ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

受け身の人生から脱出せよ。『ライフ・シフト』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

リンダ・グラットンさん、アンドリュー・スコットさん、池村千秋さん(訳)『ライフ・シフト〜100年時代の人生戦略』を読みました。

 

    変えるべきなのは、なによりも時間の組み立てだ。なにしろ、長寿化が進めば人生の時間が大きく増える。 考えてみよう。1週間は168時間。 人生70年なら一生涯は61万3000時間だが、 人生100年なら一生涯は87万6000時間になる。この膨大な時間をどのように使うのか? その時間になにをするのか? どのような人生のステージや活動をどのような順番で経験するのか? ウィークデイと週末の区分け、夏や冬の休暇、祝日や休日、そして3ステージの人生のモデルなど、時間の組み立て方と順序は、基本的にその時代の社会の産物だ。 長寿社会になれば、それが変わり、新しい時間の概念が生まれるだろう。

 

    100年ライフでなにが変わるか?


    長寿化時代に、人生のあり方は根本から変わる。そのプロセスはかなり前から始まっており、そのペースはゆっくりとしたものだが、最終的には社会と経済に革命的な変化がもたらされる。これまでグローバル化とテクノロジーの進化が少しずつ確実に人々の生き方を変えてきたように、長寿化も人々の生き方を大きく変える。100年以上生きる時代、言うなれば100年ライフの恩恵を最大化するためには、多くの変化が必要とされるのだ。私たちの人生がどのように変わるかについて、本書の予測をいくつか紹介しよう。

 

    70代、 さらには80代まで働く


    著者たちはロンドン・ビジネススクールMBAプログラムの授業で100年ライフについて話すとき、学生たちに自分の人生のシナリオを考えさせる。 学生たちの頭に真っ先に浮かぶのはお金の問題だ。そこでこう尋ねる――「100歳まで生きるとして、勤労時代に毎年所得の約100%を貯蓄し、引退後は最終所得の50%相当の資金で毎年暮らしたいと考える場合、あなたは何歳で引退できるか?」
    詳しくは第2章で論じるが、この場合は80代まで働くことが求められる。教室は静まり返る。
 長寿化の恩恵に最大限浴したければ、70代、ことによると80代まで働かなくてはならない。それが厳然たる事実なのだ。


    新しい職種とスキルが登場する


    これからの数十年で、労働市場に存在する職種は大きく入れ替わる。古い職種が消滅し、新しい職種が出現するのだ。 今日の世界では、100年前に雇用の多くの割合を占めていた農業と家事サービスの職が大きく減り、オフィス労働者の割合が大幅に上昇している。こうした職種の入れ替わりは今後も続く。ほぼすべての職がロボットと人工知能によって代替されるか補完されるからだ。
(p22)

 

ここで出てくる3ステージとは、人生を「教育」「仕事」「引退」のことを指しています。

ざっくりいうと、その3ステージからどう変化するか、100歳生きることを前提として何が必要か、何を考えるべきかを示した本です。

「引退後は最終所得の50%相当の資金で毎年暮らしたい」とあるけど、このインフレの状況下にいると、引退後はなかなか厳しそうな生活が待っていそうな予感がします。

親世代の定年時期と比べて、自分の定年はさらに後ろになるだろうな、となんとなく思っていましたが、この22ページで、「80歳まで働かなくてはならない」という文章を読んだ時はやはりショックでした。

そしてこのへんで早くも現実を直視するのが辛くなり、もたもたしている間に2巻が出てしまいました。

 

    エクスプローラーたちがなにを目指すかは、人によって異なる。 「捜索者」型の人たちは、特定の問いの答えを見つけるために旅に乗り出す。目的地がわかっていて、そこに向けて旅に出るのだ。ナイル川の源流を突き止めようとしたヘンリー・スタンリーを思い浮かべればいい。
    スタンリー隊は、どの道に進むべきかは知らなかったが、ナイル川の源流を探すという目的ははっきりしていた。それと同じように、問いをもって捜索に乗り出す。「私にとってなにが重要なのか?」「私が大切にするものはなにか?」「私はどういう人間なのか?」――このタイプの人たちの旅は、こうした問いに答えることを目的にしている。
    一方、特定の問いをもたないエクスプローラーもいる。新しいものを発見する喜びを味わうために旅に出る「冒険者」たちだ。この人たちの目的は、「はしゃいで跳ね回る」こと。そうした冒険を通じて紡ぐストーリー なにを見て、誰と出会い、なにを学ぶかが未来の人生を規定する。このような体験は、ある意味では人生の本質だ。世界を発見するために手足を伸ばす自由を謳歌することは、人間を人間たらしめている要素と言っていい。100年ライフで今は、このように自分だけの冒険に乗り出そうとする人が増えるだろう。
    エクスプローラーのステージが最もうまく機能するのは、多様なものに触れ、真の実験がおこなわれるときだ。ラテンアメリカを旅したジェーンは、ほかの人たちの生き方を目の当たりにし、自分の価値観とものごとの優先順位を改めて深く考えるよう背中を押された。この時期のジェーンには、人的ネットワークを広げ、その多様性を高めるための時間と意欲もある。人的ネットワークの多様性が増せば、ありうる自己像の多様性も増す。
    このステージを生きている人たちには、心理学的に興味深い点がある。 エクスプローラーたちは、自分という存在の境界を押し広げ、 固定観念から脱却し、ほかの人たちの行動をじっくり見る。マサチューセッツ工科大学 (MIT) のオットー・シャーマーの言葉を借りれば、「システムの端」に立ち、自分の思い込みや価値観に新しい光を当てるのだ。


「るつぼ」の経験


  エクスプローラーのステージには、言ってみれば「るつぼ」の経験が組み込まれているのが理想だ。高温で金属を溶かして新しい物質を生成する「るつぼ」のように、その人の人間性を形づくる経験が必要なのだ。具体的には、ほかの人たちの人生をその人たちの苦痛や苦悩、高揚や喜びを体感する時間、すなわち、他人の立場に立ってものを考える時間がそのような経験をもたらす。
    リーダーシップ論の研究者であるウォーレン・ベニスとロバート・トーマスが大勢のリーダーたちに人生を振り返ってもらったところ、明確な自分らしさと強固な倫理基準をもつリーダーの多くに共通する要素の一つが「るつぼ」の経験だった。その経験の具体的な内容は、新しい町で暮らすことに始まり、難民キャンプなどまったくの別世界で過ごすことにいたるまでさまざまだった。
    このテーマを専門的に研究しているフィリップ・マーヴィスによれば、単にこのような経験をするだけでなく、その経験について自問しなければ、世界に対する見方を変え、接した人たちの人生のストーリーを自分のものにできない。問いを発し、注意深く観察し、熱心に耳を傾けることが必要だ。そうやって掘り下げて自問してはじめて、みずからの価値観を問い直し、自分のアイデンティティと役割をじっくり考えることができる。他人の人生の物語に触れることにより、自分の人生の物語が揺さぶられるのである。
    長い人生には、変化と変身がつきものだ。だからこそ、長寿化時代には、変身資産という新しいタイプの資産が重要になる。 「るつぼ」の経験をするとき、この種の資産の形成が促進される。重要なのは、本やウェブサイトを読むだけでなく、実際に人々と顔を合わせ、理屈抜きの感情レベルの経験をすることだ。そういう経験をするとき、私たちは、目の前の人たちの人間存在そのものに触れられる。その人のそこにいたるまでの人生、感じている重圧、前に開けているチャンスを知ることができるのだ。


    何歳でもエクスプローラーになれる


    エクスプローラーとして生きるのに年齢は関係ないが、多くの人にとって、このステージを生きるのにとりわけ適した時期が三つある。それは、1~30歳ぐらいの時期、40代半ばの時期、そして70~80歳ぐらいの時期である。これらの時期は人生の転期になりやすく、エクスプローラーのステージを経験することが明確な効果を生みやすい。 現状を再確認し、自分のもっている選択肢について理解を深め、みずからの信念と価値観について深く考える時間にできるのだ。
    エクスプローラーの日々は、見違えるほど若さを取り戻せる機会になりうる。70代の人はややもすると、長寿のリスクに脅えて生きることが当たり前になりがちだ。しかし、日々の生活を脇に置いて冒険に乗り出せば、現在のライフスタイルを問い直し、新しい選択肢を見いだすことを通じて、活力の回復が大きく後押しされるかもしれない。70代のジェーンは、まさにそのような経験をする。
    40代半ばのジミーは、おそらくもっと明確な目的をもってエクスプローラーのステージを送る必要があった。ジミーはその頃、それまでの人生設計ではのちの人生を支えられないことに気づく。 無形の資産も底を突きはじめている。そこで、前章で示した一つのシナリオでは、新しい生き方の選択肢を探索し、踏み固められた道からはずれて生きるようになる。きわめて長い3ステージの人生を生きる羽目になりかねないという現実に目覚めて、「捜索者」型のエクスプローラーになったのだ。
    その段階では、自分がなにを望まないかはわかっていたが、なにを望むかはあまり明確になっていなかった。そこで、実験することと、じっくり内省すること、そしてそれまでの役割に基づく行動パターンから自分を解き放つことが必要だった。

(p232)

 

「現状を再確認し、自分のもっている選択肢について理解を深め、みずからの信念と価値観について深く考える時間にできる」エクスプローラー期間のメリットが書かれています。確かに長く生きるには、きっとあったほうが良いはずですが、こういう空白の期間を日本ではまだまだ前向きに受け止めてもらいにくいよな、と読んでいて思いました。

 

    株式で資産を蓄えて引退生活に入る場合、アメリカの主要株価指数S&P500が1550だった2007年10月に引退するのと、680だった2009年3月に引退するのとでは、その後に待っている暮らしがだいぶ違うものになる。投資利益率をできるだけ高めることは重要だが、インフレ率に加えて3%という水準を大きく上回る投資利益率を前提にするのは賢明でないだろう。
    まとめると、次のようになる。運がよければ投資がうまくいく場合もあるだろうし、もしかするとウォーレン・バフェットのような人物に資産を運用してもらえるかもしれないが、それを当て込んで戦略を立てるべきではない。 引退時にマイホームを売却するという選択肢もあるが、おそらく生活水準が下がり、医療や介護で不慮の出費が生じた場合の予備費を失ってしまう。引退後にもっと少ない資金で生活できると考える人もいるかもしれないが、最終所得の50%というのは控えめの数字だ。これより少ないお金でやりくりすれば、ほかの多くの引退者と比べてかなりひもじい思いをしなくてはならない。だから、100年ライフのお金の問題を解決するためには、自己効力感と自己主体感をもって貯蓄を増やすことが必要なのだ。

 

    お金に関する自己効力感


    まず、自己効力感の前提として、自分についての知識と一般的知識をもつ必要がある。本書でさまざまな人生のシナリオを示したのは、長い人生をどのように組み立てたいか掘り下げて考えるよう、読者の背中を押すことが狙いだった。その点、お金の面で人生の計画を立てるために不可欠なのが金融リテラシー(お金に関する知識・判断力)だ。
    あなたは、どの程度お金のことを理解しているのか? 金融機関のパンフレット類を読み解き、自信をもって投資の判断ができるか? 仕事関係の知識と同じように、金融に関する知識も本腰を入れて学ぶべきだ。ある調査によると、金融知識のある投資家は、そうでない投資家に比べてリスク調整済みで年間1.3%多くの利益を得ている。この違いは大きい。10万ドルを10年間投資した場合、金融知識のある投資家のほうが1万6000ドルも利益が多くなる。その差額は、投資期間が20年なら4万2000ドル、30年なら8万4000ドル、40年なら14万5000ドルに膨れ上がる。
    金融リテラシーのおおよそのレベルは、以下の五つの問いに答えることで簡単な自己診断ができる。「ビッグ5」と呼ばれる問いだ(正解は章末)。

 

Q1 あなたが銀行に100ドル預けていて、利息は年に2%だとする。 預金を引き出さない場合、5年後にはいくらになっているか?


Q2 預金の利息が年に1%で、 インフレ率が年に2%だとする。 1年後、あなたがその口座のお金で買えるものは増えるか、変わらないか、減るか?


Q3 「一つの企業の株式を購入することは、投資信託を買うより一般に安全性が高い」この主張は正しいか、間違っているか?


Q4 「15年物の住宅ローンはたいてい、30年物の住宅ローンに比べて月々の返済額は多いが、返済する利息の総額は少なくて済む」――この主張は正しいか、間違っているか?


Q5 金利が上昇したとき、債券の価格はどう変動するか?


    この五つの問いにすべて正解できれば、あなたは金融リテラシーで上位4分の1に堂々と入れる。アメリカ人を対象にした調査では、全問正解できた人は4分の1どころか、約55%にすぎない。 Q1~Q3なら、すべて正解できる人はもっと多い。ドイツでは約半分、日本では25%が3問すべてに正解する。
    金融リテラシーは、どうすれば高められるのか? 関連の書籍やオンライン講座やセミナーの類いはたくさんある。それを利用すればいい。さまざまな調査によると、金融セミナーの参加者は、金融に関して行動を起こし、投資成績と資金計画が良好である確率が明らかに高いセミナーで学んだことが行動の引き金になったのか、それとも金融セミナーに参加しようと思うような人はもともとお金について関心が高いだけなのかという点は、一部に議論がある。しかし、いずれにせよ金融リテラシーはきわめて重要であり、 それに投資しない手はない。また、実際に経験を積むことが金融リテラシーを高める最善の方法だということもわかっている。一般的に、年齢を重ねるほどリテラシーが高まるのは、それが理由だ。だから、早い時期に貯蓄と投資を始めて、リテラシーを高めていくといい。


    ポートフォリオをマネジメントする


    金融リテラシーが高まると、投資でお金を増やすことが簡単でないとわかってくる。ロンドン・ビジネススクールの金融論の教授や、そのほかの世界中の専門家たちにアドバイスを求めると、特定の株式の銘柄や特定の取引を奨められることはほとんどない。たいていは、いくつかの一般原則を教えられる。 経済学界では、一般市民の金融知識に関する研究が盛んになってきている。たとえば、ハーバード大学のジョン・キャンベル教授がアメリカ金融学会でおこなった会長スピーチによれば、市民が犯しがちな過ちのパターンがいくつかあるという。


    第一は、株式への投資が少なすぎること。 富裕層世帯ですら、株式にまったく投資していない世帯が20%に上る。 また、株式投資をしていても、十分な分散投資をしていないケースが多い。 二、三の企業にしか投資していなかったりするのだ。

(p272)

 

この「ビッグ5」の答え合わせが出来るページに来るまで、かなりドキドキしてしまった。

「あなたは、どの程度お金のことを理解しているのか? 金融機関のパンフレット類を読み解き、自信をもって投資の判断ができるか? 仕事関係の知識と同じように、金融に関する知識も本腰を入れて学ぶべきだ。」

本読んで分かったつもりになっていないでさっさと行動しようと言われた気分です。

問いの正解はこちら。

 

金融リテラシーに関する五つの問いの正解
Q1 110ドルあまり。
Q2 減る。
Q3 間違い。
Q4 正しい。
Q5 下がる。

(p289)

 

 

    不平等という試練


    長寿化時代に政府が直面する難題の一つは、不平等の問題だ。二つの大きな問題がある。 第一に、平均寿命が上昇しているといっても、すべての人の寿命が等しく上昇しているわけではない。所得レベルによる寿命格差が広がっているのだ。豊かな人は、貧しい人よりかなり長く生きている。誰もが100歳まで生きるわけではないのだ。第二に、100年ライフを厄災ではなく恩恵にしたければ、自分についての知識、スキルと教育、移行を成功させるための資金、雇用主との交渉力がなくてはならない。問題は、これらの資質をふんだんにもっているのが主に所得上位2%の層、とくに専門職と技術職の人たちだということだ。 すべての人が等しくそうした資質をもっているとは限らない。つまり、現在の政策の下では、本書で論じた選択肢を誰もが選べるわけではないのである。
 図10-2(略)は、第一の課題を表現したものだ。アメリカで1920年に生まれた人と1940年に生まれた人の平均寿命の違いを男女別・所得階層別に示してある。見てのとおり、すべての人の平均寿命が等しく上昇しているわけではない。高所得層と低所得層の間に大きな格差が生まれていることがわかるだろう。これは、アメリカだけの現象ではない。同様のことが世界規模で起きている。それに輪をかけて問題なのは、低所得層の女性の場合、平均寿命が20年の間に下落していることだ。全体として見ても、高所得層の平均寿命は低所得層より12年以上長い。平均寿命の上昇ペースに格差があるということは、健康格差がさらに広がると予想される。健康格差の問題は次第に大きな議論になり、政策的対応の対象になりそうだ。政府がどのように対応するかはまだ定かでないが、貧困層に資源を振り向け、啓蒙活動を強化するなど、大がかりな政策が実行されるだろう。それで格差が解消されるわけではないが、格差を縮小させることはできる。長寿の恩恵を一部の特権層だけのものにしてはならない。 
 第二の課題は、繰り返しになるが、生涯所得の少ない人ほど、3ステージの人生を解体するために必要な柔軟性とスキルをもちにくいという点だ。序章で紹介したトーマス・ホッブズの言葉を一部借りれば、貧しい人たちは、「不快で残酷で長い」 人生を強いられる危険がある。 スキルと知識が不足している人は、長い引退生活を支えられず、キャリアの途中で移行を成し遂げることも難しい。 長寿化の恩恵に浴することができず、むしろ損失をこうむるリスクが切実だ。そのような人たちは、昔の人たちと同じような人生を送ることになるかもしれない。 すなわち、 人生の終わり近くまでほとんどの時期を働き続け、老いるにつれて所得が減り、生活水準が下がる可能性があるのだ。
 政府は、引退制度の導入がもたらした恩恵を維持しようと努めるだろう。人々がお金の面で不安がなく、余暇を楽しめる老後を過ごせるようになったことは、大きな社会的進歩だったからだ。その恩恵を維持するための一つの方法は、年金制度で豊かな人と貧しい人の扱いを変えるというものだ。貧しい人向けには、公的年金を維持するのが理にかなっている。貧しい人たちは3ステージの人生を送り続け、これまでより勤労期間と引退期間の両方が長くなる可能性が高いからだ。一方、豊かな人たちは、自分で老後資金を蓄えることを求められるようになり、老後資金に関する制度もマルチステージの人生にふさわしい柔軟なものに変わっていくだろう。残念ながら、低所得者高所得者に比べて平均寿命が短いので、引退年齢の引き上げは小幅で済むし、引退期間も比較的短期にとどまる。
 こうした方策が実施される可能性が高いが、100年ライフで選択肢が大きく広がることを考えると、それが社会的に望ましい解決策とは思えない。70歳やそれ以降まで中断なく勤労人生が続くことは、どのような所得レベルの人にとっても好ましいことではない。無形の資産に大きなダメージをこうむるからだ。 所得の少ない人の平均寿命が短い理由の一つも、おそらくこの点にある。もちろん、燃え尽きや肉体的消耗、精神的退屈、仕事と家庭や友人関係のバランスを取ることの難しさといった問題には、豊かな人たちも悩まされる。しかし、富裕層のほうがこうしたストレスにうまく対処する手立てをもっている。資金力があるし、健康的な生活を送る能力も高いからだ。
 低所得層が不利な点はまだある。テクノロジーイノベーションが進んだとき、職を失いやすいのは、高スキルの人よりも低スキルの人だ。そのため、勤労人生が長くなる時代には、所得の低い層ほど、テクノロジーの進歩によってスキルが時代遅れになる経験を頻繁に味わわされるのだ。
 そこで、政府が支援の手を差し伸べ、低所得層が移行に必要な資金を確保し、新しいステージへの準備をし、無形の資産を築く時間を取れるようにする必要が出てくる。 多くの国では、20世紀に失業保険、疾病・傷害手当、出産・育児休暇(育児休暇の対象は次第に男性にも広がっていった)、公的年金の制度が導入された。 これらの制度は、人生の移行期間を乗り切ったり、思わぬ打撃に対処したりする手立てを貧困層に与えた。そうした手段は、それまでは金持ちにしか手に入らないものだったのである。今後、キャリアの途中での移行がいっそう重要になり、人生を再創造するうえで不可欠な要素になれば、生涯を通じて利用できる公的給付金の仕組みが設けられるかもしれない。仕事を中断するとき、一定期間もしくは一定金額までそこからお金を引き出せるようにするのだ。 労働運動が再び活発になり、低所得層が自由な時間を確保できるようにし、中断なく長期間働き続ける苦しみを味わわずに済むよう支援する法律の制定を求めはじめるかもしれない。
 長寿化は、不平等の克服につながる大きな可能性を秘めている。 人生が多くのステージで構成されるようになれば、キャリアの滑り出しで失敗したり、 初期に挫折を経験したりしても挽回のチャンスを得られるからだ。 しかし、不平等の原因が(健康、教育、人的ネットワーク、貯蓄への)投資量の違いにあるとすれば、さまざまな資産への投資の重要性が増す長寿化時代には、むしろ不平等が拡大する恐れもある。20世紀には、政府が無償の教育と子どもの健康に大々的な投資をするようになった。子ども時代は、3ステージの人生では重要な投資の時期だからだ。平均寿命が延びてマルチステージの人生が出現すれば、投資が必要とされる時期がもっと増える。将来的には、そうした投資に政府がどの程度関わるべきかという議論が活発になるだろう。
 以上の話は推測にすぎないが、基本的な発想は本書で繰り返し述べてきたことの延長線上にある。 長寿化の議論では、所得や貯蓄の問題ばかりが注目を浴びているが、真の試練は、長い人生を支えるのに必要な無形の資産をどのようにマネジメントするかという点なのだ。現状では、不平等の解消に向けた社会政策はお金の面が中心になっている。しかし、寿命が長くなれば、格差是正策をもっと幅広いものにする必要が出てくる。 難しい課題ではあるが、長寿を恩恵と感じられる人を増やすためには、それがきわめて重要だ。多くの国で現在実践されている社会政策は、3ステージの人生を確立することを通じて、人々の幸福を高めるというものだった。その3ステージの人生が揺らげば、20世紀に生まれた看板政策も揺らがざるをえない。

 

 なぜ、変化は遅いのか?

 

 驚くべきなのは、 長寿化の時代に社会に訪れる変化の大きさと、企業や政府が打ち出す対応の規模の小ささの落差があまりに大きいことだ。そして、それにも増して驚かされるのは、直面している課題への理解がおおむね不足していることである。企業や政府の対応が「遅れを取っている」という表現では手ぬるいくらいだ。
 長寿化は経済と社会にきわめて大きな変化をもたらすものなのに、どうしてこれまでのところ大きな変化が起きていないのか? 一つの理由は、きわめて単純なものだ。社会が変わるには、長い時間がかかる。 長寿化はある日突然起きたわけではなく、 何十年もかけて少しずつ進行してきた。これは、有名な「ゆでガエルの寓話」そのものだ。煮えたぎった熱湯の中にカエルを放り込めば、驚いて鍋の外に飛び出す。けれども、鍋の中に入れて少しずつ加熱していっても、カエルはそのまま動かない。ものごとがゆっくり進行しているとき、人は思い切った行動を取りづらい、というわけだ。

(p388)

 

「燃え尽きや肉体的消耗、精神的退屈、仕事と家庭や友人関係のバランスを取ることの難しさといった問題には、豊かな人たちも悩まされる。しかし、富裕層のほうがこうしたストレスにうまく対処する手立てをもっている。資金力があるし、健康的な生活を送る能力も高いからだ。」

今はちょっとした不調で病院に行くことが珍しくないけれど、健康格差のある未来は避けられないのでは、という不安があります。

100歳になった自分が何を考えて過ごしているのか、今考えるのは少し怖いですが、自分についての理解を深めること、スキルと知識を身につけること、長く健康でいられるためにできること、結構具体的に始められそうなことも見えてきます。

 

主体的に生きたくなる本です。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。