ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

ミヒャエル・エンデ『モモ』

おはようございます、ゆまコロです。

 

ミヒャエル・エンデ、大島かおり(訳)『愛蔵版 モモ 時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』を読みました。

 

学生の時にも読んで、今回再読だと思いますが、結構手間取りました。面白いけどじっくり文章を通過しないと、頭に入って行きにくい感じです。

 

好きな箇所は二つあります。

 

「「あの人たち、いったいどうしてあんなに灰色の顔をしているの?」とモモは、めがねのむこうをながめながら聞きました。

 

 「死んだもので、いのちをつないでいるからだよ。おまえも知っているだろう、彼らは人間の時間をぬすんで生きている。しかしこの時間は、ほんとうの持ち主から切りはなされると、文字どおり死んでしまうのだ。人間というものは、ひとりひとりがそれぞれじぶんの時間を持っている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。」

 

「じゃあ灰色の男は、人間じゃないの?」

 

「いや、ちがう。彼らは人間のすがたをしているだけだ。」

 

「でもそれじゃ、いったいなんなの?」

 

「ほんとうはいないはずのものだ。」

 

「どうしているようになったの?」

 

「人間が、そいううものの発生をゆるす条件をつくり出しているからだ。それに乗じて彼らは生まれてきた。そしてこんどは、人間は彼らに支配させるすきまで与えている。それだけで、彼らはうまうまと支配権をにぎるようになれるのだ。」」

 

もうひとつ。

 

「モモは逃げる気がなくなりました。いままで逃げまわったのは、じぶんのよるべのないさびしさや、じぶんの不安のことだけで頭をいっぱいにしてきたのです!ところがほんとうに危険にさらされているのは、友だちのほうではありませんか。あの人たちを助けることのできる人間がいるとすれば、それはモモをおいてほかにはないのです。友だちを自由の身にしてくれるよう灰色の男たちを説きふせられる見込みがほんのすこしでもあるなら、すくなくともやってみるだけはやらなければなりません。

 

 そこまで考えてきたとき、モモはきゅうにじぶんの中にふしぎな変化がおこったのを感じました。不安と心ぼそさがはげしくなってその極にたっしたとき、その感情はとつぜんに正反対のものに変わってしまったのです。勇気と自信がみなぎり、この世のどんなおそろしいものがあいてでも負けるものか、という気持ちになりました。あるいはもっと適切に表現すれば、じぶんにどんなことがふりかかろうと、そんなことはちっとも気にかからなくなったのです。」

 

これを読んで、エンデの言っていることとちょっと似ているな、と思ったのは、フランク・ミュラーの言葉です。

 

「人生に挑戦するのに  年齢なんて関係ない。

 そもそもこの世に時間などない。それは人間が勝手に作ったものだ。

 私は時計師だからそのことがよくわかる。

 (フランク・ミュラー、スイスの時計技師)」

 

物事の結果や、効率化ばかりを追求して疲れた時、大事なことを思い出させてくれるような本だと思います。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))