ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

松本大洋『ルーヴルの猫』

松本大洋さんの漫画を初めて読みました。

なんだか映画のような不思議な読後感で、読み終わったあとも、この物語についてぐるぐると考えてしまいました。

疑問に感じたことを残しておきます。

 

不思議1●どうして絵の中に入れる者と入れない者がいるのか?

(私の考察)

絵の中に入りたいと望むと入れるのでしょうか?アリエッタは、現実世界よりも絵の中を愛していたようですので、絵の中に入っていっても、不思議ではない気がします。でもそうすると、修復士のシャルル・ド・モンヴァロンは絵の中に入ることを切望したのに入れないのが気になります。

そしてゆきのこ自身が絵の中に入るのを望んでいるようにも見えない、というのも引っかかります。ただ彼は、この世界に馴染めない、と感じているので、現実世界よりは絵の中に惹かれる要素があるのかも。

 

不思議2●ノコギリはどうして嫌っていたゆきのこを助けたのか?

(私の考察)

「仲間を危険に晒しそうだから」という理由で、一時は自分の手でゆきのこを殺そうとしていたノコギリ。

しかしその後彼は、ゆきのこが犬に襲われそうになった時、自ら飛び出していき犬に立ち向かい、結果命を落とします。

彼が守りたかったのは、同じくルーヴル美術館に住まう仲間たちだったのか?その中には、ゆきのこも含まれていたのか?それとも、最初こそ仲間の輪を乱す  ゆきのこ  を憎んでいたけれど、気持ちが変化していった結果、ゆきのこ  もかけがえのない仲間だという認識に変わっていたのか?あるいは、咄嗟に飛び出していっただけだったのか?

 

「ぼくといっしょにいると…みんな死んじゃうみたいだ…」

と言うゆきのこに対し、長老はこう言います。

「だれもがいずれ死ぬ…

お前をたすけたノコギリはしあわせだったさ。」

  このシーンが一番好きです。

 

不思議3●絵の中は死後の世界なのか?

(私の考察)

ゆきのこ  と、作中で死んだノコギリが絵の中で出会う場面や、ゆきのことおしゃべりしていた蜘蛛がいるところを見ると、これは死んだあとの世界なのかな、と思えなくもないです。

アリエッタも、もう弟に会うことは出来なさそうですし。(普通に考えたら、捜索しても見つからず50年経っているのなら、亡くなったと思われても仕方がないように思います。)

アリエッタが持っていた懐中時計が、ゆきのこが絵の中に入ってきたことで動き出す、というのも、なにか意図がありそうです。

 

少し違うかもしれませんが、「絵の中に入る」ということを想像して、私が思い出したのは、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの絵と、フランシスコ・デ・スルバランの絵のことでした。

 

展覧会で近くで見た時のことです。どちらの画家の絵も、写実的なタッチと光の陰影で、あまりのリアリティに圧倒されました。まるでこの絵の中で起こっていることが目の前で今、繰り広げられているかのような臨場感に、心臓がドキドキして、卒倒しそうな気持ちになりました。

 

実際、この二人が描いた絵の中にもしも自分が入ってしまったら、発狂してしまうんじゃないか、というくらい恐ろしい気持ちになるのですが、絵を見たあとの疲労感は、「その世界に触れた」ような、リアルな体験でした。

 

自分が修復できるとして、これらの絵をお預かりする、と想像するのもなんだか微妙な気分になります。とても好きな画家達ではあるのですが、近くにあると怖い夢を見そうです。

 

今度ルーヴル美術館に行ったら、『アモルの葬列』をぜひ観ようと思いました。

 

●こんな人にオススメ

絵が好きな人。猫が好きな人。フランスが好きな人。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

ルーヴルの猫 上 (ビッグコミックススペシャル)