おはようございます、ゆまコロです。
テオドル・シュトルム、国松孝二・井上明子(訳)、『人形使いのポーレ』を読みました。
タイトルの「ポーレ」なる人物は、いつ出てくるんだろうと思いながら読んでいましたが、単なる愛称でした。
「ポーレというのは、日本流にいえば、としおを、としちゃんとか、ひさ子を、ちゃこちゃんというふうな呼び方で、パウルというのをなまったことばである。」
「リンリンと鳴る鈴の音は、だんだんかすかになり、リーザイ(※旅芸人の娘)が振る白いハンカチがみえたのもつかのま、やがて、すべては灰色の秋の霧のなかに消えていった。
『行ってしまった!とうとうリーザイは行ってしまった!』
とつぜん、パウルの胸は、するどい痛みにおそわれた。(生まれてはじめて知った別れ―。そのつらさがパウルの小さな胸をはげしくさいなんだ。
『もう、リーザイに会えないんだ!』
リーザイ!リーザイ!リーザイ!
パウルは気がちがったようになって、馬車を追い求め、霧の道をかけだしていった。
でも、いくら走ってももう馬車は見えはしない。」
結局この後、二人は再会するのですが、またお別れの危機がやってきます。
パウルは自分より身分の低いリーザイと結ばれることを悩むのですが…。
「故郷も家ももたないリーザイ親子が旅にでてしまえば、パウルは手紙を出すことさえできなくなるのだ。
『こんど別れたら、もう一生、リーザイには会えないだろう…。』
ふたたびの、たぶん永久の、その別れを思うと、パウルの胸ははりさけそうだった。
『いやだ、いやだ!このまま、リーザイとはなればなれになってしまうのは!』
思いつめたパウルの胸に、そのとき、やさしい母の声が聞こえてきた。
「パウル、それほどにリーザイが好きだったら、なぜ、それをリーザイにいわないの?ねえ、おまえはリーザイをつれてかえっておいで。そうしてあの町をあの家をふたりの故郷にすればいいじゃないの。」
そうだ、そうだった!ぼくはなぜ、もっと勇気をだしてリーザイに愛を打ちあけようとしなかったのだろう。パウル、じぶんがどんなにリーザイを愛していたかを、今さらのように知った。」
『みずうみ』の時と、なんとなく境遇が似ているけれど、こちらの方が物語に動きがある感じです。
『みずうみ』は、作者の失恋がもとになっているとウィキペディアで知り、なるほどなあと思いました。こちらは『みずうみ』より後に書かれていますが、幸せな展開にほっとします。
かわいい二人の成長を、応援したくなる本です。
最後まで読んで下さってありがとうございました。