おはようございます、ゆまコロです。
ドストエフスキー、亀山郁夫(訳)『カラマーゾフの兄弟 3』を読みました。
面白くなってきたので、さらっと行きました。
この巻で好きな場面を選ぶとしたら、この二つです。
「どうしたのです?泣かずに喜びなさい。それとも、あの方の生涯で今日がもっとも偉大な一日であることがわからないのですか?あの方がいまこの瞬間、どこにおられるか、思い出してみてごらんなさい!」
アリョーシャは、幼い子どものように泣きはらした顔から両手をのけ、ちらりと神父を見あげたが、何も言わずすぐに顔をそむけ、ふたたび両手でおおった。
「しかしまあ、そうしているのもよいかもしれない」
パイーシー神父は、感慨深そうに言った。
まずは、修道院の長老が亡くなって、墓石の上で三男・アリョーシャが泣くシーン。
この様子を想像すると、なんだか(かわいそうなのだけど)可愛くて、何回か戻って読みました。
このゾシマ長老の死によって、反対勢力であるフェラポント神父が台頭してくる様子がリアルだなと思いました。
もう一つは、自暴自棄になるアリョーシャの様子。
「そのサラミ、もらうよ」
「へえ!こいつは驚いた!それじゃ、もう完全に反乱を起こしてるわけだ、バリケード戦ときたか!でもな、アリョーシャ、べつにこういうことを見くだすことなんて何もないんだぜ。うちに来いよ…こっちもいまはウォッカをひっかけたい気分でね。死ぬほど疲れたもの。でも、さすがにウォッカまでは決心がつかんよな…それとも、一杯やるかい?」
「ウォッカもいこう」
「うおう!やったぜ、アリョーシャ!」ラキーチンは、目を瞠った。
「いやあ、ウォッカだって、サラミだって、とにかくたいした話さ、チャンスはのがすな、さあ、行こうぜ!」
いつも真面目に頑張りすぎなくていいのよ、と思ってしまいます。
同じ修道院仲間のラキーチンは、アリョーシャのことをあまりよくは思っていないのですが、それでも辛い出来事の後なので、ちょっぴり心安らぐ会話です。
この場面で、“恐ろしい責任のようなものがアリョーシャの頭をちらりとよぎって消えたことを、あとになって彼は何度か思い出すことになる” というのが気になりますが…。
こうして気になったところをあとで見返すと、アリョーシャが可愛くてときめいたところしかチェックしていないのがよく分かります。
(参考にならなくてすみません。)
最後まで読んで下さってありがとうございました。