おはようございます、ゆまコロです。
ヘルマン・ズーダーマン、池谷信三郎(訳)、西山敏夫(文)『フラウ=ゾルゲ』を読みました。
フラウ=ゾルゲという不思議なタイトルは、伝説上の女性の名前で、その姿を見た者には不運が付きまとう、と劇中では説明されています。
日本語では『憂愁夫人』というタイトルになっているようです。
私が驚いたのは、この話が作者の自伝的小説だということでした。
かわいそうな描写が多いので、ちょっと同情的になります。
「でも、パウル(※主人公)がなによりいちばん痛かったのは、父のその手だった。指の節を外側にして、たたきつけるように打たれると、血がにじんで、つめのあとや、関節のあとが、むらさき色のあざになってほおに残った。
それから、口笛を吹いた。
パウルは、その幼い頭ではいい表すことのできない感情―子どもらしい夢やあこがれや、また怒りを、口笛によって訴えた。野原のなかで、だれに遠慮することもなく、思うままに吹きだすのだった。それは、みごとなメロディーとなって流れでた。いためつけられたパウルの心は、そうして口笛を吹くことで、慰められ、また高められていった。」
序盤からけっこう辛いけど、こういうのがまだ続きます。
「五年の月日が流れた。
そのあいだ、パウルは、身を粉にして働いた。朝は霜を踏んで出かけ、夕べは星をいただいて帰った。それで、すこしずつではあったが、家の暮らしはよいほうへと変化していった。(中略)
それにもかかわらず、お金は残らなかった。収入の大部分を、父がつまらないことに使ってしまうせいだった。そのくせ、下男たちのおおぜいいる前で、パウルのことをばかだの、のろまだのといってののしるのだった。
そんなとき、パウルは、聖書の、“なんじの父母を敬うべし”といういましめのことばを守って、じっとだまっていた。けれど、そのいましめのことばを、心のなかで、つぎのように改めていた。
“なんじ、母のために、父を敬うべし”と。」
そして、そんな拠り所だった母が亡くなった場面も悲しいです。
お葬式の段取りがよく分からず、“母ならよく知っているんだが” と、母親に相談しようと思い立って、ようやく彼女を失った悲しみが襲ってくる、というのが、リアルだと思いました。
こんなに暗いのに、最後はハッピーエンドです。
道中が辛すぎて、「あれ?ラストはハッピーエンドということでいいのかな…」と、訝しんだまま終わるような感じですが…。
終盤でフラウ=ゾルゲのおとぎ話の謎が明らかになるところはゾクゾクしました。
貧しい生活の描写が苦でなければ、きっと心を揺さぶられると思います。
最後まで読んで下さってありがとうございました。