おはようございます、ゆまコロです。
水野敬也『新装版 LOVE理論』を読みました。
男性に向けた恋愛マニュアルですが、女性から見ても面白いです。
「ファッションまぐろ理論」=自分で服を選ばず、他人に選ばせること。
など、講義のタイトルがひねりがあっていいです。
個人的にポイントが高いのは、「武士の一文理論」でしょうか。
「武士の一文理論」=女に送るファーストメールに、「あなたの外見が好みである」「あなたとデートがしたい」という一文を明記すること。
こちらにその気がなくても、そう言われたら、そういう目で自分を見て下さっているのか、と考え、前向きに検討することもあるかもしれません。
それはさておき、この本で好きなのは、著者の自ら振り返った記述があるあとがきです。
「自分の顔が嫌いだった。
朝起きると、いつも顔がむくんでいる。ただでさえ腫れぼったい一重まぶたなのに、それがよけいに膨らんで見える。毎朝、鏡に映るのは、吐き気のするような顔だった。通学路で女とすれ違うときもうつむいて顔を見られないようにして歩いた。
何度も病院に行った。「顔がむくむんです」と訴えた。しかし内科の医師は、決まって首をかしげるだけだった。それでも俺はしつこく、繰り返し通院した。最終的に一通の紹介状を書かれた。あて先には「心療内科」と書かれてあった。
心理学の言葉で「醜形恐怖」というのがあるらしい。顔の一部に対して病的に執着する強迫観念の一種。まあそんなことはどうでもいい。とにかく俺はこうして、思春期を女とまったく話さずに過ごした。
六本木が嫌いだ。
六本木だけじゃない。渋谷だって原宿だって新宿だって池袋だって俺は嫌いだ。俺の居場所は名古屋の、それも、機械音とボタンを叩く音で埋め尽くされるゲームセンターと、誰と話をする必要もなく紙と向かい合えばいいだけの漫画喫茶だった。
どうしてあの場所を出ようと思ったのだろう。
それは、たぶん、俺が、猛烈に腹が立っていたからだと思う。
イイ男とイイ女が恋愛をしている。その事実に心底腹が立っていた。俺たちの意思で選ぶことのできない「顔」という生まれつきの才能なんかで、どうして誰もが憧れるような恋愛をする側と、妥協を強いられる側に分けられなければいけないのか。人の集まる場所に顔を出せば、異性を幸せにできる男と、密室に追いやられる男に分けられなければならないのか。あり得ない。絶対に間違っている。それを「ひがみ」と人は言うけれど、ひがみだろうが、なんだろうが、とにかく俺は、そういう世界は間違っていると思った。
俺は、上京と同時に変わることを決意した。「理想の彼女をつくる」、このことだけを考えて、大学デビューして、恋愛マニュアル本を読み漁って、サークルに入って、六本木でバイトをして、そして、女にフラれまくって、「なんで生きてるんだろ」とか思う毎日で、普通に生きてるだけでむなしくて涙が出てきたりした。」(p256)
この後の女性との出会いに、ぐっときます。
明るい気持ちになれる本でした。
最後まで読んで下さってありがとうございました。