ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

悲劇の定義。『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実 本当の悲劇は何だったのか』を読んで

こんにちは、ゆまコロです。

 

西岡昌紀さんの『アウシュヴィッツガス室」の真実 本当の悲劇は何だったのか』
を読みました。

 

著者の西岡昌紀さんはナチスユダヤ人を差別・迫害の事実を認めていますが、そのドイツと言えど、彼らが、ユダヤ人をただユダヤ人であると言うだけの理由で「絶滅」しようとまでしたとする戦後の主張には証拠が欠けている、という主張をしています。

 

著者によると、「絶滅計画」の手段として用いられたとされる処刑用ガス室が存在した証拠は無いという結論から、大戦中ユダヤ人に降り掛かった悲劇とはなんであったかを再構築されています。

 

「私は、特にアウシュヴィッツの元被収容者の中には、全くの善意から、「ガス室」ではないものを「ガス室」だったと勘違いして証言している人が相当いるのではないか、と思っています。何故なら、既にお話した通り、アウシュヴィッツ=ビルケナウでは、火葬場の建物の地下や内部に「ガス室」があったと説明されているからです。つまり、そうした火葬場の建物を見た人々が、戦争中そこにいた時はそのようには全く考えていなかったのに、戦後、マスメディアなどでそれらの建物の地下や内部に「ガス室」があったと聞かされ、「そうか、あの時は知らなかったが、あの建物はガス室の建物だったのか」と思い込む例がかなりあるのではないか、と思うのです。こうしたことは、大きな犯罪事件などでは、現にしょっちゅう起こっています。
(p66)」

 

ソ連軍接近を察知したSSによる破壊で、現在当時のままの形をとどめているものはない。オシフィエンチム博物館で閲覧できるクレマトリウム(ガス室のあったとされる複合施設)1は復元されたものである。」とウィキペディアにもあり、これはいつかぜひ現地で見てみたいと思っています。

 

チクロンBの青酸ガス遊離が終わるまでに最短で6時間、最長で32時間。そして、換気に10時間から20時間というわけですから、合計して、最短で16時間、最長で52時間。「ガス室」にチクロンBを投げ込んで「処刑」を開始してから、「ガス室」の換気を終了するまでに、これだけ時間が掛かる、ということです。これが、「民族絶滅」の方法なのでしょうか?

ガス室」から死体をどう搬出するか?

 これだけではありません。処刑が終わり、「ガス室」を換気したら、次に「ガス室」から死体を搬出しなければなりません。ところが、これが大問題なのです。即ち、猛毒である青酸ガスによって処刑された死体には、その青酸ガスが付着しています。しかし、青酸ガスには、肺のみならず、皮膚からも吸収されるという性質があります。そのため、青酸ガスが付着した死体に触れ、運ぶというのは、作業員たちにとって極めて危険な作業とならざるを得ません。現に、青酸ガスによる処刑を行ってきたアメリカでは、処刑終了後、作業員は、ガスマスクを装着するのみならず、全身を防護服や手袋、ブーツなどによって保護した上で死体を運び出すのだそうですが、ガス室を換気し終わった後でも、これだけの注意が必要とされるのです。
 ガス室による処刑とは、このように、処刑を行なう側にとって、危険かつ煩雑なものなのです。
(p73)」

 

ウェブや書籍でチクロンBの空き缶の写真を見て、これを処刑に使用したのかと思っていましたが、話はそう単純なものではなさそうです。

 

「「ガス投入三〇分後、ドアが開かれ、換気装置が作動する。すぐ屍体の引き出しが始められる」(『アウシュヴィッツ収容所/所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』片岡啓治訳、サイマル出版社)

 これは、前述した、アウシュヴィッツ=ビルケナウの元司令官ルドルフ・ヘス(Rudolf Höß)が、ポーランドで処刑される直前、自ら書いた「回想録」とされる文書の一節です(前述したイギリス発表の「自白調書」とは全く別の文書)。しかし、こんなことがあり得たでしょうか?

 前述のように、チクロンBの青酸ガス遊離は、最短でも六時間は続きます。ですから、その間は「ガス室」を換気することも、その扉を開けることもできなかったはずなのです。ところが、この文書(または「証言」)には、このように、チクロンBを投入して三〇分後には「ガス室」の扉を開けた、と書いてあるのです。しかも、「換気装置が作動する」前に(!)です。これでは、扉を開けると同時に青酸ガスが辺りに広がって、作業員たちの大惨事になるではありませんか。(p74)」

 

遺体を焼却炉などに運び処分する労働者「ゾンダーコマンド(特別労務班員)」にもユダヤ人が配属されていたように思いますが、こんな状況では彼ら自身も処分を待つ前に、この仕事ですでにかなりの命の危険にさらされそうな気がします。

 

このように著者はガス室の使用という大量殺戮の難しさを論じた上で、大戦中のユダヤ人たちに起こった悲劇の一つとして、発疹チフスという病気の爆発的発生があったことを述べています。

 

「戦争というものは、ただ単に戦闘によって尊い人命を奪うだけでなく、病気という形でも、多くの罪のない人々の生命を奪うものなのです。こういうことを忘れたか、或いは知らない人々が「ガス室」に固執し、私が述べたような議論に反発するのです。そこで私は、その人たちに、あえて問いかけたいと思います。チフスで死んだユダヤ人たちは悲惨ではなかったのでしょうか?即ち、そういう反発の根底には「ガス室」で殺されることは悲惨だが、チフスで死ぬことはそれほど悲惨ではない、とでもいうような、奇妙な前提が無意識の内に横たわっているように思えるのですが、これは全くおかしなことではないでしょうか?(p81)」

 

戦後長い時間が経つに連れ、証言の内容が変わったり、忘れられたり、間違って受け止められることもあると思います。

私自身も祖父母からもほとんど戦時下の話を聞いたことがなく、悲惨な記憶もこうやって薄れちゃうのかな、と感じることがよくあります。

 

できるだけ当時を知る人の声を聞き、そのに行ってみたい。

その上で自分がどう受け止めるかを知りたい。

強く感じさせる本でした。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。