おはようございます、ゆまコロです。
ドストエフスキー、亀山郁夫(訳)『カラマーゾフの兄弟 4』を読みました。
この巻で好きなのは、幼いミーチャとゲルツェンシトゥーベ先生の、出会いの場面です。
恐ろしかったのは、イワンが幻覚症になるシーンです。なんでこんなに怖い場面を入れるのか、その意図が分からないまま終わってしまいました。
「この地上のすべてのものが理にかなっていたら、それこそ何も起こらなくなってしまう。きみがいなくなったら、いっさいの事件がなくなる。事件はなくちゃならないんだ、とこうです。
だからこそ、がまんにがまんを重ねながら働き、事件を起こし、指示どおり理不尽なことをやらかしているわけです。人間どもは、あれだけ文句なしの頭脳をもっていながら、こういったコメディを、なんだか深刻なものとして受けとめている。ここに連中の悲劇もあるってわけですよ。たしかに連中は苦しんでいます、もちろんですとも、でも…やっぱりそのかわり生きてるじゃないですか、現実離れした生き方じゃなくて、リアルに生きてるじゃないですか。なぜって、苦しみこそが人生だからですよ。苦しみのない人生に、どんな満足があるっていうんです。何もかもが、果てしないひとつの祈りと化してしまいますよ。そりゃあ神聖だろうけど、ちょっと退屈でしょうね。」(スメルジャコフ)
すごく好きなセリフです。
他にこのセリフも、心に残りました。
「息子を父親の前に立たせて、わざとこうたずねさせるのです。
『父さん、教えてください。どうしてぼくが父さんを愛さなくてはいけないんです?父さん、証明してください、なぜ愛さなくてはいけないのか』そして、もしその父親がきちんとわかりやすく答えて、証明もできたなら、それはほんものの正常な家族です。」
こんな問いに答えられる父親なぞいるのかなぁ、と思いました。
逆に、なぜこの息子はそんなに父親を愛したくないのか、そっちの方が気になってしまいました。
また、フェチュコーヴィチ弁護士の話がうまくて、ミーチャは無罪にしてもいいんじゃないか?という気さえしてくるのが凄かったです。
いろいろありすぎるクライマックスで、読んでいるこちらが置いてきぼりにされてしまいそうでした。
最後まで読んで下さってありがとうございました。