おはようございます、ゆまコロです。
今回、印象的だったのは、好古さんの軍人に対する考え方です。
例えばこちら。腰に見せかけの刀を差していたというエピソードから。
「このあたりが、この人物の奇妙なところであろう。かれはのちの日露戦争にも腰にこの指揮刀をつって戦場を往来した。理由はいわない。
理由はいわなかったが、おそらく指揮官の役割は個人で敵を殺傷するものではなく一隊一軍を進退させて敵を圧倒するところにある、によって個人としての携帯兵器はいらない、というようなことであったのかもしれない。
それ以外にも理由がありそうである。好古は同時代のあらゆるひとびとから、
「最後の古武士」
とか、戦国の豪傑の再来などといわれた。しかし本来はどうなのであろう。
考える材料が二つある。ひとつは、かれは他の軍人の場合のようにその晩年、自分のこどもたちを軍人にしようというきもちはさらになかった。福沢諭吉の思想と人物を尊敬し、その教育に同感し、自分のこどもたちを幼稚舎から慶応に入れ、結局ふつうの市民にした。
いまひとつは、かれが松山でおくった少年のころや大阪と名古屋でくらした教員時代、ひとびとはかれからおよそ豪傑を想像しなかった。おだやかで親切な少年であり、青年であったにすぎない。それが官費で学問ができるというので軍人になった。軍人になると国家はかれにヨーロッパふうの騎兵の育成者として期待し、かれもそのような自分であるべく努力した。
かれは自己教育の結果、「豪傑」になったのであろう。いくさに勝つについてのあらゆる努力をおしまなかったが、しかしかれ自身の個人動作としてその右手で血刀をふるい、敵の肉を刺し、骨を断つようなことはひそかに避けようとしていたのではないか。むろんそのために竹光を腰に吊るということは、よほどの勇気が要る。勇気あるいは固有のものではなく、かれの自己教育の所産であったようにおもわれる。」
それと、別の個所で “真之さんが読んだ本の名文句を手帳に書き抜いておく” とあって、これは読書ノートみたいなものなのかな?と思い、なんだか嬉しかったです。
最後まで読んで下さってありがとうございました。