おはようございます、ゆまコロです。
村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』を読みました。
村上春樹さんが考える、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の魅力についてのお話が興味深いです。
村上春樹:僕は『キャッチャー』という小説が今でも若い人に読み継がれ、評価されているには、それがイノセンスを礼賛しているからじゃないと思うんです。そうではなくて、ホールデンという少年の生き方や、考え方や、ものの見方が、そういう時代的な価値観のシフトを超えて、優れて真摯であり、切実であり、リアルであるからじゃないかな。そして彼の語る物語=ナラティブが、人々が巨大なシステムを前にしたときの恐怖や、苛立ちや、絶望感や、無気力感や、焦りのようなものを自然に呑み込み、ユーモアをもって優しく受け入れてくれるからです。だからイノセンス自体は、この小説を読む読者にとっては、もはやキーポイントではないんじゃないかと思うわけです。
あえてイノセンスをキーポイントにすると、『キャッチャー』に出てくるような不誠実で見下げ果てた人間に成り下がった人間を消したいという思想につながる、という指摘が恐ろしいなと思いました。
例として、ジョン・レノンやロナルド・レーガン大統領が狙われたことが挙げられています。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んだ時の「よく分からなさ」は、一度読んだくらいでは何が分からないのかも把握できないのかもしれない、と思ったのがこちらの文章です。
●『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の抱える反社会性は、ただ汚い言葉の多様に留まっていない。
健全な社会が『キャッチャー』を糾弾しつづける最も大きな理由は、ホールデン・コールフィールドという主人公の言葉遣いにあるのではない。その最大の理由は、ホールデン少年が、一人の個人として、学校や社会という既成のシステムに対して、はっきりと臆することなく根元的な「ノー!」の叫びを上げており、彼のそのような反抗的姿勢があらゆる時代を通して、多くの若者にとって強い説得力を持っているという事実にあるのだ。
参考までに『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の作者・サリンジャーの生い立ちを簡単にご紹介します。
1919年の元旦、NYに生まれる。
父方の祖父はユダヤ教のラビ(聖職者)。父親はユダヤ系実業家で、裕福な家庭に育つ。
1932年、大恐慌の最中、NYでも指折りの上流WASP地区、パーク・アベニューへやってくる。同年、裕福な子弟の通うプレップスクールへ入学する。
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成績不良のため、退学処分。
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軍隊式の寄宿学校へ入学し、なんとか卒業する。
1937年 NY大学入学。すぐに自主退学してヨーロッパへ渡る。
この頃、小説を書くようになる。
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コロンビア大学で聴講生をしていた時、ホイット・バーネットに見出され、雑誌に掲載される。
1944年3月 ノルマンディー上陸作戦に参加。激戦区のひとつとなった「ユタ・ビーチ」へ。この間も執筆を続け、順調に売れる。
1944年9月 独軍との熾烈な戦闘を経験する。多大な死傷者を出したヒュルトゲンの森での戦闘(米軍上層部の判断ミスが原因)後、神経衰弱(nervous break-down)と診断される。(現代であればPTSD症状)
晩年は人前にあまり出ず、著作権侵害で提訴をしたりと、大変そうな印象を受けました。
それだけに、彼の人生や評価について考えるよりは、実際に作品に何度も触れて、彼の言わんとするところに思いを巡らす方が面白いように思いました。
柴田元幸さんと、『キャッチャー』の登場人物たちについて議論するところも良かったです。
最後まで読んで下さってありがとうございました。