ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

村上龍『自殺よりはSEX』

おはようございます、ゆまコロです。

 

村上龍『自殺よりはSEX』を読みました。

 

”情欲とロマンが溶け合った、ベストのセックスをした後、女の髪をなでながら、戦争をしたいとは思わないだろう。”という率直な気持ちから派生する、村上龍さんのエッセイです。

直球ですね。

 

私が好きなのはこの2か所です。

 

●自分のトラウマを他人に見せるな

「体力のない連中は、自分の「傷」を大切にするようになる。というか、それしか重要なものがなくなるのだ。

 

 自分の受けた傷を、愛おしむようになる。

 なぜならば、物理的な他人に見せられるものがそれしかないからだ。

 五体満足に生きている限り、その「傷」そのものが本当は幻想にすぎない。

 だが、その傷(内面といってもいい。同じことで、結局は幻想だ)を大切にしなければ、他に大切にするものがない。」

 

●本当の恋愛ができる人間の資格

「そもそも、どうしてみんな恋愛をしたがるのだろう。きっと寂しいからだと思う。そして、寂しさが顔と雰囲気ににじみでている人は、もてない。残酷なようだが、もてる人というのは、寂しくない人生を送っている人なのだ。(中略)寂しい自分は、恥ずかしいことではない。生物学的に、わたしたちはみんな寂しい。

 

 人間という種は、まず十カ月間、母親の胎内にいてからこの世に生物として生まれ出てくる。胎内では完全に保護されているがそれについては他の生物も同じだ。つまり、胎内で「寂しい」と感じる生物はいない。(中略)

 なぜ、テレクラや援助交際は、誇れないのだろうか?

 そういうことをやっている他人を見て尊敬できる人はいない。できればそういうことをやらずに済む人になりたいとわたしたちは思う。テレクラで知り合った男とセックスをする女は軽蔑される。

 なぜか?

 それは、寂しさと共に生きる人間という生き物にとって、他者との出会いが非常に大切なもので、しかもそれは簡単ではないということを、わたしたちが本能として知っているからである。わたしたちのあらゆる努力は、よりすばらしい他者と出会う可能性を高めるためにある。それは道徳などではなく、種としての人間の本能的な欲望なのだ。他者を喜ばせたい、他者から好かれたい、他者を感動させたい、他者から尊敬して欲しい、それらはわたしたちの自然な欲求で、しかもそれを実現することは非常に難しい。なぜなら、他者にたとえばお世辞を言っても感動してもらえないからだ。」

 

少し前の本なので、若干例えが古いような気もしましたが、とても面白かったです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

自殺よりはSEX―村上龍の恋愛・女性論

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