ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

寛容の道に至るまでの苦しみ。『テロリストの息子』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

ザック・エブラヒムさん、ジェフ・ジャイルズさん、佐久間裕美子さん(訳)『テロリストの息子』を読みました。

 

父は火傷を手当てする方法を教わり、痛み止めの薬と、さらには効力の予測できない、強い抗鬱剤の処方箋を持たされて退院する。 働くことはできない。家族を養うことは、男として、またイスラム教徒として、いつも父にとって重大な意味を持っていた。
 僕ら家族は、母の給料と食料配給券でなんとか暮らすことができたけれど、水の中に赤い染料を垂らしたように、恥じる気持ちが父の体に染み渡っていく。母は父の苦しみを目にしながら、父の心に届くことはできない。いろいろな意味で、父の行動はレイプの誹(そし)りを受けたときと似ている。けれど今回は、執拗に祈りを捧げるだけでなく、コーランを延々と研究している。マンハッタンの裁判所で冷暖房のメンテナンスをする仕事を得て、再び働けるようになっても、かつてないほど内にこもるようになっていった。マスジド・アルシャムスに頻繁に通い、祈り、講習を受け、謎めいた会合に出席している。当初は穏健に見えたそのモスクは、ジャージーシティでも最も原理主義的な場所に変貌していった。だから、母はモスクでは女性として特に歓迎されているような気持ちになれなかったし、僕らがそれまで経験したことのないような怒りが空気中に漂っていた。イスラム教を信じない人間への寛容さを父が歴然と失っていくのはそのせいだ。母は、姉、弟、そして僕を、姉の学校の階上にあったイスラミック・センターに連れていき、そこでイスラム教徒としての家族の活動をしたけれど、ババは一緒に来ないのだ。ババは突然、イスラミック・センターのイマーム(指導者)を認めなくなった。 家では、僕ら子どもたちと温かい時間を過ごすことはあったけれど、僕らを通り越して、その先を見つめることが増えていった。そんなときの父は、僕らの存在を認識せずに、コーランを強く摑む人影として通り過ぎていってしまう。ある日、無邪気に聞いたことがある。いつからイスラム教を深く信じるようになったのかと。父は、声に新しい刺をにじませて答える。「この国に来て、間違ったことすべてを目にしたときだ」

(p60)

 

著者の父親はエジプトからの移民で、アメリカ人女性と結婚してアメリカに住んでいました。ふとしたきっかけからイスラム過激思想に傾倒して、著者が7歳のとき、ユダヤ防衛同盟の創設者を殺害し、投獄されます。

また服役中にも、1993年の世界貿易センターの爆破を仲間とともに計画しています。

経験なイスラム教徒であった父親が、似たような過激思想を持つ仲間と懇意になるにつれ、感化されていく様子を見ると、誰でも犯罪に関わる可能性があるように思えてきます。

 

そのあいだずっと、母は居間のソファに体を横たえてすすり泣いている。
一度だけ寝室のドアのところまで来るけれど、やめてと請う前にアフメドに怒鳴られる。「ノサイルは、おまえがどんなふうに子どもを育てたかを知ったら吐き気を催すだろう。おまえの犯した間違いを正すために俺がいてラッキーだと思え」
 僕自身もいじめの実験をしたことがある。11歳のとき、アジア人の新入生がいた。ステレオタイプしか知らなかった僕は、アジア人はみな武術を嗜(たしな)んでいるのだと思っていた。ニンジャ・タートルズのように試してみたらかっこいいと思い、僕は一日中、彼を挑発して戦いを挑んだ。やってみてわかったのだけれど、このアジア人の子は実のところ、武術を知っていた。僕の顔を殴ると見せかけて、こちらがよけると、頭に蹴りを入れてきた。僕は泣きながら学校から逃げ出したけれど、交通指導員に呼び止められて、保健室に送られ、目に当てて冷やすためにと冷凍のピーナッツバターとジャムのサンドイッチを与えられた。
 それは完全に屈辱的な体験だった。だからアフメドに盗みの罪で殴られたあとにまで、いじめを再び試そうとはしなかった。ある日、学校の廊下を歩いていると、年下の子どもたちがある男の子のバックパックをパスし合っている。男の子は泣いている。 僕はバックパックを奪って、ゴミ箱にスラムダンクする。一瞬、満足した感覚を味わう。いじめの方程式の反対側にいるという快感は否定できない。けれど、そのいじめられた子のかわいそうな顔の表情には、僕が本能的に知っているはずの恐怖と、それと同じくらいの当惑が見て取れて、ゴミ箱からバッグを取り出して、彼に手渡す。 共感(エンパシー)とはどういうものなのか、それがなぜ権力や愛国主義や宗教的な信仰よりも重要なのか、誰も腰を据えて教えてはくれなかった。けれど僕は、その廊下で学んだ。
 自分がされてきたことを、他人にすることはできない、と。
(p132)

 

父親に吹き込まれた過激思想に疑問を抱き、著者は違う道を選択するのですが、上記はそのきっかけの一つになった出来事です。

いじめの加害者となったときに、その快感を認識したにもかかわらず、被害者の恐怖も推し量ることができたというのは、簡単に書かれているけど、行動に移すことはなかなか難しいことのはずです。

このエピソードの他にも、父親が犯罪者であっても著者に温かく接してくれる友人たちを得たことや、アルバイト先で出会ったゲイの方に親切にされたことでゲイに対する偏見を改めたことなどがあって、彼が何とかして憎しみを放棄しようとする姿には、勇気をもらいます。

移民としてやってきた人たちが起こした事件を見聞きすると、恐怖とともに拒絶反応が起こるのが常だとは思います。しかし自分とは違う思想を持つ人達と関わっていくことが、極端な考え方や過激な思想にとらわれないためには不可欠であることを痛感させられました。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。