ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

暴力の時代で、自らの人生を振り返ること。『鉄の時代』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

J・M・クッツェーさん、くぼたのぞみさん(訳)『鉄の時代』を読みました。

 

著者は南アフリカノーベル賞作家さんです。

本書はアパルトヘイト政策が崩れる頃の1990年に発刊されました。

アパルトヘイトとは、白人とそれ以外の人を差別的に規定した人種隔離政策のことです。

 

「争いごとから逃れるためにここにいるなら、なぜ警察があとを追ってくるの?」
 フローレンスは深々と、ため息をついた。赤ん坊が生まれてからの彼女には、ほとんど抑えきれない憤怒がつきまとっている。「わたしにきかないでください、マダム」きっぱりと彼女はいった。
「なぜ警察が子どもたちのあとを追ってきて、子どもたちを追跡して、銃で撃って、刑務所に入れるのか。そんなこと、わたしにきかないでください」
「わかったわ。今後二度とそういう間違いはしません。でもわたしの家を、タウンシップから逃げてきた子どもたちすべての避難所にすることはできませんからね」
「でも、どうしてですか?」前に身をのりだすようにして、フローレンスはきいた。「どうしてだめなんですか?」
 風呂に熱いお湯をはり、服を脱ぎ、痛みをこらえながら身体を沈めた。どうしてですか? 頭を垂れると、髪の毛が顔にかかり、毛先が湯に触れた。目の前に、青い静脈がまだらに浮いた脚が、棒のように突き出ている。 年をとって病んだ醜い女が、かぎ爪を伸ばして、これまで残してきたものにしがみつこうとする。 生ある者は長びく臨終をもどかしく思い、死にゆく者は生ある者を妬む。まことに芳しからざる光景、願わくばすみやかに終わらんことを。
 浴室にベルはなかった。咳払いをして「フローレンス!」と呼んだ。剥き出しのパイプと白い壁に反射する、うつろな響き。フローレンスに聞こえると思うなんてどうかしている。かりに聞こえたとしても、やってこなければならない理由がどこにある?
 おかあさん、わたしのほうを見て、その手をこっちに伸ばして!
 頭のてっぺんからつま先まで、全身に震えがきた。閉じたまぶたの裏に母が見えた。いつもわたしのところにあらわれるときの姿で。 老人用のくすんだ色の服を着て、顔を隠して。
「ここに来て!」 ささやくようにわたしはいった。
 だが母は来ない。鷹が滑空するときのように、両腕を大きく広げ、母は空を昇りはじめた。より高く、さらに高く、母はわたしの頭上を昇っていった。雲の層に達し、それを突き抜け、さらに高く昇っていった。一マイル上昇するごとに若返っていく。髪の毛はふたたび黒々となり、肌ははりを取りもどしていく。 古い服が枯れ葉のようにはらりと落ちて、あらわれたのは青いドレス。 ボタン穴のところに羽根飾りがついている。わたしのいちばん古い記憶のなかで母が着ていた服だ。 世界がまだ若く、あらゆることが可能だったころの。
 母は高く昇って、永遠につづく完璧な若さで、変わることなく、微笑みを浮かべ、うっとりと、すべてを忘れ、天空の彼方へ向かっていった。 「おかあさん、わたしのほうを見て!」だれもいない浴室のなかで、ささやくようにわたしはいった。

 

 今年はいつもより雨季が早く来た。雨が降りはじめて四ヶ月目。壁に触れると湿った筋が残る。ところどころで漆喰が湿気を含んでふくれあがり、崩れている。 わたしの衣服も、黴の生えたような、いやな臭いがする。もう一度でいいから、ぱりっとした太陽の匂いのする下着をつけたい!もう一度でいいから、夏の午後、陽に焼けてナッツブラウンの肌をした学校帰りの子どもたちの身体に混じって、あの街を歩きたい。 大声で笑い、くすくすと笑い、若くて清潔な汗の匂いをさせて帰っていく子どもたち。 女の子は年ごとに、より美しく(ブリュ・ベル)なっていく。そしてもしもそれが無理なら、それでもなお最後のときまで、この驚きに満ちた世界のなかにいっとき生をあたえられたことに、深い感謝の念を抱かせていてほしい。かぎりない、心からの感謝の念を。
(p64)

 

末期ガンの痛みに耐えながら生きる70歳のミセス・カレンは、ケープタウンの白人住宅街に住んでいます。

舞台となる南アフリカでは、暴力を目にすることが日常的で、ミセス・カレンの身近な人たちもそのような状況に巻き込まれることがあります。

彼女はある日ファーカイルというホームレスと出会って、彼との交流が始まります。

 

 最後にあなたは「お休みなさい、お母さん」といい、わたしは「さよなら、マイ・ディア、電話してくれてありがとう」といった。ディアという語にわたしの声が宿るよう(なんという身勝手!)わたしの愛の重みのすべてを託した。その愛の亡霊が、はるかな冷たい旅路を生き抜いて、あなたのもとへ届くことを祈りながら。
 電話には、愛はあっても真実はない。いずこよりか届くこの手紙にこそ(かくも長き手紙!) 真実と愛は、ともに宿るの。このペンがしたためるあなたという語のすべてに、愛が「セント・エルモの火(* 雷雲が船のマストや飛行機の翼に近づくと起きる放電発光現象で、死の予兆とされる。)」のようにちらちらと揺れているのよ。わたしとともにあるあなたは、今日アメリカにいるあなたではなく、発っていったときのあなたでもなく、もっと深い、決して変わらぬかたちをした――愛されしものとしての、不死のものとしての、あなたなの。わたしはあなたの魂に語りかける。
 なぜなら、この手紙が終わるとき、あなたとともに残されるのは、わたしの魂だから。 殻から抜け出して、扇形の翅を広げる蛾のように、さらなる飛翔に向けて準備をするわたしの魂だから――これを読むあなたに瞬視してほしいのは、それ。 一匹の白い蛾、死の床に横たわる者の口から抜け出す霊。病いとのこのたたかい、気が滅入り、自己嫌悪に陥る日々、決めかねる心の揺れ、あてもなく出かけることも(ハウト湾のエピソードにはもうたいした話は残っていないの――泥酔してすこぶる不機嫌なファーカイルがもどってきて、キーを見つけ、家まで車を運転してくれた、それで終わり。 彼の犬が連れもどしてくれたというのが本当のところかもしれないけれど) すべてはメタモルフォシス――変身の一部、 この身から経帷子を振り落とす一部なのよ。
そしてそのあと、死んだあとは?心配しないで、つきまとったりしないから。夜なかに白い蛾がばたばた飛び込んでこないよう、あなたの額やその子どもたちの額に止まらないよう、窓を閉めたり、煙突に蓋をしたりする必要はないわ。 その蛾は、あなたがこの手紙の最後のページを閉じるときに、あなたの頬をかすかに撫でる、それだけのものだから。 次なる旅に飛び立つ前にね。あなたとともに残るのはわたしの魂ではなくて、わたしの魂の霊魂、気息、これらのことばにまつわる空気の揺れなの。いまあなたの指がつかんでいる紙のうえを、幽霊のように掠めるこのペンが、空気中にかもしだす、かすかな揺れにすぎないの。
 自分をありのままにしておくこと、あなたをありのままにしておくこと、まだ思い出が生きている家を、そのままにしておくこと――難しい仕事だけれど、でもわたしは学びつつある。音楽もまた。でも、音楽だけは道づれにしようと思っている、この魂にしっかり絡みついているから。「マタイ受難曲」のアリオーソは、幾度となく絡みついて結び目をつくり、いまやなんぴとも、いかなるものも解きほどくことができないくらい。
 もしもファーカイルがこの書き物を送らなければ、あなたがこれを読むことはありえないわね。これが存在することさえ知らずに終わる。 真実の幾分かは決して肉体をもたずに終わるのよ――わたしの真実――この時代を、この場所で、どのように生きたかということ。
 では、わたしがファーカイルでやろうとしている賭けとは、ファーカイルに賭けようとしているものとは、いったいなにか。
 それは信頼に対する賭けよ。依頼するのはごく些細なこと、 小包を手に取り、郵便局まで行ってカウンターに差し出すこと。ごく些細な、ほとんどどうでもいいような依頼。小包を手に取るか取らないか、そのちがいはごくごくちいさなもの。わたしが死んだとき、 わずかなりとも信頼感が、義務感が、敬意が残っていれば、彼はきっとそれを手に取る。残っていなかったら?
 残っていなかったら、信頼感は存在せず、わたしたちはより良きものを受けるに足らず、ひとつ穴にこぞって落ちて、消滅するほかはない。
 ファーカイルを信頼できないゆえに、わたしは彼を信頼しなければならない。
 魂にとって居心地のよくない時代に、わたしはその魂を目覚めさせておこうとしているのよ。
 孤児(みなしご)に、貧者に、飢えた者に、施しをするのは簡単。辛辣な心の人(フローレンスのことをわたしは考えているの)に施しをするのは難しいわ。でも、ファーカイルにする施しほど難しいものはないのよ。わたしがあたえるものを、彼はあたえられるのを許さない。彼のなかに慈愛はない、許しもない(慈愛だって? 許しだって? とファーカイルはいう)。彼の許しがないままに、わたしは慈愛なくあたえ、愛なく仕える。 不毛な土壌に降りそそぐ雨よ。
 もっと若いころなら、わたしはこの身体ごと彼にあたえたかもしれない。人はそういうことをするものだし、そうしてきた。 たとえ、どれほど誤ったことであっても。 わたしはそうはせずに、この生命を彼の手にゆだねる。これがわたしの生命、これらのことばが、このページのうえを蟹のように動く指の軌跡が。 これらのことば、それをあなたが読みすすむうちに、もしも読めばの話だけれど、そのことばがあなたのなかに入り、ふたたび息づく。そのことばこそ、あなたさえよければ、わたしが生きつづける方法なの。そのむかし母のなかでわたしが生きていたように、そのむかし、わたしのなかであなたは生きていた。 母がわたしのなかでいまも生きているように、わたしが母へ近づいていくように、あなたのなかでわたしが生きられるといいのだけれど。

(p154)

 

ミセス・カレンは、遠方に住む娘に宛てた遺書のような手紙を書き始めます。

その娘への最後の手紙をファーカイルに託すのですが、それが投函されるかは定かではありません。ただ、本書で語られるその手紙からは、ミセス・カレンが自分の死をどう考えているか、激動の時代を彼女自身はどう生きたかが伝わってきます。

 

 いやな臭いがしたので箱を開けてみると、男の死体が入っていた。隠れ場で飢え死にした密航者だった。
「どこからやってきたの?」とわたしはきいた。
「中国さ。 ずいぶん遠いところだな」
 彼は動物虐待防止協会でも働いていたことがある。 犬や猫の一時預かり所だ。
「そこで犬が好きになったわけ?」
「俺は犬とはいつもうまくいくんだ」
「子どものときに犬を飼っていたの?」
「フム」これでは答えになっていない。彼は早い時期に、わたしの質問のどれに耳を貸し、どれを聞き流すか、選別は自分がやると決めてしまった。
 それでもわたしは、断片をひとつ、またひとつと繋ぎ合わせて、不分明きわまりない人生の物語をまとめあげた。それにしても、大きな家に住む老女とのエピソードが終わったあと、次にどんな話がこの男に降りかかるのだろう。片手が不自由で思うにまかせない。水夫としての縄結びの技量は失われてしまった。 手先の器用さはすでになく、まずまずのたしなみもない。人生なかばに差しかかり、かたわらには妻もない。独り、たった独り(ストクスイーアレーン)―― 荒野に立つ一本の棒、孤独な魂、道づれもなく。いったいだれが彼の面倒を見るのだろうか。
「わたしが死んだら、あなたはどうするつもり?」
「なんとかやっていくさ」
「それはわかっているけれど、でも、あなたの人生にだれがいるの?」
用心深く、彼は微笑んで見せた。「俺の人生にだれか必要なわけ?」

 当意即妙の応答などではない。本心からの質問だ。彼にはわからないのだ。わたしに訊ねている、この発育不全の男が――。
「そうよ。 あなたには奥さんが必要だと思うの。 突拍子もない考えだと、びっくりしなければの話だけれど。 あなたが連れてきたあの女でもいいじゃない、多少なりともあなたにその気があれば」
 ファーカイルは首をふった。
「気にしないで。わたしがいっているのは結婚のことではなくて、もう少し別のことなの。約束したっていいわ、あなたの面倒はみるって、ただ、死後なにが可能なのか、確かな考えが浮かばないのよ。ことによると見守るなんてことは許されないかもしれないし、よくて、ほんのわずか。そういった場所にはその場所のルールがあるから、なにかを望んでも、ルールから逃れることはできないかもしれない。秘密さえ許されないかもしれない。秘かな見守りも。心のなかのスペースをプライベートなものとして確保するすべがないかもしれない、あなたにしても、だれにしても。 なにもかも消されてしまうかもしれない。なにもかも。考えても恐ろしいわ。 ぞっとする。もし、そういうことになるなら、わたしは身を引きます、といいたくなるわね、ほらチケットはお返ししますって。 でも、チケットを返すことがはたして許されるのか、とても疑問だわ。理由など斟酢なしよ、きっと。だから、あなたはそんなふうに独りでいるべきじゃないの。だって、わたしは、すっかり消え去らなければならないかもしれないのよ」
 彼はベッドのうえに、こちらに背を向けて座っていた。 前かがみになって、両膝で犬の頭をはさんで、あやしていた。
「わたしのいうこと、わかる?」

「フム」 このフムというのは、はい、を意味することもあるが、実際はなんの意味もない。
「わかってない。全然わかってないわ。 わたしが愕然とするのは、あなたが独りのところを予想してじゃないわね。予想してるのは自分自身のことよ」
 毎日、彼は買い物に出かける。夜になると料理をし、それから、わたしのまわりをうろつきながら、わたしが食べるのをじっと見ている。食欲はまるで感じないけれど、それを彼にいう度胸はない。「あなたがじっと見ていると、なんだか食べづらいわね」できるだけ穏やかにいってから、食べ物を隠し、それを犬にやる。
 彼のお気に入りの〈調合物〉は、卵に浸した白パンを揚げて、そのうえにツナをのせ、さらにトマトソースをかけたものだ。ああ、彼に料理の仕方を教えておくだけの洞察力があったらよかった。
 彼は家全体を気ままに使えるようになったのに、実際には、わたしの部屋でいっしょに暮らしている。からの包みや、古い包装紙を床に落とす。 すきま風が吹くと、それが幽霊のように疾走する。
「紙くずを片づけて」とわたしは懇願する。「ああ、そうする」と彼は約束し、片づけることもあるけれど、そのあと、さらに散らかす。
 ふたりしてひとつのベッドを、たがいに折り重なるようにして分け合っている。 二つ折りにしたページのように、たたまれた二枚の翼のように。 古い仲間、寝床仲間、結合し、結婚した――さながら古代ローマの「婚礼の床(レクトウス・ゲニアリス)」あるいは「女主人の床(レクトウス・アドフェルスス)」といったところか。靴を脱ぐと彼の足の指は黄色、ほとんど茶色で、角のよう。 水には入れない足、落ちるのが怖いから――深みに落ちると息ができなくなるから。 陸の生き物、空の生き物、シェイクスピアに出てくるイナゴ型の妖精だ。柄はコオロギの骨、ひもは蜘蛛の糸でできた鞭を持った妖精。
(p224)

 

ミセス・カレンは家の前にいたファーカイルを最初は毛嫌いしていますが(ホームレスだから仕方がないとも思いますが)、彼の生い立ちを聞いたり、一緒に連れている犬と親しくなったりして、料理や買い物を手伝ってもらうようになります。

奥さんがいたほうがいいんじゃないの?と心配するところに、彼女の優しさと、独りで旅立つことへの不安な気持ちが現れているようです。

 

ファーカイルの裸足の足を見て、『ロミオとジュリエット』に出てくる妖精に例えるミセス・カレンも可愛らしい。

彼女が思い出しているのは、おそらくこちらのマキューシオのセリフと思われます。

 

Mer. O then I see Queene Mab hath beene with you:  She is the Fairies Midwife, & she comes in shape no bigger then Agat-stone, on the fore-finger of an Alderman, drawne with a teeme of little Atomies, ouer mens noses as  they lie asleepe: her Waggon Spokes made of long Spinners legs: the Couer of the wings of Grashoppers, her Traces of the smallest Spiders web, her coullers of the Moonshines watry Beames, her Whip of Crickets bone,  the Lash of Philome, her Waggoner, a small gray-coated  Gnat, not halfe so bigge as a round little Worme, prickt  from the Lazie-finger of a man. 

 

マキューシオ:するってえとおまえさんマブの女王と寝たな。   

  女王は妖精たちの夢の産婆役、小さな姿でやってくるんだ   

  メノウよりも、町役人の人差し指なんかに、小人の群れに引かせて、

  鼻先を横切る  眠っている人間どもの。車の棒は足長蜘蛛の脛。

  天蓋はコオロギの羽、引き綱は小さな蜘蛛の糸、首輪は水玉の月の光、

  鞭の柄はコオロギの骨、鞭の先は蜘蛛の細糸、馭者は、灰色外套のブヨ、

  丸いちっちゃな虫の半分もねえ、不精な娘の指にわくやつ。(1幕4場)

 

 

ここに出てくるマブとは、腹に乗り、悪夢を見させる夢魔(サッキュバス)とのことですが、マキューシオはこのセリフの後、ロミオの性急な恋を、両家の憎しみ合いを皮肉った上ちょっと品のない言葉でからかっています。

 

日本語訳はこちらからお借りしました。

shaks.jugem.jp

 

制度としての差別がこんなに長い間(1948年から1990年代初めまで)存在していたことにあらためて驚かされます。

暴力を前にしたミセス・カレンが心を痛めたり、意思疎通のうまくいかないことに気落ちしたりする様子を見ていると、アパルトヘイト政策下ではこんなふうに人種が分断されていたのかと思います。

そして白人である彼女も、アパルトヘイトという制度をなんとなく恥じていることが伝わってきます。黒人たちに優しくしたいと思いながら、いつもいつもそうできるわけではない、という描写がリアルだと思いました。

 

差別がどんなふうに引き起こされるのか淡々と述べられており、読者の身の振り方を問われるような本です。

 

池澤夏樹さんの全集の方で読みましたが、キレイな色の装丁で読んでいる間少し勇気をもらえました。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。