ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

草間彌生『無限の網 草間彌生自伝』

おはようございます、ゆまコロです。

 

草間彌生『無限の網 草間彌生自伝』を読みました。

 

数年前、ニューヨークへ行ったとき、MOMA草間彌生さんの作った椅子を見ました。

あまり座りたい気持ちになれない椅子でしたが、そのたたずまいはインパクトがありました。

なぜ、そんな姿にしたのか、この本に彼女の答えが書いてありました。

 

「とにかくセックスが、男根が恐怖だった。押入の中に入って震えるくらいの恐怖だった。それだからこそ、その形をいっぱい、いっぱい作り出すわけ。たくさん作り出して、その恐怖のただ中にいて、自分の心の傷を治していく。少しずつ恐怖から脱していく。私にとって怖いフォルムを、何千、何万と、毎日作りつづけていく。そのことで恐怖感が親近感へと変わっていくのだ。

 

 なぜ、それほどにセックスに恐れを抱いたかというと、それは教育と環境のせいである。幼女時代から少女時代にかけて、私はそのことでずっと苦しめられてきた。セックスは汚い、恥ずかしい、隠さなくちゃいけないもの、そういう教育を押しつけられた。その上、門閥がどうだとかお見合い結婚だとか。恋愛に対しては絶対反対で、男の人と自由に話すことも許されない生活だった。(中略)普通、芸術家は自分のコンプレックスをそのまま表現することはしないのだが、私はコンプレックス、恐怖感を表現の対象にしていく。ファルスみたいなあんな長くて醜いものが入ってくるなんて、考えただけで怖い。だから、男根をいっぱい作る。マカロニなんてあんな機械生産で作り出されてくるものをずっと食べつづけていくのは、本当にゾッとする。だから、マカロニ彫刻をいっぱい作る。」

 

もう一つ、彼女の子ども時代の話も強烈です。

 

「私の裸踊りは、たちまち近所の男の子たちの間で評判となり、「見せろ、見せろ。裸を見せてくれ」という声が殺到した。私はイトコにマネージャーになってもらい、 “拝観料” をとった。庭にひろげたムシロの上で、即興のダンスを自作自演の歌と曲に合わせて踊った。男の子たちは大喜びで集まり、平和そのものの顔をして、私のヌードを観賞した。その時私は、男というものがどんなに女性のからだに憧れているものなのかを実感したのだった。

 

 もっとも、この体験は一方で苦い思い出とつながっている。このことを知った母が、私が半分気を失うまで殴りつづけたのである。子供の頃の母の思い出といえば、朝から晩まで、叱られ、殴りつけられたことばかりである。「四人も子供を生むと、一人ぐらいはクズができるもんですね」。母は下男や女中の前でも、平気でそう言っていたものだ。

 

 その母は、年中、父と喧嘩をしていた。養子の父が芸者遊びばかりしているのがいつも原因だった。妾を持たない時期がなかったからである。芸者を身請けし、信州の私たち家族を捨てて上京してしまったこともある。後に肺病になり、東京から帰ってきた。そして十年も母に看病してもらい、病気がなおると前にもまして妾狂いになった。

 

 私の家系は、父子二代にわたって、男が女遊びに明けくれ、祖父と父が競争で女をあさった。男は無条件にフリーセックスの実践者であり、女はその陰でじっと耐えている。そういう姿を目のあたりにして、子供心にも、「こんな不平等なことがあっていいものだろうか」と強い憤りと反発を感じたものだ。」 

 

この本を読んでから、彼女の作品に向き合うと、気持ちが分かるとまでは言えませんが、その力強さの源がどこにあるのか、少し寄り添えるように思います。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

無限の網―草間彌生自伝 (新潮文庫)

無限の網―草間彌生自伝 (新潮文庫)