おはようございます、ゆまコロです。
湊かなえ『告白』を読みました。
一つの事件を、それに関わった様々な人の視点から見ていくうちに、読者である自分も、渦中にいながらその出来事を傍観しているような気持になります。
それぞれの人物の言い分は、分かるような時もあれば、同意しかねる時もあります。
印象的なのは、以下の個所です。
ほとんどの人たちは、他人から賞賛されたいという願望を少なからず持っているのではないでしょうか。しかし、良いことや、立派なことをするのは大変です。では、一番簡単な方法は何か。悪いことをした人を責めればいいのです。それでも、一番最初に糾弾する人、糾弾の先頭に立つ人は相当な勇気が必要だと思います。立ちあがるのは、自分だけかもしれないのですから。でも、糾弾した誰かに追随することはとても簡単です。自分の理念など必要なく、自分も自分も、と言っていればいいのですから。その上、良いことをしながら、日頃のストレスも発散させることができるのですから、この上ない快感を得ることができるのではないでしょうか。そして、一度その快感を覚えると、一つの裁きが終わっても、新しい快感を得たいがために、次に糾弾する相手を捜すのではないでしょうか。初めは、残虐な悪人を糾弾していても、次第に、糾弾されるべき人を無理矢理作り出そうとするのではないでしょうか。
そうなればもう、中世ヨーロッパの魔女裁判です。愚かな凡人たちは、一番肝心なことを忘れていると思うのです。自分たちには裁く権利などない、ということを……。(p84)
大切に思っていても、その人の心に響くとは限らないこと、自分が思った通りの言葉を口にしても、相手がそのままの気持ちごと受け取るわけではないということなど、些細なすれ違いがリアルだと思いました。
読後感は爽快とは言いにくいですが、それがかえって現実っぽくていいのかもしれません。
最後まで読んで下さってありがとうございました。