ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

橘玲『言ってはいけない 残酷すぎる真実』

おはようございます、ゆまコロです。

 

橘玲言ってはいけない 残酷すぎる真実』を読みました。

 

本書で取り上げられている「言ってはいけない」真実として、大きく分けて

 

1.努力は遺伝に勝てないこと、

2.見た目で人生が決まること、

3.子育て・教育は成長に関係がないこと、 の3つが紹介されています。

 

各章ごとに、その根拠となる事例やデータがあるのですが、特に印象に残ったのは、1.の遺伝に関する章です。

 

 

インターネットの質問サイトに、「精神病は遺伝するのでしょうか」との質問が寄せられることがある。そこでは匿名の回答者が「精神病と遺伝の関係は証明されていない」とか、「精神病の原因は遺伝よりストレス(あるいは人格形成期の体験)にある」などとこたえている。医師(小児科医)が自身のホームページで、「精神病は遺伝ではありませんから安心して子どもを産んでください」と書いているものもあった。

 

 夫(もしくは妻)が精神疾患を患っていて、子どもをつくろうかどうか悩んでいる夫婦がワラにもすがる思いでインターネットを検索すると、ほぼ確実に、専門家らしき人物が「精神病は遺伝しない」と断言している文章を見つけることになる。それを読んだ2人は、妊娠をこころから喜ぶことができるかもしれない。

 

 これはたしかにいい話だ。しかし匿名の回答者や善意の医師は、その後の2人の人生に起こる出来事になんの責任も取ろうとはしないだろう。

 

 これも結論だけを先に述べるが、さまざまな研究を総合して推計された統合失調症の遺伝率は双極性障害(躁(そう)うつ病)と並んできわめて高く、80%を超えている(統合失調症が82%、双極性障害が83%)。遺伝率80%というのは「8割の子どもが病気にかかる」ということではないが、身長の遺伝率が66%、体重の遺伝率が74%であることを考えれば、どのような数字かある程度イメージできるだろう。背の高い親から長身の子どもが生まれるよりずっと高い確率で、親が統合失調症なら子どもも同じ病気を発症するのだ。

 

 私たちはこの「科学的知見」をどのように受け止めればいいのだろう。私のいいたいことはきわめてシンプルだ。

 

 精神病のリスクを持つ夫婦がこの事実を知ったとき、彼らは出産をあきらめるかもしれないし、それでも子どもがほしいと思うかもしれない。2人(と子ども)の人生は自分たちでつくりあげるものだから、どちらの選択が正しいということはできない。だがその決断は、願望ではなく正しい知識に基づいてなされるべきだ。

 

 あるいは、精神病と遺伝との関係が社会に周知されていれば、父母やきょうだい、友人たちはそのリスクを知ったうえで、2人を援助したり、助言したりできるかもしれない。そのほうが、インターネットの匿名掲示板を頼りに、人生のたいせつな決断をするよりずっとマシではないだろうか。」(p24)

 

 

「現代の進化論が突きつける不愉快な真実は、歪んだ理性を暴走させないための安全装置なのだ。」と、筆者はあとがきにて結んでいます。

大事なのは知りたくなかった真実に悲観することではなく、そこからどうすべきか、を考えることであると、素直な気持ちで思えます。

 

タイトルから予想して、がっくり来る内容かと身構えましたが、意外と受け入れられました。面白かったです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

 

 

 

世紀末ウィーンのグラフィック展に行ってきました。

おはようございます、ゆまコロです。

 

目黒区美術館で開催中の展覧会、

京都国立近代美術館所蔵 世紀末ウィーンのグラフィック ―デザインそして生活の刷新にむけて」

を見てきました。

 

GWの真ん中くらいの日の午前中に行きましたが、お客さんはそれほど多くなく、小さなサイズの版画も見やすかったです。

 

本展では、1897年にグフタス・クリムトを中心にウィーンで結成された「ウィーン分離派(正式名称:オーストリア造形芸術家協会」の活動について紹介されています。

 

ウィーン分離派とは、当時の芸術家団体から離れたメンバーのことらしいです。

 

「世紀末のウィーンで展示会場を持っていたのはクンストラーハウス(kunstlerhaus)という芸術家団体であった。ウィーンの美術界は印象派の影響もほとんど見られず保守的であったが、その中でもオルブリッヒ、ヨーゼフ・ホフマンらの七人クラブ(Siebenerklub、オットー・ワーグナーの弟子たち)のように若手芸術家グループが生まれていた。

1897年、クンストラーハウスの保守性に不満を持つ若手芸術家らはクリムトを中心に造形美術協会を結成した。クンストラーハウスがこれを認めなかったため、クリムトらはクンストラーハウスを脱退した。こうして生まれたウィーン分離派には絵画、彫刻、工芸、建築などの芸術家が参加した。

ウィーン分離派は展示施設を持ち、展覧会の開催を行った。クリムトらはウィーン分離派の活動を通して新しい造形表現を追求した。ウィーン分離派ミュンヘン分離派(1892年)の結成に影響を受けているが、総合芸術を志向していた点に特徴がある。」

ウィキペディアより)

 

ウィーン分離派が発行した展覧会のカタログがたくさん展示されています。

 

浮世絵・工芸品などの日本美術が紹介された展覧会もあった(1900年)とのことで、木版画などは何となく浮世絵を彷彿とさせる作品もあり、不思議な感じがしました。

和紙を用いた版画作品も結構見られました。

 

また、エゴン・シーレの素描作品も数点あり、こちらも力強くて魅力的でした。

 

私が見たかったのは、展覧会のポスターで見た「三羽の青い鸚鵡」ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユンクニッケル(1909年頃)という絵です。

鳥の羽や足などの細かい表現や、可愛らしい色使いに見入ってしまいます。

(展覧会のホームページでも紹介されていました。)

 

そしてなによりも出展数が多くて、なかなか見応えがありました。

 

文字のレイアウトや、囲み罫のデザインが好きな方はきっと楽しめるはずです。

  

2019年6月9日まで目黒区美術館(東京都目黒区)にて開催中。

mmat.jp

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

福井晴敏『機動戦士ガンダムUC 2.ユニコーンの日(下)』

おはようございます、ゆまコロです。

 

福井晴敏機動戦士ガンダムUC 2.ユニコーンの日(下)』を読みました。

 

この本の中で、 “コリオリ気流” という現象について、以下のように書かれています。

「コロニー内壁付近で、コロニーの回転に伴い吹き荒れる流動の空気。中心軸に当たる人口太陽周辺の熱調節用の人口対流と互いに干渉し合っている。」

 

初めて聞く言葉でしたが、コリオリの力と関係があるのでしょうか。

コリオリの力」=この力の影響で、北半球では台風の渦が左回りになり、南半球では右回りの向きになる。電車が発進するときは、体が静止し続けようとするので、後ろに倒れそうになり、電車が停止するときは、体が進み続けようとするので、前に傾きそうになる現象と似たもの。

 

nayami0425.com

 

 

それはさておき、この巻で印象深かったのは、主人公の曽祖父・サイアム・ビストのことをバナージの父親から見た場面です。

 

「『ラプラスの箱』を、それを託すに相応しい者に託し、あるべき未来を取り戻すという途方もない夢に生涯を賭けた。そして、そっくり同じ人生を歩むことになった自分に、わたしを赦(ゆる)すか?と問うた。

 

 他人の承認など、決して求めなかったサイアム・ビストが。その心理は、末期を迎えつつあるいまの自分にはよくわかる。人は、いかように生きようとも満たされない人生を埋め合わせるために、子をもうけ、後事を託す。子殺しという最大の辛苦を受け止めてなお、自分という孫に承認を得られた祖父は幸福な人であった。」

 

後世の人物に対して皆がどう考えているのか、口にする場面はなくても、胸中がうかがえると少し親近感が湧きます。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

マーガレット・アトウッド『侍女の物語』

おはようございます、ゆまコロです。

 

マーガレット・アトウッド侍女の物語』を読みました。

 

子どもを産むための存在として生きる女性の物語です。

彼女が暮らすのは、本を読むことも好きな場所へ行くことも、家族と一緒に暮らすことも妨害されたあとの世界です。彼女はただ子どもを身ごもることだけを期待されて、あるお家にやってきます。

お話は、彼女が侍女として仕える家での出来事や、こうなる前はどんな世界だったかを思い出したりしながら進みます。

 

女性が仕事をすることはもちろん、友人とお喋りしたり、好きなものを食べたり、化粧水を塗ったり、といったことも出来ず、あまりにもいろいろ禁じられるので、なんだかこちらも息苦しくなってきます。

 

そんな不自由さの中で、自分の体が自分の意のままになっていた頃を思い出す描写が愛らしいなと思いました。

 

「どろ沼や湿地に沈み込むように、自分の体のなかに沈み込んでいく。そこは、わたしだけが足場を知っている場所。足元の不確かな、わたし自身の領域だ。わたしは、未来の噂を聞くために自分の耳を当てる大地になる。体のひとつひとつの疼(うず)き、かすかな痛みのつぶやき、分泌物のさざ波、体の組織の拡大と縮小、肉の洩らすたわごとに聞き入る。それらは兆候であり、それについて知っておかねばならない。毎月、わたしは血の訪れを恐る恐る待つ。というのも、月経があればわたしは失敗したことになるから。今まで何度もわたしは他人の期待に応えるのに失敗してきた。それは今ではわたし自身の期待になっている。

 

 かつてわたしは自分の体を、喜びの道具か、移動の道具か、あるいは自分の意思を成就させるための手段だと思っていた。わたしはそれを動かすことができた。あれやこれやのボタンを押せば、何かを起こすことができた。限界はあったけれど、それでもわたしの体はしなやかで、貴重で、信頼できる、わたし自身のものだった。

 

 今、その肉体は違った風に形作られている。」(p140)

 

もう一つ印象的なのは、彼女と、その子供を産むことになっている男性「司令官」とのこの会話です。

 

「我々は女性からいろいろなものを奪いましたが、それ以上のものを与えたんですよ、と司令官は言った。かつて彼女たちがどんな悩みを抱えていたか考えてごらんなさい。シングル・バーや、高校のブラインド・デートがいかに屈辱的だったかを覚えていませんか?肉体の市場のようなものでした。楽に男を手に入れられる娘と、なかなか男を手に入れられない娘とのあいだに残酷な差別があったのです。それを忘れましたか?彼女たちの一部は絶望的になり、絶食して痩せたり、胸にシリコンをいっぱい注入したり、鼻を削り取ろうとしました。その人間の惨めさを考えてごらんなさい。

 

 彼は手を振って古い雑誌の束を示した。女性たちは年中不満を言っていました。あれやこれやの問題でね。個人広告欄の恋人募集の広告を思い出してごらんなさい。当方、明るく魅力的な女性、三十五歳……そんなふうにしてみんな男性を手に入れていたのです、例外なくね。しかも結婚したらしたで、ひとりかふたりの子供を抱えて取り残されることもあったのです。夫がウンザリして家を出てそれっきり姿を消してしまってね、彼女たちは生活保護を受けねばならなかった。そうでなくても、夫が家でぶらぶらして彼女たちを殴ったりした。また仕事を持てば持ったで、子供たちを保育所か、誰か乱暴で無知な女性に預けねばならなかった。しかもその費用を、彼女たちは惨めなほど少ない給料から自分で捻出していたのですよ。あらゆる人間にとって唯一の価値基準はお金でした。彼女たちは母親になっても尊敬されなかった。女たちが母親の役をすっかり投げ出そうとしていたのも当然です。でも今のような状態なら、女性たちは保護され、生物学的な役目も無事に果たすことができる。完全な援助と激励の下にね。さあ、言ってごらんなさい。あなたは知的な女性だ。あなたの意見を聞きたい。我々が見落とした点がありますか?

 

 愛です、とわたしは言った。

 

 愛? と司令官は言った。どんな種類の愛です?

 

 恋に落ちることです、とわたしは言った。司令官は少年の率直な目でわたしを見た。

 

 ああ、それなら、と彼は言った。雑誌で読みましたよ、それを雑誌は売り込んでいたんでしょう?でも、統計をごらんなさい。恋に落ちることに、それだけの価値がありましたか?昔から、あらかじめ決められた縁談も同じくらい良い結果を残してきたんですよ、それ以上ではなかったにせよね。」(p400) 

 

ここまで来て、主人公が置かれている状況を考えると、上記の司令官の話には何とかして反発したくなります。

 

しかしふと考えると、そもそも何で、この事態に怒りを感じるのだろう?と、我に返ることもありました。

 

物語でたびたび起こる理不尽な出来事に、腹が立ったりもしますが、それが頻繁すぎて、読み手としての自分の方もだんだん無気力になったり、それどころか、どうしたらこの後起こりそうな危機を回避できるだろう?と逃げだす方法を考えたりしています。

 

自分がこの世界に置かれたらどう振る舞うだろう…。

自分がどういう未来を望んでいるのか、この場所で取り出して見せられるような、厳しい本でした。

でも面白かったです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

 

  

百田尚樹『永遠の0』

おはようございます、ゆまコロです。

 

百田尚樹永遠の0』を読みました。

 

現代と、太平洋戦争中(の、主に戦地での出来事)を行ったり来たりする構成が面白いなと思いました。

 

主人公が永井さんに会いに行った時に聞いた、戦争が終わったあとの話が印象的です。

 

「当時わたしは郵便局の職員で、毎日、手紙の配達で自転車に乗っていました。

 

 一心不乱に繕い物をしている妻をそんなふうに眺めたことはありません。わたしは自分の着ていたシャツを見ました。肘(ひじ)のところに繕いがしてありました。じっと見ると、一針一針丁寧に縫ってありました。

 

 わたしはそれを見た瞬間、言いようのない愛情を感じたんです。この女、身寄りもなく、器量もよくないこの女、俺の身繕いをし、俺のために食事を作ってくれる、この女―。

 

 妻にとって、わたしが初めての男でした。わたしは思わず彼女を抱き寄せました。「危ない」と彼女は小さく叫びました。繕い物の針がわたしの手に当たるのを心配したのです。わたしはかまわず抱き寄せました。

 

 その時、初めて妻を名前で呼びました。妻は突然のことに驚きながらも、小さく恥ずかしそうに「はい」と答えました。わたしはその瞬間、彼女を愛したのです。

 

 その時、わたしの脳裏に浮かんだのは、何だと思います。驚かんで下さいよ― あの時の米兵だったんです。そしてその写真を彼の胸ポケットにしまった宮部さんの姿でした。

 

 わたしは彼女を抱きました。なぜか狂ったように抱きました。あとで聞くと、わたしはその時、泣いていたそうです。覚えていません。しかし彼女がそう言ったのですから、そうだったんでしょうな。

 

 その時、出来たのが倅(せがれ)です。お二人を迎えに行ったあいつです。あれでもこの町の町会議員をしています。

 

 ―なぜその時の子供とわかるのか、ですか。彼女がそう言うたからです。女にはわかるのでしょうかな。

 

 倅はわたしのもう一つの宝物になりました。

 

 宮部さんのことを思い出して泣いたことがもう一度あります。

 

 倅が小学校に上がって、初めての運動会の日でした。昭和三十年です。

 

 子供たちが白い体操服を着て、運動場を走り回っていました。

 

 わたしも家内も、運動場のはしっこにゴザを敷き、倅を応援していました。皆、楽しそうでした。大人も子供も本当に楽しそうに笑ってました。倅は徒競走でビリから二番目になり、べそをかいていましたが、わたしはそれさえも楽しくてたまりませんでした。

 

 その時、周囲の楽しそうな光景を見ていて、ふと不思議な気持ちに襲われたんです。何か自分が別世界にまぎれ込んだような不思議な感覚でした。その時、突然気がついたのです。十年前、この国は戦争をしていたのだと。

 

 周囲で笑っている父親たちは全員、かつては銃を持った兵士たちでした。中国で戦い、仏印で戦い、南太平洋の島々で戦った兵士たちだったのだと。

 

 今はみんな会社員や商売人として日々家族のために懸命に働いているが、十年前はみんなお国のために命を懸(か)けて戦っていた男たちだったのだと。

 

 その時、突然、宮部さんのことを思い出したのです。宮部さんも生きていれば、こんなふうに子供と一緒に運動会に参加出来たのだ。海軍航空兵でもなく零戦の搭乗員でもなく、ただ一人の優しい父親として、娘が校庭を走る姿に声援を送っていたのだ、とー 。

 

 いや、それは一人宮部さんだけではありません。ガダルカナルの白兵戦で撃たれ、インパールのジャングルで斃(たお)れ、あるいは戦艦大和と共に沈んだ将兵たち― あの戦争で亡くなった大勢の男たちは皆この幸せを奪われたんです。

 

 わたしは立ち上がって、校庭の端まで歩きました。後ろからは、子供たちの楽しそうな歓声が響いてきます。それがまたわたしの胸を打ちました。

 

 わたしは大きなケヤキのそばにしゃがみ込み、そこで泣きました。

 

 さっきからぼくの隣で姉が鼻をすすっていた。ぼくもまた体が強張(こわば)っていた。

 

 しばらく沈黙があったあと、永井は言った。

 

「十八年の暮れになると、ラバウルはもはや基地として成り立たなくなり、搭乗員たちは全員、引き揚げました。残されたわたしたちには、アメリカ軍を迎え撃つ航空機もありません。われわれは毎日トンネルを掘り、来るべき地上戦に備えました。しかしアメリカ軍はラバウルなどには目もくれずに、一気にサイパンに向ったんです。あの時、米軍がラバウルを攻めていたら、わたしの命もなかったでしょうな。補給路を断たれたラバウルは日米双方から忘れられた島になったんです。わたしは終戦までラバウルにいましたが、そこでの暮らしは本当に大変でした― 」

 

 ぼくは頷くだけで精一杯だった。永井は続けた。

 

「しかし幸運にも命を長らえることが出来ました。わたしは戦後、一生懸命に働きました。生きて帰った喜びは、働くことの喜びを教えてくれたのです。わたしだけではありません。多くの男たちが生きていることの幸せと働くことの幸せを心から噛(か)みしめたことと思いますな。いや、男だけではない、女も同じやと思います」

 

 永井は一言一言噛みしめるように言った。

 

「日本は戦後、素晴らしい復興を遂げました。でもね佐伯さん、それは、生きること、働くこと、そして家族を養うことの喜びに溢(あふ)れた男たちがいたからこそやと思います。ほんで、この幸せは、宮部さんのような男たちが尊い血を流したからやと思います」」(p294)

 

「別世界にまぎれ込んだような不思議な感覚」になるくらい、10年前と今の様子がまるっきり違っている、というのは、価値観の変化も相当なものだったのではないかと思います。

 

他にも、囲碁の才能があったのに戦争の為その道を断念する話など、つい手を止めてその状況をじっくり考えてしまうようなシーンがありました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)

 

紺野愼一『自分で治せる腰痛 痛みの最新治療とセルフケア』

トリプルヨーグルト×はてなブログ特別お題キャンペーン「私の生活習慣」

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おはようございます、ゆまコロです。

 

私の「健康」ということで、健康に関する話題を。

 

先日、テニスをしている最中にぎっくり腰になりました。この一年で3回目です。

整形外科に行ったところ、椎間板ヘルニアの初期症状だと診断されました。仕方がないのでテニススクールは休会し、仕事に行くのもおっかなびっくりです。

GWなのにテニスもできず、辛い日々です。

 

腰が痛くない日々に戻りたいと、腰痛について書かれた本を探しに行きましたが、ものすごい数が並んでいて、途方にくれました。

 

読んだものからご紹介していくことにします。

 

紺野愼一『自分で治せる腰痛 痛みの最新治療とセルフケア』を読みました。

                  

著者は福島県立医科大学の教授で、整形外科、特に脊椎・脊髄外科、腰痛の研究と治療を行っているお医者さんです。

 

この本から分かったことは、腰痛の原因には4種類あるということでした。

 

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①非特異的腰痛

X線MRIなど画像検査で腰の骨や椎間板などを見ても、原因を特定できないもの。

「腰が痛い」と言って病院を受診する患者さんのうちの、85%がこれに該当する。

この腰痛の3分の2には心理・社会的要因のストレスが関与していることが分かっている。

 

②腰椎椎間板ヘルニア

椎間板=椎体(ついたい。骨のこと)と椎体の間にあってクッションの働きをしている軟骨のこと。中央に「髄核」というゼリー状の組織があり、その周りを繊維輪(せんいりん)という軟骨が覆っている。この繊維輪が壊れて神経に向かって飛びだした状態を「ヘルニア」と呼ぶ。

 

しかし、ヘルニアがある76%の人たちは痛みを感じておらず、ヘルニアが腰痛の原因になる例は、腰痛全体のわずか2~3%。

 

③腰部脊柱管狭窄脊柱管(せきちゅうかん)は背骨の中にある空洞で、その中を「馬尾(ばび)」や「神経根」という神経が通っている。脊柱管は加齢と共に狭くなっていき、馬尾や神経根が圧迫されるようになる。すると、神経は下肢(足)につながっているため、足が痛んだりしびれたりして長く歩けないという症状が出てくる。この状態を腰部脊柱管狭窄と呼ぶ。高齢者に多い。

 

④その他の原因

骨粗しょう症によって体の重みに耐えられなくなって骨が潰れる「圧迫骨折」など。

また、がんや虫歯、感染症が原因の腰痛もある。

 

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この先生が見た患者さんの例などを見ると、ストレスが何かを明らかにし、腰痛へアプローチする、という処方が多いように感じました。

 

なるほど、と思ったのは次の個所です。

 

「脳の「報酬系」と呼ばれる快感を得る部位と、痛みを感じる部位は同じ場所にある」ので、「好きな食べ物、好きなにおい、好きな音楽、好きな画像などによって快感を得ると、痛みは抑制されます。」(p120)

 

なので、痛みがあるからといって好きだったことを我慢しすぎないことが大切だとありました。

他にも、日光浴をしてビタミンDを吸収すること、骨粗しょう症の予防のために成人男性650~800mg、成人女性650mgのカルシウムを食事で摂ること、筋肉をつけることより、毎日体を動かすこと、など、心がけられそうな項目が多かったです。

 

紹介されていたストレッチからはじめてみたいと思いました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

自分で治せる腰痛 ~痛みの最新治療とセルフケア~

自分で治せる腰痛 ~痛みの最新治療とセルフケア~

 

 

福井晴敏『機動戦士ガンダムUC 1.ユニコーンの日(上)』

おはようございます、ゆまコロです。

 

ガンダム戦争と平和について書かれた新書を見つけ、読もうと思っている、という話をガンダム好きの知人としました。

 

ちなみに、ゆまコロのガンダムに対する知識はこのような感じです。

 

・ファーストを観た。(劇場版をケーブルテレビで)

・「スーパーロボット大戦」を2本クリアした。(PS2セガサターン

・∀を最初の方だけ観た。

 

上記を踏まえ、ガンダム好きにおすすめしてもらったのがこのシリーズです。

DVDは∀のときのように途中で挫折するかもしれないので、文庫を選びました。

というわけで、

 

福井晴敏機動戦士ガンダムUC 1.ユニコーンの日(上)』を読みました。

ガンダム戦争と平和について書かれた新書は、入手して読破したら感想を書こうと思っています。)

 

この巻で好きなのは、女性パイロットのマリーダさんが任務を終えたときの描写です。

 

「マスターの命令通り、敵機は仕留めた。彼らの母艦が追いつくより早く、≪ガランシェール≫は暗礁宙域に逃れられるだろう。あとは一刻も早く帰投して、≪クシャトリヤ≫の損傷確認と整備・補給。それが済んだら、次の出撃に備えて休めるようなら休んでおく。他にはなにもないし、考えることもない。そんな自分を不自然だは思わず、哀しいとも思わないのがマリーダだった。

 

 しかしー 戦闘が終わった直後、集中の反動のように精神が放散するこんな時は、空っぽの心にもなにがしかの疼きがわき起こる。戦闘中に押さえ込んでいた感情が目を覚まし、不快だと訴えて頭を重くする。」

 

それと、もう一つ気になったのは、フランスの連作タペストリー「貴婦人と一角獣」が作中のキービジュアルとして出てくる場面です。

 

ユニコーンを膝に載せ、その頭を手鏡に映す女性。三日月の紋章が描かれた旗を一方の手に持ち、もう一方の手でユニコーンの角に触れる女性。そして最後の一枚は、小さな天幕の前に立ち、侍女が捧げ持つ箱に自らの首飾りを収める女性。ユニコーンとライオンは女性の左右で天幕の裾を掲げており、首飾りを外した女性に入幕を促しているように見える。天幕の上に書かれた文字『A MON  SEUL DESIR』は、いまや一部の研究者しか話せない旧世紀のフランス語。意味は…

 

 「…私の、たったひとつの望み」

 

 無意識に口にして、ぞくりと悪寒が走った。読めるはずがない。知っているはずがないのに。」

 

2013年にこのタペストリーが東京に来た時、観に行きました。

すごく大きなサイズで驚きましたが、それ以上に人が多く、また刺繍が細かくて、近づいてじっくり見られなかったことが残念でした。

(この後、単眼鏡を買いました。)

 

続きが楽しみです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

機動戦士ガンダムUC 1 ユニコーンの日(上) (角川コミックス・エース 189-1)

機動戦士ガンダムUC 1 ユニコーンの日(上) (角川コミックス・エース 189-1)