ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

ポール・オースター『冬の日誌』

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『冬の日誌』を読みました。

 

 より繊細な、より美しく、最終的にはより充実感のあるゲーム― もっとも暴力的でないスポーツたる野球の技能を君は着々と身につけていき、六つか七つのころから没頭するようになる。キャッチして投げる、ゴロをさばく、何アウトかランナーが何人どこに出ているかに応じて試合中それぞれの瞬間どこに構えるべきかを学ぶ。ボールが自分の方に飛んできたらどうすべきか前もって知っておく― バックホーム、二塁に投げる、ダブルプレーを狙う、あるいは― 君はショートなので― シングルヒットが出たときにレフトへ走っていってからぐるっと回って長い中継スローをしかるべき位置に投げる。野球が嫌いな人間にはわかるまいが、退屈な時間は一瞬たりともない。つねに先を予期し、つねに万全の態勢で待ち、頭の中ではいろんな可能性がぐるぐる回っていて、それから突然動きが生じ、ボールがぐんぐん君めがけて飛んできて、為すべきことをきっちりやる切迫した必要が生じる。それを為すにはすばやい反射神経が必要だ。君の左か右かに転がってきたゴロをすくい上げ、一塁めがけて全力で正確に投げる、そのえも言われぬ快感。だが何より快いのは、ボールを打つ快感だ。構えに入り、ピッチャーが振りかぶるのを見守り、来たボールをしっかり捉えて打つ。ボールがバットの芯と出会うのを感じ、その音をまさに耳にしながらスイングでフォローし、ボールが外野深くに飛んでいくのを見る。何ものにも変えられない感触、その瞬間の高揚に迫るものなどありはしない。時とともに君はますます上達したから、そういう瞬間は数多く訪れたし、君はまさにそれらのために生き、この無意味な子供の遊びに心底没頭した。あのころはそれこそが君の幸福の頂点だったのであり、君の体が何よりも上手に為したものだった。

(p33)

 

オースターの書く野球についての文章は楽しいものが多いですが、これはその中でもかなり幸せな感情が込められているように感じました。

この後出てくる、オースターのお母さんがホームランを打つ場面もスカッとします。

 

この犬はもう二年かそれ以上、君の生活の一部でありつづけていて、君は彼のことが大好きだ。冒険を好み、車を追いかけることに異様な情熱を燃やす元気一杯の若いビーグル犬。すでに一度車に轢かれていて、そのとき左の後ろ足をひどく傷めたのでもうこの脚は使えなくなっており、いまや三本脚犬である。奇妙な、使えぬ脚をぶらぶらさせている、海賊みたいな空威張り犬だが、障害にはちゃんと適応していて、三本しかなくとも近所のどの四本脚犬より速く走れる。かくして君は二階の部屋でベッドに入っていて、不具の飼い犬は裏庭のケーブルにしっかり繋がれているものと信じている。と、突然大きな音がいくつも続けざまに生じて静寂が破られる。君の家の前でタイヤがキキーッと鳴る音がして、すぐそのあとに甲高い苦痛の吠え声が生じる。それは苦しんでいる犬の吠え声であり、その声からしてそれが君の犬であることを君はただちに悟る。君がベッドから跳ね起きて外に飛び出すと、そこに悪ガキ(ブラット)、怪物(モンスター)がいて、「一緒に遊びたかった」から犬のリードを外したのだと君に告白する。そしてそこには車を運転していた男もいて、ひどく動揺し狼狽した様子で、周りに集まった人々に向かって、仕方なかったんです、男の子と犬が道の真ん中に飛び出してきて、子供か犬かどちらかにぶつかるしかなかったんでハンドルを切って犬にぶつかったんですと言っている。そしてそこには君の犬がいる。君のおおむね白い犬が、黒い道路の真ん中で死んで横たわっている。彼を抱き上げて家の中に運び入れながら君は心の中で言っている。違う、あの人は間違ってる、犬じゃなくて子供にぶつかるべきだったんだ、あいつをぶっ殺すべきだったんだ。その子が君の犬に対して為した仕打ちに心底憤る君は、誰かが死んだらいいのにと生まれて初めて自分が願ったことに思いあたる余裕もない。

(p37)

 

本書が始まってしばらく、オースターが子供時代に経験した怪我のお話が続き、痛々しくて挫折しそうになりましたが、その怪我の数々も、この体験に比べればましに思えてきます。

 

 いつも迷子になって、いつも間違った方向に進んで、いつもぐるぐる同じところを回っている。君は生涯、空間における自分の位置を見定める能力を欠いてきた。どこよりも把握しやすい都市であるはずの、そして大人になってからの大半を過ごしてきたニューヨークにいても、しじゅう面倒な事態に君は陥る。ブルックリンからマンハッタンへ地下鉄で出かけるたび(正しい列車に乗ったのであってブルックリンのさらに奥へ入り込んではいないことが前提だが)、階段を上がって通りに出た時点で君はかならず立ちどまり、方向を確認する。それでもなお、南へ行くはずが北へ行ってしまい、西へ行くはずが東へ行ってしまう。かならず間違うのだからと、自分の一枚上を行くつもりで、やるつもりだったことの反対をわざとやって右の代わりに左へ行き、左の代わりに右へ行ってみても、やっぱり間違った方向へ行ってしまう。どう調整しても駄目なのだ。森を一人でさまようなんて論外である。何分も経たぬうちにすっかり迷子になってしまう。屋内であっても、知らない建物へ入るたびに間違った廊下を歩き、間違ったエレベーターに乗ってしまう。レストランのような、もっと小さい閉ざされた空間でも、食事するエリアが複数あると、トイレへ行って戻ってくるたびに間違った角を曲がってしまい、自分のテーブルを探して何分も費やす破目になってしまう。決して狂わぬ内なる羅針盤を持つ君の妻をはじめ、ほかの人たちはだいたい、どこへ行っても何も苦労しないように見える。自分がいまどこにいるか、いままでどこにいたか、これからどこへ行くのか、みんなきちんとわかっている。だが君は何もわかっていない。君は永久に瞬間の中に、一瞬一瞬君を呑み込む空(くう)の中に埋もれていて、真北がどっちなのかわかったためしがない。君にとって東西南北の方位点は存在しない。いままで一度も存在したことなどない。これまでのところは小さな欠点と片付けてこられたし、取り立てて劇的な結果が生じてもいないが、いつかある日、うっかり崖っぷちの先へ歩いていってしまわないという保証はどこにもない。

(p53)

 

レストランでトイレに行って戻ってくると、自分の席がどこだったか分からなくなること、結構あります。私もかなりの方向音痴なので、この文章はかなり共感できました。

 

 二イニング目、打順が回ってきた彼女の打ったボールがレフトのはるか頭上を越えたとき、君はもう嬉しいを通り越して、ただただ唖然としていた。デン・マザーのユニフォームを着た母親がベースを一周し、ホームに帰ってくる姿がいまも目に浮かぶ。母は息を切らして、ニコニコ笑い、少年たちの喝采を一身に浴びている。君の少年時代の母をめぐって持ちつづけているすべての記憶の中で、いまも一番頻繁によみがえってくるのがこの瞬間だ。

 

 彼女はたぶん美人では、古典的な意味での美人ではなかった。けれど、部屋に入ってくると男たちが思わず見とれるような魅力、華やかさは十分にあった。純粋な意味での端麗さ、実際に映画スターであるかどうかは別としてある種の女性が有している映画スター的端麗さはなくても、彼女はそれを、特に若い時期、二十代後半から四十代前半あたりまでは、華麗なオーラを発散させることで補っていた。身のこなし、姿勢、エレガンスの神秘的な組み合わせ、着ている人間の官能性をほのめかしはしても過度に強調はしない衣服、香水、化粧、アクセサリー、スタイリッシュにセットした髪、そして何よりもその目の悪戯っぽい表情で補っていた。率直そうで、と同時に慎ましげなその表情には自信というものがみなぎっていて、世界一の美女ではなくてもあたかもそうであるかのように彼女はふるまった。そういうことをやってのけられる女性は、男たちをふり向かせることができる。だからこそ君の父方の陰気な御婦人たちは、彼女が一族を離れたあと露骨に敵意を示したのだろう。もちろん当時は困難な年月だった。延びのびになっている、だがいずれ訪れるほかない君の父との破局が訪れるまでの年月、さよならダーリンの日々。

(p126)

 

夫との関係は最後まで良好ではなかったようですが、それでも、オースターの母親が素敵な女性であることがよく伝わってきます。

 

 一時的な片思いや戯れはいくつもあったが、若いころの大恋愛は二つだけ、十代なかばと十代後半の劇的事件。どちらも悲惨な結果に終わり、その後に最初の結婚が続いてこれまた大失敗に終わった。まず一九六二年、高一の英語の授業で一緒になった美しいイギリス人の女の子に恋をしたときから始まって、間違った人物を追いかける才能が君にはあるように思えたー 手に入らないものを欲しがる才能、君に愛を返せない、あるいは返そうとしない女の子に心を捧げる才能。時おり君の知性に興味を示したり、つかのま君の体に興味を示したりする子はいても、誰一人君の心には興味を示さなかった。この二人はどちらもひどく魅力的で、破滅的な、君の心をしかと捉えた、なかば狂った女の子だった。でも君は二人のことをほとんど何も理解していなかった。君は彼女たちを捏造したのだ。きみ自身の欲求の架空の化身として二人を利用し、彼女たちが抱えている問題や生い立ちを無視し、彼女たちが君の想像力の外においてどういう人間かも理解していなかった。それでもなお、彼女たちが君から離れていけばいくほど、君はますます彼女たちに焦がれた。

(p177)

 

「君(=オースター)の心には興味を示さなかった」というところに、彼がどんな女性を求めているのかが分かる気がします。

その後の、自分が女性に対してどう振る舞ったか?という考察も冷静です。

 

 一九八〇年にブルックリンに移って以来、君自身の都市において三十一年にわたり君はその往復をくり返してきた。週に平均二、三度は行き来するから、合計すれば数千回、地下鉄で行ったことも多いが車やタクシーでブルックリン橋を行って帰ってきたことも多い。千回、二千回、五千回、何度横断したかは知りようもないが、人生でこれほど何度も行った移動はほかにない。そして橋を渡るたびにかならず、その建築の美しさに君は感じ入ってきた。この橋をほかのどの橋とも違ったものにしている、古さと新しさの奇妙な、だが全体的に悦ばしい混合。中世風のゴシック様式アーチの分厚い石が、華奢な蜘蛛の巣のごとき鋼鉄ケーブルと不調和でありながら調和している。かつてはこの橋は北米で一番高い建造物だった。自爆殺人者たちがニューヨークに来る前、君はいつもブルックリンからマンハッタンへの横断を好んだ― 左側の港の自由の女神と、前にそびえるダウンタウンの摩天楼とが同時に見えるようになる地点に達するのを待つ楽しみ。突如視界に飛び込んでくる巨大な建物群の中にはむろんツインタワーが、美しくはないがだんだんと風景に溶け込んでいったタワーがあったのであり、マンハッタンへ近づいていくなかで高層建築の作るスカイラインにはいまも感嘆するものの、タワーがなくなった現在、横断するたびに死者のことを君は考えずにいられない。自宅最上階の娘の寝室の窓からツインタワーが燃えるのを見たこと、攻撃のあと三日間近所の街路に降った煙と灰のこと、金曜日にようやく風向きが変わるまで家の窓を閉めきるほかなかった耐えがたい強烈な悪臭のことを君は考えずにいられない。あれ以来九年半、依然として週に二、三度橋を渡りつづけているものの、その移動はもはや同じではない。死者はいまもそこにいて、タワーもまだそこにある。記憶の中で死者たちは息づき、空にぽっかり空いた穴としてタワーはいまもそこにあるのだ。

(p204)

 

1869年着工のこの橋を、私も数年前初めて見ました。

もし自分が戦争前に生まれこの橋を実際に見たとしたら、こんな立派な橋を作る国と戦争するのはかなり厳しいと思うだろうな、と考えるほど、重厚で美しい橋でした。

また911の際の描写は、彼の著書『ブルックリン・フォリーズ』の続きみたいで不思議な感じでした。

 

君はドイツにいて、ハンブルグで週末を過ごしていて、日曜の朝、友人で君の本のドイツ語訳を出している出版社の社長でもあるミヒャエル・ナウマンから、ベルゲン=ベルゼンに― というよりかつてベルゲン=ベルゼンの収容所があったところに― 行かないかと誘われた。尻込みする気持ちもあったが、行きたいと君は思った。そしてどんより曇ったその日曜の朝、ほとんど車のいないアウトバーンを走ったときのことを君は覚えている。何マイルも広がる平たい土地に灰白色空が低く垂れるなか、道端の木に激突した車と、草の上に横たわった運転手の死体を君は見た。体からはいっさいの力が抜け、ひどくねじれていて、男が死んでいることは一目瞭然だった。そしてミヒャエルの車に乗った君は、アンネ・フランクとその姉マルゴットとのことを考えた。二人ともベルゲン=ベルゼンで、ほか数万の人々とともに― チフスや飢えゆえに、あるいはわけもなく殴られ殺されて世を去った何万もの人々とともに― 死んでいった。助手席に座っていると、いままでに見た強制収容所の映像やニュース映画が頭の中を流れていき、ミヒャエルとともに目的地に近づくにつれて、君はだんだん不安になって、内にこもっていった。収容所自体は何も残っていなかった。建物は取り壊され、バラックも解体され撤去されて、鉄条網の柵も消え、いまは小さな博物館があるだけだった。それはポスター大の白黒写真を並べてそれぞれに説明を添えてある平屋の建物で、気の滅入る場所、見るのも嫌な場所だったが、とにかくがらんとしてすべてが消毒済みといった印象で、戦争中ここがどんな場所だったか実感するのは難しかった。死者の存在が君には感じとれなかったし、鉄条網で囲まれた悪夢の村に詰め込まれた数千万人が味わった恐怖も感じられなかった。ミヒャエルと一緒に博物館の中を歩きながら(記憶の中ではそこにいるのは君だけだ)、収容所がそのまま残されて残虐の館がいかなる姿だったか世界中が見られたらよかったのにと君は思った。それから君たちは外に出て、かつて収容所の建物があった地面に立ったが、いまそこは草の茂る野原になっていて、美しい、手入れの行き届いた芝が四方何百メートルも広がっていた。かつてバラックや施設があった位置を示す標識があちこちに据えられていなかったら、数十年前にここで何が起きていたか想像のしようもなかっただろう。やがて君たちは、地面が少し盛り上がった草地に出た。周りより十センチばかり高くなっている、六メートルx九メートル程度、広めの部屋といった感じの場所で、一方の隅に標識があり、ここにロシア人兵士五万人が眠ると書いてあった。君は五万人の墓の上に立っていたのだ。そんなにたくさんの死体がこの小さなスペースに収まるなんてありえないことに思えた。自分の下にあるそれらの死体たちを想像しよう、これ以上はないというくらい深かったにちがいない穴の中でぎっしり絡みあっている五万人の若者たちを思い描こうと努めると、かくも多くの死、そんな小さな一画の地面に押し込まれたかくも多くの死を想って眩暈がしてきて、その次の瞬間、叫び声が聞こえたのだ― 声たちのとてつもない大波が君の足元の地面から湧き上がってきて、死者たちの骨が苦悶に吠えるのを君は聞き、痛みに吠えるのを、轟々と耳をつんざく苦しみを滝のようにほとばしらせて吠えるのを君は聞いた。大地が悲鳴を上げていた。五秒か十秒それが聞こえて、それからまた静かになった。

(p205)

 

死者が呼びかけるのを著者が聞いたのはこれ一度だけ、とありますが、確かにこれは20年以上経っても思い出すたび戸惑いそうな体験だと思いました。

 

暑い日が続くので、涼しくなるかと思って手に取ったタイトルでしたが、それが何を意味するのかは、最後の文章の締めくくり方で明らかになります。

「君」と呼びかけられているけど、オースターの思い出を辿っているので、彼のアルバムにでも入り込んだかのような、いつもと違う体験でした。

 

カバーの絵のような写真も好きです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

斉藤洋『ルドルフとノラねこブッチー ルドルフとイッパイアッテナV』

おはようございます、ゆまコロです。

 

斉藤洋『ルドルフとノラねこブッチー ルドルフとイッパイアッテナV』を読みました。

 

「ねえ、イッパイアッテナ。イッパイアッテナがアメリカにいこうと思ったのは、また、日野さんの飼いねこになるためだったのかな。ぼくが岐阜に帰ったのは、リエちゃんのうちの飼いねこにもどるためだったけど。」

「ほんとにそうか、ルド。おまえ、飼いねこにもどるために、はるばる岐阜までいったのかよ。」

「もちろん、そうだよ。」

「そうかな。おれは、そんなんじゃないと思ってるぜ。」

「そんなんじゃないって、じゃあ、どんなんだよ。リエちゃんちの飼いねこにもどる以外、どんな目的があるんだ。」

「おまえはよ、ルド。リエちゃんの飼いねこにもどるとか、そういうんじゃなくて、ただ、リエちゃんにあって、なんていうか、ぎゅっとだっこしてもらうために帰ったんだろ。飼いねこにもどるとかもどらないとか、そのさきのことなんか、考えてなかったろうが。」

 そういわれて、ぼくはことばがなかった。

 たしかにぼくは、飼いねこにもどるとか、そういうことじゃなくて、ただ、リエちゃんにあいたくて、それで岐阜に帰ったのだ。

 ぼくがだまっていると、イッパイアッテナがぽつりといった。

「おれだって、そうだよ…。」

(p96)

 

飼い主と離れてしまったねこが、再び飼い主に会いたくて行動するとき、再会できた後どんな未来を望んでいるのか?なんて考えると、想像しただけで胸が切なくなってきます。

 

 

だれにもいってないけど、このごろまた、ぼくはリエちゃんのことを思い出す。

 ぼくがいなくなって、リエちゃんは一年待って、つぎのねこを飼った。その一年のあいだ、ぼくは岐阜に本気で帰ろうと思ったら、帰れていたと思う。なにがなんでも帰ろうというんじゃなかったから、帰らなかったのだ。だから、帰れなかったのじゃなくて、帰らなかったのだ。これは、とても重要なことだ。

 ぼくが帰らなかったのだから、リエちゃんがつぎのねこを飼ったことについては、ぼくに原因がある。だから、ぼくはリエちゃんにもんくをいうことはできない。だから、もんくをいったことはない。

 たとえば、ぼくがイッパイアッテナにリエちゃんのことでもんくをいったら、イッパイアッテナは、

「そりゃあ、おまえ。そんなこと、いえた義理じゃねえだろうが。」

というだろう。

 だけど、たぶんぼくは、心の奥底では、もんくをいいたいんじゃないだろうか。

「なんで、もうちょっと待ってなかったんだよ。」

って。

 それから浅草で偶然リエちゃんにあったとき、ぼくはリエちゃんだとわかったけど、リエちゃんはぼくがわからなかった。

 あのとき、リエちゃんといっしょにいた女の子がぼくを見て、

「あのねこ、リエちゃんちのルドににてるやん。」

といったとき、リエちゃんは、

「ちょっとにとるけど、うちのルドのほうが、もっとかわいいやん。」

といった。

 うちのルドというのは、ぼくがいなくなってからもらわれてきたぼくの弟だ。

 まさかぼくが東京にいるなんて、リエちゃんはそれこそ夢にも思ってないだろうから、ぼくがルドルフだということに気づかなくても無理はない。ぼくはよそのねこなのだ。よそのねこより、いま飼っているねこのほうがかわいくても、それはふつうのことだ。だから、これについても、ぼくはもんくをいうべきではない。

 だけど、やっぱりぼくはもんくをいいたいのだ。

「なんで、ぼくに気づかないんだよ。なんで、ぼくのほうがかわいくないんだよ。」

って。

 ぼくはイッパイアッテナやブッチーやデビルにはいってないし、これからもいうつもりはないけど、ほんとうは、心の奥底では、リエちゃんを許してないのだと思う。

 だから、ブッチーだって、もとの飼い主に対しては、複雑な思いがあるはずなのだ。

(p100)

 

ルドルフが本当は元の飼い主であるリエちゃんを許していない、という文章を上記で読んだ時、やっぱりなと思うと同時に、ほっとした気持ちにもなりました。

野良猫になるという道を自分で選んだとはいえ、彼を大事にしてくれたリエちゃんが違う猫と暮らしている現実を見たとき、どんなにショックだったかを考えると、表向きには彼女を恨んでいないと言っていたって、辛過ぎるだろうと思っていたからです。

なので、本音が聞こえて何だか安心しました。

 

…イッパイアッテナはブッチーを見てきいた。

「ところで、金物屋の苗字はなんていうんだ?」

「苗字って?」

ブッチーにききかえされ、イッパイアッテナがいった。

「だから、苗字だよ。このうちは日野っていうのが苗字で、デビルの飼い主は小川だ。そういうやつだよ。太郎とか一郎とか、そういう名まえのまえについているやつだ。」

「あ、それなら金物屋かな。」

「ばかいってるんじゃねえよ。そりゃあ、商売だろ。苗字だよ、苗字!池田とか川上とか、そういうやつ。」

「そんなのあったかなあ。」

「あったかなあじゃねえよ。人間には、だいたいあるんだよ。」

「だいたいあるなら、ないやつだっているだろ。うちのおやじにあったかなあ。だいたい、商店街じゃあ、金物屋でとおってたし。」

「なんだ、おまえ。飼い主の苗字も知らなかったのか。しょうがねえな。」

「しょうがねえなあっていわれても、しょうがない。」

ブッチーはそういってから、ぼくを見た。

「おまえのリエちゃんも、苗字、あったか?」

きゅうに話をふられ、ぼくは、

「えっ?」

といってから、考えた。

 リエちゃんの苗字……。

 ぼくはイッパイアッテナを見ていった。

「ぼくも、リエちゃんの苗字、知らないけど……。」

「えーっ!」

 イッパイアッテナは、のけぞりそうになっておどろいた。

「おまえも、飼い主の苗字、知らなかったのか?」

「だって、苗字なんかわからなくても、こまらなかったし。ねえ、ブッチー。」

ブッチーに同意をもとめると、ブッチーも賛成した。

「そうだよ。苗字なんて知らなくても、こまらなかった。そんなこというなら、タイガーはどうなんだよ。日野っていうのがタイガーの苗字か?日野タイガー?それじゃあ、トラックの名まえみたいだし、タイガー日野なら、プロレスラーみたいじゃねえか。」

「ばかいってるんじゃねえよ、ふたりとも。ねこはいいんだよ、苗字なんかなくたって。ねこの話じゃねえ。人間のことだ。まあ、わかんねえものはしょうがない。じゃあ、名まえは、金物屋の名まえはなんていうんだ?」

「名まえかあ……。」

とつぶやいたところをみると、ひょっとしてブッチーは飼い主の名まえも知らなかったのだろうか。

 ぼくはなんだか悪い予感がした。その予感は的中した。

(p123)

 

まあ、猫が飼い主の名まえも苗字も知らなくても、不思議はない気がします。しかしこの状態で、年賀状から元・飼い主の現在の所在地を探すというのがすごい。

 

 はがきの半分以上は写真で、その下に、こう書かれていた。

<三か月まえに、こちらに引っ越してきました。いまは妻の実家をてつだって、こんなことをしています。ごらんのとおり甲州名物のほうとう屋です。店の特徴を出すために、ふつうのほうとうのほか、お正月からは、中華ほうとうというものをメニューにのせます。これは、わたしが考えだしたものです。東京のわたしの店があった場所にできた中華料理屋に何度かおじゃまして、スープや餃子の作りかたを伝授してもらって作りました。ぜひ、おいでください。>

 そして、その下が住所と名まえだ。

 住所は、郵便番号400のあとが0017、甲府市屋形三丁目。そのあとにこまかい番地がある。ぼくはそれをぜんぶおぼえた。

 ぼくと最初にあったとき、イッパイアッテナは、

「三丁目なんて日本全国に数えきれねえほどあらあ。」

といったけど、たしかにそうだ。

 金物屋さんの苗字と名まえが会澤清一(カイナントカキヨイチ)ということと、奥さんが良枝(ヨイエダ)という名まえだということもわかった。住所の下に、ふたつならんで書かれていた。澤という字は読めなかったから形をおぼえた。

 文章はけっこう小さい字で書かれていて、長い。

 ぼくはこれも暗記した。もちろん、ブッチーに内容を教えた。

(p194)

 

どうして会澤さんのお家はこんなにしっかり設定されているのか謎ですが。

それよりも、人の家のこたつの上にある年賀状ファイルを、ちょっと見てもいいかとそこの家の猫に聞くルドルフが可愛い。

文面を覚え、なおかつ読めない字の形を覚えるというのがすごい。読み間違いも可愛い。

大学とか図書館とかの近くを通るたびに気にしちゃって、ほんとに勉強好きなんだね、と、ほほえましくなりました。

この少し前に、ルドルフが『ポケット版ことわざ辞典』を拾って、口で運んできたというシーンも、想像すると身もだえします。「おまえポケットなんてあるの?(笑)」とブッチーにからかわれるのもかわいい。

 

この後、電車に乗って(!)甲府まで行くのに、人が多いから乗り換えは新宿ではなく御茶ノ水がおすすめ、というイッパイアッテナのプレゼンがちょっと面白いです。

 

杉浦範茂さんの描いた前述の年賀状のイラストと、甲府駅からの地図が面白くて、子供のころ、こういう細かい挿絵のある本が好きだったなあとしばらく眺めました。

 

久々の続刊でしたが、話の展開は初期の頃に近く、とても良かったです。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

 

 

ヴァレンティナ・キャメリニ『グレタのねがい』

おはようございます、ゆまコロです。

 

『グレタのねがい』ヴァレンティナ・キャメリニ、杉田七重(訳)を読みました。

 

 みんながグレタにインタヴューをしたいといってきて、世界中から集まったジャーナリストが山のような質問をグレタにぶつける。ストライキをしようというのは、どこから思いついたの?ご両親や先生はどう思っている?15歳の女の子が環境に興味を持つようになったきっかけは?

 グレタは質問にすべてこたえていった。ただし自分自身のことについてはあまり話したくなかった。話題としては地球の問題のほうが、自分のことよりよっぽど重要だし、人々も関心を持っている。それでもグレタはテレビ放送に出演し、スウェーデンの都市数か所で行われた会議にも参加した。

 知らない人を大勢相手にするのは気疲れするものだが、グレタは問題は深く理解していたから、気候変動に関することは、なんでも明確に話すことができた。

 そんなわけで数年もすると、グレタは気候問題の専門家と変わらないまでになった。

 アメリカの有名な雑誌『ニューヨーカー』がグレタにインタビューし、記事のなかで、温室効果ガスは減ってきていると書いたときには、迷うことなく、それはまちがっていると指摘した。有名な雑誌の記者が書いたものであろうと、真実でないことを書くのはまちがっている、正直にならないといけないとうったえた。

 地球温暖化は複雑な問題で、これを語るときには、あらゆる種類の統計が引き合いに出される。政治家は自分にとっていちばん都合のいい統計をつかって、事態は改善されてきているように見せかけ、事実の深刻さを覆いかくすことが多い。

 けれど、人々には真実を知る権利がある。ほんとうは大変なことになっているのに、大丈夫だと自分をだますのは、子どもじみている。

 そのことを大人の政治家に教えたのが、15歳の子どもだったというのは、まったく皮肉なことだった。

(p50)

 

自分のことよりも重要なことを話したいと思っているのに、そうさせて貰えない状況は相当なストレスが溜まりそうです。

 

 熱心な活動家と同じように、グレタもヨーロッパ中を旅して、環境を守るためのストライキを組織し、スピーチ原稿を書いたり、プレゼンテーションの準備をしたりする。何千人もの人たちをまえにスピーチをするには、あらかじめ下調べが必要で、大事な情報をもらすことなく、たくさんのことについて細部までくわしく知っておかねばならない。それもときには外国語でスピーチをするのだから、準備はほんとうに大変だった。

   しかもやるべきことはそれだけではすまない。いまや有名人となったグレタは、世界じゅうのジャーナリストからインタビューを受けてもらえないかといわれ、有名なリポーターたちはグレタ自身のことや、グレタが考えていることについて、すべてを知りたがった。自分のことを話すのはあまり気が進まなかったが、インタビューは受けることにした。それによって環境問題が新聞の一面にのり、世間の関心を高めることができるからだ。

 これらにくわえて、グレタには、大人の活動家にはない務めもあった。15歳の女の子が当然やるべきことだ。学校の宿題をやり、授業でもみんなに遅れをとらないようにしなければならない。グレタはまた学校に通いはじめ、金曜日だけ学校を休んでストライキに出かけるようになっていた。さらに毎週末には町の中心に出ていって抗議活動をする。雨が降ろうと雪が降ろうとおかまいなしに出ていき、厳しいスウェーデンの冬をものともせず、どんなに寒くて暗い日でも外に出ていった。

 朝早くから夜遅くまで、集中して取り組むべきことが山ほどあった。妹のベアタや両親、それに2匹の飼い犬と過ごす時間もあまりなくなった。眠る時間さえ十分にとれなくなった。グレタは毎朝6時に起きて、新しい一日とむきあう。疲れを感じたときには、三つ編みの少女である自分がここまで有名になった原因を思い出し、深く息を吸ってまたまえへ進んでいく。

 グレタがまた学校に通うようになって、優秀な成績を収めているので、両親は安心して娘を支援することに決めた。

(p67)

 

この努力、本当に頭が下がります。

疲れている時の彼女を想像すると切なくなりますが、それを傍に置いておいても動かなくてはならない、と思うような事柄が果たして自分の境遇にあっただろうか?と考えると、ぼんやり生きている感に苛まれます。

 

若い女性たちに導かれて、若者が自分の考えをはっきり表明する。それには心を大きくゆさぶられます」とパリの市長、アンヌ・イダルゴがいっている。

 自分を批判する人に対して、グレタはこうこたえている。

「大事なのは、気候の変動について研究する科学者や学者の言葉に耳をかたむけて、問題に対する正しい知識を得ることであって、わたしが学校を休んでいることではありません。それは重要ではありません」

 環境活動家として有名になったグレタは、アスペルガー症候群についても、よりよい理解がなされるようにつとめている。グレタのようにアスペルガー症候群と診断された子どもは、新しい友だちをつくりにくく、人と接したり、おしゃべりをしたりするのが苦手といわれるが、ときにすごい才能を発揮することもある。グレタが身をもってそれをしめした。

(p86)

 

彼女自身も学校を休むことはいいことではないと思っているけれど、休んで抗議活動をしなければならないほど環境問題が危機的な状況にある、と常に声を上げ続けています。そんな姿勢を見ていると、こちらももっと現実を受け止めなくてはならないと思わされます。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

 

 

エアライン研究会『飛行機に乗るのがおもしろくなる本』

おはようございます、ゆまコロです。

 

エアライン研究会『飛行機に乗るのがおもしろくなる本』を読みました。

 

温室効果ガスのことを考えると、飛行機が与える影響から何となく面目ない気持ちになったりもするのですが、それでもやっぱり飛行機が好きです。

初めて訪れる空港はテンションが上がります。離陸時も着陸時も好きだし、機内で地図を眺めるのも楽しいし、空港で待つ時間や飛行中に読む本を何にしようかと準備するのも好きです。

 

座席表示のアルファベットになぜか「I」が抜けているワケ

 

 Aから順にアルファベットをふっていけばHの次はI なのだが、実際の座席を見るとI がなくていきなりJに飛んでいるのだ。

 これは、世界中のどの飛行機の座席でも同じのようだが、なぜI が抜けているのだろうか。

 じつは、アルファベットのI は、数字の1と混同しやすいということから抜かしているのだ。たとえば、搭乗券に「11I」と書かれていたら、「111」と見間違える人もいる。そういう間違いを避けるために、アルファベットのI は座席番号には使わないのだ。

 航空会社によっては、Aの次にBではなく、Cがつけられている場合がある。これはBが数字の13と混同しやすいからである。(p56)

 

全然気にしたことはなかったけど、この項目を読んだ直後に飛行機に乗った際に見てみたら、たしかにI の座席がなかったです。

 

融通が利かないと思っていた機内食に特別メニューがあるってホント?

 

 特別メニューを頼むには、出発の24時間前までに航空券の予約受付に申し込めばいい(一部の食材は72時間前)。旅行会社で予約した場合や、パックツアーの場合は、旅行会社に申し込む。特別メニューの種類はエアラインによって異なるので、予約をするときに聞いておくといいだろう。

 各社とも、用意している特別メニューは、宗教上の問題、健康上の理由、菜食主義者、赤ちゃん、子どもなどを配慮したものだ。

 宗教上の問題を配慮した食事では、豚肉を口にしないイスラム教徒のためのイスラム教徒食、牛肉がタブーのヒンズー教徒食、ユダヤの掟によって調理、祈祷され、封印して搭載されるユダヤ教徒食がある。菜食主義の人のためには、主義の違いも考慮して卵と乳製品が入っているベジタリアンミールと、卵・乳製品も入っていないピュア・ベジタリアンミールが用意されている。

 健康上の理由を配慮したメニューには、糖尿病食、低コレステロール・低脂肪食、低カロリー食、低塩食、アレルギー対応食などがあり、じつに細やかな心配りがされている。(中略)

 まさに至れり尽くせりのメニュー。ほかの機内食が配られる前にサービスされるので、待たされることもないし、味もいいと評判だ。一度注文してみてはいかがだろう。

(p68)

 

惜しいことに今のところは特に配慮して頂く状況に無いのですが、「早く配られる」というところに、いいなと思ってしまいました。

 

なぜ離着陸のとき耳が痛くなるのか?

 

 鼓膜の内側には、中耳腔(ちゅうじこう)という小さな部屋があり、耳管(じかん)によって喉頭(こうとう)につながっている。耳管が解放すると、外部の気圧と中耳腔の気圧が一定に保たれる。ところが、離着陸のような急激な気圧の変化があると、耳管が閉じたままになってしまうのだ。

 そのような場合は、ツバを飲み込んだりあくびをするといい。耳管が一時的に解放されるので、空気が中耳腔に送られ、鼓膜の外と内が同じ気圧となり、へこんでいる鼓膜を正常に戻すのである。

 ところが、喉頭に炎症を起こしている場合には、耳管周辺の鼓膜が腫れて、耳管が詰まった状態になる。こうなると、あくびくらいでは鼓膜が正常な位置に戻らなくなる。

 これは航空性中耳炎といって、重症になると激しい耳の痛みや耳鳴りがしたり鼓膜が破れたりする。やっと現地に着いても、その後の飛行機での移動を禁止されるケースもある。

 鼻や喉頭に炎症を起こす最大の原因は、風邪や花粉症などのアレルギー性鼻炎である。そういうときは、なるべく飛行機に乗らないようにするといいのだが、旅行や出張をキャンセルできない場合は、ちょっとした工夫で自衛することができる。

 アメをなめたり、ガムをかんだり、水を一気にゴクンと飲むと、耳管に空気が通りやすくなる。また、首を左右に、あごを上下に大きく動かすのも効果がある。バルサルバ法といって、スキューバダイビングなどでおこなわれる、いわゆる"耳抜き"をしたり、点鼻薬を鼻に噴霧すると、なおいい。

 そして、眠っているとツバを飲む回数が極端に減ってしまうので、着陸前には目を覚ましておくのが航空性中耳炎から身を守るコツである。

(p98)

 

搭乗時にアメを貰うことがあるのは、こういう意味もあるのかな?と思いました。

しかし、ゆまコロは搭乗前→フライト中に興奮しているのが良くないのか、着陸前はしっかり寝ていることが多いので、気をつけようと思います。

 

遠出をするのが難しい今、旅行気分で読みました。

時差ボケを防ぐ方法や、事故に遭っても助かりやすい座席の考察など、飛行機が怖い人にも有益な情報が多いと思います。(嫌いな人はあまり手にとらないかも知れませんが。)

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

飛行機に乗るのがおもしろくなる本 (扶桑社文庫)

飛行機に乗るのがおもしろくなる本 (扶桑社文庫)

  • 発売日: 2007/11/01
  • メディア: 文庫
 

 

 アップグレード版も出ているようです。

 

ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『ブルックリン・フォリーズ』を読みました。

 

  その家族ディナーを、私はきわめて暖かい場として記憶している。誰もがグラスを掲げ、トムの成功にお祝いの言葉を述べた。私が彼の歳だったころには、まさに彼が選んだような道を歩みたいと思っていたものだ。彼と同じく、私も大学で英文学を専攻した。そしてさらに、文学を引き続き学ぶか、ジャーナリズムに挑戦するかといった夢をひそかに抱いていたが、私にはそのどちらを追求する勇気もなかった。人生が邪魔に入ったのだー 二年間の兵役、仕事、結婚、家庭を持った責任、より多くの金を稼ぐ必要。自分の思いを打ち出す度胸のない人間をじわじわ引っぱりこむ泥沼だ。それでも、本に対する興味は失わなかった。読書が私の逃げ場、慰め、癒し、わがお気に入りの興奮剤だった。読むことがひたすら楽しいから読み、著者の言葉が頭のなかで鳴り響くときに訪れる快い静けさを求めて読んだ。トムも前々から本へのこうした愛情を共有していたから、私は彼が五歳か六歳のときからはじめて、年に何度か本を送ってやるようにしていた。

(p22)

 

本が好きで本の話ができる人が身近にいるというのは、本好きにとっては幸せなことだと思います。

読んでいて、「人生が邪魔に入ったのだ」の箇所は、人生に邪魔が、の間違いかと思いましたが、本書の通りです。

 

 トムもハリーと話すことを楽しんだ。実に剽軽で率直な人物で、辛口の科白を連発し、途方もない矛盾を平然と抱え込み、次にその口から何が出てくるのか見当のつけようもなかった。見た目には、ニューヨークによくいる、老いかけたゲイというだけに思える。表向きのごてごてした装い― 染めた髪と眉、絹のスカーフ、ヨットクラブ風ブレザー、お姐(ねえ)言葉― もまさにそういう印象を強めるよう計算されていたが、少し人となりを知るようになると、実は鋭敏で挑発的な人物だった。たえず攻め立ててくる様子にはどこか刺激的なところがあって、射るような、突くようなその知性を前にすると、次々浴びせてくる狡猾な、ことさらに個人的な質問に対し、よしこっちも気のきいた答えを返してやろうという気にさせられる。ハリーを相手にしているときは、ただ返事をするだけでは決して十分でない。返す言葉に何らかの火花が、自分が単に人生の道をぼんやり歩んでいる薄のろではないことを証明する熱い泡立ちがなくてはならないのだ。当時のトムには、自分がまさにそういう薄のろと思えていたから、ハリーとの会話で互角を保つにはとりわけ気合いを入れてかかる必要があった。それがまた、彼との対話で一番そそられるところでもあった。もともと速く考えるのは好きだったから、いつもとは全然違う方向に考えを推し進めることも、つねに即応できる態勢を強いられることも気持ちがよかった。(p42)

 

ハリーはトムが出勤前に時間つぶしをしていた古本屋の店主ですが、彼のお店にすごく行ってみたくなります。

 

ネイサン  内なる逃避だよ、ハリー。現実世界がもはや不可能になったときに人間が行く場所だよ。

ハリー  ああ。前にはあたしにもそういうのがあった。誰にでもあるんだと思ってたよ。

トム  そうとは限りません。それなりの想像力が必要だから。それがある人間って、どのくらいいます?

ハリー  (目を閉じて、両の人差指をこめかみに押しあてて)何もかも思い出してきた。ホテル・イグジステンス。あたしはまだ十歳だったけど、そのアイデアが浮かんだ瞬間のこと、その名前を思いついた瞬間のことはいまも覚えてるよ。戦争中で、日曜の午後だった。ラジオがついていて、あたしはバッファローのわが家の居間にいて、『ライフ』に載ったフランスに行ってるアメリカ軍の写真を見てる。ホテルなんて入ったこともなかったけど、母親に連れられて街へ行く途中にいろんなホテルの前をさんざん通ってたから、そこが特別な場所で、日常の汚いもの嫌なものから人を護ってくれる砦だってことはわかってた。<レミントン・アームズ>の前に立ってる青い制服の男たちがあたしは好きだった。<エクセルシオール>の回転ドアの真鍮の把手(とって)の色つやも好きだった。<リッツ>のロビーに下がってる巨大なシャンデリアも好きだった。ホテルの唯一の目的は人を楽しませ、快適にすることであって、ひとたび宿帳にサインして自分の部屋に上がったら、あとはもう、頼めば何でも与えてもらえる。ホテルとはよりよい世界を約束する場だったのよ― 単なる場所以上の場所を、自分の夢のなかに生きるチャンスを。

ネイサン  ホテルってのはそれでわかった。存在(イグジステンス)って言葉はどこで見つけた?

ハリー  その日曜の午後にラジオで聞いたのよ。いい加減に聞き流してるだけだったけど、とにかくその番組で誰かが人間の存在の話をしていて、響きが気に入ったのよ。存在の掟とか、存在のただなかで人が直面する危険とか言ってたよ。存在というのは単なる生よりもっと大きい。すべての人間の生を足した総和であって、たとえあんたがニューヨーク州バッファローに住んでいて家から十キロ以上離れたことがなくても、あんたもそのパズルの一部なんだ。あんたの生がちっぽけであっても同じこと。あんたの身に起きることは、ほかのみんなの身に起きることと同じく重要なだよ。

トム  まだわかりませんね。あなたはホテル・イグジステンスという場所を思いついたわけだけど、それってどこにあるんです?何のためにあるんです?

ハリー  何のため?べつに何のためでもないのさ。それは隠れ家だったんだよ、心のなかで訪ねていける場さ。そういう話じゃなかったのかい?逃避っていう。

(p145)

 

なぜこの場面だけ脚本のようになっているのか、若干気になりますが。

このあとネイサンがとある素敵な場所を偶然訪れ、ここがハリーの言う「ホテル・イグジステンス」的な場所なのではないか?と思うシーンがあります。そこでの日々の描写が素敵なので、ここでご紹介するのは控えます。

 

 愛に関してかくも多くの肯定的展開が見られたいま、われらがブルックリンのささやかな一画にはあまねく幸福が広がったものと読者は思われるかもしれない。ああ、しかし、すべての結婚が生きのびる運命にはない。そのことは周知の事実である。とはいえ、誰が想像できただろう、この数か月間この界隈でもっとも不幸な人物は、トムのかつての憧れの人、美しき完璧な母親であったとは?たしかにプロスペクト公園の林で会ったとき、彼女の夫に私は感心しなかったが、まさか妻の愛情を当然視するほど馬鹿だとは思わなかった。この世にナンシー・マズッケリほどの女性はそうざらにいない。そういう女性の心を勝ちとる幸運に恵まれたなら、以後その男の仕事は、彼女の心を失わぬよう全力を尽くすことである。だが男たちは(この本の各章でこれまで再三示してきたように)馬鹿な生き物であり、美青年ジェームズ・ジョイスは大半の男以上に馬鹿だったのである。(p354)

 

この辺り、オースターの男性に対する悲観的な書き方が面白いです。

ナンシーはどんな姿をしているのだろうと、いろいろ想像しました。本書で最も幸せになってほしいと思った人物です。

 

 四時間ごとに血液検査の結果が出て、いずれもシロだった。午前中にジョイスが来て、トムとハニーが来て、オーロラとナンシーが来たが、みんな数分で帰らされた。午後早くにレイチェルも顔を出した。みんな開口一番、同じことを訊いた― 気分はどう? そして私もつねに同じ答えを返した― 大丈夫、大丈夫、心配しなくていいよ。もうそのころには痛みも消えていたし、ひょっとしたら五体満足でここから出られるかもしれないという思いがだんだん強まっていった。間抜けな冠動脈梗塞で死ぬためにガンを生き延びたんじゃないからね、そう私は言った。馬鹿げた発言と言うほかないが、日が進んでも血液検査の結果が依然シロのままなものだから、今回は見逃してやろうと神が決めたことの論理的証拠として私はその検査結果にすがりはじめた。昨夜の発作は単に、お前の運命は私たちが握っているのだぞという神々の意思表示にすぎないのだ。そう、私はいつの瞬間にも死にうる。そして、そう、リビングルームの床に倒れてジョイスの腕に抱かれていたときはいまにも死ぬものと信じた。死すべき運命とのこうした接触から何か学ぶべきことがあるとすれば、それは、もっとも狭い意味での私の生はもはや私自身のものではないということだ。あの恐ろしい、炎のごとき発作のあいだに体を貫いた痛みを思い出すだけで、いま私の肺を満たしている一息一息が、それら気まぐれな神々からの賜物であることを私は理解できる。これ以降は、心臓の鼓動一つひとつが、恣意的な恩寵を通して私に与えられるのだ。(p440)

 

息をしているのは当たり前ではないという事実が、重みを持って伝わってきます。

 

ところで、最近ゆまコロは本や映画でシェイクスピアの言葉を発見した際に、記録していこうと思いました。(シェイクスピア作品が好きなため。)

今回、本書で見つけたシェイクスピアの言葉はこちら。

 

 プロジェクトを「書」とは呼んだが、実のところ書物なんて代物ではなかった。メモ帳、そこらへんに転がった紙切れ、封筒の裏、クレジットカードや住宅リフォームローンなどのジャンクメール等々、手当たり次第何にでも書く。要するにランダムな書き殴りの集大成、たがいに何の関連もない逸話のごたまぜであり、話がひとつ書きあがるたびに段ボール箱に放り込むのだ。狂気ではあれ筋は通っている、とはハムレットについての言葉だが、私の狂気にはほとんど何の筋も通っていなかった。

(p12)

 

上記の出典はこちらです。

 

ハムレット  なか?誰と誰とのなかだ?

ポローニアス  その、いまお読みになっておられる本の、中味のことをおうかがいしておりますので。

ハムレット  (ポローニアスにのしかかるようにする。ポローニアス、たじたじとして退く)悪口だ。こいつ、なかなか辛辣な男で、こう書いている。老人とは白きひげあるものの謂(い)いにして、顔中しわだらけ、眼より濃き琥珀色の松脂流出し、頭脳の退化はなはだしく、あわせて膝関節にいちじるしき衰弱を示す― 一々ごもっとも、まさにそのとおり、それにしても、こう身も蓋もなく書いてしまっては、徳義に反するというもの、そうではないか、お前にしても、このハムレットとおない年くらいにはなれようかもしれぬ…もし、蟹のようにうしろむきに這うことができればな。(ふたたび本を読みはじめる)

ポローニアス  狂気とはいえ、ちゃんと筋がとおっておるわい。ええ、ハムレット様、外気はお体に障ります。おはいりになっては?

ハムレット  自分の墓穴にな。

ポローニアス  なるほど、妙案、そこならたしかに外気は防げる。ときおりみごとな返答、さっきからやられてばかりおるわい!気ちがいの一得というやつ、正気の理性には思いもつかぬ名言がとびだしてくる。

福田恒存(訳)、新潮文庫、p63)

 

(最初に読んだ時は特に何も思わなかったけれど、年を重ねるにつれだんだんこのポローニアスという人物の科白の数々が好きになってきました。息子に対してくどい位忠告してしまうところが特に好きです。)

 

全体を通して、オースター作品にしては、まあまあ明るい方かなと思いました。

彼の作品を読んでいると、読み手であるこちらがよく遭遇する、打ちのめされ感や凹まされ感も、少な目だと思います。

ただ、物語が終わった後の世界がどうなるか、それを想像すると後味が悪くなる感じは『ティンブクトゥ』とちょっと似ている気がします。

 

ネイサンが作中でイタロ・ズヴェーヴォにはまっているので、私も彼の本を読んでみたくなりました。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

『麒麟がくる 明智光秀とその時代』

おはようございます、ゆまコロです。

 

自粛期間中、大河ドラマを見て過ごしました。

これまでほとんど見たことはなかったのですが、初めから順に見ていくと、時代の流れや人物の働きが分かって面白いなと思いました。

特に、日本史が弱かった自分にはとてもいいツールだと思いました。

学生の時に見ておけば良かったのでは…、との思いが頭をよぎりますが、今更どうしようもありません。

 

ドラマの続きが楽しみになったので、関連書籍を読みました。

読んだのはこれです。

明智光秀とその時代』(NHK大河ドラマ歴史ハンドブック)。

 

 (前略)天下人の信長から強い信頼を得ていた光秀や明智家を、謀反にかりたててしまった要因とはなんだったのだろうか。実は、畿内地域の守衛の役割を基盤に権勢を誇っていた明智家だったが、その一方で織田家を取り巻く情勢変化の中で、その立場や今後の行く末に影響のおよぶ事態が起きていた。その一つが、近年注目される織田家の四国対策だ。

 

 もともと織田家の四国対策は、敵対する阿波三好家(三好長慶(ながよし)の弟実休(じっきゅう)の系統)の対応として進められていった。そのなかで、やがて織田家は、土佐国高知県)の平定を進め阿波三好家と対立していた長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)と手を結んでいく。この織田・長宗我部両家の通交で交渉担当役(取次)を務めたのが、光秀の率いる明智家だった。光秀は、この織田・長宗我部両家の通交にあたり、重臣斎藤利三(さいとうとしみつ)の実兄で室町幕府奉公衆(ほうこうしゅう)・石谷(いしがい)家の養嗣子頼辰(よりとき)の義妹が元親の正室にあったという関係を活用して奔走した。この奔走の結果、織田・長宗我部両家は阿波三好家への対策を目的に通交を展開していった。

 

 ところが、天正八年(一五八〇)になると阿波三好家が反織田勢力として提携していた大阪本願寺が降伏し、さらには安芸(あき)毛利家も次第に劣勢に追い込まれていった。そのうえ翌天正九年には、池田元助(もとすけ)・羽柴秀吉(はしばひでよし)の軍勢に淡路島を制圧されるという周辺情勢に至ってしまう。この事態を受け、阿波三好家は織田家に服属を示した。

 この結果、阿波三好家の勢力範囲だった阿波・讃岐両国(徳島・香川両県)が、織田家の勢力圏に組み込まれることになった。そして同時に、阿波国へ勢力を伸張していた長宗我部家と織田家の勢力圏が接触する事態が起きてしまう。この事態に、信長は元親に阿波国からの撤退を求め、土佐国のみの領有を認めた領土解決策(国分(くにわけ))を提示する。だが、この信長の解決案は、これまで阿波国へ勢力の伸張を進めていた長宗我部家と配下の諸将には、そう簡単には従い難いものがあった。こうした織田・長宗我部両家の間で生じた事情が、両家の関係を悪化させ、遂には天正十年(一五八二)六月を予定とした信長の三男・信孝(のぶたか)を総大将に擁した四国出兵の実施へと事態を発展させてしまう。

 

明智家の事態打開策としてのクーデター

 こうした四国情勢の展開は、これまで織田・長宗我部両家の通交に奔走してきた明智家に、畿内地域の守衛活動、さらには今後の織田家内部における発言力に影響をもたらしていった。このため光秀は、元親と婚戚関係にある石谷頼辰・斎藤利三の兄弟に信長の要求した解決案に応じ、織田家との関係を維持するよう説得にあたらせる。この説得を受け、元親は天正十年五月二十一日には、信長の解決案に概ね応じる意向を示した。

 

 だが、この時信長から中国出兵を命じられていた明智家には、四国出兵へと舵を切った動きを変えさせることは難しかった。それは、信孝を擁して四国出兵を求める側との政争に敗れて、担当を外され挽回の機会を喪失した状況にあったためだ。こうした明智家に起きていた四国対応を含む情勢変化とそれに伴う織田家内部における対立の展開が、これまで天下の守衛を担い威勢を保ってきた明智家の行く末を光秀やその周辺に不安視させる大きな要因となっていく。本能寺の変は、そのなかで光秀らが最終的に選んだ事態打開策として起きたということになろう。

(柴裕之、東洋大学非常勤講師。p105)

 

これまで織田家の四国対策について、ほとんど知りませんでした。

謀反の理由については諸説あるようなので、他の説も調べてみたいです。

 

他にも、大河ドラマで取り上げられた光秀像がいろいろ紹介されていますが、その中で「国盗り物語」が面白そうだと思いました。 

 

 高度経済成長期が始まると、織田信長は時代を切り開くイノベーターとして描かれるようになる。このイメージを広めたのが、信長を「何が出来るか、どれほど出来るか、という能力だけで部下を使い、抜擢し、ときには除外し、ひどいばあいは追放したり殺したり」もする「すさまじい人事」を断行する武将とした司馬遼太郎国盗り物語』である。家臣を信賞必罰で使い効率を最優先する信長は、大量生産した製品を輸出して国を安定させた戦後の企業経営者になぞらえていた。これに対し光秀は、足利幕府の復興、古くから伝わる文化といった伝統的な価値観を重視する武将として描かれている。司馬が、「信長=改革」VS「光秀=伝統」という図式で物語を進めながら、改革路線を一方的に正義としなかったのは、一国の価値は経済だけでは計れないとの想いがあったからではないだろうか。

(末國善己、文芸評論家。p135)

 

本書はたくさんの人がいろんな観点から寄稿しているので、難易度や文体も様々で、すいすい読める記事もあればそうでないものもあり。なんとなくゼミの報告書みたいな印象です。

でも「光秀の同時代武将 最新情報」など、用語集的に調べられるので重宝しました。

ドラマの続きを楽しみに待ちたいと思います。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

 

 

太田肇『「承認欲求」の呪縛』

おはようございます、ゆまコロです。

 

太田肇『「承認欲求」の呪縛』を読みました。

この本で、なるほどな、と思ったのは以下の部分です。

 

 「大事な試合の前に故障」は正常な自己防衛

 認められたらそれに縛られ、承認を手放せなくなる。そして苦しむ。多くの人は、そのことを経験的に学んでいく。なかには、そうした事態に陥らないため、あらかじめ自己防衛の行動をとる人もいる。一つは、過大な評価を受けないよう、わざと自己評価を下げようとする行為である。

 代表的なものとして、「セルフハンディキャッピング」という行為があげられる。

 たとえば、大事な試合の前には、必ずといってよいほど体のどこかを痛めたとか、体調が悪いといったふりをする人がいる。わざと周囲に期待を抱かせないようにしているのだ。「けがをしているのだから勝てないだろう」と思わせたいわけである。これといった大きな故障がないにもかかわらず、いつも手や足にサポーターを巻いたり、体に絆創膏を貼ったりしているスポーツ選手は、もしかすると「期待しないでください」というメッセージを送り続けているのかもしれない。(中略)

 わざと無能を装ったり、「ワル」ぶったりして自分の値打ちを下げる行動をとる場合もある。素直な優等生だった子が思春期になって突然、髪を赤や黄色に染めたり、乱れた服装でうろついたりするようになることがある。思春期は「自律の危機」に敏感になる時期だけに、このままでは親や教師の期待に操られてしまうと感じてわざと反抗し、期待を抱かせないようにしているのである。

(p95)

 

認められたいはずなのに、「期待を抱かせない」行動に出るというのが興味深いです。

「セルフハンディキャッピング」という言葉を見て、試験前に部屋を掃除をしたくなったことを思い出しました。

残業についての検証も気になります。

 

 「呪縛」をもたらすのは制度に原因?

 では、そもそも残業することや休暇を残すことが、なぜ認められることにつながるのか?

 それは、わが国特有の制度と深い関係がある。

 日本の会社や役所は、欧米などと違って大部屋主義で、個人の仕事の分担が明確に決められていない。仕事ができる人やがんばる人は、たくさん仕事をこなしたり、他人の仕事を手伝ったりするのが普通だ。

 したがって遅くまで残っている人や、休暇を取らない人は、会社に対しても、周囲の人に対しても大きな貢献をしていると見なされるわけである。逆に早く帰る人や休暇をめいっぱい取る人は、会社や周りの人に迷惑をかけていると見なされる。実際にそのように評価されていることを裏づけるような調査結果もあるが、重要なのは事実かどうかよりも働く人にそう意識させる余地があるということだ。

    もっとも、本来なら遅くまで残業すれば残業手当も増えるので、会社に対してはむすろ負担をかけているとみられるはずだ。しかし、そのようにみられない別の制度的な理由がある。

 わが国では超過勤務手当の割増率が二五%以上と、他国に比べて低い。ちなみに他国ではおおむね五〇%以上であり、なかには休日出勤になると時給換算で平日の二、三倍にのぼる手当を払っている国もあるそうだ。そのうえ、わが国では手当がまったく支払われないサービス残業も横行している。

 このように低い割増率や無給で残業することは、会社や同僚に対して余分の貢献をしているものと受け取られる。あるいは忠誠の証とみなされる。これも事実かどうかは別にして、少なくとも心のどこかでそう思っている人が多い。

 

 有給休暇についても、海外だと国や地域によっては、残した休暇を会社がかなりの高額で買い取るよう法律で義務づけられている。義務でなくても、多くの企業では実際に買い取っている。

 一方、わが国では買取が義務づけられていないどころか、買い取ること自体が認められていない。そのため休暇を取得しなければ、そのぶん「ただ働き」したことになる。これもまた、会社や同僚に対して追加的な貢献をしたとみなされる(と思っている)わけである。

 現実には、働いた時間と貢献度がかなり一致していた工業社会と違って、ソフト化、サービス化が進んだいまの時代に時間と貢献度の関連は薄くなっている。それでも働く人の意識のなかには、残業をせずに帰ったり、休暇をめいっぱい取ったりすると、上司や同僚からの承認を失うのではないかという不安が染みついているようだ。

 

 子育て中のある女性は、終業時刻が近づくと、どのタイミングで「お先に失礼します」と切り出すかで頭がいっぱいになって仕事に集中できないし、胃がチクチク痛むと語っていた。しかも皮肉なことに、周囲が自分に気を遣ってくれているのがわかるので、なおさら帰りにくいという。

 (p111)

 

「超過勤務手当の割増率は他国ではおおむね五〇%以上」(!) 羨ましくなります。これだったら、会社も残業させたくないでしょうね。

 

 各地の役所や警察などで不祥事が起きるたびに実感するのは、不祥事の背景にある動機が驚くほど似ていることである。職員が起こした事故や犯罪の隠蔽、不都合なデータの過小報告といった問題の大半は、部下による上司への忖度、もしくは組織や仲間への気遣いが背後で働いている。彼らは忖度し、気を遣うことによって認められようとしているわけである。

 

 事の善し悪しは別にして、不祥事の特徴からも官僚、公務員の「大衆化」がうかがえるとともに、受け皿としての共同体型組織が彼らにとっていかに大きな存在であるかを強く印象づけられる。

 

 ところで、第一章では承認に不祥事を防ぐ効果があると述べた。承認されると職業的自尊心が高まり、それが違反を抑制するからである。けれども、ここで述べたように「承認の呪縛」にとらわれると不祥事を起こしやすい。この矛盾をどう説明すればよいのか?

 その答えは前述した、うつ、ひきこもり、バーンアウトについて述べたことと同じである。たしかに承認されると自尊心が高まり、仕事に対する矜持も生まれる。その点では承認が不祥事を思い止まらせる方向に働くだろう。しかし一方で、承認されると期待の重みも増してくる。

(p148)

 

認められたい、仲間の役に立ちたいという気持ちが、企業の足を引っ張る行為を招くことがある、というのが、皮肉な感じがしました。

 

 「お前はバカだから」のねらい

 「まえがき」では、期待をかけた大学院生が脱落していくケースがあいついだことも述べた。当時、私がその苦い経験をある先輩教師に漏らしたところ、彼は次のような話を聞かせてくれた。

 自分は大学院の学生時代、師匠から「お前はバカだから」と言われ続けた。もちろん本気でバカだと貶されたわけではないとわかっていたので、逆にプレッシャーを感じずリラックスして研究ができた。だから自分も学生たちには同じように接している、と。

 ここには、もう一つ余分なプレッシャーをかけないためのヒントが含まれている。冗談で「バカ」とか「アホ」とか平気で口にするのは「お笑い」の世界である。「お笑い」は本気でないだけに、自我関与を避けることにつながる。学業や仕事で成果があがらないときでも、「お笑い」感覚を交えてフィードバックされれば、ほんとうの評価が下がらずにすむわけである(ただし状況によってはイジメやハラスメントにつながるので注意は必要だが)。

(p178)

 

著者も最後に言及している通り、バカとかアホとか言われて肩の力を抜けるのかは、発言する人と自分との関係性や、こちらの許容量にもよるので、難しいところだと思います。評価されたいのに、期待されたくないというのが、承認欲求の難しいところなのでしょう。

 

 効果的な「ほめ方」とは

 ただ、教育の場などにおいて長期的な効果を期待する場合には、抽象的な承認が必要になる場合もある。そこで避けて通れない問題が、第二章で触れた「能力(あるいは成果)をほめるか、努力をほめるか」である。

 すでに述べたように能力をほめられると、失敗して自分の能力に対する評価が下がり、自信を失うことを恐れ、リスクをともなうことに挑戦しなくなる可能性がある。あるいは、逆に慢心して努力しなくなる場合もある。

 一方で、努力をほめると、いっそうがんばらないといけないというプレッシャーが本人を追い込んでしまったり、効率性を度外視したがむしゃらな努力に駆り立てたりするリスクがある。また、とくに日本人の自己効力感や自己肯定感が低いことを考えれば、意識的に能力をほめることが必要だともいえる。

 

 それでは結論として、どこを、どのようにほめたらよいのか?

 その答えは、具体的な根拠を示しながら潜在能力をほめることである。潜在能力をほめることは、「やればできる」という自信をつける。すなわち自己効力感に直接働きかけることを意味する。すでに述べたように自己効力感が高まれば挑戦意欲がわく。かりに成果があがらなくても、潜在能力に自信があれば、成果があがらないのは努力の質か量に問題があるからだと受け止められる。そして、改善への努力を促すことができる。

(p197)

 

褒めるって難しい行動だと常に思います。でも、意識して表に出すようにしないとなかなか出来るようにならないし、こちらとしても思わぬところで褒められると非常にモチベーションが上がったりするので、臆せず心掛けようと思いました。

 

 連覇の重圧を克服する「楽しさ」― 帝京大ラグビー部、岩出監督

 帝京大学ラグビーチームは二〇一八年まで、大学選手権で前人未到の九連覇を続けた。卒業によって毎年メンバーが入れ替わる学生スポーツで、九年間も勝ち続けたのは驚異的だ。

 当然ながらライバル校は「打倒帝京大」を目標に挑戦してくる。一方で連覇のプレッシャーは選手たちの肩に重くのしかかってくる。そのなかで勝ち続けるには、「守り」に入らず、「攻め」の姿勢を貫かなければならない。それには、絶えず変化し続けることが求められる。

 岩出雅之監督が強く意識するのは、常にイノベーションを起こせる風土、空気感、文化の必要性だ。そして、指導者はメンバー自身が「変わりたい」と思えるような環境をつくってやるべきだと説く(岩出 二〇一八)。たまたま岩出監督と対談したとき、彼は大学選手権に勝つことを超えるチームの目標として、「楽しさ」を追求するようにしていると語った。

 連覇に代わる目標として「楽しむ」ことを追求するのは、連覇のプレッシャーを克服する戦略としても理にかなっているといえそうだ。

 連覇を目標にすると、周囲からの期待をまともに受け止めてしまう。いちばんの注目校だけに、対抗戦や練習試合の勝敗や戦いぶりに対する批評もたくさん耳に入ってくるだろう。また、連覇を意識したら自ずと受け身になり、プレーに対する集中力がそがれる。そうなると最高のパフォーマンスを発揮することはできない。

 一方、「楽しさ」は連覇とは異次元のものである。しかも周囲の期待や評価と無関係だ。いや、正確にいうと第二章でも触れたようにまったく無関係ではないが、期待され、評価されると楽しくなることはあっても、楽しんだら期待を強く意識するようになるわけではない。そして「楽しむ」ことに意識が向けば、そのぶん連覇を意識しなくなる。

 したがって「楽しむ」ことを徹底できれば、「承認欲求の呪縛」に陥らなくてもすむはずである。

 

 「楽しむ」ことの効用はそれだけではない。心理学者のM.チクセントミハイ(一九九六)によれば、人間は一つの活動に没入している「フロー」状態のときに潜在能力が最大限に発揮される。「楽しい」とは、そのフロー状態なのだ。

 わが国のリーダーには、勉強でも仕事でも刻苦勉励することをよしとし、「楽しむ」のは真剣さがたりない証拠だと考えている人がまだ少なくない。しかし、本気で「楽しむ」ことはふざけたり、サボったりすることではない。逆に最も集中していて、生産的な状態なのである。

(p206)

 

この、帝京大ラグビー部のお話は、この本で一番好きなエピソードです。

 

 組織不祥事をなくすには

 一般にプロは、次のような理由で「承認欲求の呪縛」に陥りにくいと考えられる。

 くり返し述べているように、官僚や大企業のエリート社員にとって高い「認知された期待」と低い「仕事における自己効力感」のギャップが大きい。

 とくに「仕事における自己効力感」が低くなる原因として、わが国特有の人事制度があることを見逃してはいけない。日本企業の社員、とりわけ事務系ホワイトカラーの場合、学生時代の専門はほとんど考慮せずに採用され、配属される。その後は「ゼネラリスト育成」という建前のもと、数年単位で部署を異動する。もちろん職場で研修を受けたり、経験を積んだりするものの、学生時代から専門の軸に沿ってキャリアを形成する欧米に比べると、はっきり言って「素人」の域を出ない。

 

 公務員についても同様であり、省庁別にキャリアを形成する国家公務員に比べ、まるで百貨店のように多様な業務を抱える都道府県や市町村では、いっそう「素人集団」になりやすい。

 いずれにしても誇るべき専門能力がなければ、仕事における自己効力感も低くなり、組織に依存せざるをえない。

 だからこそ、呪縛から解放されるためには組織をプロの集団に帰ることが必要なのである。 

(p216)

 

組織をプロ集団に変えるために必要なこととして、筆者は次のことを挙げています。

  • 「どこの組織でも、あるいは組織に属さなくても通用する能力を身につけていること」。
  • 「人材の流動化を前提にして、企業にとっても個人にとっても転職や独立が損にならないばかりか、むしろプラスになる仕組みを構築」すること。

 

働き方の質や、心構えを問われる改革だと思いました。

承認欲求に捉われると、大概ロクな結果にならない印象を受けましたが、だからこそこの欲求がどこから生まれるのか、自分が得たいと思っているのはどんなことなのか、意識する必要を感じました。

それと、大好きな岩合光昭さんの言葉がチラッと出てきて嬉しかったです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

「承認欲求」の呪縛 (新潮新書)

「承認欲求」の呪縛 (新潮新書)

  • 作者:太田 肇
  • 発売日: 2019/02/14
  • メディア: 新書