ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

和辻哲郎『倫理学(一)』

おはようございます、ゆまコロです。

 

和辻哲郎倫理学(一)』を読みました。

 

どうして世間話として天気の話をするのか?という疑問に対する答えが好きです。

 

 知人が出逢えば天候の話をする。それは人間の常識である。彼らは何ゆえに天候を云為(うんい)するかを反省しはしない。しかし天候を云為した時に彼らは天候についての認識にかかわっているのではなくて相互の間柄がそこに表現せられたのであることを、すなわちそれが挨拶であることを理解している。そうでなければその人は非常識である。ところでそのような常識的事実としての天候の挨拶が人間存在の表現として捕えられるとき、そこに主体的な存在への通路が開かれる。何ゆえに人々は天候の挨拶をするか― 天候とは主体的な存在の様態、すなわち「機嫌」にほかならぬからである。

 

もう一つ、「何人にも読ませない文章」についての考え方も、なるほどと思いました。

 

 書くのは言葉の文字的表現であり、言葉はただともに生き、ともに語る相手を持ってのみ発達してきたものだからである。たとい言葉が独語として語られ、何人にも読ませない文章として書かれるとしても、それはただ語る相手の欠如態に過ぎないのであって、言葉が本来語る相手なしに成立したことを示すのではない。そうしてみれば書物を読み文章を書くということはすでに他人と相語っていることなのである。いかに我れの意識のみを問題にしても、問題にすること自体がすでに我れの意識を超えて他者と関連していることを意味する。いかなる哲学者もかかる関連なしに問題を提出し得たものはなかった。

 

 このことを同様に我々は読者についても言うことができる。自分はこの文章を読むことが現前の事実である。その人は書斎にただ独りでいるにしても。読むことにおいてすでに筆者の言葉に接している。また最も手近な人間存在は何であるかを問題にすることにおいてすでに自他の関連の中に立っている。 

 

おすすめされて借りた本でしたが、難しかったです。

己の読解力の低さを痛感します。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

倫理学〈1〉 (岩波文庫)

倫理学〈1〉 (岩波文庫)