ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

チェコの歴史が垣間見える。『僕の陽気な朝』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

イヴァン・クリーマさん、田才益夫さん(訳)の『僕の陽気な朝』を読みました。

 

イヴァン・クリーマさんはプラハの春事件(1968年に起こったチェコスロバキアの変革運動)前に、ミラン・クンデラら作家たちと共産党批判を行ったチェコ出身の作家です。

 

ミラン・クンデラさんの作品が好きなので、雰囲気など似ているところがあるかな、と思って読んだのですが、印象はだいぶ異なりました。

 

「いっしょにどこかで食事でもしない? もし食欲があるなら」
「あたしたちいっしょに食事をしたことなんか一度もないんだから、そんなことに意味ないわ」
 彼女は言い、僕も認めた。
「あたしたち、たぶん、もう二度と会わないわね。あたしあんたに聞きたいことがある」
「言ってごらん!」
「あんた、外国じゃ食べていけないなんて思っていないんでしょう?」
「そんなこと思わないさ!」
「むこうじゃ自由がないとも?」
「自由がないとも思わない!」
「それから、あんたは外国に出ていく許可はもらえるって言ったわよね?」
「どうして出ていきたくないかも言ったぜ」
「でも、それは本当の理由じゃなかったわ! どうして出ていきたくないの? いまなら、まじめに答えることができるはずよ?」
しばらくためらってから僕は言った。
「やっぱり、答えられない!」
「じゃ、少なくとも、自分ではわかってるの?」

 僕はもう一度、なぜなら、ここが僕の祖国だからと答えることができたかもしれない。なぜなら、ここには何人かの友人がいて、僕には彼らが必要だし、彼らも僕を必要としているから。そしてここの人たちは僕と同じ言葉を話すから。なぜなら、僕は作家であり続けたいから、そして作家であることは僕にとって、僕と関係のある人間の運命を気づかうことを意味するから。
 もしかしたら人間としての「自由と尊厳ある存在」への願望を、僕よりも口下手な人にかわって発言することができるかもしれないから。それだって僕が成長し、過去の事件や歴史に関係し巻き込まれたこの国にいればこそできるのだし、その事件や歴史についてもこの国にいればこそ多少は理解できるからだと。
 たとえ、向こうの人たちがどんな苦痛に耐えていようとも僕には痛くもかゆくもないのだから、かつて一度も享受したことのない向こうの自由が僕を完全に幸福にするなんてことがあるはずがない。僕が向こうへ行ってしまえば、きっと自分の人生を毎日無駄にしているという気がするだろう――。
 僕はまたこうも答えることができただろう――僕はプラハのどこかの通りの花崗岩の石だたみの上を歩きたいのだと……。それらの通りはその名前からして、僕が知り、少なくとも理解している歴史を思い出させてくれると。
 それにまた、こういうふうにも答えることができるだろうか――僕の祖国はもうさがしても見つからない。森のなかの場所のようにもう消えてしまった。同じように、ほとんどの僕の友人も国外に去るか、出ていく準備をしている。
(p79 「火曜日の朝センチメンタル・ストーリー」)

 

「1969年秋からアメリカのミシガン大学客員教授として講義するための出国を許可された。しかしクリーマが出国した直後に、ソ連のテコ入れによる「正常化」路線徹底強化によって、チェコ国境が封鎖される。1969年末までに、海外在住のチェコ人はチェコ国籍を放棄するか、帰国するかの選択を迫られた。大使館の特別の配慮でアメリカ滞在の延長を許され、学期終了の1970年3月にクリーマは帰国。」(ウィキペディアより)

 

仕事で海外へ行っている間に、自分の国の国境が封鎖されるというのは、なかなかイメージしにくい状況ではあります。

「かつて一度も享受したことのない向こうの自由が僕を完全に幸福にするなんてことがあるはずがない。僕が向こうへ行ってしまえば、きっと自分の人生を毎日無駄にしているという気がするだろう」

この言葉はそのような状況で、クリーマさんが作家として、チェコ国民として、自身のアイデンティティをどう考えているか窺えるようで興味深いです。

こんな状況で、自分を見失わないでいられるのがすごい。

 

「そうだろうな」 僕は同意した。 「お金のためになら誰がそんなことするもんか!」
「あなたのことは、みんないい人だって言ってますわ」
「誰がそんなことを…...?」
「そうね、まあ、そんな話ってとこ。 でも、あなたは根っからの病院雑役夫じゃない」
 ときに僕は真実、一定時間、僕に仕事を頼んだ人びとにたいして少なくとも多少の関心、ないしは親切さをもってふるまうことはある。しかしほかのときには読書のために一刻も無駄にしない努力をする。
 移送する患者にたいして親切にしろということは執務規則には書いてない。誰もそのことを要求しないし、僕がもらう給料にたいしてさえその義務はない。
 あるとき僕はある老婆を約二時間ばかり診察室から診察室へと運んだことがある。そのあとさらに僕たちの外科病棟から内科病棟まで運んだ。 彼女は肝臓の病気で真っ黄色になっていて、あと数日だろうということはすでに誰の目にも明らかだった。
 彼女は手をにぎってくれ、自分にはもはやだれも身寄りがないからと僕に頼んだ。 少しいやな感じがした。なぜなら、彼女は不快感をもよおさずにはいられないほど黄色かったし、尿の臭いもひどかったからだ。
 それでも、そのあと、いくつかのまったく無意味な診察を待つあいだ、彼女の手をにぎり、黄色の額を何度かなでてやった。彼女は目をつむって搬送車の上に横たわり、だまって僕の手をにぎっていた。
 最後に彼女が内科に引き取られたときどうしてだかわからないが、どの科も死ぬことがわかっている患者をよそに押しつけようとする。たぶんある種の統計が取られていて、死亡率の一番低い科がより高いボーナスか、または少なくとも特別休暇の恩典にあずかるのだろう。
 老婆は十コルンくれようとした。 僕は断った。 僕は本物の病院雑役夫ではない。彼女はそれを受け取ってくれるように、そしてまた会いに来てくれるように懇願した。
 僕は来ると約束してその十コルンは受け取らなかった。そして当然行かなかった。それ以外にも罪の意識を覚えざるをえないようなもっと不快な仕事や、もっと義務的な仕事があった。
 もしそこで十コルンを受け取っていたら、僕は、たぶん、行っていただろう。しかしほかの者たちだったら十コルンを受け取っても、結局、行きはしない。
 彼らはすでに、あまりにも長いあいだ不誠実にならざるをえない状況に追い込まれて生きてきた。そこから抜け出すこともできずに……。 だから、不誠実は彼らが共存し、相互関係を成り立たせるための必要不可欠の前提となっていたのである。
(p180「金曜日の朝――病院雑役夫物語と挿入された物語」)

 

本物の病院雑役夫ではない、と言いながらも、そこで出会った老婆に親切に接し、でも再び会いに来るという約束を果たさなかったことを気に病んでいます。

もしお金を受け取っていたら、再び老婆に会いに行っただろう、とか、他の人なら行かないだろう、とか、不誠実になってしかるべき状況にいるのだから、とか考えて、物語の中で解除反応みたいにしているのがさすが作家という感じです。

 

 彼は妻に不実なこともした。しかも何度も。そんなことを起こした当時は、少なくとも、いくらかは真剣に考えた。良心の呵責を意識すると同時に、自分があざむいた女にたいする言いようのない憎しみも覚えた。一度など妻を捨てて、もう一人の女と逃げようとさえ考えた。
 そうはならなかった。やがてすべてが意味を失った。ほかの女たちも徐々に彼の意識から消えていった。彼が犯した昔の裏切も嘘も偽りももはや忘却の彼方に押しやられていたはずだった。ところが、その記憶がいまになって一度にどっとよみがえってきた。
 それらのことが急に下劣に、むしろナンセンスに思えてきた。そして、いま死のうとしている者と顔と顔を突き合わせていながら、そのすべてをふたたび犯しているかのように、まるで、いまあらためて嘘のなかにどっぷり浸ろうとしているかのように思えてくるのだった。
 恐ろしいのは、もはやその嘘をつくこともできなければ、嘘を告白することもできないということだった。それによって嘘は取り返しのつかない修正不能なものとなり、また完全に無意味化される。
 病人がうなった。 彼は彼女の上にかがみこみ、ささやく。
「どうした?」
 看護婦がベッドのほうへスタンドをひっぱってきて点滴液のピンをスタンドに固定した。 病人の血管に針を刺す。 彼は透明な管のなかをきれいな液体が通っていくのを見つめていた。

 彼女をあざむいた何日間とか、もしかしたら何か月間かと比較してみれば、もちろん彼女にたいして忠実であった時間のほうがはるかに長いということに、ふと、気がついた。たとえどんなに忠実であったとはいえ、一度犯した不実の過ちをそれで帳消しにできるものではないということは、もちろん、わかっていた。
 不実は行動であるのにたいし、忠実は単なる状態、現世においてかろうじて感知しうる持続にすぎない。不実が行為なら、不実の償いもまた行為によってのみ可能であるのかもしれない。
 どんな行為だ?
 たぶん、愛の行為であろう。
 彼は、妻にした何かいいこと、やさしいこと、それどころか愛にみちたことを思い出そうとつとめた。彼は婦人服の仕立屋ではなかったが、彼女にオーバーを縫ってやろうとしたことを思い出した。だが、どう見ても、それは愛の行為ではない。オーバーを縫ったのはそのほうが安く上がるからだ。また一緒にダンスに行ったことがある。ときには非常に疲れていた。 次の日は五時半には起きなければならなかったのに、夜、彼女を家まで送って行ったことがある。
 それだって本当は自分のためだった。 道は公園のなかを通っていたから、木にもたれてキスをするとか、低木のしげみにもぐりこんで大急ぎで愛し合うことができたからだ。
 かつて二人は若くて力にみちていた。彼女の髪はふさふさとして長く、白い肌はなめらかで、その肌に触れるとなんともいえぬ心地よさを感じたことなどを不思議な気持ちで思い出していた。
 妻が病気のときには、もちろん、簡単な料理を作ってやったし、下着も洗濯してやった。だが、考えてみると、そんなことは彼女が生涯にわたって彼のためにやってきたことなのだ。
 彼女だって彼とおなじくらいたくさんの仕事があり、ときには夜おそく工場から帰ってくることもあったのに、その事実について正直のところ、かつて一度も考えたことがなかった。関心があるのは自分の時間だけで彼女の時間ではなかった。いま、彼は、彼女の時間が喜びに満たされたことは一度もなかったことに気がついた。
 その罪を誰かのせいにする――ましてや自分のせいにする――などということは思いもよらないことだった。人生がもっと違ったふうに、しかも、もっと楽しいものになりえたなどとは思いもおよばなかった。
 またもや夜になった。彼は立ちあがり、やや弱々しい足どりで廊下に出て、二つの階段をくだっていった。外に出ると新鮮な冷たい風が吹きつけてきて一瞬身をすくめた。
 家に帰りついて家にはもう食パン一切れもないことに気がついた。彼はコーヒーを沸かし、食器戸棚の引き出しから古い角パンを探し出した。その古さときたら、角パンをおおっている緑色のかびの塊までがすっかりひからびているくらいだった。
 非常に疲れていた。それに、すっかり弱ってきているにもかかわらず横になって休む気にはならなかった。
(p193「金曜日の朝――病院雑役夫物語と挿入された物語」)

 

「彼女だって彼とおなじくらいたくさんの仕事があり、ときには夜おそく工場から帰ってくることもあったのに、その事実について正直のところ、かつて一度も考えたことがなかった。関心があるのは自分の時間だけで彼女の時間ではなかった。」

という妻への不誠実を後悔する場面が好きです。

 

おまけに大きな鞄までもっている。だから牧師さんが彼女に、小舟でその人を乗せてくるようにといってよこした。僕が「うん」と言えばいっしょに行くようにと言われた――というのである。
「君はボート漕げるの?」僕はたずねた。「あそこの岸のところはかなり流れが速いと思うけどな」
「あたし、うちにいるときはいつもオールを漕いでいたのよ」彼女は言った。「でも、そのまえにあたしと寝たいんなら、遠慮しなくてもいいのよ」
 彼女は僕の逡巡を勝手に解釈して、ひと気のない家のなかを見まわし、くすくすと笑った。だが僕は彼女のボート漕ぎを手伝うほうを選んだ。僕たちは小舟のなかにすわった。僕がオールの場所に、彼女は向かいにすわって、小舟が進むべき方向の舵取りをした。
 フットボール・トレーナーの家のすぐわきを抜けて進んだが、いったい水かさはどこまで増すのだろうと心配になった。 小舟はほとんど一階の窓枠の下のところを進んでいたからだ。 たとえほんの通りがかりだったとはいえ、僕ははじめて、部屋の内部にたくわえられていたたくさんのものを見た。
 たとえば、壁にかかって光っている鉄のパイプ、色を塗った棺、プシーブラム市で作られている聖母マリアのメダル、それに数個のキリスト磔刑像。 それらはまるで、どこかの聖具の収集品置場のように所せましと並べてあった。
 物を集めたいという熱烈な願望は単に貧困と飢えから身を守ろうとする、人間の本能的な欲求にのみ起因するのではないようだなと、僕はいつしか心のなかでつぶやいていた。人間はどちらかといえば自分の生命を時間的にのばしたいと熱望している。しかし、何によって生命をのばすことができるか?
 それは、なんらかの創造行為のなかに込められた思想によってか、行動によってか、あるいは、自らの手で完成するか、せめて所有したものか、そのいずれかによってであろう。
 もちろん大部分の人びとには創造力はないし、また、自分で行動するというチャンスも大部分の行動は人間自体の消滅よりもずっと以前になんの痕跡も残さずに消えてしまうという点はさておくとして――増大するよりは、むしろ減少する。
 それでは何が残るのか?人間はいずれにせよ死ななければならない。だからこそ人間は自分のあとにピラミッドか、せめて家か、あるいは羽布団のかかったベッドか、または何個かのガラスの人形かを残したいと念願するのである。
 予言者、哲学者、または、芸術家は、自分の幻想によって自己を充足させることができるから一般の人びとの欲求を理解できない。一方「一般の人びと」のほうから見れば、自分自身をまた、自分の時間を、思想ないしは創造によって充足させることのできる人たちが物を所有し蓄積することに、まるで無頓着であることが理解できない。
(p277 「日曜日の朝――奇人・変人物語」)

 

家の中の様子を覗けるような状況でボートを漕いでいるというのもなかなかシュールな光景なのですが、クリーマさんの体験なのかなと思われるような事細かな描写があると思えば、ときどき突拍子もない非現実的な情景が展開されて、読んでいるこちらが面食らいます。

 

「反体制派と目され、作品は出版禁止処分に。専門的職業の場からも追放され、病院雑役などの労働に従事した。しかし、海外で出版される作品の印税により生活ができた。」(ウィキペディアより)

 

という彼の経歴の方が、小説よりもインパクトがあるように思います。

「作品の発表を禁じられたばかりでなく、その学識に見合う公的職業につくことも禁じられ、自由業の身となる。つまり資格を一切必要としない職業にだけつくことを許される身となったのである」と訳者のあとがきにありますが、病院雑役など様々な職業を経験したことが、本書でも時々自伝的に描かれています。

そしてそれがクリーマさんの作品の世界観を作り出すのに役立ったのだろうな、ということが伝わってきます。

どんな状況になってもユーモアを忘れない、たくましさと優しさが詰まった本だと思いました。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。