ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

ポール・オースター『写字室の旅』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『写字室の旅』を読みました。

 

自由に旅行ができないこの時節柄、旅というタイトルに心踊りましたが、主人公の置かれた状況は、これ以上無いくらい閉鎖的でした。

 

どうして捕らえられているのか(本人にも読者にも)分からない主人公の男性の行動を見守るより、物語中物語の方が動きがあってつい気になってしまいます。

 

その中で本書のもう一人の主人公が、発作的に暴力を振るったことを反省する場面が好きです。

 

 判決が下されて何時間も経たないうちに、庁の役人たちが陪審員数名を買収して私に有利な票を投じさせたという噂が広がった。私自身は、自分のために何か腐敗したやりとりが為されたかどうかはいっさい知らないが、そうした非難は根も葉もない噂話にすぎないと思う。私がたしかに知っているのは、その夜以前に私がマクノートンに会ったことは一度もなかったということだ。一方相手は、名前で呼びかけるくらい私のことを知っていた。彼がテーブルに近づいてきて私の妻のことを話し出し、妻の失踪の謎を解く助けとなる情報を持っていることをほのめかすと、とっとと失せろと私は彼に言った。この男は明らかに金が目当てだった。そのまだらに染まった不健康そうな顔を一目見れば、こいつがペテン師で、私を見舞った悲劇のことを聞きつけてそれをダシに一儲けしようと企んでいるのは明らかだった。そうやって邪険に追い払われたことが、どうやらマクノートンは気に入らない様子だった。退散するどころか、隣の椅子に腰を下ろし、怒った様子で私のベストをつかんだ。それから、私たちの顔がほとんど触れるまで私の体を引き寄せ、顔をくっつけてきて、言った。あんた、どうなってるんだ? 真実が怖いのか? 彼の目には怒りと蔑みがみなぎり、何しろ私たちはたがいにぴったり接近していたから、その目は私の視界内にある唯一の物体だった。彼の体から敵意が流れ出るのが感じられ、次の瞬間、その敵意がじかに自分の体内に入り込んでくるのを私は感じた。彼に襲いかかったのはその時だった。そう、手を出したのは向こうが先だったが、反撃を開始したとたん、私は彼を痛めつけたいと思った。可能な限りこっぴどく痛めつけたいと思った。

 

 これが私の罪である。ありのままに受けとめてもらえればいい。だがこの報告書を読む行為に影響が及ぶようなことはないようにしていただきたい。災難は万人の許に訪れ、一人ひとりがそれぞれのやり方で世界と和解する。あの夜マクノートンに対して私が行使した暴力も正当ではなかったが、その暴力を行使する上で覚えた快感はもっと大きな悪だった。自分の行ないを許しはしないが、当時の精神状態を思えば、他人に危害を加えたのが風亭の一件だけで済んだことは驚きと言ってよい。その他の危害はすべて自分に対して加えられたのであり、酒への欲求(実のところそれは死への欲求だった)を抑えることを学ぶまでは、全面的な破滅の危険を私は抱えていたのだ。やがて、ふたたび何とか自分を制御できるようになったが、白状すれば私はもはやかつての自分ではない。それでも生きつづけているのは、何よりもまず、内務庁での仕事が、生きる理由を与えてくれているからだ。何とも皮肉な話である。連邦の敵と名指される私だが、過去十九年間、私ほど連邦に忠実であった公僕はほかにいない。記録を見てもらえばそれは明らかだ。かくも壮大な営みに携われる時代に生きたことを、私は誇りに思う。現場での仕事を通して、真実を何より愛する気持ちを植えつけられ、それゆえ己の罪や違犯に関する疑惑もすでに晴らしたが、むろん犯さなかった罪まで認める気はない。

(p57)

 

「敵意が流れ出るのが感じられ」たというのが、生々しい表現だなと思いました。

この文章で何より好きなのが、暴力そのものよりも、暴力を行使する上で覚えた快感がもっと悪いとしているところ。

オースターらしい自己省察に好感がもてます。

 

他にも、捕らわれの主人公は誰であるのか?とか、出てくる人物たちの名前は何を意味しているのか?とか、面白い仕掛けはいろいろあるのですが、ここでは控えます。

 

ポール・オースターのファンブック的な作り込みが楽しい本でした。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。