ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

マララ・ユスフザイ、クリスティーナ・ラム『わたしはマララ 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』

おはようございます、ゆまコロです。

 

マララ・ユスフザイ、クリスティーナ・ラム、金原瑞人+西田佳子(訳)『わたしはマララ  教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』を読みました。

 

この本では、マララさんがタリバンに撃たれて怪我をし、イギリスに行くところまで書かれています。

彼女のおじいさんやお父さんのエピソードなど、家族環境のことが分かり、彼女の住むパキスタンという国のことも、だんだん分かってきます。

 

何者にも負けないし、誰のことも恨んだりしないマララさんの強さは、何が作ったのだろう?と考えたとき、それは、教育と、両親の愛情なのかな、と思いました。

 

芸術や文化や、好きな服装、大好きなテレビ番組も、ボードゲームも、タリバンに奪われ、あげく、名指しで殺害されると予告され、毅然としている彼女が凄すぎます。

 

(殺害するという声明を受けて)

「今度ばかりはきき流すわけにはいかない、と父はいう。なぜか、わたし自身は、怖いとは思わなかった。だれでもいつかは死ぬ。それはだれにもどうにもできないことだ。タリバンに殺されるのかもしれないし、ガンで死ぬのかもしれない。どちらでもかまわない。それまでに、やりたいことをやるだけだ。

  「活動をやめるべきかもしれない。しばらく身をひそめていよう」父が言った。

  「そんなこと、できるわけないわ。命より大切にしなきゃならないものがあるとわかったんだから。あとは声に出してそれを訴えるだけ。」」p294

 

自分が同じ立場だったら、発狂してしまいそうな状況です。

 

同じ時間を生きているとは思えないほど、勇敢で前向きな彼女の姿勢には、自分の居住まいを正さずにはいられません。

 

勇気をもらえます。

そして、エールを送らずにはいられません。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女

わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女