ニジタツ読書

読んだ本の感想です。胸に刺さった言葉をご紹介します。時々美術館のことなども。

『麒麟がくる 明智光秀とその時代』

おはようございます、ゆまコロです。

 

自粛期間中、大河ドラマを見て過ごしました。

これまでほとんど見たことはなかったのですが、初めから順に見ていくと、時代の流れや人物の働きが分かって面白いなと思いました。

特に、日本史が弱かった自分にはとてもいいツールだと思いました。

学生の時に見ておけば良かったのでは…、との思いが頭をよぎりますが、今更どうしようもありません。

 

ドラマの続きが楽しみになったので、関連書籍を読みました。

読んだのはこれです。

明智光秀とその時代』(NHK大河ドラマ歴史ハンドブック)。

 

 (前略)天下人の信長から強い信頼を得ていた光秀や明智家を、謀反にかりたててしまった要因とはなんだったのだろうか。実は、畿内地域の守衛の役割を基盤に権勢を誇っていた明智家だったが、その一方で織田家を取り巻く情勢変化の中で、その立場や今後の行く末に影響のおよぶ事態が起きていた。その一つが、近年注目される織田家の四国対策だ。

 

 もともと織田家の四国対策は、敵対する阿波三好家(三好長慶(ながよし)の弟実休(じっきゅう)の系統)の対応として進められていった。そのなかで、やがて織田家は、土佐国高知県)の平定を進め阿波三好家と対立していた長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)と手を結んでいく。この織田・長宗我部両家の通交で交渉担当役(取次)を務めたのが、光秀の率いる明智家だった。光秀は、この織田・長宗我部両家の通交にあたり、重臣斎藤利三(さいとうとしみつ)の実兄で室町幕府奉公衆(ほうこうしゅう)・石谷(いしがい)家の養嗣子頼辰(よりとき)の義妹が元親の正室にあったという関係を活用して奔走した。この奔走の結果、織田・長宗我部両家は阿波三好家への対策を目的に通交を展開していった。

 

 ところが、天正八年(一五八〇)になると阿波三好家が反織田勢力として提携していた大阪本願寺が降伏し、さらには安芸(あき)毛利家も次第に劣勢に追い込まれていった。そのうえ翌天正九年には、池田元助(もとすけ)・羽柴秀吉(はしばひでよし)の軍勢に淡路島を制圧されるという周辺情勢に至ってしまう。この事態を受け、阿波三好家は織田家に服属を示した。

 この結果、阿波三好家の勢力範囲だった阿波・讃岐両国(徳島・香川両県)が、織田家の勢力圏に組み込まれることになった。そして同時に、阿波国へ勢力を伸張していた長宗我部家と織田家の勢力圏が接触する事態が起きてしまう。この事態に、信長は元親に阿波国からの撤退を求め、土佐国のみの領有を認めた領土解決策(国分(くにわけ))を提示する。だが、この信長の解決案は、これまで阿波国へ勢力の伸張を進めていた長宗我部家と配下の諸将には、そう簡単には従い難いものがあった。こうした織田・長宗我部両家の間で生じた事情が、両家の関係を悪化させ、遂には天正十年(一五八二)六月を予定とした信長の三男・信孝(のぶたか)を総大将に擁した四国出兵の実施へと事態を発展させてしまう。

 

明智家の事態打開策としてのクーデター

 こうした四国情勢の展開は、これまで織田・長宗我部両家の通交に奔走してきた明智家に、畿内地域の守衛活動、さらには今後の織田家内部における発言力に影響をもたらしていった。このため光秀は、元親と婚戚関係にある石谷頼辰・斎藤利三の兄弟に信長の要求した解決案に応じ、織田家との関係を維持するよう説得にあたらせる。この説得を受け、元親は天正十年五月二十一日には、信長の解決案に概ね応じる意向を示した。

 

 だが、この時信長から中国出兵を命じられていた明智家には、四国出兵へと舵を切った動きを変えさせることは難しかった。それは、信孝を擁して四国出兵を求める側との政争に敗れて、担当を外され挽回の機会を喪失した状況にあったためだ。こうした明智家に起きていた四国対応を含む情勢変化とそれに伴う織田家内部における対立の展開が、これまで天下の守衛を担い威勢を保ってきた明智家の行く末を光秀やその周辺に不安視させる大きな要因となっていく。本能寺の変は、そのなかで光秀らが最終的に選んだ事態打開策として起きたということになろう。

(柴裕之、東洋大学非常勤講師。p105)

 

これまで織田家の四国対策について、ほとんど知りませんでした。

謀反の理由については諸説あるようなので、他の説も調べてみたいです。

 

他にも、大河ドラマで取り上げられた光秀像がいろいろ紹介されていますが、その中で「国盗り物語」が面白そうだと思いました。 

 

 高度経済成長期が始まると、織田信長は時代を切り開くイノベーターとして描かれるようになる。このイメージを広めたのが、信長を「何が出来るか、どれほど出来るか、という能力だけで部下を使い、抜擢し、ときには除外し、ひどいばあいは追放したり殺したり」もする「すさまじい人事」を断行する武将とした司馬遼太郎国盗り物語』である。家臣を信賞必罰で使い効率を最優先する信長は、大量生産した製品を輸出して国を安定させた戦後の企業経営者になぞらえていた。これに対し光秀は、足利幕府の復興、古くから伝わる文化といった伝統的な価値観を重視する武将として描かれている。司馬が、「信長=改革」VS「光秀=伝統」という図式で物語を進めながら、改革路線を一方的に正義としなかったのは、一国の価値は経済だけでは計れないとの想いがあったからではないだろうか。

(末國善己、文芸評論家。p135)

 

本書はたくさんの人がいろんな観点から寄稿しているので、難易度や文体も様々で、すいすい読める記事もあればそうでないものもあり。なんとなくゼミの報告書みたいな印象です。

でも「光秀の同時代武将 最新情報」など、用語集的に調べられるので重宝しました。

ドラマの続きを楽しみに待ちたいと思います。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。