島をつなぐクリミア大橋が何者かによって破壊されると、ロシアはこれをウクライナによるテロと断定し、直後にウクライナ全土への無差別なミサイル攻撃を始め、多くの無辜の市民を殺傷しています。
 それでもウクライナ軍はひるむことなく進軍を続け、11月には南部ヘルソン州の州都ヘルソンを奪還しました。これによりロシア軍はドニプロ川東岸へ撤退を余儀なくされたのですが、一方でロシア軍によるウクライナ全土へのミサイル攻撃は激しさを増し、発電所などエネルギー関連施設が次々に破壊されました。
 ウクライナの冬は寒く、電気がなければ人々は暮らしていけません。ロシアは、ウクライナの電力インフラを破壊して人々が寒さに震える状態を作り出し、戦う意欲を失わせて、ウクライナを降伏させようと考えたようです。
 そうした中で起きたのが11月15日の事件です。ポーランド東部のウクライナとの国境近くの町にミサイルが着弾し、民間人2人が死亡。一気に緊張が高まりました。もしこれがロシア軍の意図的な攻撃であれば、ロシアはNATO加盟国を攻撃したことになり、戦争の性格が一変する可能性があったからです。
 このミサイル着弾に関しては、当初、どの国が撃ったのかはっきりせず、見解が錯綜していました。
(p170)

 

平和と安全を維持することが国連の役割なのに、なにかロシアに働きかけることはできないのかなと思っていましたが、この常任理事国の拒否権が、機能不全の原因だったのですね。

このあたり、学校で習ったような気がしますが、完全に忘れています。

自国にとって都合の悪い議案が出るたびに拒否権を発動していたら、そりゃなにも決まらないですよね。

 

TVで観る池上さんの語りそのまま本にしたような感じで、席に座って授業を受けているような気分になります。こちらが疑問に感じそうなところは、たいてい細かに説明してくださっているのもありがたい。

 

この本を読んで割とすぐに、ウクライナの様子を映したイマジン・ドラゴンズのミュージックビデオを見ました。

 

ゼレンスキー大統領も平和公園でのスピーチで「ウクライナの街は原爆資料館でみた風景と似ている」と言っていましたが、この映像に登場する、自分の街が何ヶ月も爆撃にさらされているサシャ少年を見ていると、日本人にも第二次世界大戦で自分の国が同じように戦火の只中にあったことが想起されます。

 

www.youtube.com

 

「ロシアがこのまま暴走を続けた場合、国連にこれを止める力はなく、最後は武力対武力で決着をつけるしかなくなるからです。」

と池上さんは書いていますが、自国が戦場となることは、歴史上や遠く離れた国で起こっている話ではなく、気がついたときには現実として目の前にあることなのかもな、と重く心にのしかかりました。とても他人事としては考えられない気持ちになります。

 

これ以上の武力のぶつかりあいとなることなく、平和な日常が戻ってきますように。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

朝ごはんはずっと同じでいい。(個人の意見です)

こんにちは。ゆまコロです。

昨日はお休みで昼寝をしていたら、地震のニュースにびっくりして起きました。

被害があった地域の皆さまにお見舞い申し上げます。

 

「おじー」さんの「おじ語り」の記事を読んで、面白かったので私もやってみました。

ojigatari.com

 

朝ごはんは毎日、なるべく違うものを食べたほうが良いとなんとなく思っていました。

父親が朝食に出されたものを見て、「これ昨日も食べた」とか言う人だったからかもしれません。

 

そんな私の思い込みが払拭されたのは、アメリカ・コロラド州へホームスティへ行ったときのこと。

そのお家では両親と娘さん一人が暮らしていましたが、3人とも朝ごはんはシリアルで、1年中変わることはない、と言っていました。

なので、朝の食卓には3種類のシリアルの箱(3人とも好みの銘柄はバラバラ)と、1ガロン入りの牛乳が出されるだけ。洗い物も、シリアルボウルとスプーン3セットを食洗機に入れるだけ。

 

朝から炊飯器からご飯よそってお味噌汁の鍋にお玉入れて、ぬか床からきゅうり出したり、醤油出したり鰹節出したりしてた朝と比べると、大変スピーディーでした。

朝はとにかく頭が働かず、お弁当箱にご飯を詰めるのもしんどい私にとっては、同じメニューでよい、ということに衝撃を受けました。

 

なので日本に帰ってから、もうこれからはずっと同じメニューで行くもんね、と決めました。

ずっと同じ献立だと飽きるかな、と思いましたが、私にとっては、朝「どうしようかな〜」と考えることから開放される負担減の方が重要でした。

 

そんなゆまコロの定番朝ごはんはこちら。

 

・胚芽精米に雑穀を入れたご飯

・味噌汁(前の晩多めに作っておく)

・納豆

・鮭フレーク(ぎょれんのが好き)

・ヨーグルト、冷凍のブルーベリー

・ナッツ(おもにクルミ

 

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写真の日は、ヨーグルトに八朔も入っています。八朔シーズン中のお楽しみ。味噌汁はえのき茸と卵の赤だし味噌汁。

亜麻仁油はヨーグルトにかけてます。

 

シリアルに比べると、準備・後片付けの工程は多いですが、紆余曲折あってご飯に落ち着きました。

貧血なので納豆はできれば毎日食べたいところ。ただ現実には昼も夜も食べられなさそうなので、朝しか食べるチャンスがなく→必然的にご飯に。

魚も、たくさん食べたいですが、昼と夜に食べる機会がない日もあるので、とりあえず朝食メンバーに鮭フレークを入れました。写真に入れるのを忘れていますが。しらすおろしで納豆を食べるときもあります。

パンだと無性にお腹が空くので、品目が多くても致し方ないか、という気持ちです。

 

もう何年もこんな感じですが、まだ飽きていません。というか、朝はほとんど眠りながら食べているので、よく分からないだけかもしれません。

そして旅行に行ったとき、いつもと違う朝ごはんが食べられる喜びが増しました。

決して、いつもの朝ごはんが嫌い、というわけではない(はず)。

 

ちなみにホームスティ中は「みんなはずっとシリアルだけど、朝はなに食べたい?」と聞かれ、私は1ヶ月毎日ロメインレタスカニカマと、ライ麦パンを買ってもらっていました。

カニカマをずっと食べていたのはスーパーに魚がほとんど売っておらず、常に魚が恋しかったからです。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

お題「朝食に何を食べていますか?」

 

腸、血管、ストレスとの関連がわかる。『脳が強くなる食事』を読んで

こんばんは、ゆまコロです。

 

マックス・ルガヴェア、御舩由美子訳『脳が強くなる食事』を読みました。

 

新聞で広告を見て面白そうと思って探しに行きましたが、割と分厚い本でびっくり。

結構長いので先にご紹介してしまいますが、本書で脳が強くなる食べ物(ジーニアス・フード)としておすすめされている食品は次の通り。

 

  1. エクストラヴァージンオリーブオイル…オレオカンタール(そのまま飲んだときに感じる、ピリッとした刺激がこれ)に抗炎症効果があり、非ステロイド性抗炎症薬のイブプロフェンを少量服用するのと同じ効果がある。
  2. アボカド…体内の脂肪組織を保護する働きが他の果物・野菜よりも高い。1個で食物繊維を豊富に摂取できる。
  3. ブルーベリー…アントシアニンが海馬に蓄積し、記憶を処理する部位のシグナル伝達を強化する。
  4. ダーク・チョコレート…ポリフェノールの一種カカオフラバノールは認知機能の老化を食い止め、インスリンの感受性や血管機能、脳の血流、運動機能まで改善する。カカオ85%の板状チョコレートを週に1枚の割合で摂るのが望ましい。
  5. 卵…特に卵黄には、ビタミンA、ビタミンB12、ビタミンE、セレン、亜鉛など、正常に働く健全な脳になるために必要な全成分が含まれる。
  6. グラスフェッドビーフ…鉄分、亜鉛ビタミンB12、ビタミンEが含まれる。著者によれば、不健康でストレスをため、廃棄された穀物やキャンディなどひどく不自然な飼料を与えられた食肉ではなく、「悪い日は1日だけ」だった牛の肉を探すことが望ましいとのこと。
  7. 緑の葉物野菜…ほうれん草、ロメインレタスなど。葉酸マグネシウムが豊富。
  8. ブロッコリー…そのほか芽キャベツやキャベツ、ラディッシュルッコラ、チンゲン菜などアブラナ科の野菜には、がんや自己免疫性疾患の予防に有望なスルフォラファンを含む。
  9. 天然の鮭…水銀が少なく、オメガ3系脂肪酸EPADHAが豊富。アスタキサンチンというカロテノイドは、養殖よりも天然の方が含有量が多い。
  10. アーモンド…皮に含まれるプレバイオティクスが大腸の細菌叢を育てる上、ポリフェノール(身体と腸内細菌に抗酸化作用をもたらす)とビタミンE(脂溶性の抗酸化物質)を含む。

 

(…)アメリカの神経学の分野では指折りといわれる施設もいくつか訪れたが、どこでも決まって「診断を下して、はい、さようなら」だった。
 つまり身体と認知機能を調べる一連の検査が済むと、あとは新しい生化学的絆創膏の処方箋を持たされるぐらいで、大した成果もなく追い払われたのだ。そのたびに私は、もっといい治療法を探すことに、それまで以上に没頭した。深夜まで眠らずに何時間もリサーチを続け、母の頭をぼんやりとさせている病気のメカニズムの情報を片っ端から探した。
 最初に症状が現れたとき、母はどう考えても高齢ではなかったので、年齢が病気の原因だとは考えにくかった。当時、母はまだ50代で、若々しくて、お洒落で、人目を引く魅力の持ち主で、これっぽっちも――そして、いまだに、高齢者の病気に侵されるような人間には見えなかった。親戚には神経変性の病気を患った人は1人もいなかったので、母の遺伝子が原因だとは考えにくかった。そのため原因は外部にあるに違いなく、私の直感では食生活が関係しているように思えた。
 その直感にしたがった私は、それから10年のほとんどを食べ物(それと運動や睡眠、ストレスなどライフスタイルの要因)が脳に与える影響を調べることに費やした。その過程で、最先端の研究にたずさわる数少ない臨床医が、代謝――身体が食品や酸素など必須の成分からエネルギーをつくる働き――と脳の関係に注目していることを知った。母には糖尿病の兆候は全然なかったものの、私はさっそく二類糖尿病について、またインスリンやレプチンのようなホルモン、それに代謝を制御している、あまり知られていないシグナルについて調べはじめた。そして食餌療法と心血管に関する最新知見に興味を持った。 酸素や栄養素を脳に運んでいる毛細血管のメンテナンスについても知りたくなった。さらに、腸に住みついている古代の細菌がどのように脳の沈黙の守護者として働いているかや、その細菌を現代の食生活が文字どおり餓死させてしまうことも知った。
 食べ物がアルツハイマー病などの病気とどのように関わっているかを知るにつれ、私はその新たな知識をさっそく実生活に活かしはじめた。そして、いくらも経たないうちに、自分のエネルギーのレベルが上がっていることや、その感覚が1日中続いていることに気づきはじめた。
 思考はよどみなく流れ、気分も晴れやかになっていた。ものごとに簡単に集中できるようになり、あまり気が散らなくなった。その上、当初の目的ではなかったが、それまでどう頑張っても落ちなかった脂肪が落ち、人生で最高の体型も得られた。こんなボーナスなら大歓迎だ!母のために始めたリサーチだったはずが、脳を健康にする最新の食餌療法に、私が夢中になってしまったのだ。
 思いがけず、私は埋もれていた知識を掘り当てたのだ。
 つまり、脳を認知症と老化から守るための食べ物が、 今すぐに脳の働きを改善してくれることだ。未来の自分に投資することによって、今日、自分の生活を向上させることができるのだ。
(p33)

 

50代でアルツハイマー病の症状が現れた母親のために行ったリサーチが、本書を執筆するきっかけだったと著者はまえがきで述べています。優しい視点とともに、切実さが伝わってきます。だんだん自分のコンディションが良くなってきている様子も分かるのが良いです。

 

気になるところだけピックアップしましたが、長くなるので、興味のある方だけお進みください。

 

 BDNFは脳の最高のビルダーだ


 オメガ3系脂肪酸、とりわけDHAは「脳由来神経栄養因子 (BDNF)」というタンパク質を増やすことによって、脳をじかに支えている。脳の奇跡の肥料といわれるBDNFは、記憶の中枢の神経 細胞の新生を促すだけでなく、今ある神経細胞が生き延びられるように助けるボディガードでもある。シャーレ (ペトリ皿)の神経細胞にBDNFを振りかけると、その驚くべきパワーを見ることができる。何かを学んだり覚えたりしたときに神経細胞から伸びるトゲ状の物質――樹状突起が、 伸びるのだ。
 BDNFの量が増えると、短期間で記憶力や気分、実行機能が改善され、脳の長期的な可塑性も強化される。「可塑性」という言葉は、脳の変化する働きを表す神経科学の用語だ。アルツハイマー病やパーキンソン病などの疾患ではこの可塑性の働きが衰えるが、BDNFも減少する。実際に、アルツハイマー病を発症した脳には、健康な脳の半分のBDNFしかないこともあり、その量も簡単には増えないという。うつ病は、BDNFが減るために生じるともいわれており、BDNFを増やすと症状も改善する。
 神経細胞を保護して成長させる、この強力なホルモンを増やす最善策の1つが運動だ。一方、食生活では、オメガ3系脂肪酸DHAを摂取することが最善策だと言われている。DHAは健康な脳を構築するための重要な成分で、研究者は人類の脳が初期のヒト科から現在の大きさになったのは、この特別な脂肪のおかげだと考えている。 魚を食べることによってDHAを含むオメガ3系の血中濃度が高くなると、徐々に脳の体積が増加するのはこれが理由かもしれない。だがDHAの親友、EPAも忘れてはいけない。炎症は脳のBDNFを枯渇させることがわかっているが、EPAがその炎症を強力に抑制してくれるのだ。


 脂肪が脳の交通渋滞を解消する

 

 私は子どもの頃、今の時代によく見られる症状とよく似た問題を抱えていた。 注意力が散漫で、教室でじっと座りながら授業に集中することが苦手だったのだ。結果的に、いい成績を取るために努力した。学校の指導カウンセラーが、私を心理学者のところにつれていくように両親に勧めたこともあった。
 私が抱えていた問題は実行機能、つまり計画や意思決定、注意力、自己制御など、さまざまな認知機能に関わるものだった。実行機能は、日常生活の広範囲に及ぶ営みに関わりがある。そのため専門家のなかには、人生で成功するには知能指数や生まれつきの学力よりも、実行機能が重要だと考える者もいる。そしてありがたいことに、研究によれば、食事で摂取する脂肪が、実行機能を最適化できるという。

 あらゆる認知機能と同じく、実行機能もやはり神経伝達物質が正常に働くことで成り立つ。そうなるとオメガ6系とオメガ3系のバランスが悪い場合、困ったことになるかもしれない。
 ある研究では、オメガ6系の摂取量が少ない子どもは、実行機能が優れていたという観察結果が出ている。 注意欠如・多動症(ADHD)と診断された子どもたちの場合、その症状は実行機能に関わっていることが多く、ある研究ではADHDと診断されていない子どもたちも含めて、オメガ3系のサプリメントを摂取することで注意力が改善したという(私は子どもの頃にマーガリンと穀物油を摂っていたが、私の問題はそれが要因だったのだろうか? はっきりとは断言できない。だが、あながち外れているとも言いきれない)。
 体調を改善するために摂取する脂肪を変えたいなら、思い立ったが吉日だ。ベルリンのシャリテ医科大学病院の臨床試験によると、ただ魚油のサプリメントを摂取するだけでも効果があるという。この研究では、成人の被験者が1日あたり1320ミリグラムのEPAと、880ミリグラムのDHAを含むオメガ3系脂肪酸サプリメントを与えられた。2週間後、オメガ3系のサプリメントを摂取した被験者の実行機能が、プラセボ群より2パーセント向上していた。しかもプラセボ群の認知機能は、わずかに低下していた。 またオメガ3系を摂取した被験者は、脳の灰白質の容積が増え、「白質が構造的に完全な状態になっていた」という。たとえば、こう考えてみよう。白質は脳の高速道路網で、その追い越し車線を通って、データがさまざまな地域のあいだを行き来している。先ほどの研究の場合、オメガ3系のサプリメントの摂取によって、道路の整備チームが出動したかのように、高速道路の凸凹が埋められて滑らかになり、その上、車線まで増えたのと同じ効果があったのだ。
 もしあなたが世界中で何らかの精神疾患を患う4億5000万人のひとりだったら、食事にオメガ3系脂肪酸をもっと加えれば同じ恩恵が得られるのだろうか? この問いに答えるべく、メルボルン大学の研究チームが、精神病性障害の病歴のある10代と20代前半の被験者に魚油を与えた(魚油なら精神病治療薬を使う場合と違って偏見を持たれないため、患者にも受け入れやすい)。
 この臨床試験の被験者は、それぞれ700ミリグラムのEPAと、480ミリグラムのDHAを毎日与えられた。3ヵ月後、魚油を摂取したグループは、プラセボ群に比べて精神疾患の症状が出ることが大幅に減っていた。だが、もっと驚くべき発見があった。この7年後に医師が被験者を診察すると、プラセボ群の4パーセントは完全な精神疾患に移行していたが、魚油を摂取した被験者のうち精神疾患に移行していたのは10パーセントだけだった(つまりリスクが4分の1減った)。その上、脳機能がかなり改善し、疾患の症状を抑えるための薬の量も減っていた。
 では、魚油はメンタルヘルスの万能薬なのだろうか? 残念ながら、答えはノーだ。 それでもこの研究は、はっきりとしたエビデンスを提供してくれている。

(p70)

 

オメガ3系脂肪酸は脳に良いらしい、とぼんやり知っている程度でしたが、

「記憶力や気分、実行機能が改善され、脳の長期的な可塑性(かそせい。固体に外力を加えて変形させ、力を取り去ってももとに戻らない性質)も強化される」

と聞いたら、もう摂らない理由などない、という気分になります。そして運動も頑張ろうと思いました。

 

 トランス脂肪酸は怖がるべき脂肪だ


 トランス脂肪酸は、飽和脂肪酸に似たふるまいをする不飽和脂肪だ。自然界で生成されるトランス脂肪酸として共役リノール酸(CLA)があるが、これはミルクやグラスフェッドの食肉に含まれている。この共役リノール酸はとても健康的な脂質と考えられ、代謝の正常な働きや血管の健康、ガンのリスクの減少に関わっているとされている。だが、天然由来のトランス脂肪酸は、現代人の食生活では、どちらかといえば珍しい存在だ。
 人間が摂取しているトランス脂肪酸のほとんどは、工業的につくられたものだ。こうした人工的なトランス脂肪酸は、ただ悪いだけではない。ダース・ベイダーがヴォルデモート卿と結託するくらい始末に負えないのだ。トランス脂肪酸は、初めは多価不飽和脂肪酸の油だが(これは血液脳関門を自由に通過できる)、水素が加えられると生成される。この油は水素添加油脂、あるいは部分水素添加油脂という名前で、食品のパッケージに表示されている。水素を加えることで、この油脂は飽和脂肪酸のようにふるまい室温で固まる。このような食品を製造する理由は、2つある。安価な油によって、食品に濃厚なバターのような風味を加えられること。そして、その食品の保存期間を伸ばせること。そのため、こうした油脂は主に加工食品、ケーキ(油の分離を防ぐ)に含まれている また、いかにも健康食品っぽく包装されたビーガン用「チーズ」スプレッドにも含まれている。
 人工のトランス脂肪酸は炎症性が高く、インスリン抵抗性や心血管疾患を促進する(善玉のHDLコレステロール値を下げ、総コレステロール値を上げる)。近年のメタ分析 (研究の研究)では、トランス脂肪酸の摂取は全死因死亡率、つまり何らかの要因により早期に死亡する率が34パーセント上がることと関係があるとわかった。
 脳にとっては、トランス脂肪酸はとりわけ有害かもしれない。細胞膜の流動性の話を覚えているだろうか? トランス脂肪酸神経細胞の膜にとけ込み、死後硬直を起こした死体のように硬化させてしまう。そうなると神経伝達物質の働きが損なわれ、細胞が栄養素や燃料を受け取るのも難しくなる。研究では、トランス脂肪酸の摂取と脳の萎縮や、アルツハイマー病のリスクが極端に増えることとの関連が指摘されている。
 また、健康な人のトランス脂肪酸の摂取が、記憶力の悪化と関わっているという。2015年に発表された論文によれば、被験者がトランス脂肪酸を1グラム摂取するごとに、指示された言葉を思い出せる率が0.76ワード減ったという。そして最も多くトランス脂肪酸を摂取した被験者は、まったく摂取しなかった被験者より思い出せる言葉が12ワード少なかった。
 では、単に水素添加油を避ければ安全なのだろうか? 実は、多価不飽和脂肪酸を加工するだけでもトランス脂肪酸が生成される。 研究者たちは、市販されている多くの食用油の容器に、少量のトランス脂肪酸が潜んでいるのを見つけた。たとえオーガニックでも、圧搾されたキャノーラ油には、5パーセントのトランス脂肪酸が含まれている。私たちは平均で、1日に1人あたり約20グラムのキャノーラ油やほかの植物油を摂取している。となると、毎日トランス脂肪酸を1グラムずつ摂取していることになる。
 先ほど述べたように、コーン油や大豆油、キャノーラ油(また、そうした油を使ってつくられた食品)を避けるのはもちろん、「水素添加」や「部分水素添加」の油脂も避けよう。そうすれば、あなたの身体に人工的なトランス脂肪酸が入りこむことはないだろう。


 脂肪が栄養を運ぶ

 

 最後に、よい脂肪(卵、アボカド、脂質の多い魚、エクストラバージンオリーブオイルなどの高脂肪の食品)をもっと食事に加えた場合の、絶対に見逃せない利点に触れておこう。このような脂質は、ビタミンAやビタミンE、ビタミンD、ビタミンKなど、脂溶性の必須のビタミンや、β-カロテンのような重要なカロテノイドの吸収を促してくれる。こうした栄養素はDNAの損傷を防いだり、体内にある脂肪を保護したり、脳を加齢から守ったりと、広範囲にわたる恩恵をもたらす。
 カロテノイドは、ニンジンやサツマイモ、ルバーブ、またケールやホウレンソウなどの葉物野菜に豊富に含まれる黄色やオレンジや赤の色素で、脳の強力なブースターといわれている(濃い緑の葉物野菜のカロテノイドは、葉緑素クロロフィル)の緑の色素によって隠れてしまうため目には見えないが、ちゃんとそこにある)。カロテノイドのうち、ルテインとゼアキサンチンは神経系の働きを改善し、「結晶性知能」、つまり人が一生のあいだに獲得していく技能や知識を適用する能力とも関連があるという。
 カロテノイドを血液中に入れるには、脂肪と抱き合わせにする必要がある。たとえばサラダを食べる場合、脂質を含む食品と一緒に食べないと、カロテノイドはごくわずかしか吸収できない。サラダにかけるものとして最高の選択肢は、エクストラバージンオリーブオイルだ。これを、たっぷりかけることをお勧めする。あるいは、単に全卵をいくつか添えるだけでもいい。
 パデュー大学の研究では、サラダに全卵を3つ加えた被験者は、1つも加えなかった被験者と比べて、カロテノイドの吸収が3倍~8倍に増えたという。もし卵を食べられないのなら、アボカドを加えてもいい。そうすればカロテノイドのような脂溶性の栄養素のすばらしい恩恵にあずかり、脳の働きがグンとよくなるだろう。
(p86)

 

「善玉のHDLコレステロール値を下げ、総コレステロール値を上げる」

と言われたら、今後なるべくトランス脂肪酸は避けて通ろう、と思っちゃいますね。

日本では外国と比べ摂取量が少ないから規制されていません、と言われても、回避できるのであれば回避したいです。

 

「カロテノイドを血液中に入れるには、脂肪と抱き合わせにする必要がある。たとえばサラダを食べる場合、脂質を含む食品と一緒に食べないと、カロテノイドはごくわずかしか吸収できない。サラダにかけるものとして最高の選択肢は、エクストラバージンオリーブオイルだ。」

サラダを食べるとき、億劫がってなにも付けずに食べたりしていましたが、こういう作用を知らないがゆえの愚行だよなぁと思いました。せっかく食べてても、もったいなかったです。

 

(…)どれも血糖を急激に増やし、食欲と脂肪の貯蔵をコントロールするホルモンを勝手にいじる。だが近年、ある甘味料が、物議をかもしている。私たちの食の環境の隙間から、音も立てずに忍びこんでくるその甘味料は、果糖だ。
 果糖は、ブドウ糖とは別の経路で吸収される。つまり血流を利用せず、特急列車に乗って肝臓に到達する。ドクター・ルスティヒは、生物学における果糖の独特の作用を「等カロリーだが、等代謝ではない (isocaloric, but not isometabolic)」と表した。(接頭辞の iso は 「等しい」の意)。要するに、ほかの糖質と同じくグラム数が同じならカロリーも同じだが、代謝となると果糖のふるまいはかなり特異らしいのだ。果糖は血糖を増やさず、インスリンの分泌も増やさない――少なくとも最初は。たいていの食品メーカーは、この違いを利用して、果糖で甘味をつけた食品を健康志向の顧客や糖尿病患者に売っている。
 果糖が肝臓に入ると「脂肪合成(リポジェネシス)」を誘発する。つまり文字どおりに脂肪がつくられる。じつのところ、炭水化物はどれも過剰に摂取すると脂肪合成が誘発されるが、果糖はその作用が最も強いかもしれない。肥満学会誌 『オベシティ』に掲載された短期の研究によると、健康な人が果糖を加えた高カロリーの食事をとると、ブドウ糖の場合と比べて肝臓の脂肪が2倍近く増加したという(それぞれの比率は、113パーセント対59パーセント)。
 果糖によって肝臓で脂肪が過度につくられると、余った分はトリグリセリド(中性脂肪)として血液中に放出される。食事で脂肪を摂ったあとも、やはり血液中のトリグリセリドが一時的に増えるが、果糖による脂肪合成は、かなり高脂肪の食事をとったときよりもたくさんの脂肪を血液中に送りこむ。そのため、果糖の含有量が多い菓子やスナックを食べると、実際に血液は薄いピンク色に見えるかもしれない。また空腹時のトリグリセリドの検査値(代謝の異常と心血管疾患のリスクを調べるために使われるマーカー)が、炭水化物の摂取、とりわけ果糖によってほぼ例外なく上昇するのも、それが理由だ。
 果糖はすぐに血糖に大きな影響を与えることはないが、頻繁に摂取すれば、いずれ血糖が増える。なぜかというと、肝臓に負担がかかって炎症が生じ、細胞が血液からブドウ糖を「吸い上げる」力が損なわれるからだ。これは人類が自然界にある旬の果物を食べて脂肪をたくさん貯蔵できるように適応した結果かもしれない。だが現代では、それが糖質を摂ると二型糖尿病の発症率が跳ね上げる理由になる(今こそ、果糖の含有量が多い甘味料――たとえば90パーセントが果糖のアガベシロップなどが、健康志向の人や糖尿病患者にとって本当に正しい選択なのかを問うべきだろう)。
 果糖の複合効果は、脳内の遺伝子の発現を変化させるかもしれない。 UCLAの研究チームは、毎日ラットに1リットルの炭酸飲料と同量の果糖を与えた。6週間後、ラットに典型的な錯乱が起きはじめた。血糖とトリグリセリド、インスリンが増えて、認知機能が崩壊しはじめたのだ。水だけを与えられたマウスと比べて、果糖を与えたマウスは、迷路を抜けだすのに2倍の時間がかかった。だが何より研究チームを驚かせたのは、果糖を与えられたほうのラットの脳で1000に近い遺伝子が変わっていたことだった。その遺伝子は、愛らしいピンクの鼻やふさふさのヒゲをつくるためのものではなく、パーキンソン病うつ病双極性障害などに関わる人間の遺伝子と同種のものだった。この遺伝子破壊は非常に深刻で、UCLAが発表した記事によれば、研究チームを率いるフェルナンド・ゴメス・ピニーリャは、脳への影響という観点から「食品は医薬品のようなものだ」と述べている。だが、食品の力はポジティブな方向にも働く。果糖は認知機能と遺伝子発現の両方にネガティブな影響を与えたが、その影響はラットにオメガ3系脂肪酸DHAを与えると軽減したという。
 アメリカの530万人の外傷性脳損傷の患者にとっては、糖質の過剰摂取による脳の負担を避けることが、状況改善の鍵となるかもしれない。果糖を多く含む食事は、ラットの脳の可塑性を損ない、その結果、頭部の外傷の治癒力が低下した。ラットと人間は同じではない。だが脳の損傷は、実験動物で簡単に再現できる器質性疾患だ。自然な形ではラットやマウスに発症しない複雑な疾患とは違う。


 人間のフォアグラ
 

 一般的に、果糖などの糖質の摂取は、非アルコール性脂肪性肝疾患 (NAFLD)を発症する大きな要因となる。現在、アメリカでは7000万人の成人(人口の30パーセント)がこの疾患に侵されている。この数字は、甘いものがやめられない私たちの傾向について何かしら対策を考えないかぎり、これから数年のうちに爆発的に増えることを告げている。2030年までに、アメリカの人口の50パーセントがNAFLDを発症するといわれている。そして、世界中でぼう大な数の人に見られるインスリン抵抗性は、このNAFLDの病状の重さと比例している。とはいえ、脂肪肝のエピデミックを体験している生物は、私たちだけではない。
 カモとガチョウも人間と同じく、だがそれよりもっと大きな規模で、余ったカロリーを脂肪という形で肝臓に大量にため込むことができる。これは長距離を飛行するとき、餌を食べるために止まらなくていいように発達した習性だ。そしてこの習性は、世界中の人が堪能しているフランスの珍味、フォアグラをつくるために利用されている。
 フォアグラは、栄養をふんだんに与えられたカモやガチョウの肝臓だ。濃厚なバターのような舌触りが珍重されてはいるが、本来の肝臓とはまったくの別物だ。フォアグラをつくるためには、健康なカモやガチョウの咽喉にチューブを差し込み、穀物(通常はトウモロコシ)を強制的に流し込む。つまり自然な形で食べるよりもはるかに多い炭水化物を摂ることになる。そして肝臓は脂肪がついて肥大し、普通の大きさの10倍近くになる。 肝臓がそこまで肥大すると血流は悪くなり、腹圧は高くなり、呼吸も十分にできなくなる。またストレスから、肝臓やほかの臓器が破裂することもある。この残酷で非情な肥育法は、極端にいえば、私たちが糖質を摂取しつづければどうなるかを教えてくれている。

(p116)

 

マウスの実験がそのままヒトにも当てはまるわけではない、と思うのですが、

「水だけを与えられたマウスと比べて、果糖を与えたマウスは、迷路を抜けだすのに2倍の時間がかかった。」

という実験がちょっと怖い。

糖質の過剰摂取は脳の負担であるということが分かっただけでも良かったです。糖質に振り回されそうになったときに思い出したい。

 

「2030年までに、アメリカの人口の50パーセントがNAFLDを発症するといわれている。」

と、さらっと書かれているけど、2人に1人が非アルコール性脂肪性肝疾患って、とんでもないですよね。

NASH(非アルコール性脂肪肝炎)と診断された身内がおりますが、もともとアルコールを飲んでいないうえで食事療法で肥満を解消するのは、なかなか大変そうでした。普段の食事、間食、嗜好品と、何やかんや医師から制限されていました。

肝臓を10倍にさせられるカモやガチョウも想像するとしんどいけど、自らの身体を似たような状態にしている人がたくさんいるというのも恐ろしいです。

 

 果物は「制限なく」食べても問題なく、むしろ有益だ、などと言われることが多い。だが進化という見地に立つと、果物(とりわけ現代の品種改良された糖度の高いもの)は、体内の代謝を騙(だま)す名人かもしれない。これは論理的には適応、つまり私たちが冬場をしのげるよう脂肪をため込むための一時的な特性だといえる。私たちの祖先は緑の背景から赤く熟した実を識別することを「唯一の目的」として、赤と緑の視覚を発達させたといわれている。つまり進化的に見れば、果物には飢えた狩猟採集民の命を救うほどの価値があったのだ。現代の場合、365日いつでも糖度の高い果物を食べることは、身体が決して訪れない冬に備えていることにほかならない。
 ブドウやほかの甘い果物をたらふく食べつづけると、脳にどんなことが起きるだろうか?いくつかの大規模な研究が、何かしらのヒントを与えてくれている。ある研究では、認知機能の正常な高齢者が果物をたくさん食べることと、海馬の体積が小さくなることに関連が見られたという。果物をたくさん食べる人には、たいがい健康的な兆候が見られるため、このような知見は珍しい。この研究では、被験者の食べたものの成分がすべて特定され、その結果、果物は記憶をつかさどる部位には何の恩恵も与えていない可能性があるという。メイヨー・クリニックの研究でも、果物の摂取と皮質、つまり脳の外側の広範囲にわたる層の体積とが反比例しているという結果が出ている。メイヨー・クリニックの研究チームは、糖度の高い果物(イチジク、デーツ、マンゴー、バナナ、パイナップル)の過度の摂取は、炭水化物の加工食品と同じように、代謝異常や認知機能障害を誘発するかもしれないと論文に記している。
 とはいえ、果物には重要な栄養素がさまざま含まれている。そしてありがたいことに、低糖の果物には、そうした重要な栄養素が最も豊富に含まれている。たとえばココナッツ、アボカド、オリーブ、そしてカカオ(いや、チョコレートのことを果実といっているわけではない………だがダークチョコレートは、脳に数えきれないほどの恩恵をもたらしてくれる。これもジーニアス・フードだ)だ。また、ベリーもすばらしい果物だ。なぜなら果糖が少ない上、記憶力を高めアンチエイジングの効果もある抗酸化物質が特に多く含まれているからだ。 ナースヘルス研究[看護職を対象に疫学研究を行っている研究機関] は、1万人の女性看護師の食事を長期にわたって調査した。そして最も多くベリーを食べた看護師の脳をスキャンした結果、2.5年若返っていたという。近年の研究論文の分析によれば、全般的な果物の摂取と認知症のリスクの減少との間に関連性はないが、ベリーだけは例外だという。やるじゃないか、ベリー!


 私たちは待つべきか?
 

 アメリカの国民にジャンクフードを売るために、毎年何十億ドルもの金が使われている。だが、そういった巨大な企業は、雑誌やテレビの広告スペースに金を出す以上に、ジャンクフードと肥満との関係を軽視するような研究に、たびたび資金を提供している。近年、『ニューヨークタイムズ』紙が、ある実態を暴露した。ある研究グループ――炭酸飲料を製造販売する最大手の企業から資金提供を受けている――が、世界中に広がる肥満と二型糖尿病は食生活のせいではなく、怠惰と運動不足のせいだと主張しているというのだ。この研究グループの幹部は、次のように述べている。

 

 大手メディアや科学誌の言うことは、こればかり――「ああ、みんな食べすぎだ。 食べすぎだ。食べすぎだ」いつも責めたてられるのは、ファストフードや甘い飲み物のような食品だ。ところが、確かにそれが原因だ、という説得力のあるエビデンスは、実のところない。


 運動は、脳を含めて身体の健康を保つためには欠かせない。とはいえ、数々の研究では、運動が体重に与える影響は、何を食べるかに比べれば微々たるものだということがわかっている。
 フィットネスに熱中している人なら、「腹筋はキッチンでつくられる」ことを知っているが、過体重や肥満の人にしてみれば、このような発言は、ただ混乱が続くばかりで何の解決にもならない。こういうやり方は社会の一番弱い人たちに罠を仕掛けて、認知障害や早死にへと向かわせることにほかならない。私は決して大げさに言っているのではない。今までで、喫煙習慣より食習慣がアメリカ人の命を奪うようになったのは初めてだ。事実、循環器関連の学会誌『サーキュレーション』に掲載された最新のデータによると、毎年20万人近くの人が、糖を添加した飲料だけによる疾患で死亡しているという。この数字は、2015年の全世界のテロによる死亡者の7倍にあたる。
 喫煙についていえば、今やタバコと肺ガンの因果関係ははっきりしているが、その歴史的な経緯をちょっとだけのぞいてみよう。20世紀半ばに誰もがタバコを吸うようになるまでは、肺ガンは「非常に珍しい」病気だった。にもかかわらず、肺ガンが急増した主な要因がタバコだと医師たちが確信するに足る「証拠」が論文に現れるまで数十年もかかった。
 医師が公然とタバコを推奨する1940年代の呆れかえるような宣伝広告(グーグルで簡単に見つかる)を、誰が忘れるだろうか? 1960年代になっても、その20年前からはびこる肺ガンのエピデミックは喫煙のせいだとわかっているのに、アメリカの医師の3分の2は、タバコが有罪かどうかはまだ確定していないと考えていた。

(p124)

 

ジーニアス・フードその3と4のブルーベリー、ダーク・チョコレートについての話がここで出てきます。

「最も多くベリーを食べた看護師の脳をスキャンした結果、2.5年若返っていたという。近年の研究論文の分析によれば、全般的な果物の摂取と認知症のリスクの減少との間に関連性はないが、ベリーだけは例外だという。」

この本を閉じて真っ先に冷凍のブルーベリーを買いに行きました。

 

「運動は、脳を含めて身体の健康を保つためには欠かせない。とはいえ、数々の研究では、運動が体重に与える影響は、何を食べるかに比べれば微々たるものだということがわかっている。」

やはり食生活をおろそかにして、健康な体は手に入らないということがまざまざと思い知らされます。

 

 その一方で、脂肪はいつでも燃えることができるように待機している。脂肪は身体のいわば薪であり、たった約16キロから脳の予備エネルギー3000カロリー以上が得られる。平均的な体重の人なら万単位のカロリーを予備エネルギーとして持ち歩いているが、肥満の人は数十万カロリーもの予備エネルギーを運んでいるかもしれない!そしてブドウ糖とは違い、脂肪として貯蔵できるカロリーは事実上、無制限だ。
 飢餓の状態で皮膚の下や胴まわりの脂肪組織が分解されると、脂肪酸が血液中に流れだし、肝臓によって「ケトン体」、もしくはシンプルに「ケトン」と呼ばれる燃料に変換される。ケトンは脳細胞に簡単に取り込まれ、必要なエネルギーを最大60パーセントまで補給できる。ケトン研究の先駆者、リチャード・ビーチは、2004年に発表した論文にこう記している。「ケトン体は“スーパー燃料〟と呼ぶにふさわしい」。その理由を説明しよう。

 汚染の解決策?

 

 ブドウ糖とは異なり、ケトンは「クリーンに燃える」燃料と考えられている。なぜなら、ブドウ糖より少ない代謝プロセスで、取り込んだ酸素からより多くのエネルギーをつくり、その結果、エネルギー変換時に生成されるゾンビ分子(フリーラジカル)が少なくなるためだ。また、フリーラジカルを中和する力が強いグルタチオンという天然の抗酸化物質を使える機会も大幅に増える。つまりケトンを利用することで、アンチエイジングが半額セールの状態になるためだ。
 ケトンの恩恵は、そこで終わらない。ケトンが脳にあると、BDNFを増産する遺伝子経路が活性化されることが研究で示されている。BDNFは気分を改善したり、学習能力や可塑性を促したり、神経細胞を日常的な損傷から守ったりといった、いわば脳の「成長ホルモン」だ。第5章で述べたように、ケトンは脳への血液の供給にも一役買い、30パーセントも血流を増やすという。
 炭水化物をふんだんに摂る「普通の」西洋型の食生活において、この有益なケトンの合成は、ほぼ抑えられた状態にある。なぜなら、高炭水化物食によって膵臓インスリン分泌が刺激され、インスリンが増えるたびにケトンの合成が止まるからだ。
一方、絶食や、炭水化物を極端に減らした食生活によってインスリンが抑えられると、ケトンの合成が誘発される。
 では、この2つのケトン合成ルートについて探求してみよう。

 

 インターミッテント・ファスティング~断続的な断食~
 

 今、人類はほとんどの時間を食べることに費やし、絶食状態で過ごすことはめったにない。
 大多数の人は目覚めたときから、眠りにつく前まで食べている。だが、人類の歴史の大部分においては、そうではなかった。宗教やダイエットの本が、むやみにエネルギーの欠乏状態になるべきではないと教えるずっと前、農耕生活を始める前の祖先たちは、食料供給の見通しが立たなかったため、定期的に絶食を経験していた。彼らの脳(と私たちが受け継いだ脳)は、この不確実性のなかで鍛えられ、食べる時期と絶食の時期を振り子のように繰り返す生活に見事に適応した。
 食料の摂取を周期的に制限することによって、身体は生理学的な適応を強いられ、ケトンを合成する。断食(ファスティング)の方法はいろいろあるので、好きなものを選ぶといいだろう。お勧めは、最後に栄養を取り込んでから16時間、何も食べない状態を維持する方法だ。 これは一般的に普及している「16:8」メソッドというファスティングだ(つまり16時間は何も食べないが、残りの8時間は食べてもいいというものだ)。 このファスティングは毎日行うことができて、ファスティングの多くの恩恵が得られる。具体的にはインスリンの分泌量が減り、蓄えられた脂肪の分解が促される(女性には16時間ではなく、12~14時間から始めることを勧めている。女性のホルモンのシステムは、食料難のシグナルに対して敏感に反応する可能性があるためだ。たとえば絶食時間が長くなると、生殖能力に悪影響がおよびかねない)。
 12~16時間のファスティングは、必ずしも必要ではない食事、つまり単に朝食を抜くことで達成できるかもしれない。毎晩、睡眠中に持ちこたえている絶食時間を延ばすとなれば、身体の目覚めのホルモンであるコルチゾールも活用することになる。コルチゾールの分泌は、起床してから30~45分がピークだ。 このホルモンは、エネルギーとして使うために備蓄された脂肪酸ブドウ糖、タンパク質を動員するという、おまけもついてくるので(それについては第9章で)、夕食を抜くよりもお得だ。
 朝食を抜く別の利点は、社交行事として夕食をとる機会が多いため、それより前の時間に食べるのをやめるよりは、食べはじめる時間を遅らせるほうが成功しやすいからだ。だが、もしあなたが朝食を抜くのが無理なら、夕食を早めに済ますという手もある。これは、ルイジアナ州立大学の最近の研究によって裏づけられている。この実験では、過体重の被験者が午前8時から午後8時のあいだに、つまり大多数の人の平均的な食事の時間帯に1日のカロリーを摂取した。だが研究チームが、夕食を抜いて午後2時に食べるのをやめるよう被験者に指示すると、ブドウ糖ではなく、脂肪の燃焼(つまりケトン)が増加した。また、代謝の柔軟性の改善も見られた。要するに炭水化物と脂肪の燃焼の切り換えを行うスイッチの働きがよくなったのだ。
 となると週に1、2度、夕食を軽めにしたり、早めに済ませたり、あるいは抜いたりすることで、脂肪の燃焼作用が促進されるということだ(遅い時間に食事をとると、夜中に活動が収まる自然な身体のメカニズムを妨げてしまう)。
 このほかにも、目下研究が進んでいるファスティング法がある。1日おきのファスティング(16:8メソッドのような「時間制限による食事」の方法)や、断続的な超低カロリー食(VLCD)だ。
 このVLCDのもとになる理論は、炭水化物の摂取の有無にかかわらず、身体が蓄えられた燃料を放出してエネルギー不足に対応するというものだ。これは、「断食模倣食(FMD)」といわれ(ヴァルテル・ロンゴという研究者が提唱した食餌療法)、老化や糖尿病、ガン、神経変性疾患、心血管疾患のリスクを減らしたり、バイオマーカーの数値を下げたりといった大きな恩恵にあずかれる可能性があるという。
 さまざまあるなかから、あなたはどのファスティング法を選べばいいだろう?
 ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、「人生は、細部を気にしていると浪費されていく」という名言を残している。どれを選ぶ(そして、それをきちんと実行する) かに関していうなら、男女を問わずほとんどの人が、起床してから1、2時間(かそれ以上)は何も食べず、就寝前の2、3時間は何も食べない、というやり方で恩恵が得られるだろう。 
(p216)

 

糖質を極端に制限してケトン体を増やし、エネルギー源としてケトン体を使うことで痩せるという「ケトン体ダイエット」について、全然分かっていなかったですが、本書で少し理解が深まりました。単に糖質を控えれば良いのかな、というイメージでしたが、葉物野菜を肉・魚以上の量摂らなければいけない、など他にもルールがあるそうです。

ケトン体についてはこちらのサイトにわかりやすく書かれています。

health2sync.com

 

ファスティングも気になっていましたが、女性におすすめなのか謎で、試したことはありませんでした。BMIの値とかによっては、やっちゃいけない人もいるらしいし。

「男女を問わずほとんどの人が、起床してから1、2時間(かそれ以上)は何も食べず、就寝前の2、3時間は何も食べない、というやり方で恩恵が得られるだろう。 」

ひとまずここだけ覚えておこうと思います。

 

 子どもの頃、母はユダヤ教のヨム・キプル(贖罪日)の慣例として、私に毎年(無駄に)丸1日断食をさせようとした。私には、無意味な自虐的行為にしか思えなかった。とはいえ、今なら何時間だってやすやすと断食ができる。
 脳の要求に抗わないでブドウ糖を与え続けると、依存症になる。急に炭水化物を摂らなくなると頭痛や疲労が起きるのは、そのためだ。私はこれを、ピッツァやペストリー菓子ばかり食べていた10代前半の頃に経験した。だが、あなたが定期的なファスティングと併せて低炭水化物食を断続的に行うと、代謝を「初期設定」の状態に戻す生理的な地固めができる。インスリンの分泌を減らし、ケトンの合成を促せば代謝の柔軟性を取り戻すことができる。その結果、代謝があなたにしたがって働くようにしつけられ、それに逆らうような働き方をしなくなる。それこそが代謝の理想の姿だ。
 次に挙げる7つのステップは、代謝の柔軟性を取り戻すことを目標にしている。具体的には体脂肪からケトンを合成し、それをエネルギー源とする回路に脳を適応させる。このステップは、ファスティングによる連鎖反応を真似たものでもある。3~7日のあいだに「空腹によるイライラ感」と頭痛が起きるかもしれないが、理論的にはケトンを燃料に変えるための酵素を脳が上方制御しているためだと考えられる。
 各ステップに示した時間は、まだケトン回路に適応していない状態での概算だ。

 

1. 最後に摂った炭水化物によるエネルギーが枯渇する(4~12時間)。
2. 身体に蓄えられたエネルギーが枯渇する。体格によって個人差はあるが、肝臓がお
よそ100グラムの炭水化物をグリコーゲンという形で貯蔵できるのを思い出してほしい(2~18時間)。
3. 筋肉を維持するためにアミノ酸の分解を減らす(20~36時間)
4. 糖新生のためにアミノ酸を分解する(24~72時間)。
5. ケトンの合成と活用を増やす (48~72時間以上)。
6. ケトンをエネルギー源に変える脳の酵素を上方制御する。これは最大で1週間かかるが、激しい運動によって貯蔵されたグリコーゲンを早く使いきったり、低炭水化物食を徹底させたり、あとで述べる「中鎖脂肪酸」を組み入れたりすることで短縮できる(1~7日)。
7. 代謝の柔軟性を得る。この状態になれば、たまに炭水化物を摂っても――特に運動中や運動後に摂る場合、脂肪燃焼モードは妨げられない。

 

 食べ物から本当の意味で自由になるための鍵は、ブドウ糖依存を断ちきり、人類の祖先が持っていた代謝の柔軟性を取り戻すことにある。炭水化物の制限をはじめた数日後には、空腹感や、高炭水化物の食品が欲しくてたまらない状態は徐々に収まり、やがて消える。次に挙げるのは、体内で脂肪燃焼モードが活発に働いているサインだ。
 ・数時間、何も食べなくても誰かに八つ当たりしたいと思わず楽に過ごせる。
 ・食間に、デンプン質や糖質の食品を無性に食べたくなることがなくなる。
 ・頭が冴えわたってクリアになり、精神状態や活力のレベルが安定する。
 ・中強度の運動をしても、異常な食欲や疲労感を覚えない。

(p230)

 

「・食間に、デンプン質や糖質の食品を無性に食べたくなることがなくなる。
 ・頭が冴えわたってクリアになり、精神状態や活力のレベルが安定する。」

とか、すごくいい状態じゃん、と思いますが、ケトンを燃料に変えるための酵素を脳が上方制御できるようになるまで7日ほどを要し、それまで毎日糖質を1日あたり60gに抑える。うーん、すでに難しそうな気がしてきました。

 

 衛生管理のレベルが高い国ほど、アルツハイマー病の発症率が高いことを示す完璧な線形相関が見られたのだ。


 免疫のチューナー

 

 自己免疫、つまり人に備わった免疫システムが、その人の身体の一部を攻撃することがある。
 これはセリアック病やMS、 一型糖尿病、橋本病など、たくさんの一般的な疾患に見られる特徴だ。なぜ、自己免疫疾患になるのか? なぜ、このような病気が増えてきているのか? 私たちは、味方の誤射によって身体や脳がダメージを受けるように生まれついているのか? それとも、やはりこれも現代生活の罠に落ちた人間の生物学の1つの側面なのだろうか? 現代人の食生活とライフスタイルが、どのようにして複雑な免疫システムに影響をおよぼして自己免疫反応を引き起こすのかを理解するには、まず免疫システムが、一生涯「訓練」されつづけていることを理解しなくてはならない。
 大腸の内部がどうなっているのかイメージするため、ちょっとトンネルの横断面を思い浮かべてみよう。内壁の一番内側の層は、「上皮」と呼ばれる組織だ。ここには細胞がびっしり隙間なく並んでいて、腸の内部、つまり「内腔」と血管のあいだのバリアの役目を果たしている。内腔にあるものは身体の一部ではないため(肺を満たす空気のように)、科学者はこの空間を宿主をとりまく環境の一部としてとらえている。つまり腸は環境と接触している広大なインターフェイスで、皮膚よりもはるかに広い。かりに消化管をそっくり引き抜いて床に広げたら、小さなワンルームマンションの床なら、足の踏み場もなくなってしまうだろう。
 こうした理由で、体内のほとんどの免疫細胞は、消化器官で起きていることに集中するよう教えこまれている。そう言うと、あなたは意外に思うかもしれない。それどころか加工食品や3回洗浄済み(トリプルウォッシュ)のカット野菜が売られている今の時代では、資源の誤用にさえ思えるかもしれない。だが、これはしごく理にかなっているのだ。人類の歴史上のほとんどの時代、そして近代的な食品システムが登場する以前の時代、私たちの食べ物は汚れていた。ほしいときに買える、この上なく新鮮な(そして見るからにおいしそうな) 食料品がぎっしり並んだスーパーマーケットなどなかったし、何か口にするたび病院クラスの無菌を保証するような、おびただしい数の抗菌ソープや「野菜洗浄剤」とともに進化してきたわけでもない。
 旧石器時代の祖先たちは病原体を、つまり感染したら死ぬかもしれない微生物を飲み込んでしまう可能性がとても高かった。人類は早くから、このようなとてつもないプレッシャーにさらされていた。そのため危険な細菌が侵入したときに立ち向かえるように、高感度かつ高性能の免疫反応が装備された。とはいえ腸のなかには、外からやってきた微生物がうじゃうじゃしている。もしかしたら私たちの知らない戦いが、そこで繰り広げられているのだろうか?
 いや、そんなことはない。正常な免疫システムというものは、サッカースタジアムに配備された、高度な訓練を受けた警備員のようなものだ。彼らは、チケットを手にやって来る何千人もの入場者を、涼しい顔をしながら手際よく検(あらた)めていく。こうした警備員は、不審な人物を見つけるたびにいちいち質問などしない。よく訓練された警備員なら、そんな人物が問題を起こすずっと前に、その兆候を見つけられる。私たちの体内にいる細菌は、ちょうどスタジアムの観客のように、免疫システムが環境のめまぐるしい変化に適応できるよう、警備のスキルを鍛える手助けをしている。そのおかげで、免疫システムは、怪しい訪問者が来たときに簡単に見つけられるのだ。つまり腸とその住人は、免疫システムの「トレーニングキャンプ」のような役割を果たしている。
 免疫システムが基準に達していないと、侵入者をうまく見つけられないばかりか、身内の細胞を間違えて攻撃しかねない。つまり、さまざまな腸内細菌は“免疫システム警備員〟に、誰を警戒すべきかだけでなく、身内には寛容に対処することについても指導しているのだ。健康な腸には、いつでも多様な細菌が無数に住みついていると考えられている。そして正常な免疫システムは、そのたくさんの細菌に助けられているという。じつのところプロバイオティクスは、こうした仕事もしていると考えられている。プロバイオティクスは、マイクロバイオームの細菌とは違う種類から成り、体内の警備員が仕事中に居眠りをしないように目を光らせながら流れている。
 免疫システムがミスを犯して宿主を攻撃したときは、アレルギーや自己免疫反応が起きる。科学者たちは、この理由を解明するため、マイクロバイオームに焦点を当てた研究を行っている。免疫システムが暴走する理由はたくさん考えられる。たとえば過度に衛生的な生活や抗生物質の使いすぎ、食物繊維の不足、出産時に赤ん坊が母親のマイクロバイオームを獲得できない分娩方法などだ。理由は何であれ、それがスタジアムの警備員の訓練不足につながり、結果的に自己免疫反応が起きやすくなるという。
 グルテンは、混乱した免疫システムが自己免疫反応につながる最適な事例だ。そして、この事例はかなりたくさんの人に見られる。グルテンを構成する主なタンパク質の1つ、グリアジンは、私たちの免疫細胞にとっては細菌のようなものだ。グリアジンが腸に入ると、免疫システムは抗原を追跡するために抗体を送りだす。ちょうど不審者を探すように訓練されたスタジアムの警備員を出動させるようなものだ。問題は、外から入ってきた異物(グリアジンのような)の抗原が、私たち自身の細胞の表面にある目印とそっくりに見えるときがあることだ。これは「分子擬態」というが、もしかしたら病原体は、宿主の環境にうまく適応しようとして擬態するのかもしれない。たとえ病原体でも、生き延びるのに必死だからだ!そうなると体内の免疫システムが抗原と戦うために抗体をつくりだしたとき、味方である自分自身の組織も誤って攻撃してしまう。

 これは「トランスグルタミナーゼ」という酵素によく起きる。トランスグルタミナーゼは全身に存在している、健康を維持するための重要な成分だ。このトランスグルタミナーゼの機能不全は、アルツハイマー病やパーキンソン病、ALSの発症と関わりがあるといわれている。また、特に多く見られるのが甲状腺で、橋本病やバセドウ病などの自己免疫性甲状腺疾患を発症すると、甲状腺が攻撃されてしまう。 困ったことに、トランスグルタミナーゼは、グリアジンの抗原ととてもよく似た分子の目印を持っている。そのため、グルテンに過敏に反応してしまう人がグルテンを食べると身体がグリアジンだけでなく、トランスグルタミナーゼも攻撃してしまうことがある。
 グルテンを摂取した人すべての免疫システムが暴走するわけではない。だが、最近の研究では、自己免疫性甲状腺疾患の患者のセリアック病の有病率が、健康な対照群と比べて2~5倍高いという結果が出ている。実際に、自己免疫性疾患(一型糖尿病やMSなど)と同時に発症する別の免疫性疾患は、セリアック病が最も多い。これは不健康な消化管が、一見まったく関係なさそうな2つの病気に関わっていることを示している。そして、どの自己免疫性疾患の場合も、脳が攻撃の脅威にさらされている兆候だと考えられる。なぜなら、このような疾患の患者は、認知症を発症する可能性が高いことが近年の研究でわかっているからだ。心に留めておいてほしい。こうした病気は何カ月、あるいは何年もあとで現れ、それまではっきりした症状がないことも多いのだ。そして、甲状腺疾患とセリアック病の両方にかかっている多くの患者には、消化管の症状はない。これは、「腸とともに生きて」道に迷ってしまう珍しい例だ。
 だが、ただグルテンを食べなければ、この免疫システムの故障を回避したり止めたりできるわけではない。あるものを食卓に復帰させることが重要だ。だが、それは現代人の食生活からすっかり抜け落ちてしまっている。つまり食物繊維だ。食物繊維は、ある程度は免疫の混乱から私たちを守ってくれる。なぜなら酪酸塩などのSCFAが、結腸の「制御性T細胞」の発生や分化を促すからだ。この細胞は「Treg」とも呼ばれ、炎症を促すほかの免疫細胞の反応を抑制し、正常な炎症反応を促す免疫細胞だ。このTregを、やたらと喧嘩っぱやい若い隊員たちを統制する治安部隊の隊長だと考えてみよう。隊長は、身体が自分と自分でないものをきちんと区別するのを手伝ってくれる重要な人物だ。 そして、もしその重要な働きが損なわれたら、免疫システムは自らの身体を攻撃し、自己免疫性疾患へとつながりかねない。

(p268)

 

警備員の例えが分かりやすい。

「たとえ病原体でも、生き延びるのに必死だからだ!そうなると体内の免疫システムが抗原と戦うために抗体をつくりだしたとき、味方である自分自身の組織も誤って攻撃してしまう。」

この箇所を読んで、グルテンのちょっと面倒くさい部分が少し分かったような気がします。そして、食物繊維を自分が思っていたよりも重んじるべきだなと思いました。

 

(…)プレボテラ属の細菌が少なくバクテロイデス属の細菌が多い女性は、ネガティブなものに対して感情的に強く、回復力もあった。
 細菌が、この女性たちの脳に影響をおよぼしたのだろうか? それとも女性たちの脳が、腸内細菌の構成を何らかの形で変えたのだろうか? それは誰にもわからない。だが、別の研究者の実験では、先ほどのマウスの糞便移植のように、マイクロバイオームを変えただけで、マウスの行動やメンタルヘルスらしきものに変化が見られたという。この結果は、腸内細菌の種類が、脳の機能に影響をおよぼすことを示唆している。
 前述したように、最適な腸内細菌の構成はそう簡単に解けないパズルだ。また、私とあなたとでは違う可能性だってあるだろう。おもしろいことに、炭水化物の摂取が多い穀物ベースの食生活を送っている人は、腸にいる「プレボテラ属」の細菌の割合が多い傾向にあるという。
 だが、この分野で多くの科学者が認めていることが1つある。変わりやすく厳しい腸の環境で、有益な細菌を上位の座につける最善策は、食物繊維やポリフェノールなどの植物性栄養素を十分に食べ、糖質や精製炭水化物の食品を避けることだ。それが有益な細菌叢によい環境を与え、病原体を兵糧攻めにし、入り乱れた腸の生態系のなかで有害な菌種を増えにくくする。腸内細菌の真実が明らかになるのを待ちながらも、食生活を穀物ベースから食物繊維たっぷりの野菜ベースに変えることが、あなたのマイクロバイオーム(と気分)をより健やかな状態にすることは間違いないようだ。

 

 多様性のルール


 前に述べたとおり、私たちの免疫システムは、たくさんの細菌の恩恵にあずかっている。ところが、現代のマイクロバイオームに欠けているものがもう1つある。多様性だ。西欧諸国の都会人の腸のマイクロバイオームと、植物をたくさん食べる農村部の村民や狩猟採集民(必然的に食物繊維を多く摂る)のマイクロバイオームを比べた多くの研究では、近代化によって細菌の多様性が大幅に失われていることがわかったという。細菌の種類によって、その餌となる食物繊維は異なるため、多様な食物繊維を摂れば、腸内細菌も多様になる。 マイクロバイオームの研究はまだ始まったばかりとはいえ、科学者たちが合意しているのは、この多様性が宿主の健康の鍵になることだ。ある研究によると、腸内細菌の多様性を劇的に増やしたり減らしたりできるのは、食物繊維だけかもしれないという。しかも、この多様性は、あなたが自分の子どもに手渡す財産にもなりうるという。あなたの腸内細菌を最大限に多様化する方法はほかにもある。

 ・抗菌ソープや手指の消毒剤は使わない。病院のような、病原体にさらされるリスクが高い場所を訪れるなど、本当に必要なときにだけ使おう。
 ・自然と親しむ。公園を訪れたり、キャンプやハイキングに出かけたりして、屋外で過ごす時間を増やそう。
 ・浄水フィルターで濾過した水を飲む。発展途上国の場合、病原菌に汚染された水から感染病が流行するのを防ぐために塩素を使うのはとてもいいことだが、先進国で供給されている飲料水は、塩素が過度に加えられる傾向にある。
 ・シャワーの回数を減らす。あるいは石けんを頻繁に使わず、シャワーのたびではなく1回おきに使うことをお勧めする。それによって異性を引きつける匂いの分子「フェロモン」が、あなたのデートを応援してくれるかもしれない。シャンプーは週にせいぜい1、2度にとどめよう――毎日シャンプーする理由はないのだ!
 ・できるだけオーガニックの食品を買う。 オーガニックの食品には抗酸化作用の強いポリフェノールがたくさん含まれており、酪酸塩をつくる細菌や健康な粘膜を維持できる。
 ・本当に必要なとき以外は、広域抗生物質の服用を避ける。 抗生物質は、しかるべきときには命を救える――これは紛れもない事実だ。だが最近の研究によれば、アメリカで処方されている抗生物質の30パーセントはまったく必要がなく、むしろ細菌叢の生態系を荒らしてしまうという。その隙に、クロストリジウム・ディフィシルのような日和見性の病原体に住み処を占領されてしまうこともある。
 ・ペットを飼う。施設に保護されている、何千という行き場のない動物たちは、喜んであなたの腸内細菌の多様性を促進してくれるだろう。犬を飼っている女性が妊娠した場合、アレルギーのある子どもが生まれる可能性が減り、また、犬と一緒に暮らしている子どもは、喘息になる可能性が15パーセント少なくなるという研究データもある。犬と暮らすことは、家と腸の細菌の多様性を促進するのに最適だ。
 ・ゆったりする。「安静と消化」という言葉が示すとおり、消化はあなたがリラックスしているときに行われる。何かをしながらせわしなく食べると、体内のストレス反応のメカニズムが作動して消化を邪魔し、栄養素の吸収が損なわれ、あなたの細菌の友だちのいる場所まで届かなくなる。
(p288)

 

「腸内細菌の種類が、脳の機能に影響をおよぼす」というのがすごい。やはり腸活は大きなテーマだなと思いました。

それなのに、抗菌ソープや手指の消毒剤は使わない、とか、シャンプーは週に1、2度にとどめる、とか、コロナ禍で真逆とも言える行動様式を求められるのがジレンマですね。

 

「犬を飼っている女性が妊娠した場合、アレルギーのある子どもが生まれる可能性が減り、また、犬と一緒に暮らしている子どもは、喘息になる可能性が15パーセント少なくなるという研究データもある。」というのは、明るい話題だと思います。猫とか違うペットを飼っても同じようなデータが得られるのか、気になるところです。

 

 「サイコバイオティクス」現る

 

 マウスを使ってうつ病を研究する場合、マウスがどんな状態であればうつ病なのか、しっかり見きわめる必要がある。そして、マウスの幸福度を見きわめるための数ある方法の1つに「強制水泳試験」というものがある。説明しよう。まずマウスを円筒形の水槽のなかに落とす。するとマウスは、すぐさま足場を求めて必死で水をかく。メンタルが正常なマウスは水をかいている時間が長いため、生きる意欲があると解釈される。だが、抑うつ状態にあるマウスは、それよりも早い段階で絶望して水をかくのをやめ、水面から頭を出してじっと浮かんでいる。そんな方法で? と思ってしまうが、これは実際に抗うつ薬の研究や試験をするときに最初に行われるものだ。
 そしてある研究では、この手法に独特のひねりが加えられ、マウスは「ラクトバチルス・ラムノサス」というプロバイオティクスを与えられてから、水槽に落とされた。このマウスは、プロバイオティクスを与えられなかったマウスとは違い、必死に水をかきつづけた。しかも脳の一部には、抗不安作用のあるGABAの受容体まで増えていた。実験では迷走神経を切断されたマウスも使われ、同じようにプロバイオティクスを与えられたが、そのマウスにこのような兆候は見られなかった。 迷走神経は腸に分布し、脳と直接つながっている。つまり腸内細菌が、迷走神経を通じて脳とじかにコミュニケーションを取り、それが行動に影響をおよぼしたということだ。
 プロバイオティクスがマウスのうつ病を改善するなら、ほかの神経病にも効果があるのだろうか? ファストフードと同等のマウスの餌(脂質と糖質を混ぜた最悪の餌)を1日に何回も食べた母親から生まれたマウスは、自閉症と同じ社会行動の症状を見せた。このマウスの腸内細菌の数を調べたところ、「ラクトバチルス・ロイテリ」というプロバイオティクスが9分の1しかなかった。研究チームは、このマウスにプロバイオティクスのサプリメントを与えてラクトバチルス・ロイテリを増やし、その結果、自閉症による行動障害を「治す」ことができた。しかも、このマウスの脳では、神経伝達物質と似た働きをする「オキシトシン」がたくさんつくられていた。オキシトシンは、人間同士の絆を深めるホルモンだ。
 興味深いのは、私たちの体内のラクトバチルス・ロイテリの量が、自閉症の割合やファストフードの摂取の増加に伴い減少していることだ。1960年代にラクトバチルス・ロイテリが発見されたとき、この細菌は人口の30~40パーセントの体内に存在していた。ところが、今では10~20パーセントにまで減っている。理由としては、たぶん発酵食品や食物繊維をあまり摂らなくなったことや、超加工食品に依存するようになったこと、抗生物質の使用が増えたことが考えられる。このラクトバチルス・ロイテリは、たいていは母乳を通じて子どもに受け渡される。それを考えると、この細菌は、いなくなって初めてわかる大切な友人みたいなものかもしれない。


 アセチルコリン:学習と記憶の神経伝達物質
 

 アセチルコリンは、「コリン作動性システム」の神経伝達物質だ。コリン作動性システムは体内のたくさんの活動に関わっているが、主な役割はレム睡眠、学習、記憶だとされている。
 アセチルコリンの減少はアルツハイマー病と関係があり、アルツハイマー病の患者は、アセチルコリンをつくる神経細胞がダメージを受ける。今、アルツハイマー病とほかの認知症に使われている主なもう1つの治療薬は、シナプスで余っているアセチルコリン酵素が分解するのを阻害し、アセチルコリンの濃度を増やすためのものだ(1つ目の薬についてはすでに述べた。グルタミン酸の修飾薬だ)。

 アセチルコリンを最適化する

 
 アセチルコリンの機能を最適化する1つの方法は、ごく一般的で種類も豊富な「抗コリン性」の薬を避けることだ。多くの抗コリン薬が広く出まわっており、薬局で簡単に手に入り、アレルギーから不眠症まであらゆる症状に使われている。
 この薬は、その言葉が示すとおり、神経伝達物質アセチルコリンをブロックするものだ。これを使い続けると、わずか60日で認知機能の障害が起きる可能性がある。だが、作用の強い抗コリン薬をたまに使う場合でも、急性中毒症状が現れることがある。この症状を暗記するために、医学生はよくこんな覚え方をする。 「コウモリのように目が見えず(瞳孔散大)、ビートのように真っ赤で(顔面紅潮)、野ウサギのように熱く(発熱)、骨のように干からび(ドライスキン)、帽子屋のように気が変になり(せん妄と短期記憶の喪失)、ヒキガエルのようにふくらみ(尿路閉塞)、心臓がひとりで走る(頻脈)」

 神経伝達物質は単にメッセージを伝えるだけではなく、神経細胞を正常に保つために欠かせないときもある。『JAMAニューロロジー』誌に掲載された不安をかき立てる論文によると、抗コリン薬の常習者は、脳の糖代謝が低下しており、認知機能障害があったという(短期記憶と実行機能の衰えも見られた)。この被験者の脳をMRIでスキャンすると、脳の構造が変化しており、体積も減り、脳室(脳の内部にある空間)が大きくなっていた。この被験者たちが服用していた抗コリン薬は、夜用の風邪薬や市販の睡眠補助剤、筋弛緩剤などだった。

(p306)

 

ロイテリというヨーグルトを見つけた時にどういう意味だろうと思って調べたことがあったので、ラクトバチルス・ロイテリ菌に虫歯菌や歯周病菌の増殖を抑制する作用があるということは薄っすら知っていましたが、結構前に発見された細菌だったんですね。しかも、発見された当時よりも所持している人が少なくなっているとか聞くと、ちょっと摂ってみようかなという気持ちになりました。

 

 パーキンソン病は、脳の「黒質」という部位のドーパミン産生細胞がダメージを受ける病気だ。そのため患者はドーパミン補充薬を服用し、しばらくのあいだは症状が緩和する。だがこうした薬物療法の効果はやがて薄れてしまう。それは1つには、人為的に神経伝達物質を増やすと、脳内のドーパミンの受容体のダウンレギュレーション(減ること)につながるからだ。
 これは自己調整のメカニズムで、どの神経細胞神経伝達物質への感度を減らしたり増やしたりしなくてはならない。だが、ドーパミンの場合には特に危険だ。パーキンソン病においてドーパミンを補充する治療の副作用には、病的なギャンブルや、強迫的な性行動、過度の買物など「危険な行動」が増えるというものがある。
 ドーパミンの作用による行動は、ADHDの場合にも減る。ADHDの人はシナプス後細胞のドーパミンの受容体が少ない。つまり注意力と集中力を維持するために、より多くのドーパミンが必要になるのだ。だが、これは障害なのだろうか? それとも目新しいものを探せるように脳に組み込まれた特性なのだろうか?
 近年『ニューヨークタイムズ』紙に掲載された記事では、あることが指摘されていた。太古の昔から比較的最近まで狩猟採集民として進化してきた私たち人類にとって、ADHDの脳に見られる新奇なものを求める傾向は、明らかに優位に働いていたというのだ。この説は、きわめて理にかなっている。狩猟採集民が生き延びるには、食料を調達する新たな機会を求めるための動機づけが必要で、見つけたときには脳から報酬が与えられる必要がある。そのため組み立てライン的な教育や、職業の選択肢が細分化された現代社会では、ADHDの人は私のお気に入りの映画の1つから言葉を借りれば、「同じことの繰り返し」によって心が静かに蝕まれていき、やがてはアデロール(デキストロアンフェタミン)やリタリン(メチルフェニデート)などの薬を処方されることが少なくない。このような薬物は、コカインと同じくドーパミンの再取り込みを阻害する。
 先ほどの記事を書いたのは、ワイルコーネル医療センターで臨床精神医学に携わるリチャード・フリードマン教授だ。フリードマンは、治療が成功した患者についてこう述べている。「(彼は)単にルーティーンワークから、変化に富んだ予測不可能な仕事に転職するだけでADHDを「治療」しました」これは、起業家にADHD学習障害を持つ人たちが非常に多い理由を説明できるかもしれない。

 

 ドーパミンを最適化する

 

 ドーパミンは、脳内で「チロシン」というアミノ酸からつくられる。そして、ほかの神経伝達物質と同じように、タンパク質が不足していないかぎりはすぐに利用できる。それを考えれば、正常なドーパミン作動性システムは、栄養素の不足よりも私たちの選択と行動に左右されるシステムかもしれない。食べるのがやめられなくなる加工食品を食べたり、危険な活動に手を染めたり、脳の報酬系をハイジャックしてショートさせる物質を摂ったりするような行動は、不健康で自己破壊的な依存をもたらす。私たちの身体は果物が豊富な時期に糖質を摂って脂肪を蓄えるように進化してきたため、糖質や、すぐに消化される小麦などの炭水化物を摂ると、ドーパミンがたくさん放出される。糖質の依存性はとても強いので、先ほど述べた違法薬物と比較されることも多い。ソーシャルメディアから生じるフィードバックループは、多くの点では確かにポジティブな力だが、それでもドーパミンの働きがうまく調節できなくなって依存に陥る可能性も否定できない。
 それとは逆に自分自身の短期、または長期の目標を設定するのは好ましい「ハック」だ。それによって期待(幸福感が続くという点で重要)と報酬がもたらされる。 ぜひ新しいことに挑戦してみてほしい。新たにエクササイズを始める、楽器を習う、慣れ親しんだ居心地のいい領域から抜け出す、恋に落ちる、副業的な起業プロジェクトを立ち上げる、などさまざまある。
 そして、どれもが健康的な形でドーパミンを増やすことができる。
(p322)

 

「太古の昔から比較的最近まで狩猟採集民として進化してきた私たち人類にとって、ADHDの脳に見られる新奇なものを求める傾向は、明らかに優位に働いていたというのだ。」

ADHDの脳は「新しいものを探せるように脳に組み込まれた特性」かもしれない、という話に勇気づけられますね。

 

ソーシャルメディアから生じるフィードバックループは、多くの点では確かにポジティブな力だが、それでもドーパミンの働きがうまく調節できなくなって依存に陥る可能性も否定できない。」

良いところだけを享受することの難しさを感じます。

新しいエクササイズ、楽器を習うこと、居心地の良い領域から抜け出すことなど、健康的な形でドーパミンを増やしていきたいものです。

 

 ビタミン剤をたくさん摂るのは身体にいいのか?

 

 運動でフリーラジカルによるストレスを一時的に増やすと、細胞のメカニズムが強化される。このプレッシャーがなくなると、運動の効果は薄れる。これは、バレンシア大学による実験で証明された事実だ。アスリートがトレーニングを行う直前に、高用量の抗酸化物質、つまりビタミンCを投与した。その結果、パフォーマンスが低下しただけでなく、前に述べた運動の効果――抗酸化作用の範囲とミトコンドリア新生の増加が阻害されたという。
 こうした研究の成果が示しているのは、高用量のビタミンを投与しても、望ましい効果は得られないかもしれないこと つまり、身体が強くなるために必要な刺激が奪われてしまうことだ。だから、私はビタミンのサプリメントを過剰に補給することは勧めない。それよりも運動して、アボカドやベリー類、ケール、ブロッコリー、ダーク・チョコレート(幸い、すべてジーニアス・フードだ)などの食品を摂り、自然な形でサプリメントよりも強力な抗酸化物質がつくられるように刺激しよう。

 

 運動から最大限の効果を得るには

 

 ここまで述べたように、有酸素運動無酸素運動もカロリーの消費にとどまらない独特の効果を脳と身体にもたらしてくれる。では最大限の効果を引きだすには、どのくらい頑張ればいいのだろうか? 驚いたことに、あなたが思うよりも労力はずっと少ない。最新の研究によると、有酸素運動は時間をかけてゆっくりと行い、無酸素運動は短時間で強い負荷をかけて行う必要があるという。絶対に避けたいのは「常習的な有酸素運動」だ。つまり、45分のハードなランニングを週に何回も行うといった高出力トレーニングを続けることだ。身体が適応できるストレスにはピークポイントがあり、それ以上刺激を与えても必ずしもよい結果は得られない。
 たとえば長距離ランナーなら、筋肉量が減り、テストステロンの濃度が下がり、腸の透過性が高まる。また、心筋と電気信号のシステムが損なわれると、命に関わる不整脈につながる。長く走りつづけることで生じる関節の軟骨の摩耗はいうまでもない。
 では、スイートスポットはどこか? 基本的には、しかめっ面で45分走りつづけるより、にこやかに会話しながら1時間半~2時間ハイキングをするほうがいい。ハイキングのような低強度のゆっくりとした動きはリンパ液の流れをよくし、毛細血管を増やし、関節を傷めることもない。また、最大限の労力の90~95パーセントで行う短距離走は、一定のペースで走る長距離走の5分の1の時間で、心肺機能と持久力が同じくらい上がるという!
 有酸素運動 (長距離のウォーキングやハイキング、自転車通勤など)と、集中的に行う無酸素運動を含め、適度な運動習慣をライフスタイル全体に浸透させるべきだろう。それによって有酸素運動でBDNFを増やし、神経可塑性の働きを最大化し、その一方で無酸素運動によって代謝を強化できる。
(p392)

 

「私はビタミンのサプリメントを過剰に補給することは勧めない。それよりも運動して、アボカドやベリー類、ケール、ブロッコリー、ダーク・チョコレート(幸い、すべてジーニアス・フードだ)などの食品を摂り、自然な形でサプリメントよりも強力な抗酸化物質がつくられるように刺激しよう。」

やはりサプリメントに走る前に、運動と食事が大切ということなんですね。

 

有酸素運動 (長距離のウォーキングやハイキング、自転車通勤など)と、集中的に行う無酸素運動」、これも、忘れないようにしたいです。

 

 酒類は飲んでもいい?

 

 研究によると、適度の飲酒(アメリカでは男性は1日2杯まで、女性は1杯まで)は、健康にいいという。とはいえエタノール(これが「酔い」をもたらす)は神経毒で、脳の健康という観点でいうと、科学は楽観視していない。30年にわたる研究によって、たとえ適度(週に5~7回の飲酒)でも、まったく飲まない人と比べると海馬の萎縮のリスクが3倍になることがわかっている。
 人とのつき合いの潤滑油やストレス緩和といった面で、適度な飲酒の効果はあなどれない。
 理想的な世界なら、誰もがストレスに対処する健康的なメカニズムを備えており、酒を飲むとしても、せいぜい週に1~2杯たしなむ程度だろう。だが、私たちは陽気に森を駆けまわったり、日がな1日ベリーを摘んだりして、何のストレスもなく生きているわけではない。私としては、飲酒は控えることを勧める。だが、あなたが酒を飲むことを選んだ場合のために、できるだけ脳に害がおよばないような飲み方のヒントをいくつか挙げておこう。

 

・必ず酔いを覚ましてから就寝する。アルコールは睡眠の質をかなり低下させ、眠っているあいだに分泌されるさまざまなホルモン、特に成長ホルモンに影響をおよぼす。
・「1対1」ルールにしたがう。グラス1杯の酒に対して、必ずグラス1杯の水を飲もう。
アルコールは腸を刺激して炎症を誘発し、一旦ダメージを受けると水分の吸収が妨げられて下痢が起きる。
・グラスの水に少し塩を振る。アルコールには利尿作用があり、ナトリウムなどの電解質の排出を促す。失われた塩分を補うため、グラスの水にほんの少し塩を足そう。
・酒は赤ワインや辛口の白ワイン、蒸留酒(スピリッツ)に限定する。 スピリッツを「オン・ザ・ロック」にしたり、炭酸水で割ったり、ライムを搾ったりして飲む。 ジュースや炭酸飲料など、糖質が含まれる飲み物で割るのは絶対にやめよう。
・空腹のときに飲む。かなり物議をかもしそうなアドバイスだが、胃が空っぽの状態で酒を飲むと、肝臓が消化のプロセスに邪魔されないので、より効率よくアルコールを処理できるようだ。アルコールはLDLのリサイクルを妨げ、食後のトリグリセリド(血中の脂質)を急上昇させる。酒は夕食の最中ではなく食前、あるいは食後に飲もう。ただし胃が空っぽだと酔いがまわりやすいので、注意してほしい。
グルテンを含む飲み物は、ダブルパンチを食らう可能性があるので避ける。グルテンは腸の透過性を高める場合がある。そのためグルテンを含むアルコール飲料は、腸のバリアの緩みを悪化させるかもしれない。そこのビール好きさん、あなたのことですよ。

(p436)

 

「グラスの水に少し塩を振る」というのがいいですね。さっそくやってみたいと思います。

それと、「空腹のときに飲む」というのが超意外でした。

しかし空きっ腹のときにシャンパンを飲みすぎて、吐いてしまった記憶のある私は、軽くトラウマになっているので、食後に飲むことにします。

 

それで結局、どんな食事にすればいいのさ、と読んでいるうちに感じてきますが、巻末にメニュー一覧と、おすすめレシピが掲載されています。

 

 ジーニアス・ウィーク・メニューの一例

【月曜日】

朝:水、ブラックコーヒーか紅茶

最初の食事:卵2、3個、 アボカド半分

軽食:アボカド半分に海塩を振って、EVOO(エキストラバージンオリーブオイル)をか けたもの

夕食:天然のサケの切身、大盛り 「オイルがけ」サラダ

 

ちなみに火曜日の朝も、「水、ブラックコーヒーか紅茶」となっております。

うーん、仕事できるかなあ、これで。電車に乗る前に帰りたくなっちゃいそうです。お弁当を作るのは簡単になるかもだけど…。

なかなか強い意志が必要そうな献立ではあります。

レシピメージは「セロリに生アーモンドバターとカカオニブを添えたもの」など、私のイマジネーション不足でよくわからなかったので、割愛します。

 

値段の割に情報量が多く、これでいいのかと思うようなページ数ですが、著者の本気度が伝わってくるようでした。

地中海式健康法のような食生活は、単純に日本食と比較するのは難しいかもしれませんが、とにかく項目が多いので、(良くも悪くも)できそうなところだけ真似しよう、という結論になるのではと思われます。

 

腸や血管、ストレスと脳との関連がだんだんクリアになっていくのが面白いです。

食事や運動のモチベーション維持をするのに、良い本だと思いました。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

既成概念の縛りからの開放感。『異性装 歴史の中の性の越境者たち』を読んで

こんばんは、ゆまコロです。

中根千枝さん他の『異性装 歴史の中の性の越境者たち』を読みました。

 

異性装とは、文化的に自らの性役割に属するとされる服装をしないこと(ウィキペディアより)を言うそうです。

もくじを見て、阪本久美子さんの「シェイクスピアのオールメイル上演の愉しみ方」が気になり、手に取りました。

 

シェイクスピア作品が好きなのですが、男装の女性が出てくると、実はちょっと混乱していました。『十二夜』のヴァイオラとか『お気に召すまま』のロザリンドとか。しかも、当時は役者がみんな男性だったらしいではないですか。そんなわけで劇中で恋をしたり惚れられたりすると、ええと、今は男性の姿だからこれでいいんだっけ?とか考えて思考が止まってしまいます。

シェイクスピアの上演批評を専門とする阪本さんは、どんなふうに作品を観ているのか、興味がありました。

 

異性装がエンターテインメントとして提供される場合、中根千枝さんはまず、

「どちらかの性を選ばざるを得ない悲しみ、どちらの人生も謳歌する生きることの喜びといった感情、あるいは、現実の不条理な社会を風刺するような視点」が存在することを意識する必要があるとしています。

その上で本書における異性装へのアプローチの手法を、次のように説明しています。

 

 本書では、「時代を超えての多様な性、多様な生き方」をコンセプトとし、異性装を含む、女性が男性の振る舞いをし、男性が女性の振る舞いをするような物語や演劇の場面をとりあげ、 古典文学を研究する専門家の立場から、主人公が異性装によってそれぞれの性のジェンダーの縛りからどのように解き放たれ、また、どのような結末を迎えるのか、各場面を丁寧に分析することで、 古典文学から現代までの異性装を論じてみたいと考えています。
(p7)

 

ということなので、「異性の衣類を着用することで繰り返し強い性的興奮を得る」といった異性装は、本書ではちょっと脇に置かれている感じです。

 本書に出てくる作品の中で、シェイクスピア以外で気になったのは『新蔵人物語』のお話です。

 

 『新蔵人物語』以外の物語では、異性装の主人公たちはやがて異性装を解除し、天皇の后として皇子を産み、国母となったり、社会的地位を得たりして、一家繁盛となって終わります。しかし、『新蔵人物語』では主人公は結局最後まで異性装を解除しません。また、一時は帝に寵愛されるものの、後にその愛を失って出家をします。
中世の物語では主人公が失恋して出家するような話型を出家遁世(しゅっけとんせい)譚と呼びます。 出家遁世をするのはほとんど男主人公ですが、この『新蔵人物語』も一種の出家遁世譚と見ることもできます。つまり、他の異性装の物語のように一般的な「幸福な結末」を迎えていないのです。


 新蔵人の男装の理由


 数ある作品の中で唯一、完全に自発的な意思で男装をしているのが『新蔵人物語』ですが、では彼女はなぜ男装を望んだのでしょうか。第一段の絵では「男になって走り歩きたい」(画中詞)という新蔵人の願いが明らかにされています。
 木村朗子はこの新蔵人の男装を「見た目どおりの男性としての性を生きるために、装いの性を一致させるためのもの」(「宮廷物語における異性装」/服藤早苗・新實五穂編『歴史のなかの異性装アジア遊学二一〇』勉誠出版、二〇一七)と評しています。『新蔵人物語』では、それ以外の男装の物語に比べて、主人公の女性としての身体性に言及がありません。本人も周囲も新蔵人のことは男性と認識しており、本人の自認している性にあわせて男装しているわけだから、これは異性装ではないと論じています。シュミット堀佐知も、新蔵人は男装することによって顔立ちと装いを一致させたと指摘しますが、その思惑は野心的なものであったとみなします。つまり、新蔵人は男性的な容貌を持つ自分は女性の装いのままでは男性から女性として寵愛を得るには不利であると認識した上で、帝から寵愛を得るために、戦略的に男装したのだとするのです 。
 なぜ、男装をすることが帝からの寵愛を得ることに繋がるのかというと、実はこの物語の帝は新蔵人の兄蔵人と性的関係を持っていたと考えられるためです。新蔵人は男装出仕を両親に申し出る際に、「兄の蔵人が帝の伽(とぎ)にお仕えしないこともあるので、代わりに自分が伽を務めよう」(第五段)と主張しています。ここでいう「伽」とは夜に主人の無聊(ぶりょう)を慰めるために側にお仕えすることですが、『児今参り』でも登場した「添い臥し」のように、性的な関係の隠れ蓑になります。事実、新蔵人は兄の代わりに帝の側仕えをするうちに帝から寵愛を得るようになりました。
 つまり、新蔵人は異性愛ではなく同性愛を動機として帝の寵愛を得ることに成功するのです。図3は新蔵人が帝と恋仲になる第八段です。この場面は第三段の姉中君が帝の寵愛を得る場面(図4)の構図を踏襲し、男装の新蔵人が帝の寵愛を得たことを表しています。
 第一段の画中詞で新蔵人は「男になって走り歩きたい」と述べていますが、彼女の性自認は女性であったろうと推測されます。それというのも、第七段で姉の中君が帝に寵愛されている様子を見た新蔵人はやはり画中詞で「女房にて参りて、我が身も宮を産みまゐらせて。(あたしだって女として参内して、宮をお産み申し上げることだってできたかもしれないのに)」と独り言を漏らしているためです。 産む性である自分をはっきりと意識しています。 姉への対抗心は続く第八段でより明確になり、姉に勝る寵愛を得た新蔵人はしてやったりと思います。どのような形であろうと帝の寵愛を得れば宮中では勝ち組です。そのために帝の性的指向を利用した可能性は大いにあります。
 新蔵人の男装は帝の寵愛を得るという社会的成功を目指すための戦略的なものであったとするシュミット堀佐知の見解は説得力があります。しかし、彼女の社会的成功は一時的なものでした。この物語の特異な結末を考慮すると、たびたび描写される新蔵人の容貌の男性性と男装にはさらなる意味があると考えられます。

(p116)

 

男装して宮中にあがり、帝の愛をめぐって姉と争う少女の物語絵巻であるという『新蔵人物語』を、本書で初めて知りました。

同性愛を動機として帝の寵愛を得るとか、漫画のような展開だと思われますが、なんだか現実にあってもおかしくないような気がしてきます。

主人公は一時的に帝との愛を手に入れるけど結局出家しちゃうとか、

「どのような形であろうと帝の寵愛を得れば宮中では勝ち組です。そのために帝の性的指向を利用した可能性は大いにあります。」

とか言われちゃうと、意外とありそうな話かも、みたいに感じられます。

 

そして気になっていた阪本久美子さんのシェイクスピアの章です。

 

 将来自分のことを演じることになる役者について、「きんきん声のクレオパトラ役の少年(松岡和子氏訳)」とクレオパトラが言う台詞があります。もし本当に少年俳優が演じていたとすると、これは自虐ネタになり、笑いを引き起こしたことでしょう。しかし、この台詞が発話されるのは、シーザーの戦利品としてローマに引き立てられるよりも死を選ぶという決意を語る重苦しい場面です。 しかも、クレオパトラは、熟練した「女優」のようであると解釈される登場人物です。くりくりと主張を変えて、嘘と本当を混ぜ合わせて、周りの登場人物を翻弄するクレオパトラのような複雑な大人の女性役は、少年俳優では演じきれなかったのではないかという疑問から、異性を演じた男性の年齢が再検証されることになりました。掘り起こした配役表や登場人物一覧などの照合により、女性役を演じた役者の年齢は主に十三歳から二十一歳であったという、デヴィッド・キャスマンの研究成果が発表されて、現在はマクベス夫人やクレオパトラのような成熟した女性は、変声期を過ぎた若手の男性によって演じられたと考えられています。
 オールメイル上演の裏には、シェイクスピアの時代には、どういうわけか、女性が公共の劇場でプロとして舞台に立つことが禁じられていたという事情があります。「どういうわけか」と付け加えたのは、風紀のためという比較的曖昧な理由があげられても、実際のところなぜかがはっきりしていないためです。職業的な女優が存在しなかったことを考えると、役者は男の仕事だと認識されていたからかもしれません。ちょうど同じ時代に、ヨーロッパ大陸では、女性が職業選択のために男装をすることがありました。土地を所有しない、生活の糧を持たない階級に生まれつくと、自活のためには男性は兵士、女性は売春婦になることが最も一般的でした。売春婦になりたくなかった女性の中には、男装をすることにより兵士になった例が記録されています。 兵士になった女性の中には、妻を娶った者もいたそうです。要は、男装しなくてはいけないくらい、性別に基づく職業の区分がはっきりしていた時代だったということです。
 役者が男性の職業であると認識されていた裏には、当時の劇団の運営形態があるのかもしれません。シェイクスピアの時代のイギリスでは、正式に劇団員になるには株主になる必要がありました。劇団に投資することにより、共同事業者として運営に責任を持つということです。
 自ら経済的負担を担うほどに自立した女性は一部の特権階級に限られていたことが、男性による独占の理由に関係していたのではないかと思います。
 ただし、演劇というビジネスの外では、女性が舞台に立たなかったわけではありません。職業的な女優がいなくても、アマチュアはいたということです。宮廷や貴族の館で催された仮面劇には、上流階級の女性が参加しました。エリザベス一世の母親アン・ブーリンも、仮面劇に参加したことが知られています。また、地元名士の奥方たちが、教区内の上演やページェント、人前でのダンス・ショーなどのために舞台に立つことはあったそうです。さらに、イタリア、スペイン、フランスといった大陸からやってきた旅芸人たちの中には女優がいて、女性の登場人物を演じていました。このように、イギリスの職業劇団がオールメイル上演を行なっていた時代にも、何らかの形で舞台に立った女性は存在しており、女性の身体を視線の対象とすることもあったわけです。 王政復古期の一六六〇年に初めて職業的な女優が現れても、女性が舞台に立つということ自体に関しては、その前の時代からの連続性がありました。一方、男性が女性登場人物を演じる伝統のほうは、プロの女優の登場と共に消えてしまったのです。
 風紀上の問題と言えば、清教徒が劇場の存在自体に目くじらを立てた時代です。プロの外国人女優への反応は、非難のほうが称賛よりも圧倒的に多かったという記録が残っています。 また、オールメイルの舞台では、異性同士の恋愛関係の場面が同性同士によって演じられるため、バガリー法によって禁じられていた男色を舞台上で堂々と表現していたことになります。その結果、劇場は、同性愛のエロティシズムを表現している場所として非難されることもあったわけです。


 異性配役と虚構性

 

 舞台は、テレビや映画に比べると、基本的にその世界が虚構であることを意識せざるを得ない様式です。観客席から舞台を観ているという状況下で、舞台上のことを本物であると認識することはあり得ないからです。時間および空間を役者と共有している以上、目前の人間への意識は消えません。上演時の身体には、まず台詞による叙述定義に基づいて創られた登場人物の身体があります。次に、実際にその登場人物を演じる、生身の役者の身体があります。そして、第三の身体として、舞台上の二つの身体の組み合わせから、観客が認識する身体があります。
 最後の身体が、観客により受容される身体となるわけですが、観劇中、三つ目の身体は固定していません。観客の意識は、時には三位一体となった身体にではなく、別々に別れた身体、それも上演のストーリーから離れた、目の前にある身体、役者の身体に向かうこともあります。
 宝塚歌劇の男役について、ストーリーの中の男性登場人物だけではなく、トップスターの男装と男性性の表象のほうに注目することもあるということです。二重写しになっているはずのものが、時々一重になったり、逆のことが起こったりします。
 また、観客は当然芝居全体が伝える意味も認識し、頭の中で筋が通ったストーリーを組み立てます。こういうマクロ的、全体的な行為と同時に、場面ごとの知覚も存在します。観客は、芝居全体も楽しみますが、芝居の一部、場面も楽しむということです。異性配役の愉しみ方は、少しこの場面ごとの味わい方に似ています。観客の知覚においては、異性配役への感情が一瞬わいて、でも次の瞬間はストーリーの認識のほうが強くなったりします。 異性が演じているからこそ感じるものも共存しているのです。

(p198)

 

阪本さんが上記で述べている、

観劇時における、①登場人物の身体②生身の役者の身体③観客が認識する身体

の3つの認識から、異性配役とストーリーを愉しむ、という味わい方が、ちょっとだけ腹落ちした感がありました。なるほどこうやって分けて考えれば良かったのか。実際にお芝居を見たときに混乱しないか、忘れないうちに見てみたいと思いました。

 

「土地を所有しない、生活の糧を持たない階級に生まれつくと、自活のためには男性は兵士、女性は売春婦になることが最も一般的でした。売春婦になりたくなかった女性の中には、男装をすることにより兵士になった例が記録されています。」

16世紀頃は、イギリスにあっても女性の人生は過酷だったんだなあとこの文章で思いました。

 

「正式に劇団員になるには株主になる必要がありました。劇団に投資することにより、共同事業者として運営に責任を持つということです。」

そういう理由で役者は男性による独占だったというのも初めて知りました。

 

「法によって禁じられていた男色を舞台上で堂々と表現していたことになります。その結果、劇場は、同性愛のエロティシズムを表現している場所として非難されることもあったわけです。」

法律で禁じられても劇場で堂々と演じちゃっていたというのがなんかいいですね。観客が見たいものをエンターテインメントとして提供しているのが頼もしく感じられます。そしてそんな観客の欲求をうまく利用してシェイクスピアが戯曲を書いていたのかもと思うと、ちょっと身悶えします。

 

 オールメイル上演と観客


 オールメイル上演について、観客の反応、受容と呼ばれるものに注目してみます。シェイクスピアの劇場グローブ座の跡地とされる、ロンドン・テムズ川南岸のサザーク地区に建設された新生グローブ座では、一九九七年の柿落(こけらお)としから約十年間、オリジナル・プラクティスという名のもとに、オール・メイル上演(OP)から、その逆のオール・フィメイル上演 (OPF)、そして異性配役が交ざった上演(OPMG) まで、様々な異性配役上演が試みられました。
 一九九九年に上演された『アントニークレオパトラ』(ジャイルズ・ブロック氏演出)では、初代芸術監督のマーク・ライランス氏自らがクレオパトラを演じました。当時三十九歳の男性によって演じられた「美女」が登場すると、観客席から押し殺した笑いが漏れます。これは、「パントマイム」と呼ばれるクリスマス・シーズンに上演される、子供向けの滑稽劇に登場する大柄の男装女性という伝統にも関連しているかもしれません。笑いを取るための配役であり、子供たちは、わざと高めの声を出す、変な「女性」を見て大笑いします。一種の条件反射なのか、または観客が異性配役自体に慣れていないのか、イギリスでは普通のシェイクスピア劇の上演でも、女装した役者は失笑を買うことがあります。
 日本では、笑って良い、または逆に笑うべきではない異性配役がはっきりしています。歌舞伎や能、宝塚歌劇における異性配役の伝統ゆえに、明らかに観客が異性配役に慣れている、異性配役によって創り出された虚構の受け止め方を理解していると言えます。
 ライランス氏のクレオパトラの場合は、クスクス笑いだけでは済みませんでした。一幕五場でアントニーへの恋心を語る場面では、観客から非難の言葉が発せられて、上演が中断されるという事件に発展しました。「なぜ(女性を演じては)悪いんだ」と尋ねるライランス氏と観客の論争が、この日の上演のログ・ブックであるショー・レポートに記録されています。この観客はオールメイル上演だと知っていたら観に来なかったと主張したため、チケット代を返金してもらって劇場を後にしたそうです。

 公演期間が始まる前に、演出家のブロック氏は、「クレオパトラに扮したマーク(ライランス)を見た最初の衝撃の後は、ストーリーと登場人物の人生が重要になり、観客は配役のことを忘れてくれたらと思います(筆者訳)」と語りました。では、なぜわざわざ異性配役を行ったのでしょう。実際、劇評のほとんどは、男性や女性の壁も超えた人間としてのクレオパトラ表象の素晴らしさを称賛しています。イギリスにおける異性配役上演の劇評では、異性配役という舞台上の現実の否定が目立ちます。「性別が異なっていることが気にならないくらいだ」というのは、褒め言葉です。観客が異性配役であることを忘れてしまうくらい役者が素晴らしく、さらには男女どちらが演じても同様な、登場人物の普遍的な人間性の表象であったという結論に到達します。つまり、役者の異性を演じる演技ではなく、登場人物を演じる演技のほうが、役者の技量を測る尺度として用いられています。
 私は、ライランス氏のクレオパトラについては、異性配役のおかげで、言語的に表現された「美」や「魅力」といった抽象的な観念が、観客の想像力をかき立てる形で伝わったと考えます。女形の最高峰にあると賞賛された六代目中村歌右衛門が、女形は現実の女性に近づけば近づくほど魅力が減少してしまうと発言したという話が思い出されます。これは、効果という点から見た虚構の現実に対する優位性を示唆しています。
 生身の人間が「美」や「魅力」を表現しようとすると、個々の観客の好みという障壁にぶつかります。美醜の判断もその人次第ですが、魅力はというと千差万別な基準が存在すると思います。異性という全く異質で現実味を帯びていない、リアリズムに則さない役者の身体ゆえに、シェイクスピアのテクストにより創造された美女が、視覚的な現実に邪魔されることなく、客に「美女」として感じられたのではないでしょうか。さらには、視覚により認識される外観、聴覚により認識される声と、登場人物の性別、外観の特徴との間の徹底的なずれが、高度な演劇性と舞台の面白さを強調したのだと思います。


 日本のオールメイル上演の特異性

 

 イギリスの異性配役上演事情から日本の場合を見直してみると、もう一つ目に付くことがあります。シェイクスピア劇全三十七作品の上演を目指して始まった、故蜷川幸雄氏による「彩の国シェイクスピア・シリーズ」という企画には、オールメイル・シリーズも登場しました。
 このシリーズを始める意図を問われて、蜷川氏は「カッコいい青年が女性も演じるという、妖しい魅力」という「付加価値」を加えたいと語ったそうです。まさにその通りです。 異性配役という特殊な配役は、新しい創作の原動力として利用しない手はないのです。このことはイギリスでも同じなのですが、異性配役上演の受け止め方はかなり異なっています。 蜷川氏がオールメイル上演で目指した「妖しい魅力」は、イギリスではクイア理論による分析の対象となっても、上演の魅力として論じられることはないかもしれません。
 同性愛的なエロティシズムは、どちらの国でも仮定されますが、その後が違います。例えば、二〇〇二年(二〇一二年再演)のグローブ座における『十二夜』のオールメイル上演について、ジェイムズ・C・ブルマン氏はクイア理論を駆使した論考で、「劇の異性愛肯定をここまで明白に問題視した上演作品は他に見たことがない(筆者訳)」と結論づけています。
 日本では、異性愛と同性愛を、デカルト以来の西洋思想の特徴である二項対立的に論じません。そもそも、男性性と女性性の境界線自体も比較的曖昧です。 ヘテロの男性が、他の男性をかっこいいと思うことや、そのことを公に語ることが必ずしも同性愛と結び付けられない文化です。竹宮惠子氏の『風と木の詩』のような少年愛を扱った作品が、少女向けの漫画として発売された社会なのです。 性社会・文化史研究家の三橋順子氏は、キリスト教圏の外に位置する日本では、異性装や同性愛に対して寛容な伝統があることを論じています。 高度に発達した性別越境の文化が、能や歌舞伎、宝塚歌劇などの演劇の伝統と相関関係にあるという指摘です。
 現代日本の異性配役も、性別越境およびそれによって生じる舞台上のホモエロティシズムに関して柔軟な文化を反映しており、同性愛を禁じられたものという前提に基づいて論じるイギリスの文化とは異なっています。倫理的な問題意識なしに、同性愛的な妖しさが面白いと感じるのは、日本風の反応と言えます。したがって、日本の上演では、純粋に虚構性の強調や演出上の装置として、かなり自由に様々な異性配役が実施されており、同時に観客も異性配役を鑑賞することに慣れています。


『じゃじゃ馬馴らし』の上演


 異性配役とは切っても切り離せない、ジェンダーに関する問題が最も顕著で、そのため非常に上演しにくいと言われているシェイクスピア劇『じゃじゃ馬馴らし』に話を進めます。タイトルから予想がつく通り、じゃじゃ馬という蔑称の使い方から、ジェンダーだけでなく人権という点からも問題を含んだ内容であることがわかります。
 「馴らし」の対象となるのは、イタリアのパデュアの街に住むキャタリーナという女性登場人で、じゃじゃ馬だという評判から縁遠くなっています。街の名士である父親のバプティスタは、お淑やかな妹のビアンカの求婚者たちに、まずは姉の相手が見つからなければ結婚は許さないと宣言します。そこに、求婚者の一人の友人であるペトルーチオが登場し、ちょうど結婚相手を探していたところなので、キャタリーナと結婚しようと申し出ます。一方で、パデュアを訪れたルーセンショーがビアンカに一目惚れします。こうして主筋と副筋の二組のカップルによる恋のゲームが繰り広げられます。ただし、キャタリーナとペトルーチオの場合は、後者がじゃじゃ馬である前者を馴らすという行為となります。最終的には、この二組にペトルーチオの友人ホーテンシオとお相手の未亡人も加わり、シェイクスピアのコメディらしい、集団結婚で芝居は幕を下ろします。
 前述の『アップスタート・クロウ』ですが、第三シリーズの放送を前にして作られたティーザービデオ 「史上最高の作家からのメッセージ」で、シェイクスピア役を演じるデヴィッド・ミッチェル氏が以下のように語ります。


……明らかに、私の書いた物はつまらない。四〇〇年前に書かれたものなんだから。 ハムレットの台詞がちょっと長いのはわかるけれど、他に娯楽になるものがなかったんだ。もし今書いていたら、おそらく短いラップで終わらせただろうよ。その通り。私のジョークは面白くない。でも、君らの「爆笑」ミームが二五世紀になっても笑いを誘うと思う?
私に言わせれば、今だって面白くもない。(筆者訳)


 この後、作品が性差別的かという質問への答えとして、女性が文字通り男性の所有物だった時代に生きていたのだからという弁明を行います。四〇〇年以上昔に書かれた、つまり全く異なった文化とジェンダー認識の時代に属するのだから仕方がないという主張です。しかし、実際の上演時に、例えばペトルーチオがキャタリーナに食事を与えず、眠らせず、怒鳴り散らすという完全なDVの場面で、「観客の皆様、特に女性の皆様、四〇〇年以上前の芝居ですので、気を悪くなさらないでください」とでも解説を入れるわけにはいきません。有名なロンドンの劇評家マイケル・ピリントン氏が、この「野蛮で実に不快な芝居」はお蔵入りにして、二度と舞台に載せるべきでないと書いているくらい問題があるのです。
 シェイクスピア劇を読む場合とは異なり、キャタリーナを差別的に扱うペトルーチオが、目の前の人間(男性)によって体現されているのが上演です。たとえ演じるという虚構の中の行為であることを意識していても、劇場のスペースを共有した観客は、生身の人間の行動を体験します 。この知覚経験は、思考の上での理解とは必ずしも一致しません。ペトルーチオによるDVを全く価値観が異なった時代のものだと観客が考えて納得する前に、瞬時の知覚によってもたらされる感情としての不快感が残ります。舞台上での出来事を観客が体験するという上演の性質上、ペトルーチオ、彼に加担する他の男性登場人物たち、そして作者シェイクスピアのための言い訳をどんなに考えても、後味の悪い芝居であることに変わりはありません。


 様々な取り組み

 

 ところが、なぜか『じゃじゃ馬馴らし』は上演回数の多い戯曲です。十分な客足を確保できる、つまり観客に人気のある芝居だからです。これは、恐らくこの芝居が恋愛を含んだコメディであるというイメージゆえかもしれません。なぜか人気のあるこの劇を上演するにあたり制作側はジェンダーの問題と向き合い、どのようにしてこの芝居を現代社会でも受け入れ可能にするかについて試行錯誤せざるを得なくなります。
 一つの方法としては、シェイクスピアのテクスト内の小さなヒントに基づいた工夫があります。例えば、召使いの台詞から、ペトルーチオも相当気性が荒い人物であることがわかります。そこで、キャタリーナとペトルーチオは似た者同士という設定にして、個性的な男女、なかなかお互いにふさわしい相手に巡り会えなかった男女が結ばれるという、良くある恋愛ドラマのパターン、同じくシェイクスピア作の『から騒ぎ』のベアトリスとベネディックの場合に近づけます。他にも、イタリアを舞台にした劇であることを前面に押し出して、性的エネルギーに満ち溢れた情熱的なカップルの恋愛ゲームとすることを、多少の行き過ぎの言い訳にしている場合もあります。四〇〇年以上昔の劇が現代イギリス人にとって異文化ならば、いっそのこと外国人の話にしてしまおうという試みです。
 グローブ座では、二〇〇三年にオールフィメイルの「じゃじゃ馬馴らし』(女性演出家フィリダ・ロイド氏演出)が上演されました。ペトルーチオ役を演じたジャネット・マクティア氏は、男性性の徹底的な強調を試みます。腕組みをして堂々と立ち、「男」同士で背中を乱暴に叩き合い、立ちションの真似までしてみせます。男らしさの演技は、男性の身体のパロディをもたらします。舞台上の生身の男性が生身の女性を酷く扱うことを再現していることが、上演時の不快さの元凶ならば、舞台から男性の身体をなくす配役を行うという試みです。その結果、脅威をもたらさない、ペニスを持たない「ペトルーチオ」が笑いの対象となり、パロディ化された身体は、「男らしさ」のような男性性の虚構性を証明しています。
(p204)

 

「日本では、笑って良い、または逆に笑うべきではない異性配役がはっきりしています。歌舞伎や能、宝塚歌劇における異性配役の伝統ゆえに、明らかに観客が異性配役に慣れている、異性配役によって創り出された虚構の受け止め方を理解していると言えます。」

オールメイル上演をしていたイギリスよりも、日本のほうが、異性の配役によって作られたお芝居の受け止め方に理解がある、というのがちょっと意外に感じました。

 

ヘテロの男性が、他の男性をかっこいいと思うことや、そのことを公に語ることが必ずしも同性愛と結び付けられない文化です。」

ここを読んで、キリスト教圏の外に位置していても、良い面もあるんだなと思いました。

 

阪本さんも「じゃじゃ馬という蔑称」と書いていますが、『じゃじゃ馬馴らし』の原題は「The Taming of the Shrew」だと知った時、「口やかましい女を飼いならす」みたいな意味?すごいタイトルだなと思うと同時に、上手な邦題だと思ってしまいました。

封建的な性のイメージがあったり、DV表現があったりするのに、お蔵入りとならないところにやはりシェイクスピア作品の力強さを感じました。

制作者は現代でも受け入れられるよう苦心しているとか、また観客も誇張された性差のコメディとして受け止めるなど、不自由を強いられながらもこの物語を今も楽しんでいると知ったら、これはやはり沙翁の狙い通りなんでしょうかねぇ。

 

読み終えて、面白がれた方が得という気分になり、結構気楽に男装の女性が出てくるシェイクスピア作品を観られそうな気がしてきました。

 

本書では他にも、巴御前についての章があり、そちらも面白かったです。

「鎌倉殿の13人」の理解が深まりました。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

お題「好きなものを100個、ひたすら書き出してみる」

お題「好きなものを100個、ひたすら書き出してみる」

 

こんばんは。ゆまコロです。

現役大学生はbroガーさんの「けいじbroガー」の記事を読んで、面白かったので私もやってみました。

maitou0815.hatenablog.com

 

包み隠さず、行きます笑

 

1.デンマーク

2.クロンボー城

3.ルイジアナ美術館

4.アンデルセン博物館

5.カレンブリクセン博物館

6.テニス

7.「ワントラップボレー」(練習でこの時間があると嬉しい)

8.「スマッシュ」(めったに決まらないけど好き)

9.ピラティス

10.「ロールアップロールダウン」(起き上がれると気持ちいい)

11.「ソー」(背中がほぐれた感があって好き)

12.高校野球

13.「栄冠は君に輝く」の駅メロ

14.MLB

15.「MLBイッキ見!」

16.AKI猪瀬さんの解説で観るMLB中継

17.ラグビー

18.Mtv

19.「US Top50/20/10」

20.EDM

21. Avicii

22.八朔

23.春雨

24.太平燕タイピーエン)

25.チョコミント

26.ミントの葉

27.成分無調整の牛乳

28.調整してない豆乳

29.白湯

30.レモン

31.サーターアンダギー(ライフのパン屋さんの、チョコレートかかってるのにハマっている)

32.ちんすこう

33.カツ丼

34.マーラーカオ

35.鯛めし(鯛1匹を炊き込んだ東予中予バージョンが好み)

36.めはり寿司(小さめサイズだと嬉しい)

37.ますの寿司(一重を一人で食べるのが好き)

38.天むす(津市でも名古屋市でも美味しい)

39.ドラフトギネス

40.ズブロッカバイソンロゼ

41.キンミヤ焼酎のラベルの色

42.くるみ

43.ウイダー リカバリーパワープロテイン(ピーチ味がとても好き)

44.シェイクスピア

45.「ハムレット

46.トーベ・ヤンソン

47.ムーミン(トゥーティッキ推しです)

48.ポール・オースター

49.ジャック・プレヴェール

50.角野栄子

51.萩原朔太郎

52.池澤夏樹

53.藤子・F・不二雄

54.萩尾望都

55.漫画

56.図書館

57.美術館

58.ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ

59.フランシスコ・デ・スルバラン

60.英一蝶

61.葛飾北斎

62.川瀬巴水

63.荻原碌山

64.奈良美智

65.草間彌生

66.川内倫子

67.土屋仁応

68.蜷川実花

69.アルフォンス・ミュシャ

70.M.C.エッシャー

71.ルネ・マグリット

72.ウジェーヌ・ドラクロワ

73.ジャクソン・ポロック

74.ル・コルビュジエ

75.ジョージア・オキーフ

76.アンリ・カルティエ=ブレッソン

77.報道写真展

78.ラファエル前派

79.ゴシック様式

80.ミニマリズム

81.朝起きて鳥の声が聞こえること

82.丁寧な言葉づかい

83.相手に敬意を払うこと

84.本人のいないところで陰口を叩かないこと

85.旅先で目覚めて、ここがどこか分からない瞬間

86.砂湯、砂風呂

87.旅行

88.マウンテンパーカー

89.リボン

90.腰が痛くないときに着るボディスーツ

91.白いスニーカー

92.大判のタオルハンカチ

93.WATERMANの万年筆

94.正方形の飾り棚

95.洗ったばかりのカーテン

96.猫

97.犬

98.ラマ

99.お金

100.ここまで読んでくださった貴方

 

 

 

漫画とか画家とか同じジャンルで数を稼ぎ過ぎでしょ、と思わなくもないですが、ご容赦ください。意外とすんなり出ました。 なんとなく予想はしていましたが、強欲の権化です笑

 

ざっくりと書いたものについて。

 

1〜5

デンマークが大好きなので、行かれる方いましたらぜひ!と思い、鼻息荒く観光名所を列挙してしまいました。おすすめです。

 

18〜21

ミュージシャンを列記するとかなりの項目になるだろうと思い、踏みとどまりましたが、私の中でアヴィーチーは別格なのでつい1項目に書いてしまいました。ツアー、行けばよかった。。。未だに後悔しています。ご冥福をお祈りします。

 

22〜42

これは好きな食べ物で何十個もかせいでしまうぞ、と思い踏みとどまり、作家シリーズに舵を切りました。ご飯が好きすぎるのが分かります。

 

もうちょっと作家や詩人を入れたかったのですが、いちおう読書ブログなのでここではあっさりめにしました。

他の方のも見てみたいので、やってみた方教えて下さい。

勝利の後に大切なもの。『坂の上の雲 八』を読んで

こんばんは、ゆまコロです。

 

司馬遼太郎さんの『坂の上の雲 八』を読みました。

長い時間をかけて(読むのが遅い)、ようやくたどり着いた最終巻です。

 

    ともあれ、ネボガトフ艦長は機関をとめて、漂泊した。東郷は、
「秋山サン、ゆきなさい」
    と、受降のための軍使として真之をえらんだ。 旗艦ニコライ一世へ乗りこんでゆき、ネボガトフと対面して降伏についてのうちあわせをせよ、ということであった。

    敵艦へゆくためには短艇(ボート)が必要だったが、たまたま三笠のそばに「雉(きじ)」という名前のついたちっぽけな水雷艇がちかづいてきたので、
「関よ」
   と、真之は艦上からまねいた。雉の艦長は大尉で、関才右衛門といった。
    真之は、それに乗った。かれは東郷のまゆをひそめさせた例のふんどし姿(剣帯を上衣の上から締めた恰好)をやめていた。武器は腰に吊っている果物ナイフのような短剣だけで、拳銃ももっていない。
(帰って来れるかどうかわからない)
    とおもったのは、随行の山本信次郎大尉である。山本は三笠の分隊長をつとめていたが、フランス語が堪能であるため、通訳として従ったのである。
__私は死を決していた。
山本信次郎がのちに語っている。以下、その談話である。
「秋山参謀と二人、水雷艇の〝雉〟に乗って本艦を離れ、敵の旗艦へ行った。その日は波が荒かった。その上、"ニコライ一世〟という軍艦は舷側の斜角が急なので上にあがれない」
    木の葉のような水雷艇の上から仰ぐと、舷側がそそり立って大要塞を見るような感じがした。
    そのうち上から索梯(つなばしご)が降りてきた。ちょうど山本のいる場所のほうに降りたため、山本は、
「お先に」
    といって足をかけた。かれはいま登ってゆく艦内には降伏に反対する反乱兵とか、衝撃で気が変になっている連中とかが存在すると覚悟していたし、もし殺されるなら自分がさきに殺されるのが後輩としての道だとおもって一足さきに艦上にのぼったのである。すぐ真之ものぼってきた。
「艦内ではやはり異様な昂奮状態にあった」
    水兵や将校が、口々になにかののしりわめきながらあちこちを駆けまわっている。
「容易ならぬ形勢の不穏さ」と山本は形容しているが、実際には恐慌(パニック)がおこっているのでもなんでもなかった。かれらは水葬の支度をしていたのである。上甲板には戦死者の骸がたくさん横たえられていて、それを運ぶ者、屍(しかばね)を包む者、それらを指揮する声、さらにはひざまずいて大声で祈禱をあげる者などの諸動作や声がそのあたりを駆けまわっている感じで、緊張の極に達している山本からみればそれがパニック状態にみえたらしい。
    これが水葬の光景であると山本が気づいたのは、真之がそれら屍体のむれのそばへどんどん歩いて行って、ひざまずいて黙祷(もくとう)したからである。
    山本の談話によると、
「こんなときでも、秋山という人は変に度胸がすわっていた。ツカツカといって前に跪(ひざまず)き」
 と、ある。
 真之は敵の人心を撹(と)るためにこの動作をしたのではなく、いずれこの戦いがおわれば坊主になろうと覚悟を決めていた彼は、自分の艦隊の砲弾のためにたったいま死んだばかりの死者たちの破損された肉体をみてひどく衝撃をうけ、おもわず冥福を祈る動作に移行しただけのことで、山本の語るところでも、「その黙禱の様子に偽りならぬ心が溢(あふ)れていた。敵の兵員たちはじっとその様子を眺めていたが、その眺める目にも正直な感謝の情が動いており、それ以後、彼らの態度から反抗の色が消え、親しみに似た感情さえ仄見(ほのみ)えた」とある。

 

 上甲板で出むかえたのは、参謀長のクロッス中佐であった。かれはまだ三十代であったし、それにもともと威勢のわるくない人物なのだが真之の目には雨に打たれたむく犬のような印象にうつった。ひとつには口ひげが伸びすぎ、潮風やら爆煙やらがこびりついてすだれのように垂れてしまっていたせいだったかもしれない。
 真之と山本大尉は、司令官室に通された。他にたれもいなかった。どこかから叫喚の声がひびいてくる。 やはり尋常な空気ではなかった。
(つまらない目に遭うものだ)
 と、真之は敵に対してではなく、自分に対しておもった。降敵の城に軍使として乗りこむというのは絵物語ならいかにも爽快な光景なのだが、いざその役目を自分に割りあてられてみると、陰惨さのほうが先立った。おそらくネボガトフが出てくるであろう。
 それに対してどういう態度をとっていいのか、真之は戸惑うおもいがした。待つあいだも通路をしきりに叫び声が走っている。
 山本の顔が、緊張でこわばっていた。「いざとなれは武士らしくいさぎよく死のう」
と山本はくりかえし自分に言いきかせては落着こうとしていたが、真之はべつにそう思わなかった。かれには通路の叫び声の正体がわかっているのである。真之はここまで案内されてくるまでのあいだに、将校や兵たちがなにをしているかを一瞥(いちべつ)して見当をつけてしまっていた。かれらは信号書や機密書類などを海中に投棄するために号令を発したり、注意事項を叫んだりしているだけのことだとみていた。そういう書類の始末というのはかれらがはっきり戦闘を放棄し降伏しようとしている証拠で、むしろあの騒ぎは真之らが軍使として安全な状態にあることを傍証づけているようなものなのである。

(p254)

 

真之さんが敵の旗艦へ赴くシーンです。相手はすでに降伏しているとはいえ、敵艦に乗り込んでいくというのはかなり勇気を要することだと思います。

しかしここで、戦死した敵の死体にひざまづいて黙とうする真之さんの行動がちょっといいなと思いました。この時点でいずれ出家しようと思っているのだから、戦死者に対して敵も味方もないとお考えなのかもしれません。

生きて戻れるか分からない、と思っている通訳の山本さんと、まあ安全だろうと思っている真之さんの温度差がすごい。笑

 

 提督の体が汽艇におろされたとき、かれの意識がわずかに醒(さ)めた。山本信次郎がフランス語で東郷の意志を伝えると、提督の肉体は意外なほど活撥で毛布の中から腕をのばし、山本の手をにぎった。山本によればロジェストウェンスキーは涙を流したという。
 数日後に、東郷が佐世保海軍病院ロジェストウェンスキーを見舞うことになる。
 同行者は秋山真之と山本信次郎のふたりだけであった。
 案内は戸塚環海海軍軍医総監である。この病院の廊下は足がくたびれるほど長かった。
 この間(かん)、東郷は無言であった。やがて病室に入ると、病床のロジェストウェンスキーがわずかに顔をうごかし、東郷をみた。この両将がたがいに顔を見たのはこの瞬間が最初である。


 ロジェストウェンスキーは、かれが演じたあれほど長大な航海の目的地がこの佐世保海軍病院のベッドであったかのようにしずかに横たわっている。そのことが一種喜劇的ではあったが、元来、戦争とはそういうものであろう。戦争が遂行されるために消費されるぼう大な人力と生命、さらにそれがために投下される巨大な資本のわりには、その結果が勝敗いずれであるにせよ、一種のむなしさがつきまとう。
「戦争というのは済んでしまえばつまらないものだ。軍人はそのつまらなさに堪えなければならない」
 という意味のことを、日本の将軍のなかでもっとも勇猛なひとりとされる第一軍司令官黒木為楨(ためとも)が、従軍武官の英国人ハミルトンに言ったというが、この場合のロジェストウェンスキーの役割はその最たるものであったかもしれない。そのことを、かれの病床に近づいた東郷がたれよりもよく知っていた。
 東郷は、相手の役割のつまらなさに深刻な同情をもっており、相手の神経をなぐさめるためにのみ自分は存在していると思い、そのことを相手にわからせるために彼が身につけているほんのわずかな演技力でもって精一杯にふるまおうとした。
 かれは白い夏衣を着ていた。 病床の提督に手をさしのばして握手をし、そのあと、相手に威圧をあたえないようにベッドのそばのイスに腰をおろし、ロジェストウェンスキーの顔をのぞきこむようにしていった。
 東郷は無口で知られた男であったのに、この場合だけはひどく長い言葉をしゃべった。
 東郷の言葉は、通訳の山本大尉が記憶しているところでは以下のようである。
「閣下」
 と、東郷はひくい声で語りかけた。
「はるばるロシアの遠いところから回航して来られましたのに、武運は閣下に利あらず、ご奮戦の甲斐なく、非常な重傷を負われました。今日ここでお会い申すことについて心からご同情つかまつります。われら武人はもとより祖国のために生命を賭けますが、私怨(しえん)などあるべきはずがありませぬ。ねがわくは十二分にご療養くだされ、一日もはやくご全癒くださることを祈ります。なにかご希望のことがございましたらご遠慮なく申し出られよ。できるかぎりのご便宜をはかります」
 東郷の誠意が山本から通訳される前にロジェストウェンスキーに通じたらしく、かれは目に涙をにじませ、
「私は閣下のごとき人に敗れたことで、わずかにみずからを慰めます」
 と、答えた。かれは戦闘概況をロシア皇帝に伝奏したいがその便宜をはかってもらえまいか、と東郷にたのんだ。東郷にはそれを許可する権限はなかったがすぐさま承諾した。

 

 真之は佐世保において、
――満州はどうか。
 という、陸軍の戦況について知ろうとした。東京からきた大本営の作戦関係者のはなしでほぼあらましはわかった。
 兄の好古は左翼の乃木軍に属し、北から南下してくるミシチェンコ騎兵団を押しかえし、大小の戦闘をまじえつつかろうじて対峙(たいじ)の形勢を保持していた。
 クロパトキンと交代したロシア軍総司令官リネウィッチ大将は公主嶺の台地に総司令部を置き、
「雨期が終わらば日本軍を殲滅(せんめつ)すべし」
 かれはシベリア鉄道によって送られてくる兵員、資材の補充が攻勢再興の能力を満たすにいたるのは満州にみじかい秋が訪れるころであろうとみていた。
 それまでは陣地防御に専念していた。日本側もそれをすすんで覆滅する能力をもっておらず、作戦計画だけは公主嶺決戦とハルビン決戦を目標としてたてられているだけで、有能な下級将校の欠乏と砲弾の不足をおぎなうにはあと一ヵ年以上を要するという悲惨な実情にあった。
 要するに、戦線は日露双方の事情によって膠着(こうちゃく)している。ただわずかにロシア側は得意のコサック騎兵団を放って日本軍の戦線をしきりに刺戟していた。好古の騎兵団はそれに対しいちいち対応せねばならなかった。
 バルチック艦隊が五月二十七、八日の両日で全滅したにもかかわらず、満州の最前線にいる好古は六月十五日豪雨を衝いて基地を出発し、一両日のあいだミシチェンコ将軍の騎兵団と激烈な戦闘をまじえ、かろうじてこれを撃退したが、しかし新占領地を保持するほどの兵力がなかったためそれをすてて後方へ撤収した。 ミシチェンコはふたたびその地へやってきて根拠地にするという押しつ押されつの戦況がつづいていた。
 その戦場で好古は母親のお貞が病没したというしらせを受けた。真之は佐世保で知った。
__淳、お前もお死に。 あしも死にます。

 といって幼いころの真之の腕白に手をやいて本気で短刀をつきつけたこの母親の死の報に接し、真之は佐世保の旅館の一室で終夜号泣した。 兄の好古がこの報に接したのは花楊樹という村に駐屯(ちゆうとん)していたときだったが、松山の友人の井手政雄にハガキを書き送っている。
「真之が働キシ故、号外ヲモチテ亡父ノ処二参り候(そうろう)ナラント存候。コノ端書ノ面白味ヲ知ルモノハ大人ノミニ候」
 とある。好古は母のお貞が「淳」という真之の腕白に手を焼いていたことも知っていたし、終生真之をもっとも愛していたことも知っていた。「あの腕白小僧をなんとか成人させたことは無駄ではなかったということを母は日本海の戦闘結果を知ってつくづく思ったことだろう」という意味を、好古は「面白味」という言葉の裏に籠めているのである。


 戦争がつづいているあいだ第三国から講和を調停する意思表示が非公式ながらも何度かおこなわれたが、ロシア側の態度はそのつど硬かった。奉天での敗報が世界につたわったあとでさえロシア宮廷の空気はたじろぎもみせていない印象だった。
 日本海海戦が、人類がなしえたともおもえないほどの記録的勝利を日本があげたとき、ロシア側ははじめて戦争を継続する意志をうしなった。というより、戦うべき手段をうしなった。
 このときロシアに働きかけたのは、米国大統領セオドル・ルーズヴェルトであった。
 かれは日本海海戦におけるロシア艦隊の全滅をまるで自国の勝利であるかのようによろこび、その勝利から九日後に駐露大使のマイヤーに訓電し、ロシア皇帝ニコライ二世に直接会って講和を勧告せよ、と命じた。 ルーズヴェルトの友人である金子堅太郎にいわせれば「アメリカはワシントンが合衆国を創立し、リンカーンが奴隷を解放した。いずれも偉大な事業であるが、しかしそれらは国内での事業にすぎない。この合衆国大統領がみずからすすんで国際的な外交関係に手を出したのはアメリカ史上このときが最初である」とし、そのことをルーズヴェルトにもいった。
「それによって君は世界的名誉を獲得するだろう」
 と、金子はいった。
 ルーズヴェルトより前にドイツ皇帝がニコライ二世に講和を勧告する電報を発しているし、同時にドイツ皇帝はルーズヴェルトに対しても、
「もしこの重大な敗戦の真相がペテルブルグに知れわたれば皇帝(ツアーリ)の生命もあやういだろう」
 との電報を送っている。たしかにその危険はあった。ロシアの帝政は強大な軍事力をもつことによってのみ存在し、国内の治安を保ってきた、とウィッテもいっている。それが崩壊した以上、日露戦争はロシア国家にあたえた衝撃よりもむしろロマノフ王朝そのものを存亡の崖ぶちに追いこんでしまったことになる。
(p278)

 

「あの腕白小僧をなんとか成人させたことは無駄ではなかったということを母は日本海の戦闘結果を知ってつくづく思ったことだろう」

秋山家の好古・真之兄弟がお互いのことをどう評しているのか、この物語ではあまり出てきませんが、この好古さんの言葉からは、弟・真之の仕事ぶりを誇らしく思っている感が出ていて、なかなか印象深い箇所です。

 

そしてなんと言っても、見舞いに来た東郷さんがロジェストウェンスキーにかける言葉が好きです。もしかしたらお互いの立場が逆になっていたかもしれない、という思いがあったのかもしれませんが、相手が憎いから戦うわけではないのだということや、部下を指揮する立場の大変さから、ロジェストウェンスキーと同じ目線に立っているがよく伝わってきます。

 

 好古が若いころフランスに留学していたとき、しばしば酒場へ行った。かれのゆきつけの酒場は社会主義者のあつまる所で、ある日、袖をひかれた。
 袖をひいた男が、社会主義者だった。かれは好古にむかって社会主義がいかに正義であるかを説いた。やがて親しくなると、地下室に案内された。そこでその方面のいろんな連中と会った。
「決して悪いものじゃないよ。いい所もあるよ」
 と好古はこのとき清岡にもいったが、かれの晩年共産党の問題がやかましくなったときも「悪意をもって共産党の問題を考えるようでは何の得るところもない」といったりした。
 ロシアが社会主義国になるだろうという好古のかんは、ロシアがその栄光とする陸軍が日本のような小国にやぶれたからだという。

「ロシア陸軍は、国民の軍隊ではないからな」
とだけいった。ロシアのその世界最大の陸軍は皇帝(ツアーリ)の私有物であるにすぎない、ということであろう。その軍隊が外国に負けたとき人民の誇りはすこしも傷つかず、皇帝のみが傷つく。皇帝の権威が失墜し、それによって革命がおこるかもしれいない、ということであるらしかった。日本の軍隊はロシアとはちがい、国軍であると、好古はよくいった。好古は生涯天皇については多くを語らなかったが、昭和期において濃厚なかたちで成立する「天皇の軍隊」という憲法上の思想は好古の時代には単に修辞的なもので、多分に国民の軍隊という考え方のほうが濃かった。
「ナポレオンはフランス史上最初の国民軍をひきいたから強かったのだ」
 と好古はよくいったが、日露戦争における両軍の強弱の差もそこから出ている、と好古は考えていたらしい。好古にすれば日本軍は国民軍であった。ロシアのように皇帝の極東に対する私的野望のために戦ったのではなく、日本側は祖国防衛戦争のために国民が国家の危機を自覚して銃をとったために寡兵をもって大軍を押しかえすことができたのだ、という意味であるようであった。

 

 社会主義についての好古の理解の度合がどの程度のものであったかはよくわからない。
 ただ、こういう話がある。
 好古は乃木希典との縁が浅くなかったが、その最初の出会いはパリにおいてであった。
 乃木は陸軍少将のときに外遊した。ときに三十九歳で、明治二十年のことである。パリへ行き、フランス陸軍省を訪ねたとき、ちょうど留学中だった好古が通訳した。
 そのとき新聞記者が訪ねてきて乃木に会見を申し入れた。 乃木は承諾し、好古が通訳した。
 その記者の質問が、
社会主義をどうおもうか」
 であったのである。乃木は社会主義についてさほどの知識はなかった。好古は乃木のために社会主義についての簡単な解説をした。
 その解説が、
「平等を愛する主義です」
 という簡単なものだった。身分も平等、収入も平等の世の中にするということです、というと乃木は大きくうなずき、
「しかし日本の武士道のほうがすぐれている」
 と、多少質問の趣旨と食いちがっているとはいえ、ひどく断定的な調子でいったため、記者のほうが圧倒された様子だった。
 乃木は、いう。
「武士道というのは身を殺して仁をなすものである。社会主義は平等を愛するというが、武士道は自分を犠牲にして人を助けるものであるから、社会主義より一段上である」
 乃木という人物は、すでに日本でも亡びようとしている武士道の最後の信奉者であった。この武士道的教養主義者は、近代国家の将軍として必要な軍事知識や国際的な情報感覚に乏しかったが、江戸期が三百年かかって作りあげた倫理を蒸溜(じょうりゅう)してその純粋成分でもって自分を教育しあげたような人物で、そういう人物が持つ人格的迫力のようなものが、その記者を圧倒してしまったらしい。
 好古は乃木がきらいではなかった。しかし乃木の旅順要塞に対する攻撃の仕方には無言の批判をもっていたようであり、たとえば、
「日本の非力な騎兵が、数倍のミシチェンコ騎兵団をなんとか追いはらってゆくことができたのはおれの功績ではない。日本の騎兵が最初から機関銃を装備していたのに対してむこうが持っていなかったからである。精神力を強調するのあまり火力を無視するという傾向はどうも解(げ)せない」
 とよくいっていたのは、あるいは一種の乃木批判になるかもしれない。
 乃木は身を犠牲にすると言いつつも、台湾総督をつとめたり、晩年は伯爵になり、営習院長になったりして、貴族の子弟を教育した。
 しかし好古は爵位ももらわず、しかも陸軍大将で退役したあとは自分の故郷の松山にもどり、私立の北予中学という無名の中学の校長をつとめた。黙々と六年間つとめ、東京の中学校長会議にも欠かさず出席したりした。従二位勲一等功二級陸軍大将というような極官にのぼった人間が田舎の私立中学の校長をつとめるというのは当時としては考えられぬことであった。第一、家屋敷ですら東京の家も小さな借家であったし松山の家はかれの生家の徒士屋敷のままで、終生福沢諭吉を尊敬し、その平等思想がすきであった。 好古が死んだとき、その知己たちが、
「最後の武士が死んだ」
 といったが、パリで武士道を唱えた乃木よりもあるいは好古のほうがごく自然な武士らしさをもった男だったかもしれない。

(p296)

 

「日本の非力な騎兵が、数倍のミシチェンコ騎兵団をなんとか追いはらってゆくことができたのはおれの功績ではない。日本の騎兵が最初から機関銃を装備していたのに対してむこうが持っていなかったからである。精神力を強調するのあまり火力を無視するという傾向はどうも解(げ)せない」

自軍の数倍の騎士団を追い払えたのは好古さんの力量によるところが大きいと思われますが、冷静ですね。こういう天狗にならないところも好きです。

好古さんはじめ、この時代にロシアと戦った人たちが現在のウクライナ侵攻を知ったら、どんなふうに感じるだろうか、と思ってしまいます。

 

文庫版の最終巻である8巻を読んでいて、初めてあとがきがあることに気が付きました。(この話はもともと単行本では全6巻だったため、文庫版の8巻にはあとがきが6個ついているのだそう。)

 

 古今東西のどの戦争の例をみても、日露戦争の日本ほどうまくやった国はないし、むしろ比較を絶してすぐれていたのではないかとおもわれる。
 しかし、勝利というのは絶対のものではない。敗者が必要である。ロシア帝国における敗者の条件は、これはまた敗者になるべくしてなったとさえいえる。極端にいえば、四つに組んでわれとわが身で膝をくずして土をつけたようなところがある。
 たとえばクロパトキンが考えていた大戦略は、遼陽での最初の大会戦で勝つことではなかった。遼陽でも退く。奉天でも退く。ロシア軍の伝統的戦術である退却戦術であり、最後にハルビンで大攻勢に転じ、一挙に勝つというもので、それは要するに遼陽、沙河、奉天で時をかせぐうちに続々とシベリア鉄道で送られてくる兵力を北満に充満させ、その大兵力をもって日本軍を撃つということであった。もしこの大戦略が実施されておれば、当時奉天の時点ではもはや兵力がいちじるしく衰弱していた日本の満州軍は、ハルビン大会戦においておそらく全滅にちかい敗北をしたのではないかとおもわれる。この大敗北の予想と予感は、クロパトキンよりもむしろ日本の満州軍の総参謀長の児玉源太郎自身の脳裏を最初から占めつづけていたものであり、敗北はまぎれもなかったであろう。むろん、奉天大会戦のあとに日本海海戦があり、ロシアのバルチック艦隊は海底に消えた。しかし海軍が消滅したとはいえ、ロシア帝国にその決意さえあれば講和をはねつけて満州の野で日本陸軍をつぶすこともできたのである。
 しかし、ロシアはそれをやらなかった。ここにロシアの戦争遂行についての基本的な弱さがあり、満州における諸会戦のあとを見てみても、その敗因は日本軍の強さというよりもロシア軍の指揮系統の混乱とか高級指揮官同士の相剋とか、そのようなことがむしろ敗北をみずからまねくようなことになっている。ロシア皇帝をふくめた本国と満州における戦争指導層自身が、日本軍よりもまずみずからに敗けたところがきわめて大きい。むろん、ロシア社会に革命が進行していたということも敗因の一つにかぞえられるが、たとえこの帝国がそういう病患をかかえていたとしても、あれだけの豊富な兵力と器材をうまく運営しさえすれば勝つことは不可能ではなかったのである。兵員に革命思想が浸透していて厭戦気分になっていたということを過大にみる人があるが、それは結果から見すぎる見方であろう。兵員というものはすぐれた指揮官のもとではほとんど質を一変させて戦うもので、旅順要塞におけるコンドラチェンコ少将や野戦軍におけるケルレル少将、それに旅順艦隊の二人目の司令長官マカロフのもとではロシア兵は他のロシア兵の数倍のつよさを示し、戦意はまるでちがっていた。この三人の将はいずれも相次いで戦没し、かれらが戦没したあと、その麾下(きか)の軍は虎が猫になったようなくっきりしたちがいで弱くなった。
 要するにロシアはみずからに敗けたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそのような事情のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。
 戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。 日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。 やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。
 昭和四十四年十月

(p320)

 

正直なところ、このあとがきたちが、読んでよかった感を増幅させました。

「兵員に革命思想が浸透していて厭戦気分になっていたということを過大にみる人があるが、それは結果から見すぎる見方であろう。」

著者と好古さんの考え方、ちょっと似ているように思います。

 

「乃木軍司令官の気持がわからない。 なぜ状況に一致しない命令を出すのだろうか」
 と声を放ったというが、ともかくも乃木軍司令部がやった最大の愚行は、この第一回総攻撃において強襲法をとったということよりも、前線がどうなっているかも知らず、そのあまりにも大きな損害におどろいていっせいに退却せしめたことであった。
 一戸兵衛は、温厚な人物だけに、
「その理由が、あとでわかった」
 と、語っている。ただし、事実は明かさない。明かさなかったのは、乃木・伊地知の名誉にかかわるからであり、これについてはできれば永久に沈黙しておかねば国民の反撥がどれだけ大きいかわからぬと思ったからであろう。第一線の実情がわからなかった最大の理由は、軍司令部がぜったいに砲弾のとどかない後方にあったからであった。 本来なら軍司令部の位置をすすめて各師団の動きがみられるところへ置き、地下に壕を掘り、上を掩堆でかためればよい。 それをせず、軍司令官以下が前線を知らなかったことがこの稀代の強襲計画を、それなりに完結させることさえせずにおわらせてしまった。この時期の満州軍総司令部の参謀たちの一致した意見では、
「第一回で奪れていたのだ」
 ということであり、それだけに乃木軍司令部への風あたりがつよかったのである。

 

 この日露戦争の勝利後、日本陸軍はたしかに変質し、別の集団になったとしか思えないが、その戦後の最初の愚行は、官修の「日露戦史」においてすべて都合のわるいことは隠蔽したことである。 参謀本部編「日露戦史」十巻は量的にはぼう大な書物である。戦後すぐ委員会が設けられ、大正三年をもって終了したものだが、それだけのエネルギーをつかったものとしては各巻につけられている多数の地図をのぞいては、ほとんど書物としての価値をもたない。作戦についての価値判断がほとんどなされておらず、それを回避しぬいて平板な平面叙述のみにおわってしまっている。その理由は、戦後の論功行賞にあった。伊地知幸介にさえ男爵をあたえるという戦勝国特有の総花式のそれをやったため、官修戦史において作戦の当否や価値論評をおこなうわけにゆかなくなったのである。執筆者はそれでもなお左遷された。かれは青島守備隊の閑職にまわされ、大佐どまりで陸軍をひかされた。
「わしがこのようになったのは、日露戦史を書いたからだ」
 と、その人物は青島の配所にいるとき、しばしばぼやいていたという。
 これによって国民は何事も知らされず、むしろ日本が神秘的な強国であるということを教えられるのみであり、小学校教育によってそのように信じさせられた世代が、やがては昭和陸軍の幹部になり、日露戦争当時の軍人とはまるでちがった質の人間群というか、ともかく狂暴としか言いようのない自己肥大の集団をつくって昭和日本の運命をとほうもない方角へひきずってゆくのである。

(p340)

 

本来、報酬を与えられるような働きをしなかった人にも爵位を与えてしまったから、作戦についての価値判断なく戦史をまとめざるを得ず、結果国民は都合の悪いことを知らないまま、自国は強いと思いこんで次の戦争に突入してしまう。

今の感覚で考えると、あちゃーという感じですが、戦地に赴いていない国民や、戦勝国としての歴史を学んだ子供は、特に疑うことなく、自分の国を誇らしく思うだろうな、ということが予想できます。

 

 この作品は、執筆時間が四年と三ヶ月かかった。書き終えた日の数日前に私は満四十九歳になった。執筆期間以前の準備時間が五年ほどあったから、私の四十代はこの作品の世界を調べたり書いたりすることで消えてしまったといってよく、書きおえたときに、元来感傷を軽蔑する習慣を自分に課しているつもりでありながら、夜中の数時間ぼう然としてしまった。頭の中の夜の闇が深く遠く、その中を蒸気機関車が黒い無数の貨車の列をひきずりつつ轟々と通りすぎて行ったような感じだった。 遠ざかってゆく最後尾車の赤い灯をいつまでも見ている自分を滑稽にもおもえて、そのことをわざわざここに書くのが面映(おもは)ゆくある。 この十年間、なるべく人に会わない生活をした。明治三十年代のロシアのことや日本の陸海軍のことを調べるという作業は、前半は苦しくはあったが、後半は何事かが見えてきて、その作業がすこし楽しくなった。いずれにしても友人知己や世間に生活人として欠礼することが多かった。友人というほどではないが古い仲間の何人かが、その欠礼について私に皮肉をいった。これはこたえた。しかしやむをえないじゃないかと私は自分に言いきかせた。
 しらべるについて、無数の困難があった。そのひとつはロシア語だった。私は若いころ一年間ロシア語を習ったが、その実力は辞書がやっと引ける程度にすぎない。そこで、頻出度の高い軍隊用語の単語帳を自分でつくってみた。面倒な文章は、ロシア語のできる友人に大意を口頭で訳してもらった。みじかい文章がわからなくて、深夜に起きていそうな知人をあれこれ物色して電話をかけたりしてその人を不愉快にさせたりした。

 

 この作品世界の取材方法についてだが、あれはぜんぶ御自分でお調べになるのですか、と人に問われたことがあって、唖然としたことがある。小説の取材ばかりは自分一人でやるしかなく、調べている過程のなかでなにごとかがわかってきたり、考えがまとまったり、さらにもっとも重大なことはその人間なり事態なりを感じたりすることができるわけで、これ以外に自分が書こうとする世界に入りこめる方法がなく、すくなくとも近似値まで迫るのはこれをやってゆくほかにやり方がない。
 私はわずかな年数ながら、陸軍の下級士官を体験した。速成教育ながら戦術も教わった。このことは梯子(はしご)として役に立った。
 小説とは要するに人間と人生につき、印刷するに足るだけの何事かを書くというだけのもので、それ以外の文学理論は私にはない。以前から私はそういう簡単明瞭な考え方だけを頼りにしてやってきた。いまひとつ言えば自分が最初の読者になるというだけを考え、自分以外の読者を考えないようにしていままでやってきた(むろん自分に似た人が世の中には何人かいてきっと読んでくれるという期待感はあるが)。

(p358)

 

この文章のように、司馬遼太郎先生がどのように取材したり、どんなところに苦労したかがうかがえると、物語もより身近に感じられていいですよね。4年以上もかかる執筆…、頭が下がります。関わっている時間が楽しいものでもそうでなかったとしても、書き終わったら抜け殻になってしまいそう。そしてその心境を表す文章がまたステキ。

 

「頭の中の夜の闇が深く遠く、その中を蒸気機関車が黒い無数の貨車の列をひきずりつつ轟々と通りすぎて行ったような感じだった。 遠ざかってゆく最後尾車の赤い灯をいつまでも見ている自分を滑稽にもおもえて、そのことをわざわざここに書くのが面映(おもは)ゆくある。 」

このたとえ好きです。

 

(…)現実の問題として戦場における前後左右との釣りあいがとれなくなり、なにも書けなくなる。このため功も罪も書かず、いっさい価値論をやめて時間的事実と兵力の出し入れの物理的事実のみを書くことによってこの全十巻は作りあげられたらしい。
「そこまで譲歩しても気に入られなかった」
 と、執筆責任者のある大佐が言い、このためかれは編纂が終わると青島(チンタオ)の守備隊司令官という閑職に追いやられたというのである。
「自分はかの日露戦史を書かされたことで、軍人としての生命がおわった」
 と、この人物はそのことをこぼしては酒ばかり飲んでほどなく予備役に編入されてしまった。この大佐が青島で配所の月をながめて鬱々としていた光景の目撃者は小川琢治(たくじ)博士であった。 小川博士は日露戦争にも地質調査の技師として従軍した。陸軍は戦争を遂行しつつ石炭を得るために地質調査していた。このため当時まだ農商務省の技師だったこの高名な地理学者が派遣され、大山巌の総司令部付で参謀たちと同じ建物のなかで仕事をしていたのである。 旅順包囲中の乃木軍司令部の無能についてのごうごうたる非難の声も総司令部できいた。記憶力のいい人だからそれらの作戦批判のことばをほとんど覚えていた。 小川博士の子息たちが貝塚茂樹博士や湯川秀樹博士らであるが、その当時の総司令部の空気をよく子息たちに話された。その後、第一次世界大戦で日本が青島を占領したときも、小川博士は政府の命令で青島付近の地質調査をされた。そのときに旧知の右の大佐に会われたのである。
 その戦争を遂行した陸軍当局が、みずから戦史を編纂するということほどばかげたことはない。たとえば第二次世界大戦が終わったとき、アメリカの国防総省は戦史編纂をみずからやらず、その大仕事を歴史家たちに委嘱した。 一つの時代を背景とした国家行動を客観的に見る能力は独立性をもった歴史家たちの機構以外には期待できないのである。また英国の場合は、政府関係のあらゆる文書は三十年を経ると一般に公開するという習慣をもっている。その文書類を基礎に、あらゆる分野の歴史家が自分の研究に役立ててゆく。アメリカもイギリスも、国家的行動に関するあらゆる証拠文書を一機関の私物にせず国民の公有のもの、もしくは後世に対し批判材料としてさらけ出してしまうあたりに、国家が国民のものであるという重大な前提が存在することを感ずる。
 日本の場合は明治維新によって国民国家の祖型が成立した。その後三十余年後におこなわれた日露戦争は、日本史の過去やその後のいかなる時代にも見られないところの国民戦争として遂行された。勝利の原因の最大の要因はそのあたりにあるにちがいないが、しかしその戦勝はかならずしも国家の質的部分に良質の結果をもたらさず、たとえば軍部は公的であるべきその戦史をなんの罪悪感もなく私有するという態度を平然ととった。もしこのぼう大な国費を投じて編纂された官修戦史が、国民とその子孫たちへの冷厳な報告書として編まれていたならば、昭和前期の日本の滑稽すぎるほどの神秘的国家観や、あるいはそこから発想されて瀆武(とくぶ)の行為をくりかえし、結局は日本とアジアに十五年戦争の不幸をもたらしたというようなその後の歴史はいますこし違ったものになっていたにちがいない。

 

 このため、日露戦争における陸戦をしらべるについて、ときにこの作業をやめようかと思うほどに難渋した。ただ右の官修戦史にはすばらしい付録がついていた。各巻ざっと五十枚ずつ、通計五百枚ほどの精密な地図が、戦局の推移が一目でわかるようにして付けられていたのである。内容の記述よりもこの地図を見てゆくほうがはるかにこの戦争が理解できた。編者はあるいは暗にその意図があって、いちいち変化に対して忠実すぎるほどの地図をつけておいたのかもしれない。
 この地図と、敗戦側であるロシア側の記録をつきあわせ、その局面に関するあらゆる資料や雑書のその部分と照合してゆくことによって、一つずつの局面が立体化して見られるようになった。その作業が後半から面白くなったのは、展望がようやくひらけてきて、ある局面と他の局面群の相関関係がすこしずつわかり、それらの因果関係もわかってきて、全体が一個の凹凸のある風景として目に映るようになったからである。
 日露戦争は陸戦においては決して勝ってはいなかった。敗けてはいなかったが、押し角力にすぎなかった。たとえばクロパトキンは一九一三年(大正二年)に「満蒙処分
論」というロシアの侵略主義国策を積極的に理論化した書物を出したが、かれはその著書のなかで「日露戦争はわずかに前哨戦にすぎなかった」と書いているように、ロシアの伝統的な戦法は、ナポレオン戦争ヒトラーソ連侵入戦の場合においてもみられるように、一つ土俵に執着せずつぎつぎに土俵を空けては後退してゆき、最後に敵の補給線が伸びきったところではじめて大攻勢に出るのである。満州におけるロシア軍のとった戦法も多分に伝統的なものであった。

 

 日本軍は一局面ごとに勝った。つまり相手の土俵―陣地―を奪(と)った。しかし相手はさほどの損傷もうけずに後退してあたらしい陣地をつくってふたたび対峙するのである。そのくりかえしであった。ところが、一局面ごとに国際世論は、
「日本が勝ち、ロシアが敗けた」
 と、世界にむかって報じた。 元来、一戦闘における勝敗の定義は軍事学の立場からいえばひどく定義づけの困難なものなのである。その定義が幾通りあるかはここではのベないが、すくなくともロシア側はその戦略的立場からみて「これは敗けではない。単に陣地転換をしただけである」といえば言うことができた。しかしそういう軍事学的な基準よりも、素人の国際ジャーナリズムが一戦局ごとに日本の勝ちを宣言し、すばやく世界中に宣伝してロンドンの金融街だけでなく、ペテルブルグの宮廷までにそれを信じさせたのである。 二十世紀初頭までの戦争としては稀有の現象であるようにおもえる。国際情報が日本をどんどん勝たしめて行ったのである。

(p362)

 

「もしこのぼう大な国費を投じて編纂された官修戦史が、国民とその子孫たちへの冷厳な報告書として編まれていたならば、昭和前期の日本の滑稽すぎるほどの神秘的国家観や、あるいはそこから発想されて瀆武(とくぶ)の行為をくりかえし、結局は日本とアジアに十五年戦争の不幸をもたらしたというようなその後の歴史はいますこし違ったものになっていたにちがいない。」

日露戦争には(上記では勝ったとは言っていませんがとりあえずは)勝って、第二次世界大戦には負けた、という認識だけでは、自国のことながら他人事というか、事実としてしか頭に入ってきませんが、なぜ日本が第二次世界大戦へ突き進んでしまったのか、そしてなぜ勝利できると思ったのかを考えた時、その原因の一つは日露戦争の振り返りと伝え方にあったのかと感じました。歴史を学ぶことの意義が重くのしかかってきます。

 

明治の人たちが自分たちの国のあり方を考え、国力的にまったく余裕のないなかで諸外国と対峙したこと、そしてその激動の時代をわかりやすく紐解いてみせてくれた司馬先生に、読み終えて感謝の気持ちが生まれました。

ウクライナ侵攻で戦争が身近になってしまった今、外交はもちろん、戦況の報じ方の難しさと重要さを改めて感じました。メディアからの情報をどう受け止めるか、そしてどのような展望を自分の国に求めるのか、今一度考えるべきだと思わされます。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。