おはようございます、ゆまコロです。
重松清『疾走・下』を読みました。
下巻で好きな場面は、このシーンです。
カゴが空になった自転車をとばして専売所に戻る。朝の風と光を正面から浴びた。見知らぬひとの不幸や悲劇を悲しいと感じられる自分が、少し嬉しい。
周りで起こる不幸な出来事を、自分のこととして考えすぎないように出来ているのかな、とも思うのですが、何となくこの人の人柄を感じさせる文章です。
母親は、弱くて愚かで優しい女でした。優しい、って、褒めてるんじゃないよ。強くて賢くて優しいひとはいいけど、弱くて愚かで優しいっていうのは、最悪だと思う。
印象的な考え方です。
家族に見捨てられ、人を殺して逃げ回りながら、シュウジ(主人公)の求めていたものは何だったのかと考えた時、それは「一人ではないという実感」だったのかなと思いました。
陸上の道を閉ざされ死にたがるエリをそそのかしてほしくない、ここで逃げてほしくない、心を空っぽにしてほしくない。
など、読者としてはシュウジの取る行動とは逆の振る舞いをしてほしいと願うのに、主人公の一挙手一投足はやけにすんなり受け入れられ、そこが怖いなと読んでいて思いました。
シュウジが叫び出したい気持ち、走り出したい気持ちには痛いほど共鳴してしまうはずです。
最後まで読んで下さってありがとうございました。