おはようございます、ゆまコロです。
おすすめされて、姜尚中『あなたは誰?私はここにいる』を読みました。
「この絵(ベラスケスの「ドン・セバスチャン・デ・モーラ」)をじっと見つめていると、わたしはかつて不治の病と恐れられたハンセン病に罹患したある知り合いのおじさんのことを思い出します。
少年のころ、わたしはそのおじさんが我が家に出入りすると、そそくさと逃げてしまうほど極度に恐れていました。わたしの心の中にべっとりとした墨のように偏見が滴り落ち、わたしはその虜になっていたのです。数十年後、施設を訪れ、そのおじさんと再会し、わたしは恥ずべき仕打ちを詫びましたが、そのときのおじさんの言葉が忘れられません。
「よかよ、仕方んなか。子供は大人の心を映す鏡だけん。わしはこがん運命を背負ったばってん、すべてば受け入れて、一生懸命生きてたと。生きんと、生きて生きて生き抜かんと。それがわしらの生きた証だけんね。」
その目には、ベラスケスの矮人の哲学者を思わせる目のように、憂いに満ちた潔さがあふれていました。
それにしても、ベラスケスは、なぜ、わざわざ彼らのような人たちを描いたのでしょうか。いかに絵を描く職業とはいえ、人や花を描くのと違って、彼らのような矮人を描くことは楽しいことだったとは思えません。
絵画だけでなく文学などでも、ときにはあえて突き放すような冷徹なリアリズムで社会的弱者を描くことはあります。その方法が見る人に対して大きな訴求力を持つこともあります。しかし、ベラスケスはそのような目的で彼らを描いたとは思えません。ではなぜなのかと言えばー、わたしは、ベラスケスは矮人を慰み者として描いたのでもなければ、冷淡に突き放して描いたのでもなく、かといって人間愛的なまなざしで描いたのでもなく、「我が同輩」として描いたのではないかと想像するのです。
それは、彼自身が自らの出自を隠していたことと関係あるのかもしれません。彼はコンベルソ(改宗ユダヤ人。当時のスペイン社会では一種蔑視の対象)としての記憶を消し去ることで、宮廷画家兼役人として高い地位を得ました。
しかし、彼の心の奥には虚しさが潜んでいて、きらびやかな暮らしに全面的に同化できなかったと思うのです。ベラスケスの心の中に、どこかはみ出し者的な劣等意識が残りつづけたのではないでしょうか。だからでしょうか、彼は倭人に矮人らに同輩としての意識を抱いたのかもしれません。彼の中には生まれながらの消し去れない悲しみが、霜のように白く冷たく降り積もっていたと想像します。」
美術鑑賞がお好きな方は楽しめると思います。
最後まで読んで下さってありがとうございました。