ニジタツ読書

読んだ本の感想です。胸に刺さった言葉をご紹介します。時々美術館のことなども。

シュトルム『みずうみ/三色すみれ/人形使いのポーレ』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

シュトルム、松永美穂(訳)『みずうみ/三色すみれ/人形使いのポーレ』を読みました。

 

読んだのはずいぶん前なのに、心に残るシュトルム作品。 

大好きな松永美穂さんの訳で文庫になっていたので、再読しました。

3話入っている中で、「三色すみれ」だけ、初めて読みました。改めて、それぞれのお話で響いた場所をご紹介します。

 

「みずうみ」

 

 ついに休暇の最後の日が来て、出発の朝になった。エリーザベトはお母さんに頼んで、自宅から何本か先の通りにある郵便馬車の停留所まで、ラインハルトを見送りに行く許可を得た。玄関から外に出ると、ラインハルトは彼女に腕を貸した。そうやって、ラインハルトは黙ったまま、ほっそりした娘の隣を歩いていった。停留所に近づけば近づくほど、長い別れを告げる前に彼女に言っておかなければいけないことがある、という気持ちになってきた――そこに、将来の生活のすべての価値、すべての愛情がかかっているのだ。しかし彼には、窮地を救うような言葉が思い浮かばなかった。そのことで不安になり、足どりはどんどんゆっくりになった。

 「このままだと乗り遅れる」エリーザベトが言った。「聖母教会の嫌が十時を打ったでしょ」

 それを聞いても、ラインハルトの歩みは速くならなかった。ついに彼は、つっかえながら言った。「エリーザベト、ぼくたちはこれから二年間会えないんだ__戻ってきても、いまと同じように好きでいてくれるかな?」

 彼女はうなずき、親しみを込めて彼の顔を見つめた。 __「わたし、あなたの弁護もしたのよ」ちょっと沈黙してから、彼女が言った。

「ぼくを? 誰に対して弁護したの?」

「お母さんに対してよ。夕べ、あなたが帰ってから、長いことあなたについて話をしたの。お母さんは、あなたが昔ほど善良じゃなくなったと言うのよ」

 ラインハルトは一瞬、黙り込んだ。それから彼女の手を取り、子どものような目を真剣に覗き込みながら言った。「ぼくはまだ前と同じくらい善良だよ。そのことを信してほしい! 信じてくれる、エリーザベト?」

「ええ」と彼女は言った。彼はエリーザベトの手を離すと、最後の通りを急ぎ足に進んでいった。

(p40)

 

 

 将来は幼馴染のエリーザベトと結婚するものと考えていたラインハルトは、進学を機に故郷を離れ、この間にエリーザベトは彼の友人と結婚してしまいます。

この場面は、彼がエリーザベトと一緒になる可能性があったかもしれない転換点なのですが、何度読んでも、ここから二人が結ばれる展開にはならなそうな気がします。

2人が結ばれないという話の結末を知っているという以外でも、この時点でのラインハルトは、新しい環境での刺激や好奇心と、研究への意欲があるように見え、エリーザベトを離してはいけないという気持ちには至らないようだからです。

 

そして、前に読んだ際に気になっていたエリーザベトの詩は、松永訳ではこのようになっていました。

 

「母が望んだことでした。

別の人に嫁ぐようにと、

わたしがそれまで持っていた

気持ちは忘れてしまいなさいと、

でも、わたしの心は抗ったのです。

 

わたしは母に訴えます、

母のしたことは間違っていたと、

普通ならば名誉であったはずのことが

いまでは罪となる、

わたしは何を始めてしまうのだろう!

 

誇りと喜びに代えて

わたしは苦悩を手に入れた、

ああ、あんなことが起こらなければ、

ああ、物乞いに出てしまえるならば

茶色い荒野を越えて!」

 

 

「三色すみれ」

 

でもネージーには、心のこもった会話の鍵になるような呼びかけの言葉が欠けていた。「ママ」という一つの呼びかけは――彼女の気持ちとして――使えるけれども、「お母さま」というもう一つの呼びかけは口にできないのだった。

 子どものこうした最後のためらいを、イネスも感じ取っていた。そんなためらいなど、いとも簡単に取り除けそうに思えたからこそ、イネスの考えはくりかえしこの点に戻ってきた。

 そのようなわけで、ある日の午後、彼女は居間で夫の隣に座り、紅茶沸かし(サモワール)の器械から低く歌うように上がる湯気を眺めていた。

 ちょうど新聞を読み終えたルドルフは、彼女の手をつかんだ。「静かだね、イネス。きょうは一度も話しかけてこなかったな!」

「お話ししたいことはあるんですけど」彼の手から自分の手を抜き出しながら、イネスはためらいつつ答えた。

ーー「それなら言ってごらん!」

しかし彼女はまだしばらく黙っていた。

ーー「ルドルフ」と、ついに彼女は口を開いた。「あの子に、わたしをお母さまと呼ばせてちょうだい!」

ーー「ネージーはきみをお母さまと呼ばないのかい?」

 イネスは首を横に振り、到着の日のできごとを話した。

 ルドルフは彼女の話を穏やかに聞いていた。「それは、あの子の魂が無意識のうちに見出した逃げ道なんだろう」と彼は言った。「感謝をこめて、そっとしておいてやるというのはどうだろう?」

 若妻はそれには答えず、ただ、「そうしたらあの子はけっしてわたしに馴染まないと思います」とだけ言った。

 彼はまた妻の手を取ろうとしたが、妻は手を引っ込めた。

「イネス」と夫は言った。「人の本性が許そうとしないものを、求めてはいけないよ。ネージーを無理矢理きみの子どもにしたり、きみが無理矢理あの子の母親になったりするようなことは!」

 イネスの目から涙が溢れ出た。「でも、わたしはあの子の母親になるべきなのよ」

ほとんど激しいといっていい口調で彼女は言った。

ーー「あの子の母親だって? いや、イネス、そうなる必要はないよ」

「じゃあわたしは何になればいいの、ルドルフ?」

ーーもし彼女にこの問いへの当然の答えが理解できれば、自分でそれを見出していたはずだ。ルドルフはそう感じて、助けになる言葉を見出さねばいけないというように、考えこみながら彼女たちの目を見つめた。

「白状して!」夫の沈黙を誤解したイネスは言った。「あなたにも答えはわからないんでしょ」

(p84)

 

 

死んだ母親のことを「お母さま」と呼んでいたけど、新しい母親であるイネスのことは同じ名称では呼ばないネージー。ネージーの気持ちも、イネスの気持ちも、何となく分かるだけに、かみ合わなさに切なくなります。そして、二人の感情にうまく寄り添って(フィクションですが)書くシュトルムが凄い。

 

人形使いのポーレ」

 

わたしはすでに宿屋の前で彼らと別れの挨拶を交わしたのだが、もう一度会うために先回りをしていた。ヴァイセの『子どもの友』を記念の品としてリーザイにあげる許しも、父から得てきていた。袋に入ったケーキも、日曜日のお小遣いを貯めた数シリングで手に入れていた。「止まって! 止まって!」わたしは叫び、荒れ地の丘から馬車に向かって走っていった。――テンドラー氏が手綱を引き、茶色い馬は足を止めた。わたしは馬車の上のリーザイに小さな贈り物を渡し、彼女はそれを自分の横の椅子に置い

た。一言も言わずに両手を握りあったわたしたち哀れな子どもは、大声で泣き出してしまった。だがその瞬間、テンドラー氏がまたポニーに鞭を当てた。「さよなら、坊や!元気でいるんだよ、そしてお父さんとお母さんにありがとうと伝えておくれ!」

 「さよなら! さよなら!」とリーザイが叫んだ。ポニーが馬車を引っ張り、首につけた鐘がチリンチリンと鳴った。小さな手がわたしの手のなかから滑り出ていくのを感じた。彼らは遠くへ、広い世界へと去っていってしまった。

 わたしはまた道の端をよじ登り、砂を埃のように巻き上げていく小さな馬車をじっと見送っていた。チリンチリンという鐘の音がどんどんかすかになっていった。もう。一度、白いハンカチが箱の周りではためくのが見えた。それから次第に、彼らの姿は灰色の秋の森のなかに消えていった。――そのとき突然、死の不安のように胸にのしかかってくるものがあった。お前は彼女に二度と、二度と会えないぞ! ーー「リーザイ!」わたしは叫んだ、「リーザイ!」――しかし、呼んでも返事はなく、おそらくは街道がカーブしているせいで、霧のなかに泳いでいた点のような姿も完全に目の前から消えてしまったとき、わたしはやみくもに彼らを追って走りだした。突風がわたしの頭から帽子を奪っていき、ブーツのなかは砂で一杯になった。どんなに遠くまで走っても、木々のない荒廃した土地と、その上に広がる冷たい灰色の空以外のものは見えてこなかった。――夕闇が迫るころにようやく家に帰り着くと、町中の人がその間に死に絶えたかのような気分になった。それは、わたしの人生における最初の別れだったのだ。

 それに続く年月のあいだ、秋が訪れてノハラツグミが町の庭を飛び回り、向かいの仕立屋の宿で最初の黄色い葉が西洋菩提樹から舞い落ちるとき、わたしは何度もベンチに座り、茶色いポニーに曳かせたあの小さな馬車がまた鐘を鳴らしながら道を上ってこないだろうか、と考えていた。

 しかし、待っても無駄だった。リーザイは二度とやってこなかったのだ。

(p183)

 

 

 もう二度とリーザイには会えないだろう、と理解した瞬間にやってくる感情の描写が印象的です。

 

 やがて、わたしの旅立ちのときが近づき、わたしはだんだん心が重くなってきた。リーザイを見ることが苦しくさえなった。彼女もまもなく父親と、広い世界に旅立っていこうとしていたからだ。彼らに故郷があればよかったのに! 挨拶や便りを送ろうと思っても、どうやって彼らを見つけられるだろうか! 最初に別れてからの十二年間のことを、わたしは思った。 またそんな長い時間が過ぎるまで会えないのだろうか、それとも、結局は一生会えないままだろうか?

「そして、あんたが国に帰ったら、実家の建物によろしくね!」最後の晩、わたしを玄関まで送りながら、リーザイが言った。「まだ目に浮かぶよ。玄関前のベンチ、庭の西洋菩提樹、絶対に忘れない。世界中で、あれほど好きな場所はなかった!」

 彼女がそう言ったとき、わたしにはまるで故郷が暗い淵から輝きだしてくるようだった。母の優しい目や、しっかりとまじめそうな父の面影が浮かんだ。「ああ、リーザイ」とわたしは言った。「ぼくの実家はいまどこにあるんだろう! すべてが荒れ果てて、空っぽなんだ」

 リーザイは答えなかった。ただわたしの手を握り、善良な目で見つめるだけだった。

 その瞬間、母の声が聞こえてきたように思えた。「この手をしっかりと握って、彼女と一緒に家に帰りなさい。そうすればあなたにはまた故郷ができるのよ!」―そこで、わたしはリーザイの手をしっかりと握って、言った。「ぼくと一緒に帰ろうよ、リーザイ。あの空っぽの家で、一緒に新しい人生を作っていこう。きみが好きだったうちの両親が、かつて送っていたようないい人生を!」

パウル」と彼女は叫んだ。「何を言ってるの? わたしには意味がわからない」

 彼女の手はわたしの手のなかで激しく震えだした。わたしは「ああ、わかってくれよ、リーザイ!」と言っただけだった。

 彼女は一瞬、沈黙した。「パウル、あたしは父さんを置いてはいけんよ」と彼女は言った。

「一緒に来てもらおうよ、リーザイ! 裏の離れには二部屋あって、いまは空いているんだ。お父さんはそこに住んで、いろいろ仕事ができるよ。老ハインリヒの仕事部屋もすぐ隣だしね」

 リーザイはうなずいた。「でもパウル、あたしたちは旅芸人だよ。故郷の人たちはあんたのことをどう言うだろうね?」

「みんな、ものすごく噂話をするだろうね、リーザイ!」

「怖くないの?」

 わたしはただ、笑っただけだった。

「そんなら」とリーザイは言い、彼女の声は鐘のように響いた。「あんたに勇気があるなら―あたしにもあるよ!」

「じゃあきみは、喜んでぼくと結婚するの?」

「うん、パウル、喜んでするのでなければ」―彼女は茶色の頭をわたしに向かって振った。「けっしてそんなことはしないよ!」

(p202)

 

 

 今生の別れかと思っていたリーザイと、パウルは12年後に故郷から離れた町で偶然再会します。そして、今はなきパウルの母親が、彼の背中を押してくれる場面が凄く好きです。

 

 しかし、まもなく別の、もっと真剣な芝居の幕が上がった。昔からの肺の病が再発して、義父の命はどうやら終わりに近づいているようだった。どんな小さな心遣いにも深く感謝しながら、彼は辛抱強くベッドに横たわっていた。「うん、うん」と彼はほほえみながら言い、明るく天井板を見上げていた。まるでそこを通して、すでに永遠のかなたを見ているかのように。「これでいいんだ。人間とはいつもうまくいくわけじゃなかった。天使たちとはもっとうまく付き合えるだろう。それに――何はともあれ、リーザイ、そこに行けば母さんがいるからな」

ーー善良で無邪気な人は亡くなった。リーザイとわたしは、彼がいなくなってとても寂しかった。老ハインリヒも寂しがり、その後の日曜日の午後にはどこに行っていいのかわからず、もう見つからない人のところに行きたがっているかのようにうろうろしていた。そんな彼も、数年後にはこの世を去った。

    義父の棺を、彼が手入れしてくれた庭のあらゆる花で飾った。花輪で重みを増した棺は教会の庭へと運ばれたが、そこでは外壁から程遠からぬところに墓が準備されていた。棺を墓穴に降ろしたとき、老教区長が穴の縁に歩み寄り、慰めと約束の言葉を語った。彼は、亡くなったわたしの両親にとっては常に誠実な友人であり、相談相手だった。わたしは彼から堅信礼(思春期になった子どもが正式に信仰を告白して教会員となる儀式。)を受けたし、リーザイとの結婚式も挙げてもらった。

(p219)

 

 

 「人間とはいつもうまくいくわけじゃなかった」という、リーザイのお父さんの言葉が心に残ります。棺を、彼が育てた花で飾るというのも、パウルとその家族をずっと見てくれた老教区長が葬儀を取り仕切ってくれるというのも、ちょっといいなと思いました。

 

作者シュトルムの故郷である北ドイツのフーズムには、生家と記念館があるらしいので、いつか訪れてみたいと思います。

 

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。