ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

オルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

オルガ・トカルチュク、小椋彩(訳)『昼の家、夜の家』を読みました。

 

 ノヴァ・ルダの協同組合銀行に勤めるクリシャは夢を見た。一九六九年の早春のことだった。

 夢のなかで彼女は、左耳に声を聞いた。はじめは女性の声で、それが休みなく話しつづけている。クリシャにはなんのことかわからなかった。彼女は心配になった。「いつも耳もとでだれかがごちゃごちゃおしゃべりしてたら、仕事なんてできないわ」声は消せると、夢のなかで彼女は考えた。ラジオのスイッチを切るとか、受話器を置くとかするみたいに。ところが、消せなかった。声の出処は耳のずっと深いところ、ちいさな太鼓と螺旋がつまった、曲がりくねった回廊のなか、湿った膜でできた迷路のあいだ、暗い洞穴の奥まった部分にあるようだった。指で耳に栓をしても、手でふさいでも無駄だった。クリシャは、世界中がこの騒音を聞かなくてはいけないような気がした。もっとも、実際にそうかもしれなかった。全世界がこの声にぶんぶん共鳴していた。絶えず聞こえているのは、ある文章のくり返しだった。それは文法的には完璧で、音の響きも美しかった。でも、人間の話し方を真似ているだけで、意味を成してはいなかった。クリシャは怖かった。ところがしばらくして、クリシャの耳にべつの声が聞こえてきた。感じがよくて明瞭な、男性の声だった。彼と話をするのは楽しかった。「ぼくの名前はアモスです」声の主は言った。彼はクリシャに、仕事のことや両親の健康状態について尋ねたが、彼にとってそんなのはそもそも(と彼女には思われた)、聞くにはおよばないことだった。だって彼女のいっさいを、彼はもう知っているのだから。「あなたはどこにいるの?」クリシャはおずおずと尋ねた。「マリアンドだよ」彼は答えた。ポーランドの中央部にそういう場所があることを、彼女も知っていた。彼女はつづけて尋ねてみた。「どうしてわたしの耳のなかであなたの声が聞こえるのかしら」「きみは特別なひとだからだよ。きみのことが好きになった。愛してるよ」おなじことが三回か四回くり返された。いつもおなじ夢だった。

 

 朝、彼女は銀行で、書類の山にかこまれてコーヒーを飲んでいた。外は水っぽい雪が降り、降ったそばから溶けていった。湿気はセントラルヒーティングで暖められた銀行のなかにまでしみとおり、ハンガーに掛かったコートや合皮でできた婦人用ハンドバッグや、ブーツや顧客までもが、そのせいですっかりじめついていた。そしてこの特別な日、信用貸部門責任者のクリシャ・ポプウォフは、生まれて初めて自分が、完全に、徹底的に、絶対的に、恋していることを悟った。この発見は、顔をぴしゃりとたたかれたみたいに強烈だった。彼女は頭がくらくらした。銀行の待合室の景色は視界から消え去り、耳にはしばらくのあいだ、しんとした静寂が訪れた。突然おぼえたこの恋の感覚に、クリシャは自分が、おろしたてのティーポットになって、はじめて透明な水で満たされたみたいに感じた。一方、彼女のコーヒーはすっかり冷めていた。

(p36) 

 

《自分はおろしたてのティーポットで、はじめて透明な水で満たされている》。ちょっとよく分からないけど、心地良さげな感じは伝わってきました。

 

「どうしたの」彼が尋ねた。

 ふり返ると、不思議そうに自分をじっと見ている彼の目があった。彼女は彼のにおいを感じた。タバコと埃と紙のにおいだった。彼女はそのにおいにぴったりと身を寄せた。そうしてふたりは数分のあいだじっと立っていた。彼は彼女から両手をはなし、しばらくためらい、やがて彼女の背中を撫ではじめた。

「やっぱりあなただわ。あなたを見つけたわ」彼女はささやいた。

 彼は指で彼女の頬に触れると、キスをした。

「じゃあ、きっとそうだ」
彼は彼女の脱色した髪に指を入れ、彼女の唇を吸った。それから彼女をソファベッドにひっぱっていくと、服を脱がせはじめた。彼女はこんなのはいやだと思った。これはあまりに急すぎる。それに、なんだか楽しくない。でも、これは必要なことだった。捧げものをするみたいに。彼女はいっさいを許さなければならなかった。それで、スーツとブラウスとベルトとストッキングとブラジャーをとった。あばら骨の浮いた彼の胸が、彼女の目の前に現われた。それは石のように乾いて、ごつごつしていた。
「夢のなかで、ぼくの声はどんなふうに聞こえたの」吐息のまさったささやき声で彼が尋ねた。
「わたしに耳うちするみたいに話してたわ」
「どっちの耳?」
「左の」
「こっち?」彼は尋ねると、舌を耳にさし入れた。
 彼女は両目をぎゅっとつぶった。もう自由になることはできなかった。それはあまりに遅すぎた。彼は彼女に全体重をかけてのしかかり、彼女をつかまえ、貫き、突きさした。ところが、どうしたわけか、まるで彼女はわかっていたような気がした。まさにこうしなくてはならなかったと。はじめにアモスに取り分をあたえなければならない。あとで自分が彼を連れて帰るために。植物みたいに、あの大木みたいに、家の前に彼を植えるために。だから彼女は、この見ず知らずの身体に自分を捧げたのだ。両腕で
ぎこちなく彼を抱き、リズミカルで不可思議なダンスに加わりさえしたのだ。
「ちくしょう」おしまいに男はこう言った。そしてタバコを吸いはじめた。
クリシャは服を着て、隣に腰かけた。彼がグラスふたつにウォッカをそそいだ。
「どうだった」彼は彼女をちらと見て、ウォッカをぐいとあおいだ。
「よかったわ」彼女は答えた。
「寝よう」
「いまから?」
「明日は汽車に乗らなくちゃ」
「わかってるわ」
「目覚ましをかけとこう」
 A・モスがのろのろと浴室に歩いていった。クリシャはじっとすわったまま、アモスの聖堂を観察していた。聖堂の壁はオレンジ色に塗られていたが、蛍光灯の冷たい光にあたって、気味の悪い青色に反射していた。壁に立てかけられた菓の敷物のすきまから、塗ったままの鮮やかなオレンジ色がのぞいていた。オレンジ色が光輝き、目を射抜かれそうにクリシャには思われた。

(p 52)

 

目の前にいる彼が、自分の探している人物かどうか確証が持てないけど、とりあえずアモスと思われる人のもとに辿りついたクリシャ。「こんなのはいやだと」思いながらも、こうするしかないとわかっているクリシャの気持ちの変化がリアルだと思いました。

 

【クマーニスの生涯のはじまり】
 クマーニスは、父親から見れば不完全な子どもとして生まれた。しかしこれはあくまで、人間からすれば不完全、という意味である。というのも、父親が熱望していたのは息子だったから。とはいえ、人間の世界の不完全は、ときとして神の世界の完全である。彼女は六人目の娘だった。彼女の母は彼女を産んで亡くなった。よって、彼らは道をすれ違ったという言い方もできる。ひとりがこの世にやってきたとき、べつのひとりは世を去った。クマーニスは洗礼のとき、ヴィルゲフォルティス、またはヴィルガという名を授かった。
 これは、山麓の村、シェーナウでの出来事である。山々が北風を防いでくれるので、村の気候は温暖だった。南側の斜面では、いまもときどき葡萄の木にお目にかかることができる。その昔、この地がもっと神に近くて、もっと暖かかった痕跡である。西側には、かつては巨人たちのテーブルだったかのように平らな頂の、べつの荘厳な山々がそびえている。シェーナウの東側は、森が茂った陰鬱な高地に取りかこまれている。南を向くと、チェコの平原をぐるりと見渡すことができ、世界旅行へと人を誘う。そういうわけでヴィルガの父は、自宅の椅子を長々と温めたりするようなことはしなかった。彼は一年中狩りをしていたが、春になると、十字軍の遠征に出かけた。体つきはがっしりとして、気性が激しく、怒りっぽかった。自分の娘たちには乳母や子守をあてがったが、実のところ、それは
娘のために彼ができるほとんどすべてのことだった。ヴィルガがこの世にやってきた数か月後、彼は、あらゆる騎士団の集まる地プラハにむけて旅立った。みな、そこから聖地に赴いたのである。

 

【クマーニスの幼年時代
 ヴィルガは人生最初の数年間を、姉たち、乳母、それに召使といった女性ばかりに囲まれて過ごした。子沢山で、家は騒々しかった。あるとき、父は彼女を呼ばうとしたものの、娘の名前を思い出せなかった。子どもも、頭のなかを占めるものも、馳せ参じた戦争の数も、それに家来もがあまりに多かったので、娘の名前は彼の記憶からすべり落ちてしまったのだった。ある年の冬、父は遠征先から新しい妻を伴い帰宅した。この継母は、幼い少女の人生においてもっとも愛すべきものになった。その美貌や美声、楽器をあやつり魔法のような音をつむぎだす白い手を、少女は感嘆の目で眺めた。継母を見ては、いつか自分もこうなるのだと考えた。かろやかで、美しくて、鳥の羽根みたいに、繊細な女性に。
 ヴィルガの身体は、彼女が夢みたとおりに育っていった。少女は美しく成長し、彼女を目にするだれもが、沈黙のうちに、この創造の奇跡に驚嘆した。そのためたくさんの領主や騎士たちが、彼女の所有者である父親の帰りを、首を長くして待っていた。みずから名乗りでて、だれよりも早く結婚を申し込むために。(p70)

 

 

突然始まるクマーニスという女性の話は、以前はグリム童話にも憂悶聖女(ゆうもんせいじょ)というタイトルで収録されていた話なのだそうです。

それはさておき、「 彼女の母は彼女を産んで亡くなった。よって、彼らは道をすれ違ったという言い方もできる。ひとりがこの世にやってきたとき、べつのひとりは世を去った。」印象的な文章です。こんなふうに誰かの不在を感じることは、確かにあるなと思いました。

 

 ノーベル文学賞を受賞されたときから気になっていた筆者の本ですが、内容に入り込みやすいかと聞かれれば、言葉に詰まってしまいそうです。

同じ場所で起こる、違う出来事が次々展開されるので、似たような主題やモチーフが繰り返し登場します。それが既視感のような効果を生んで、特徴的といえば特徴的であるように思います。

 

物語の展開は(個人的には)、ややネガティブな村上春樹さんが1冊の本を書く間に、ときどき星新一さんが協力して書いた、みたいな印象を受けました。

 

同じオルガ・トカルチュクさんの『ヤクプの書物』も面白そうなので、邦訳されたら手に取ってみたいです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。