おはようございます、ゆまコロです。
ジャン・デ・カール、三保元(訳)『狂王ルートヴィヒ 夢の王国の黄昏』を読みました。
ノイシュヴァンシュタイン城に興味を持ち、手に取ってみました。
ルートヴィヒ2世の40年の生涯には、どうしてこうなるのだろう、とか、なんでこんなことをしたのだろう、とか思うところはいろいろあるのですが、とりあえず置いておいて、この本で好きな場面は、貴族の家柄の副官付のポール・ド・タクシス少尉からルートヴィヒ2世が手紙を貰うところです。
「宮殿のまえを通って、王子の居室の窓に明りが見えたとき、私の胸はときめきました。でも、いまはおさまりました。静かに眠り、夢で王子にお会いします」と、ポールの手紙にある。
女性との関わりがまったくない世界に育つというのは、どんな感じなのだろうかと考えます。
通常、心神の性向や情熱的で観念的で純粋な夢想は、思春期が終ると、愛の基礎である愛情の官能的コンプレックスに変化していくが、王子の場合は、この二つの性向がうまく融合しないままである。肉体的な興奮は自己遂情の方向に向う。心神の生体欲求が、思春期以前とおなじように、観念的な夢想、遠く離れて持つ愛情、想像上の恋に還元されてしまっている。
これはポールとルートヴィヒ2世の関係について、ロビン博士という人の分析です。
「あなたは御存じなかったことですが、私にとっての唯一の喜びの源泉はあなたであり、物心ついたときの私の心の友、私の心にふれる唯一の友であり、最高の師であり教育者であったのです。そのことについて私はできる限りのことをして、報いたいと思っています。」
こんな感じで幼少の頃から作曲家ワーグナーの大ファンだったルートヴィヒ2世ですが、王の使いが逃亡中のワーグナーに追いついて、貧困から救い上げるところは少し感動します。
もっとも、放蕩がたたって、経済的に困窮していたワーグナーは、助けられた後も禁欲的な生活態度は皆無で、結局は追放されてしまうのですが。
王様に生まれるのも楽じゃないのね、という気持ちになりながらも、ルートヴィヒ2世に親しみを抱けるところを挙げるとすれば、戦争が嫌いだったということでしょうか。
プロイセンは、つい先頃、その威力を見せつけたばかりである。ルートヴィヒ二世は軍隊と名の付くものはすべて御免だという有様で、闘いといえば、中世の騎士の理想の姿しか思いつかない。そんなふうだから、機会あるごとに奇妙な指令を出しては、軍規の緩和をはかり、顰蹙を買う。…長くカールした髪型はとても軍司令官には似つかわしくない。ルートヴィヒは好むと好まざるとにかかわらず、バイエルン陸軍大佐なのだ。
他の人が指揮をすればいいのに…とつい思ってしまいます。
オーストリア帝国側で参加したバイエルンは敗れ、参戦に反対していた彼の立場は良くなるので、結果オーライということなのでしょうか。(周りの人たちはたまったものじゃないでしょうが。)
彼の残したお城に実際に行ったとき、何を感じるかが楽しみでもあります。
最後まで読んで下さってありがとうございました。