ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

かどのえいこ『ルイジンニョ少年 ブラジルを訪ねて』

おはようございます、ゆまコロです。

 

かどのえいこ『ルイジンニョ少年 ブラジルを訪ねて』を読みました。

 

かどのえいこ先生がブラジルで暮らしていたことがあることは知っていたけど、なぜブラジルに行ったのだろうか?と思っていましたが、この本の「復刻版あとがき」を読んでやっと分かりました。

 

 

 一九五九年、二十四歳だった私は、結婚したばかりの夫とブラジルに向かいました。横浜港から貨客船、チチャレンガ号に乗り、太平洋、インド洋、喜望峰をまわって、大西洋と、三つの大海をこえて、ブラジルのサントス港まで、二か月の旅でした。

 

 日本は戦争に負けて、まだ貧しく、自由に海外旅行ができない時代でした。ただ、移民として、ブラジル、アルゼンチンに行くことは許されていました。若かった私たちは、そういう方法があるなら、ブラジルに行ってみようと思ったのです。(p125)

 

 

あまり馴染みのないブラジルの生活やそこに暮らす人々について知るには、なかなか良い本だと思います。

好きな個所はこの三か所です。

 

 

「それじゃ、おばあさんはイタリア人なんですね。」

 と、わたしはたずねました。

「いいえ、わたしはブラジル人よ。それも、りっぱなブラジル人よ。ねえ、えいこ、ブラジル人はみんなじぶんの国をふたつはもっているのよ。とおいふるさとの国とここブラジルとね。」

「たくさんの国をもてるなんて、とてもすてきなことね。」

 と、わたしはちょっぴりうらやましく思いながらいいました。

「ぼくなんて、四つももっているんんだよ。イタリア人と、パパイ(おとうさん)からはポルトガルとアフリカ、それにブラジルさ。それがみんななかよしときてるんだ。すごいだろう。」

 

 この5か月間、わたしは三年ぶんぐらいの勉強をいちどにしてしまいました。ブラジル語はもちろんのこと、ブラジルでは、「しつれいします。」「ごめんなさい。」「とおしてください。」といえない人は、たとえ五か国語がしゃべれても、教養のない、れいぎしらずの人と思われることもしりました。それから、人間の顔の色は、白と黒ときいろだけかと思っていたのに、ここでは、白と黒、きいろと白のまざった顔、ちゃいろ、黒ちゃ、ルイス(=ルイジンニョ)のように白ちゃと、いろんな人がいるということでした。そして、その人たちのあいだには、なんのわけへだてもないのです。ルイスみたいにほこりにさえ思っている子どももいるのです。これはあたりまえのことかもしれません。でも、でもたくさんの国に、顔の色で人間の価値をきめようとする人がいることを考えると、だれもがわけへだてなく生活していることは、ブラジル人たちがつくりだしたもっともすばらしいことだと思います。(p30)

 

 

この、礼儀正しい姿勢が良いなと思いました。

かどの先生が現地の言葉を習得する過程のお話も好きです。

 

 

すこしじょうずになると、ルイスはわたしを町にひっぱりだして、しけんをしました。

 

「セニョリータ(おじょうさん)、日本人かい。中国人かい。」

コーヒー店のおじさんがはなしかけてきました。

「日本人よ。三か月まえ、わたしブラジルにくるでしょう。」

「ああそう。三か月まえに、ブラジルにきたのね。」

おじさんはゆっくり、ひとことずつくりかえして、わたしのまちがいをなおしてくれました。この町の人はみんなことばの先生みたいです。めちゃくちゃ語でも、ちゃんとわかってくれようとします。

 

 はじめに、ブラジルを発見したのはポルトガル人でした。発見したというのはおかしなはなしです。のりこんできたといったほうがいいかもしれません。そのまえにちゃんとインディオとよばれる人がすんでいたのですから。それでポルトガル語がブラジルのことばになりました。でもすんでいる人たちは、いろんな国からやってきた人たちです。みんな移民してきて、それでブラジルという国ができたのです。ブラジルはごちゃまぜ国なのです。いまでも、世界じゅうから移民がやってきています。ことばができないなんて、あたりまえのことなのです。だれでもが、まずしゃべってみることがいちばんいいことをしっているのです。そうすれば、人の心がわかるし、なかよくもなれるのです。(p38)

 

 

まずしゃべってみようとする姿勢と、ことばができないことに対する、おおらかな気持ちは見習いたいと思いました。

 

 

ブラジルは広い。日本の二十二.五倍もあります。その広い大地が、ドクドクとみんなのからだの中にながれているのです。きびしいしぜんとたたかってきた、むかしのことをけっしてわすれていないのです。てんでん、ばらばらに世界じゅうからあつまった人たちが、顔の色や、文化のちがいをのりこえて、なかよくやってこられたのも、たすけあわなければ、生きられなかった、ブラジルのきびしいしぜんがあったからだと思います。そしてそこからよろこびや、たのしさや、やさしさが、どんなにたいせつなものかということを知るようになったのです。ブラジル人はのんきで、うたとおどりでくらしているという人がいます。たしかにそのとおりです。あかるい太陽や、青い空のせいもあるでしょう。でも、それだけではないと思います。赤い土、広い大地から、のんきなんていわれるほど、大きな、やさしい心をもらったのだとわたしは思います。(p106)

 

 

大変な船旅、慣れない土地での不安や言葉の壁を乗り越えて、かどの先生が新しい生活を楽しんでいることが強く伝わってきます。

ポジティブなあとがきも素敵でした。

 

(図書館で著者名で検索した時、なぜか見つからない、と思ったのですが、この本ではひらがな表記だったからでした。)

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

ルイジンニョ少年: ブラジルをたずねて

ルイジンニョ少年: ブラジルをたずねて