おはようございます、ゆまコロです。
テオドル・シュトルム、国松孝二(訳)、井上明子(文)『みずうみ』を読みました。
端的に言うと、好きな人とうまくいかない物語なのですが、短い話の中での、登場人物の気持ちの見せ方が上手だな、と思いました。
幼馴染のラインハルトとエリーザベットが苺を探すところと、湖のほとりを散歩するところが、詩のようでとても綺麗です。
「きょう別れたら、また当分会えなくなってしまう。そのためにもたいせつなことを、いまいっておかなければならないと、あせっていた。
『エリーザベット、ぼくはきみをぼくのおよめさんにきめているんだよ。』
それを、今いっておかなければ、一生とりかえしのつかないことになってしまいそうな予感がした。
けれど、まだ年若いラインハルトは、それがうまくいえないのだ。幼いときは、無邪気になんでもいえたのに、たったひとことが、いまは、なぜ―なぜいえないのだろう。
初めての愛を告げるとき―、それにはだれだっておそれとためらいを感じるものなのだ。」
この時のラインハルトの不安は的中し、思い人は違う人と結婚します。
「母のことばに したがいて
思わぬ人に とつぐ身の
思いをかけし かの人を
とく忘れよと 母はいう
忘れかねたる かの人を」
多分エリーザベットのお母さん(悪い人ではない)も、近くにいてずっと求婚してくれるエーリッヒと一緒になった方が娘も幸せだろうと思ったのだろうな、と読んでいて思いました。
幼いときから「花とみつばちのように切っても切れない仲よしだった」という二人は、意外と結ばれないものなのかもしれません。
苦しみのなかに美しさがある、素敵な話でした。
上記のエリーザベットの気持ちを読んだ詩が好きなのですが、違う人の訳には載っているのか分からず…。また訳者を変えて読んでみたいと思います。
最後まで読んで下さってありがとうございました。