ニジタツ読書

読んだ本の感想です。胸に刺さった言葉をご紹介します。時々美術館のことなども。

ポール・オースター『内面からの報告書』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『内面からの報告書』を読みました。

 

    君の住む地域最大の有名人はトマス・エジソンだった。君が生まれたとき、エジソンが亡くなってまだ十六年しか経っていなかった。彼の研究所は君の住むサウスオレンジのすぐ隣のウェストオレンジにあって、発明家の死後は博物館に、全国的な名所になっていて、君も小さいころ遠足で何
度か訪れてはメンロー・パークの魔法使いにしかるべく敬意を表した。白熱電球、蓄音機、映画をはじめ数々の発明を行なったエジソンは、君にとって最大級の重要人物であり、史上最高の科学者だった。研究所内をひととおり見学したのち、来館者はブラック・マリアと名付けられた別館に案
內される。世界初の映画撮影所だった、その大きなタール紙貼りのバラックで、君はクラスメートたちとともに、史上初の物語映画「大列車強盗」の映写を見学した。天才の一番奥なる領域に、聖なる神殿に足を踏み入れた思いだった。当時の君の一番お気に入りの思考者ということで言えばシ
ャーロック・ホームズであり、何ものも恐れず一点の嘘もないその知性の鑑(かがみ)は系統的で合理的な推論の驚異を君に明かしてくれたが、とはいえホームズは単なる想像の産物であり、言葉の中にしか存在しない架空の人物である。これに対しエジソンは現実の、肉体を備えた人間であり、しかも彼の一連の発明品は君が住んでいるところのすぐそば、ほとんど叫べば聞こえるくらい近くで作られたのである。君はエジソンと特別なつながりを感じた。エジソンに対して尋常ならざる敬意を、ほぼ全面的な崇拝の念を抱いた。十歳になるまでに少なくとも二冊のエジソン伝を読んだし(まずランドマーク・ブック、それから影絵イラストの入ったオレンジ色の本)、エジソンをめぐる映画もテレビで二度観ていたし――「若い科学者」(ミッキー・ルーニー主演)、「人間エヂソン」(スペンサー・トレイシー主演) ーー君もエジソンも誕生日が二月初旬であること、そしてそれ以上に君がエジソンのちょうど百年後(の一週間前)に生まれたことになぜか大きな意味があると(いまの君には馬鹿げていると思えるが)考えたのである。だが何よりも嬉しく、何より重要で、君とエジソンとの結びつきをこの上なく深い絆にしてくれたのは、君の髪を切ってくれる人物がかつてエジソンのかかりつけの床屋だったという発見だった。床屋は名をロッコという、小柄の、もはやそれほど若くない男で、シートン・ホール大学キャンパスのすぐ向こう、君の家からほんの数ブロックのところで櫛とハサミを操っていた。これは五〇年代なかばから後半のことで、角刈り、クルーカットの時代、白いバックスキンと白い靴下とサドルシューズ、ケッズのスニーカーとごわごわの、おそろしくごわごわのジーンズの時代であり、君も当時の男の子ほぼ全員と同じに髪を短くしていたから、床屋には頻繁に、平均して月二回は通うことになった。つまり少年期のあいだずっと、二週間に一度はロッコの店の椅子に座って、鏡のすぐ左に掛かったエジソン肖像画の大きな複製を見ていたのである。額縁の右下隅にはメモ用紙が差してあって、わが友ロッコへ 天才は1%の霊感と99%の発汗なり――トマス・A・エジソンと手書きされていた。ロッコこそ君をエジソンとじかに結びつけてくれる環(リンク)だった。かつて発明家の頭に触れた両手が、いまは君の頭に触れているのであり、ひょっとしたらエジソンの頭の中にあった思いがロッコの指に入り込んで、その指がいま君に触れているのだから、それらの思いの一部がいま君の頭の中に染み込みつつあると思ってもいいのではないか? もちろんそんなこと、本気で考えたりはしない。が、そう考えるふりをするのは楽しかったし、ロッコの店の椅子に座るたび、君はこの魔法の思考転移ゲームを楽しんだ。あたかも君が――何も発明しない運命であり、将来も機械的なことにはおよそ何の才能も示しはしない君こそが――エジソンの精神の正統なる継承者であるかのように。やがて、君を愕然とさせたことに、ある日君の父親が、何気ない口調で、高校を卒業してからエジソンの研究所で働いたことがあると告げた。一九二九年、父にとって初めてのフルタイムの仕事だったという。メンロー・パークの巨匠の下で働く大勢の若者の一人、それだけの話である。おそらく父は、君の気持ちを傷つけまいとして話の後半は語らなかったのだろう。いずれにせよ、エジソンが君の家族の歴史の一部であった――つまりいまや君の歴史の一部でもある――という事実は、あっさりロッコの指に代わって、偉人との最重要リンクの地位を占めるに至った。君は父親のことが心底誇らしかった。これこそ父がいままで自らについて打ちあけてくれた最重要情報であり、君はそれを飽きることなく友人たちに伝えつづけた。僕の父さんはエジソンの研究所で働いてたんだぜ。いまや君は、よそよそしく打ちとけない人だと思っていた自分の父を、もうまったくの謎とは考えず、やっぱり父さんだって血の通った人間なんだ、世界をよりよくする大事な仕事にちゃんと貢献したんだと考えるようになった。父は君が十四歳になったとき初めて、物語の後半を語った。エジソンの研究所での父の仕事は、数日しか続かなかったことを君は知った。君の父が無能だったからではなく、父がユダヤ人であることをエジソンが知ったからである。メンロー・パークの聖域にはいかなるユダヤ人も入ることを許されなかった。エジソンは君の父を執務室に呼びつけ、その場で解雇した。君の偶像は狂信的な、憎悪に満ちたユダヤ人嫌いであることが判明したのである。よく知られたこの事実は、君が読んだどのエジソン伝でも触れられていなかった。

(p28)

 

本書は筆者が彼自身の生い立ちを振り返るエッセイになっています。

エジソンにそんな好き嫌いがあったことをこの記述で初めて知りました。憧れだった偉人は、オースターの父親はじめ彼らの属する人種をどう思っていたか。事実を知った子ども時代のオースターがどれ程衝撃を受けただろうかと考えると、苦い気持ちになります。

 

 バスター・クラブを始めとする映画のカウボーイはいち早いモデルとして、丹念に吟味し見習うべき男性的な行動規範を教えてくれた。寡黙で、自分からは決して面倒を起こさないが、面倒が向こうからやって来たら大胆かつ巧妙に対応する男。物静かな、控えめな威厳とともに正義を支え、善と悪の闘いにおいて自らの命を危険にさらすことも辞さぬ男。もちろん女性だって英雄的にふるまうし、時には男よりもっと大きな勇気を示すこともあるが、女性は君の手本にはならなかった。それは単に君が男の子であって女の子ではなかったから、男の大人に成長するのが君の運命だったからだ。七歳になったころには、カウボーイはスポーツ選手に主として野球とフットボールの選手に代わっていた。いまから考えると、球技に秀でることで人生をどう生きるかが学べると当時の自分が思ったことには戸惑うほかないが、とにかくそれが事実だった。いまや君は熱心なスポーツ狂で、スポーツがまさしく生活の核となっていたから、五万、六万の観衆でひしめくスタジアムで一流選手たちがここ一番という瞬間にすさまじいプ
レッシャーの下で実力を発揮するのを見て、彼らこそ君の世界の紛うかたなき英雄だと決めたのだった。砲火の下の勇気から、決定的瞬間の技術への移行。厳しいカバーをくぐり抜けて弾丸パスを通す力、ヒットエンドランのサインを受けてライトに二塁打を放つ力。倫理的偉大さはいまや肉体
の武勇に取って代わられた。もしくは肉体的能力が倫理的偉大さを帯びるに至ったと言うべきか。いずれにせよ、少年時代中期ずっと、そうした崇拝の念を君は育みつづけた。八歳になる前に、早くも初めてのファンレターを、当時トッププレーヤーだったクリーヴランド・ブラウンズのクォー
ダーバック、オットー・グレアムにてて書き、ニュージャージーでもうじき開かれる君の八歳の誕生パーティに彼を招待した。君を永遠に驚愕させたことに、グレアムは返事をよこした。クリーヴランド・ブラウンズの公式便箋に短いメッセージをタイプして送ってきたのである。言うまでもなく、その日は先約があるからと言って誘い自体は断っていたが、その丁寧な返事で君の失望も和らげられた。もちろん可能性は薄いとわかっていたが、心のどこかで君は、本当に来てくれるかもしれないと思っていたのであり、彼がやって来た場面を頭の中で何度も思い描いていたのである。
 そしてその数か月後、今度は地元の高校フットボール・チームの主将でクォーターパックのボビー.Sに、あなたは素晴らしい選手だと思いますという旨の手紙を君は書いた。何しろまだほんの子供だったから、きっと綴りの間違いや馬鹿げた誤用に満ちた噴飯ものの手紙だったにちがいない
が、かくも年少のファンがいると知ってきっと心を動かされたのだろう、ボビー・Sはわざわざ返事をくれて、もうフットボールのシーズンは終わったからとバスケットボールの試合に招待してくれて(彼は秋にフットボール、冬にバスケット、春に野球をプレーする三競技スーパースターだっ
たのだ)、ウォームアップ中にフロアに降りてきて声を掛けるよう君に指示し、言われたとおり君が訪ねていくとボビー・Sはベンチに君の場所を空けてくれて、君はそこでチームのメンバーたちと一緒に試合を観戦したのだった。ボビー・Sは当時十七歳か十八歳、思春期の若者にすぎないが、
君から見れば大の大人であり、巨人と言ってよく、それはチームのほかの選手たちも同じだった。一九二〇年代に建てられたその古い高校体育館で、君は幸福の後に包まれてゲームを観戦し、周りの観衆が立てる音に動揺しかつ鼓舞され、タイムアウトとともにフロアに跳ね出てきたチアリーダーたちの美しさに圧倒され、こうしたことすべてを可能にしてくれたボビー・Sを精一杯応援したが、試合そのものについては何も覚えていない。ショットひとつ、リバウンドひとつ、スティールされたパスひとつ。覚えているのはただ、自分がそこにいて、高校チームと一緒に夢見心地でベンチに座り、チップ・ヒルトンの小説の中に紛れ込んだような気でいたことだけである。

(p34)

 

7歳でファンレターを書くオースターがすごい。それにお返事が来るのも微笑ましいです。

 

 君の目的はあくまで、君の若き精神のありようをたどり、君を抽出して眺め、君の少年時代の内的地理を探ることだが、君は決して孤立して生きていたわけではない。君は家族の、奇妙な家族の一員だったのであり、疑いなくその奇妙さが、かつての君であった子供と大いに関係している。ひょっとしたらすべてはそこから来ていると言ってもいいかもしれない。といってもべつに、語るべき恐ろしい物語が、暴力や虐待の劇的な話があるわけではない。あるのは、ずっと途切れぬ底流のように続く悲しみであり、君は生来悲しみがちな子供でもあからさまに辛い思いで生きている子供でもなかったから、それを精一杯無視しようと努めた。けれども、ある程度大きくなって、自分の状況をほかの子たちのそれと比較できるようになると、自分の家族が壊れた家族であることを君は理解した。両親は自分たちが何をやっているのかわかっていないのであり、たいていの夫婦が子供のために築こうとする砦はこの家にあってはいまにも倒れそうな掘っ建て小屋でしかない。
 ゆえに君は、自分が世界の脅威に直接さらされていると感じた。自分は何にも護られず、無防備なのだと感じ、だから生き延びるためには強くなってどうにか一人でやっていくすべを考えないといけないと思った。この二人は夫婦でいる謂(いわ)れなんて全然ないのだと君は悟った。君が六つのときに母親が外で働き出してからというもの、二人はろくに顔も合わせず、話すこともほとんどないみたいで、たがいへの寒々しい無関心の中で共存していた。罵倒、けんか、どなり合い、一目でわかる敵意等々があったわけではない。ただ単に、どちらも情熱を欠いていて、偶然同室させられた囚人二名が厳めしい沈黙を保ちつつ刑期を務めているような有様だったのだ。もちろん君は二人のどちらも愛していたし、二人のあいだがもっと上手く行けばいいと強く願ったが、年月が過ぎていくにつれてだんだん望みを失っていった。二人とも大半の時間は出かけていて、夜まで長時間働き、家はいつも空っぽのように思えた。一家揃っての夕食はめったになく、四人が一緒になる機会もごくわずかで、君が七歳か八歳になったあとは、君と妹の食事も大半は家政婦の女性が世話してくれた。
 キャサリンという名の黒人で、君が五つのときに登場し、その後長年、君の人生の一部であり続け、君の両親が離婚し母親が再婚したあとも母親の下でそのまま働き、一九七九年に君の父親が死んだのちももうだいぶ耄碌(もうろく)していたけれど依然君と手紙をやりとりする仲だった。けれどキャサリンはとうてい母親的な人物とは言えなかった。メリーランドの田舎の出の変わり者、数度の結婚歴と数度の離婚歴、ゲラゲラよく笑う冗談好きで、こっそり隠れて酒を飲み、煙草(クール)の灰を自分の手のひらで受ける。そんな人間だったから、母親代わりというより友だちみたいなものだった。そういうわけで、君と妹は二人きりでいることが多かった。いつも心配している、ひ弱な君の妹――約束の時間に母親が帰ってくるのを窓辺に立って待ち、車が予定時刻ぴったりに道路から入ってこないようなことがあれば、取り乱し、泣き出し、お母さんは死んだんだと信じて疑わず、何分かが過ぎていくなかで涙は激しいすすり泣きと突然の癇癪へと膨らんでいき、君は、まだ八、九、十歳の君は、妹を落着かせよう、慰めようと懸命に頑張るものの、足しになったためしはまずなかった。哀れ君の妹は、二十代前半に至ってとうとう完全に壊れてしまい、狂気へと墜ちていく旅が何年も続き、現在は医者と向精神薬に支えられて何とか崩れずに済んでいる。妹の方が、君よりはるかに、君たち奇妙な家族の犠牲となったのだ。母親がひどく不幸だったことがいまの君にはわかるし、父も不器用ながら母を愛していた――父が人を愛せる限りにおいて―こともわかる。だがとにかく、二人はやり損なった。子供のころ自分がその悲惨な事態の一部だったという事実が、君の目を内面に向けさせたこと、君を人生の大半部屋で一人座って過ごしてきた人間にしたことはまず間違いあるまい。

(p42)

 

オースター作品できょうだいを書いた作品をあまり思いつきませんが、この彼の妹のことを書いた文章を読んで、何となく腑に落ちました。

 

両親が東ポーランドやロシアのユダヤ人街(シュテトル)から移住してきた大統領候補もいない。まあ三〇年代、四〇年代にボクサーは何人か活躍したし、クォーターバックのシド・ラックマン、野球界の三名手(ハンク・グリーンバーグ、アル・ローゼン、一九五五年ドジャースでプレーしはじめたサンディ・コーファックス)もいたが、彼らは例外中の例外であり、人口分布上の異常、統計上の逸脱でしかない。ユダヤ人でもバイオリニストやピアニストはいるし、時には指揮者もいるが、人気歌手やミュージシャンはみなイタリア人か黒人か、南部出の田舎男(ヒルビリー)だ。ボードビル芸人もいるし、コメディアンもいるが(マルクス兄弟ジョージ・バーンズ)、映画スターはいないし、ユダヤ人として生まれても俳優はかならず名前を変える。ジョージ・バーンズは元はネイサン・バーンバウムだった。エマヌエル・ゴールデンバーグはエドワード・G・ロビンソン
変身した。イスール・ダニエロヴィッチはカーク・ダグラスになり、ヘートヴィヒ・キースラーはヘディ・ラマーに生まれ変わった。「紳士協定」について言えば、結局は生ぬるい作品であり、非ユダヤ人のジャーナリストがユダヤ人に対する偏見を暴こうとユダヤ人になりすますという筋立て
はわざとらしいし、主張も偽善的だが、一九四七年のアメリカ社会――君が生まれ落ちた社会―の中でユダヤ人が占めていた位置を知る上では参考になる。ドイツが一九四五年に敗北したことで反ユダヤ主義は永久に抹殺されたはずだ、少なくともその可能性は高いはずだと考えたくなるが、
君の国の現実はさして変わっていなかった。ユダヤ人の大学入学者数制限はまだあったし、クラブなどへの入会もいまだ限定され、毎週のポーカーの席上ではユダヤ人をダシにしたジョークに相変わらずみんなが笑い転げ、民族の主たる代表となればいまだにシャイロックだった。君が育ったニュージャージーの町でも、幼い者にはまだ理解できず気づけもしない不可視の境界や障害があった。
君の最大の親友ビリーが一九五五年に一家で引越してしまい、もう一人の仲良しピーターも翌年に消えてしまうとーーこれら辛い別れに君は戸惑い、悲しんだーー君は母親から説明を聞かされた。あまりに多くのユダヤ人がニューアークを出て、人並みに芝生の庭を求めてこうした郊外に移ってきているせいで、昔からここにいた人たちが立ち去っているのだ、非キリスト教徒の突然の流入から逃げているのだ、と。母は反ユダヤ(アンティ・セミティック)という言葉を使っただろうか? 思い出せないが、母の話の含むところは明らかだった。ユダヤ人であるとは、人とは違うということ、離れて立つこと、部外者と見なされることなのだ。そして君は、それまでずっと自分を掛け値なしのアメリカ人だと、メイフラワー号に乗ってやって来た純血の人たちと同等にアメリカ人だと思っていたのに、君のことをよそ者だと思っている人々が存在することをいまや理解した。自分の場所(ホーム)と呼んでいる場所にいても、本当に自分の場所にいるのではないことを君は悟ったのだ。


 その場に属していると同時に、その場に属さないということ。大半の人間には受け容れられても、一部の人間に疑いの目で見られるということ。アメリカは特別だという華々しい物語を小さいころは信奉していた君は、だんだんその物語から身を引きはじめた。いま住んでいる世界とは違う別の世界に自分が帰属していることを君は徐々に理解していった。君の過去は、どこか遠くの、東ヨーロッパのユダヤ人居住地に根ざしている。君の父方の祖父母と、母方の曾祖父母とがその世界を離れるだけの知恵があったからよかったものの、もしその知恵を欠いていたら君たちのうちほとんど誰一人いま生き残ってはいないだろう。ほぼ全員が戦争中に殺されていただろう。人生は危険をはらんでいる。君の足の下の地面はいつ崩れてもおかしくない。君の一族はアメリカにたどり着き、アメリカによって救われたわけだが、だからといってアメリカが君たちに温かく接してくれると期待してはいけない。追放された者たち、蔑まれ虐げられた人々に君は共感を寄せるようになった。

(p62)

 

「蔑まれ虐げられた人々に君は共感を寄せるようになった。」この感情に、オースター作品らしさを感じます。

 

  帰って来て以来嬉しい事の一つは、ピーターとの交友が――手紙で依然続いている事だ。彼の手紙には本当に心が温まる。僕にはこんなに良い友を持つ資格は無い。ピーターと来たら、根っからの親切心、自己犠牲の精神を発揮して、出し抜けにパリを去った僕の持ち物をまとめて、アメリカまで送ってくれたんだ。そういうのって凄く鬱陶しい仕事なのに、大いなるユーモア精神を以てピーターはやってくれた。目下荷物は空港にあり、明日配達される。タイプライター、ノート、本が戻って来るのは実に有難い……それに、これでやっとズボンが替えられる……


 1968年1月1日 祖母が亡くなった――昨日葬儀だった予想していた事とはいえ、僕は未だに……動揺している。葬式自体もひどく心乱されるものだった――祖父が取り乱して、わあわあ泣いて……何もかもが哀しい。とはいえ、祖母がもうこれ以上あの恐ろしい責め苦(筋萎縮性側索硬化症。)を味わわずに済むのは救いだ。それに幸い、眠ったまま静かに逝った――窒息するんじゃないかと心配していたから…


 翻訳のタイプ清書が終った(160ページ)。大枚はたいてコピーを一組作った―ひょっとしたらもう一組ただで作れるかも知れない――そうなったらすぐ君に送る―ならなかったら、来月もう少し懐が潤うまで待って貰うしかない…
 本当に上等の、深々とした笑いが望みなら、フラン・オブライエンの「スウィム・トゥー・バースにて」を読み給え。自信を持って勧める。
 

 2月2日  丸一月、君から一言の便りも無い…何かあったのかと、君のお母さんに電話してみた。君の新住所はロンドンW6だと言われた。君が知らせてきたのはN6。もしかしたらこれが原因で仕分け室において混乱が生じたのか。
 僕はと言えば、21歳の誕生日が何事もなく訪れて、過ぎていったという事位だ……こんなに自分が誰からも必要とされず、求められてもいない気になったのは初めてだ。僕は真空の中で生きている―誰とも何の関りも持たない――それは苦痛だ。他人を眺める事しか出来ない。僕には誰かが必要だ。

 

 3月2日 君からの最新の手紙…もう一度君に言う、僕の事は心配しないで。僕は大丈夫だから、本当に。僕との関係において、君が自分を疑うには及ばない。現時点で解決しようが無いと判っている問題についてあれこれ思い悩むのはよそう。今はただ、君の生活が何から成り立っているにせよ、それを抱えて精一杯良く生きるよう努める事だ。人間は現在の中で生きる事によって最も永遠の感覚に近付けるのだと僕は思う……
 自分は誰に愛されるにも相応しくないのだと思い至って、時々身震いしてしまう。恐らくは生来の理想主義故なのだろう、この世界の何一つ善いものに思えない。僕の抱えている寂しさは自虐的な欲望だ...
 周り中で目に付く……狭量さ、愚かしさ、偽善……その結果、自分が寛容でなくなって行くのが判るーーそうして、人に不愉快な思いをさせぬよう、人前から消える。

(p202)

 

上記は彼の最初の奥さんに宛てたお手紙からの文章です。

21歳の筆者が孤独の渦中にいることがひしひしと伝わってきます。手紙からも、(彼が書いたのだからあたりまえなのですが、)オースターの文章らしさが存分に出ています。

エッセイなのに、やっぱりいつものオースター作品っぽいところに、ファンとしては何だかときめいてしまいます。

 

巻末の、文章にまつわる写真がたくさん載っているのも面白いと思いました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。