ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』

おはようございます、ゆまコロです。

 

ティム・オブライエン村上春樹(訳)『本当の戦争の話をしよう』を読みました。

 

ベトナム戦争がテーマの短編集です。

この本の中で好きなのは、「レイニー河で」という話です。

 

 

どうやら私は、勇気というものは遺産と同じように、限定された量だけを受け取るものだと思い込んでいたようだ。無駄遣いしないように倹約して取っておいて、その分の利息を積んでいけば、モラルの準備資産というのはどんどん増加していくし、それをある日必要になったときにさっと引き出せばいいのだと。それはまったく虫の良い理論だった。そのおかげで私は、勇気を必要とする煩雑でささやかな日常的行為をどんどんパスすることができた。そういう常習的卑怯さに対して、その理論は希望と赦免を与えてくれた。将来に向けて積み立てているんだからということで、過去は正当化された。

 

 

「勇気を必要とする煩雑でささやかな日常的行為」というところに、何となく自分も耳の痛い思いがしました。いつまでも覚えておきたい話です。

他に良かった話もいろいろあります。

 

 

君は生きている自分自身というものを激しく、皮膚を突き破らんばかりに強く身のうちに感じ取るのだ。それは最も真実な君自身であり、君が自分はこうありたいんだと欲し、そして欲するという力によって生まれかわった人間である。悪のまっただなかにあって君は善良ならんと欲する。君は高潔さを欲する。君は正義と礼節と人間の和合とを欲する。そんなものを自分が求めているなんてそれまで気がつきもしなかったというのに。そこにはある種の大いなるものが存在している。ある種の神々しさが存在している。変な話だけれど、死とすれすれになったときほど激しく生きているときはないのだ。(「本当の戦争の話をしよう」)

 

 

読んでいて、作者の気持ちと共鳴していることに気づき、不思議な感じがした話です。

 

 

日常の会話では、私はあまり戦争の話をしなかった。少なくとも詳しい話はしなかった。でも戦争から帰還してからずっと、私はそれこそノンストップで、文章を通して戦争の話を物語つづけていた。物語ることは咳払いをするのと同じくらい自然な、そして避けることのできないプロセスであるように思えた。それはカタルシスでもあり、コミュニケーションでもあった。それは人々の襟首を摑んで、私の身に起こったことをこと細かにわからせるための手段であった。どうして私は黙って誤った戦争にひっぱっていかれたか、私がどれほど多くの間違いを犯したか、どれほど恐ろしいことを目にし、そしてこの手で為したか。

 

 私はものを書くことをセラピーであるとは思わなかったし、今でも思っていない。でも、ノーマン・バウカーの手紙を受け取ったとき、私はこう思った。俺は文章を書いていたからこそあの記憶の渦の中を無事に通り抜けてくることができたんだな、と。(「覚え書き」)

 

 

ベトナム戦争に関わった人たちのたくさんの思いに触れると、自分は今後どう行動すべきか、考えされられるような内容でした。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

本当の戦争の話をしよう (文春文庫)