ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

ポール・オースター『ナショナル・ストーリー・プロジェクトⅠ』

おはようございます。ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『ナショナル・ストーリー・プロジェクトⅠ』を読みました。

 

本書はポール・オースターがラジオで語るための話を、1分程度で語れる分量で、という規定のもとアメリカ中で募集したものなのだそうです。


全部事実、ということなのですが、中には本当かな?と思うような話もあります。

 

いいなと思ったのは、小さい頃逃がしてしまった姉のインコが、大人になって仲良くなった家族の元で飼われていた話(「青空」)と、青年が母にもらったロケット式の時計を戦場に持っていき、持ち帰ったあと彼の娘が身に着けているという話(「母の時計」)です。


一番心に響いたのは、離婚訴訟をしながら陶芸教室をする女性の話です。

 

「子どもたちは、友だちと父親のそばを離れたことに落ち込んでいた。私は陶芸をふたたび軌道に乗せようとしながら、いくつかの学校で代理教員をした。病気の妹とその幼い子どもたちの世話をしながら、何もかも自力でやるのは無理になってきていた老齢の両親の手助けをした。誰ひとり、私の忠実な、骨身を惜しまない弁護士さえ、私が勝てるとは思っていなかった。私はヒューストン市内に戻れる場所を探すよう言われた。裁判所に認めてもらえないことはほぼ確実に思えたのだ。

 

 その何年も前から私は祈りはじめていた。いや、祈るというより、聞いてくれる人誰にでも話をしていた。神に祈り、グレートマザーに祈り、亡くなった祖父母たちに語りかけた。私たちの身にふりかかっていることを私は話した。どういう形でもいいから助けてくださいと頼み、どうにもならないことに対処する強さと勇気を与えてくれるよう頼んだ。これだけ辛い思いをしたのですから、より賢く、優しく、役立つ、有能な人間にしてくださいと頼んだ。圧倒的な危険や困難から強さと智恵を抽(ひ)き出す能力を子どもたちにも与えてくださいと頼んだ。不幸のさなかに悦びと楽しみをお与えくださいと頼んだ。それらなくしては、最後までがんばり通せる自信はなかった。陪審裁判の日程が決まり、陪審員
が選ばれた。一九九五年十一月中の四日間、裁判に出るために毎日朝まだ暗いうちからヒューストンの中心部まで車を運転し、子どもたちと両親と過ごせるよう、夜の闇のなかを車で帰った。事態は日に日に悪くなっていった。四日目には、母も早起きをして、私のために証言をしに、ヒューストンまで来てくれた。同じ日に、親友も証言をしてくれた。それから、私が最後の証人として証言台に立った。誇りをもって座り、根拠のない希望で心を満たして、私の神々や遠い昔に亡くなった祖父母で法廷がいっぱいになっていると確信して、自分の言い分を簡潔に陪審員に話した。前年のクリスマスに撮った、子どもたちと私の写真を陪審員に見せるように求められた。幸せそうな、顔を輝かせた女として私が写って
いる写真だった。快活な、顔を輝かせた二人の子どもを守るように両腕に抱きしめて座っている。部屋には大きな飾りをつけたクリスマスツリーがあり、雪のように白い窓、腰掛には暖かい雰囲気の赤と緑のクッションがうずたかく積まれていた。過去六年間、私たちにとりついていた苦痛、悲しみ、恐怖は微塵も見えない。その写真をはじめて見たとき、ここには魔法が放たれていると思ったことを覚えている。陪審員席に写真を回すと、ほとんど全員が次々はっと息を呑み、納得して声をあげるのが聞こえた。陪審員たちは審議するために退席すると、数分後には裁判長にメモを送り、私の請求額は小さすぎると思うからもっと与えていいかと訊いてきた。」
(「人生の縮図」)

 

誰かの体験した話なのに、こうやって読むと、オースターが考えた物語のように感じられるから不思議だなと思いながら読んでいました。語り口はオースター調になるからかもしれません。

ひとつひとつがとても短い短編集のようなので、寝る前に読むのにぴったりです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

ナショナル・ストーリー・プロジェクト ? (新潮文庫)

ナショナル・ストーリー・プロジェクト ? (新潮文庫)