ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』

おはようございます、ゆまコロです。

 

デーヴ・グロスマン、安原和見(訳)『戦争における「人殺し」の心理学』を読みました。

 

作者はアメリカの陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授でもある陸軍中佐です。

「なぜ人は人と戦い、殺すのか」ということを、心理学的な面から解説しています。

 

戦争に関する研究書や、戦いにまつわる詩、戦地から帰ってきた兵士の言葉や、聞き取り調査など、膨大な証言がまとめられています。

 

語る人も苦しかったろうな、と思われるお話もたくさんあるのですが、この本で特に印象的だったのは、兵士の心理的距離について考察した章でした。

 

 

接近戦が長く続くと、敵味方の戦闘員が互いに知り合うようになり、そのために殺しあいができなくなる危険が、戦場にはつねに存在する。次にあげる文章には、この危険が、そしてそれの起きる過程が感動的に描かれている。第二次世界大戦にドイツ兵として従軍したヘンリー・メテルマンが、ロシア戦線での自分の体験をつづったものである。

 

 戦闘が小康状態に入ったとき、ふたりのロシア人がタコツボを出て、メテルマンのほうへ近づいてきた。

 

 私はふたりに歩み寄った。…ふたりは自己紹介をして…煙草を一本差し出した。私は煙草を吸わないが、せっかく勧めてくれたのに断るのは悪いと思った。だがひどいしろものだった。私は咳き込み、あとで仲間に「ロシア人ふたりといっしょに突っ立って、頭が吹っ飛ぶほど咳をして、そりゃあいい印象を与えただろうよ」と言われたものだ。…ふたりと話をして、こっちのタコツボに来てもいいと私は言った。そのなかでロシア兵が三人死んでいたからだ。申し訳ないことだが、私が殺したのである。ふたりはその死体の[認識票]と給与手帳を回収しようとした。…私はちょっと手を貸してやって、三人でかがみこんで、その給与手帳の一冊に写真が何枚かはさんであるのを見つけた。ふたりはそれを私に見せてくれた。三人でそこに突っ立って、写真を眺めた。

…最後にもういちど握手をした。ひとりは私の背中をぽんと叩いて引き上げていった。

 

 メテルマンは、半トントラックを運転して後方の野戦病院へ行くよう命じられた。一時間以上たってからまた戻ってきてみると、ドイツ軍は先ほどのロシア人の持ち場を越えて前進していた。仲間が何人か殺されていたのに、なにより気になったのは、なぜか<あのふたりのロシア人>がどうなったかということだった。

 

 「死んだよ」と仲間は言った。

 「どんなふうに?」私は尋ねた。

 「降参しようとしないんで、両手をあげて出てこいと怒鳴ったけど出て  来なかった。だから戦車で踏み込んでいったら、ほんとに下敷きになって死んじまったんだ」。私はひどく悲しかった。人間と人間、同志と同志として会って話をしたのに。かれらは私を同志と呼んだものだった。奇妙に聞こえるかもしれないが、この狂った戦闘で死なねばならなかったかれらのことが、あのときは味方の死よりも悲しかった。いまでも思い出すと悲しくなる。(p264)

 

 

他にも、「第一次世界大戦中に、敵味方がたがいによく知り合うようになったために、なんども非公式な停戦状態が発生」するなど、兵士の間に不思議な結び付きが生まれることがあるそうです。

かと思えば、戦場で女性兵士が死傷したとき、男性兵士が際限のない残虐行為に走る例がたびたび見られたりと、軍隊の中でも、想定外のことが起こるのだなという事例がありました。

 

作者は自身が本書を通じて訴えたかったこととして、「人間のうちには、自分自身の生命を危険にさらしても人を殺すことに抵抗しようとする力がある」ということをあげています。

 

命令に逆らっても発砲しないなどの非効率的な行動、わざわざ敵と仲良くなる危険を冒すこと、作戦以上の残虐行為に走るケースなど、首をかしげたくなるエピソードからは、彼らが本当に欲していることや、人間らしさが浮き彫りになるようで、何度も戻って読んだりしました。

 

どうすれば人を殺せるのか、ということを考えると、おのずと自分たちはどういう道を辿らねばならないのかを考えることになり、意義のあるテーマであると思いました。面白かったです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)