おはようございます、ゆまコロです。
アーシュラ・K・ル=グウィン、清水真砂子(訳)『影との戦い ゲド戦記Ⅰ』を読みました。
初めてこの本を読んだのは、大学生の時です。(生涯学習の講義の課題図書でした。)友達と、ハリー・ポッターと似ていると話したのを覚えていますが、書かれたのは1968年(日本語版の1巻の発行は1976年)なので、それよりもずっと前のお話です。
何がテーマであるのか、また作者の言わんとするところはどこなのか、ポイントをつかむのは難しい本だと思いました。主体的に動く人物が巻で変わったり、物語のテンポも巻によってかなり異なります。授業で読んだことと、映画になったこともあって、この話についていろんな意見を聞きましたが、好き嫌いが二分する話のように見受けられました。
なので、ここでは解釈については特に触れず、読んでいていいなと思った箇所をご紹介するのみにとどめます。
この1巻では、魔法の学校に通うゲドが、先生に出会ったり、友達ができたりするところが楽しいです。
ゲドも時々はため息をついたが、愚痴は決してこぼさなかった。たしかに、場所や事物や生きもののひとつひとつについて、こんなふうに真の名を知っていくという作業はきりのない、無味乾燥なものではあったが、古井戸の底に宝石を見つけるように、自分が欲している力はこの修業を、通してのみ身につけ得ることをゲドはよく知っていたからだ。
謙虚な姿勢が良いと思った場面です。
この世界で魔法を使うためには、魔法をかける対象の “本当の名前” を知る必要があります。「人の本名を知る者は、その人間の生命を掌中することができる」世界で、みな本名とは違う名前を使って生活しています。
彼らはたまにゲドがむやみにはしゃぎまわりたい衝動に駆られでもすると、我も我もとついて来た。ゲドは、そんな院生たちの先頭に立っていつまでも明るい春の夕方をふざけまわるのだった。けれども、そんなことはほんとうに、ごくまれだった。彼は、たいてい仲間からひとり離れ、自尊心と激しい感情を内に秘めて、ひたすら勉学にはげんでいた。
自分も学生だったのに、偉いねえと他人事のように思ったのを覚えています。
タイトルにある「影との戦い」の場面は、読んでいて背筋が冷たくなるような、緊張感のある描写でした。
「そなたとそのものとは、もはや、離れられはせぬ。それは、そなたの投げる、そなた自身の無知と傲慢の影なのだ。」
ゲドが戦っているものを評した先生の言葉です。
そしてこの戦いがどうなったのかというと…。
ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は 自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。ゲドはそのような人間になったのだった。
分かるような分からないような結末です。
つまらなそうに書いてしまいましたが、個人的にはこの1巻がとても気に入り、実際に大学の講義内でこの本を扱ったときにはまだこの世界観から抜け出せず、ポヤ~とした気分のまま討論に臨んだことを覚えています。
また時間が経ったら再読したい本です。
最後まで読んで下さってありがとうございました。
- 作者: アーシュラ・K.ル=グウィン,ルース・ロビンス,Ursula K. Le Guin,清水真砂子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/01/16
- メディア: 単行本
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