ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

ポール・オースター『インヴィジブル』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『インヴィジブル』を読みました。

 

 私はこれが終わってほしくなかった。不思議な、測りがたきマルゴと一緒にその不思議な楽園で暮らすことは、それまで私の身に起きた最良の、最高にありえない出来事だったのだ。だが次の日の晩にはボルンがパリから帰ってくる。私たちはこれを断ち切るしかなかった。そのとき私は、これは一時的な休戦にすぎないと思っていた。最後の朝に別れをマルゴに告げたとき、心配は要らない、じきに続けるやり方が見つかるよと私は言ったが、そんな私のはったり気味の自信とは裏腹に、マルゴは心乱れたような表情をしていて、私がアパートメントを去ろうとすると突如彼女の目に涙があふれた。
    いやな予感がするの、とマルゴは言った。なぜだかわからないけど、これで終わりだという気が、あなたと会うのもこれが最後だという気がするのよ。
 そんなこと言わないで、と私は答えた。僕はここからほんの数ブロックのところに住んでるんです。来たければいつでも僕のアパートに来ればいい。
 やってみるわ、アダム。できるだけのことはする、でもあんまり期待しないでね。私はあなたが思ってるほど強くないのよ。
 わかりませんね、どういうことか。
 ルドルフよ。戻ってきたら、あの人は私を追い出すと思う。
 追い出されたら、僕の部屋に越してくればいいじゃありませんか。
 で、汚い部屋で大学生の坊や二人と暮らすの? 私はもうそんな歳じゃないのよ。
 僕のルームメートはそんなにひどくないですよ。部屋だって案外きれいです。
 私はこの国が嫌いなのよ。あなた以外、この国のすべてが嫌いなの。あなただけでは、私をここにとどめてはおけない。もしもうルドルフに求められないんだったら、荷物をまとめてパリに帰るわ。

 何だかそれを望んでいるみたいな口ぶりですね。まるでもう、自分からおしまいにする気みたいな。

 どうかしらね。そうなのかもしれない。

 ぼくはどうなるんです?この五日間はあなたにとって何の意味もなかったんですか?

 もちろんあったわ。あなといてすごく楽しかった。でももう終わったのよ。ここから出ていった瞬間、あなたももう、私が必要なくなったことがわかるはずよ。

 そんなことありませんよ。

 あるわよ。あなたにはまだわからないだけよ。

 何を言ってるんです?

 可哀想なアダム。私はあなたにとっての答えじゃない。たぶん誰にとっての答えでもないのよ。

(p51)

 

 

「私はあなたにとっての答えじゃない。たぶん誰にとっての答えでもないのよ。」

このセリフが、マルゴという女性が自らをどう思っているかをよく表していると思います。料理が得意で、性的な魅力に溢れているけど、他人からはそれ以外の面で求められることはない女性としてマルゴは書かれています。またそれを、彼女自身も自覚していることが、彼女の孤独に拍車をかけているように思いました。

 

  親しい間柄ではなかった。秘密を打ちあけあったりもせず、一対一で長いこと話し込んだり、手紙をやりとりしたりもしなかった。だが僕がウォーカーを素晴らしいと思っていたことに疑いの余地はないし、彼が僕を同等の人間と見てくれたことも間違いないと思う。いつも変わらず敬意と友好の念をもって接してくれたのだ。いくぶんおどおどしたところがある男だったことは覚えている。こんなに鋭い知性の持ち主で、しかもキャンパス有数の美男子でもあるのに――映画スターみたいにハンサム、と僕のガールフレンドの一人は評した――妙なものだと思った。まあでも傲慢より内気の方がいいし、耐えがたい完璧さで皆を萎縮させてしまうよりひっそりみんなに溶け込んでいる方がいい。というわけで、一人ぽつんとしている傾向はあるが、ひとたび繭の外に出てくればいつでも愛想好く剽軽で、鋭い風変わりなユーモアのセンスを持つ男だった。僕が特に気に入っていたのはその関心の広さであり、カヴァルカンティ (ダンテの友人だった文人)やジョン・ダン (17世紀イギリスの詩人)について語りもすれば、それと同じ深い洞察と知識をもって、野球についてこっちが考えたこともないようなことを言ったりするところだ。だが彼の内的生活となると、僕は何も知らなかった。姉がいるという事実を除けば(ちなみに姉はとびきりの美人だった。どうやらウォーカー一族は天使の遺伝子に恵まれたらしい)家族についても育った環境についてもまったく無知だったし、むろん弟の死についても細かいことは何も知らなかった。そしていまウォーカー本人が死にかけていて、六十歳の誕生日を過ぎて一月が経ったいま、世に別れを告げはじめている。ためらい混じりの、胸を打つ手紙を読んだ僕は、これが始まりなのだ、遠い昔の輝かしき若者たちはついに老いてきたのだと思わずにいられなかった。まもなく僕たちの世代全体がいなくなってしまうだろう。

 (p72)

 

 

主人公であるアダムの言葉を、その友人(「親しい間柄ではなかった」らしいけど)が代わって語っているという手法が、なんともオースターっぽくってわくわくします。

「どうやらウォーカー一族は天使の遺伝子に恵まれたらしい」という表現が素敵です。

 

 君はそんなことを考えたくない。君はもう逃げたのであり、あの悲鳴と沈黙の家に戻る気はない。二階の寝室から響く母親の絶叫を聞いたり、薬のキャビネットを開けて安定剤と抗鬱剤の壜を数えたりする気にも、医者や神経衰弱や自殺未遂のこと、君が十二だったときの長い入院のことを考える気にもなれない。長年、君を向こう側まで見通しているように見えた父親の目も思い出したくないし、毎朝六時きっかりに起きて夜九時にやっと帰ってくるロボットのような父の生活や、君や姉の前で決して死んだ子の名を言おうとしない態度も思い出したくない。君たちはめったに父と顔を合わせなかったし、母はもう家事や料理はほとんどできなくなっていたから、一家揃った夕食の儀式も消滅した。掃除や食事作りは、次々入れ替わる、主に五十代か六十代の疲れた黒人のメイドの仕事で、たいていの夜母親は自室で一人で食べたから、ほぼいつも君と姉の二人だけで、キッチンのピンク色の合成樹脂のテーブルに向かいあわせに座っていた。父親がどこで夕食をとっているのか、君たちには謎だった。あちこちのレストランに行くのか、それとも毎晩同じレストランに行くのかなどと想像したが、本人はそれについて一言も言わなかった。
 こうしたことを考えるのが君には辛かったが、姉と一緒に過ごすようになったいま、考えることは避けられず、意志に反して記憶が押し寄せてきて、机に向かって六月に書きはじめた長い詩に取り組むときも、しばしばフレーズの途中で中断し、ぼんやり窓の外を見て、子供のころをふり返るのだった。
 自分で思っていたより実はずっと早く逃げはじめていたことが、いまの君にはわかる。アンディが死ななかったら、君はおそらく、家を出る日までずっと、親の言うことをよく聞く素直な子供でいただろう。が、母は罪悪感に苛まれた恒久的な喪に服し、父はもうほとんど姿を見せなくなって家庭が崩壊しはじめると、君はまっとうな生活を求めてよそへ目を向けるほかなかった。子供のころの限られた世界において、よそとは学校のことであり、友人たちとプレーする野球場のことだった。君はすべてに秀でたいと願い、幸い、それなりの知力と丈夫な体に恵まれていたから、成績はつねにトップクラス、どんなスポーツでも際立っていた。こうした事柄をじっくり考え抜いたことはなかったが(それにはまだ幼すぎた)、そうやって活躍できたおかげで、家で君を包囲する暗さもいくらか和らいだし、活躍すればするほど、父母からの独立を打ち立てることにもなった。もちろん二人とも君のためを思ってはくれたし、はっきり君に敵対したわけでは
ないが、やがて(たぶん十一歳のときだ)両親の愛にいまだ焦がれはしても友人の賞讃にも焦がれる時期が訪れた。
 母親が精神病院に運ばれていった数時間後、君は一生ずっと善人でいることを、弟の記憶にかけて誓った。一人でバスルームにいたことを君は覚えている。一人バスルームで、涙を懸命にこらえていた。善人とは正直で、親切で、寛大な人間のことであり、人をからかいもせず、見下しもせず、誰にも喧嘩を吹っかけたりしないということだ。君は十二歳だった。十三のときに神を信じるのをやめた。十四歳から夏は三年続けて父のスーパーマーケットで働いた(袋詰め、棚出し、レジ、配送受付、ゴミ捨て。コロンビア大学図書館図書整理係という栄誉ある地位に就く素地はこうして築かれた)。十五歳で、パティ・フレンチという名の女の子に恋をした。同じ年、詩人になるつもりだと姉に告げた。十六のときにグウィンが家を出て、君は内なる亡命生活に入っていった。

(p99)

 

 

運動も勉強もできるのに、辛い少年時代だと思います。

「一生ずっと善人でいる」、この時のアダムの決意が、その後の彼の内面的な魅力に磨きをかけるのに一役買っていることが分かります。

 

 君たちは二人ともトルストイドストエフスキーを、ホーソーンメルヴィルを、フロベールスタンダールを愛するが、この時点では君がヘンリー・ジェームズに耐えられないのに対し、グウィンはジェームズこそ巨人のなかの巨人だ、ジェームズの前ではほかの小説家はみなこびとみたいなものだと主張する。カフカベケットについては完全に意見が一致するが、セリーヌも同じ次元に属すと君が言うと彼女はあざ笑い、あんなのはファシストの狂信者だと断じる。ウォレス・スティーヴンズまではいいが、次の詩人となると君はウィリアム・カーロス・ウィリアムズであってグウィンがすらすら暗唱できるT・S・エリオットではない。君はキートンを擁護し彼女はチャップリンを弁護し、二人ともマルクス兄弟は大爆笑だが君の偏愛するW・C・フィールズは彼女から笑みひとつ引き出せない。トリュフォー最良の作品群は君たち二人の胸を打つが、グウィンはゴダールを格好ばかりだと考え君はそう考えない。彼女はベルイマンとアントニオーニこそこの宇宙の双璧だと讃えるが、君は彼らの映画に退屈してしまうことをしぶしぶ白状する。クラシックに関してはバッハが最高ということで軋轢はないが、君はジャズへの関心を深めつつある一方、グウィンは依然、君にはほとんど何も訴えてこなくなったロックンロールの狂熱にし
がみついている。彼女はダンスが好きで君は好きではない。彼女は君よりよく笑い、君ほど煙草を喫わない。彼女の方が君より自由で幸福な人物であり、君も彼女と一緒にいるたびに世界はより明るい、より友好的な、陰気で内向的な君の自我すらほとんどくつろげそうな場所に思えてくる。
 会話は夏のあいだずっと続く。本や映画や戦争を君たちは語り、自分たちの仕事や将来の計画を、過去と現在を語り、加えて君はボルンのことを語る。君が苦しんでいることをグウィンは知っている。その経験が君の胸にいまだ重くのしかかっていることをわかってくれて、君がその話をするのを、何度も何度も同じ話をするのを辛抱強く聞いてくれる。いまや君の魂にまで食い込んだ、君という存在の本質的な一部と化した妄執的な物語。君がまっとうにふるまったこと、ほかにやりようはなかったことを彼女は力説してくれるし、セドリック・ウィリアムズ殺害自体は防ぎようがなかったことは君も同意するが、自分が臆病でためらって警察にすぐ行かなかったせいでボルンが罰されずに逃げることを許してしまったという事実も君ははっきり自覚していて、それについては自分を許す気になれない。いまは金曜日、ニューヨークで過ごすことにした七月初旬の週末第一日目の晩であり、君と姉はキッチンテーブルに座って、仕事のあとのビールと煙草を楽しんでいる。

(p115)

 

 

ポール・オースターのエッセイ『内面からの報告書』で、作者の家族関係を知った時、オースター作品できょうだいの姿があまり描かれないのも納得だと思いました。が、本作では姉・グウィンと弟・アダムというきょうだいがかなり強烈に描かれています。話が進むにつれ、マジかと思うこの二人の関係性も、読んでいるうちに末っ子アンディの死を乗り越えるためにはある意味仕方がないことなのかも、という気になってきます。

そんな中で、グウィンとアダムがニューヨークで共同生活を送るこの描写は、かけがえのない時間のように丁寧に描かれていて好きです。この本の中でも特に輝いて見えます。

 

 こうしてウォーカーとセシル・ジュアンの交友が始まる。多くの面で、セシルがどうしようもない人間であることをウォーカーは知る。いつもそわそわ落着かなげで、爪は噛む、煙草も喫わず酒も飲まないコチコチのベジタリアンで、自分に対する要求が厳しすぎるし(例 破棄した翻訳)、時おり唖然とするほど未熟(例 リュコフロンの翻訳をどこで見つけたか言わない―――子供っぽい秘密への固執)。その一方、これほど頭のいい人間はそうざらにいるものでないことも間違いない。その精神は驚くべき思考機械であり、およそどんな話題でもウォーカーのはるか先まで考えることができ、文学、美術、音楽、歴史、政治、科学等々の知識でウォーカーを圧倒する。それにただの記憶マシンではない。何のフィルターも通さない莫大な量の情報をひたすら摂取するだけの典型的秀才などではない。繊細で、明敏で、その意見はつねに独創的だし、内気で臆病ではあっても、議論になればいつも自分の意見を貫き通す。六日続けてウォーカーはマゼ通りの学食で彼女と会って昼食を共にする。午後は一緒に街をさまよい、本屋を見て回り、映画や美術展に行き、セーヌ河畔のベンチに座る。自分がセシルに性的に惹かれてはいないことがウォーカーには安堵の種である。セックスについての思いは、マルゴ(この六日のあいだに彼女は一夜をウォーカーのホテルで過ごす)と、ここにはいない――だが一瞬たりとも遠く離れてはいな――グウィンに限定できる。要するに、いろいろ苛立たしい癖はあっても、セシルの精神とともに時を過ごすだけで十分楽しいのであり、彼女の肉体については何も考えずにいられる。手を出さないということで、ウォーカーとしては何の異存もない。

(p194)

 

 

 本作に登場する女性はどの人物もちょっとよく設定しすぎではないかと思うくらい魅力的なのですが、このセシルという女性は、特に友達になりたいなと思いました。(最終的には彼女が本書をラストまで引っ張ってくれます。)

 

話が終わってしまって残念だな、と思わせる本でした。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。