ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟 1』

おはようございます、ゆまコロです。

 

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟 1』を読みました。

 

(感想の順序がひっくり返りましたが、)1巻で好きなところは、次の二ヶ所です。

 

 

(前略)この青年は人々を愛していたし、どうやら他人のことを完全に信頼しつつ、生涯を過ごしたようである。人々も、この青年のことを間抜けなお人よしとか、単純で幼稚な人間などとは考えなかった。「自分は人々を裁くようなことはしたくない、だれかを断罪するようなことは引き受けたくないし、何があっても人を責めたりはしない」とでもいったところが、この青年にはあった(それはそのあとも、生涯変わることはなかった)。

 

 アリョーシャという人間は、何があっても人を非難したりせず、すべてのことを赦していたのではないか― もっともそのおかげでひどく悲嘆に暮れることはよくあったが― とさえ思える。それどころか、だれかに驚かされたり動揺させられることもなかったほどで、こうした性格はごく若い頃から変わらなかった。

 

 十九のときに、汚らわしい淫蕩の巣ともいうべき父親のもとに戻ったこの清廉で純潔な青年は、何か見るに耐えないというような場面に出くわすと、ただ黙ってその場を立ち去り、だれかを軽蔑したり非難したりするそぶりはつゆほども見せなかった。(p46)

 

 

「けっして偉大な人物ではない」と、作者のドストエフスキーが冒頭で言い切っているアリョーシャですが、この文章を読むと、なかなか人の良さそうな人物のように見受けられます。

もう一つは、アリョーシャとその友人ラキーチンとの会話です。

 

 

「(前略)きみのことはずっと前から観察してきたんだけどね。きみはやっぱりカラマーゾフなんだな、正真正銘、カラマーゾフなんだー つまり、血筋や遺伝もそれなりに意味があるってわけだ。父親ゆずりの女好きで、母親ゆずりの神がかりってわけだ。どうして震えてなんかいるのさ?それとも、痛いところ突かれたのかな。いいかい。グルーシェニカがぼくにこう頼んだのさ。『ねえ、あの人を(ってきみのことさ)連れてきてちょうだいよ、あの人の僧衣、脱がしてみせるから』。そうなんだ、連れてきてね、連れてきてねって、なんど頼んできたことか!それでちょっと考えさせられた。彼女はいったいきみのどこに興味があるのか。そうだろ、あの女もそうざらにいない好きものだぞ!」

 

「ちゃんと伝えるんだよ。ぼくは行きませんとね」アリョーシャが軽く苦笑をもらした。「ミハイル、それより、さっき言いかけたことをちゃんと最後まで話しなよ。ぼくの考えはあとで教えてあげるからさ」

 

「ちゃんと話すことなんてないよ、なにもかも明白じゃないか。こんなことはさ、きみ、みんな決まりきった話なんだよ。もしもきみに女好きなところがあるとしたら、同じ母親から生まれたきみのイワン兄さんはどうなる?彼もやはりカラマーゾフなんだよ。要するに、きみたちカラマーゾフ一家の問題というのは、女好き、金儲け、神がかり、この三つに根っこがあるってわけさ!きみのイワン兄さんだって、ほんとうは無神論者のくせして、わけのわからないばかげた思いつきで神学の論文なんか発表している」(p214)

 

 

ラキーチンとアリョーシャの会話になると、それまでの宗教小説っぽさから急に現代っぽい印象になるので、その落差が面白いと思います。

 

●最後まで読んでみて。

 

その分厚さにひるみそうになったり、教会の話で退屈になったり、カラマーゾフ家の面々のどうしようもなさに途中で本を閉じたくなったりもしましたが(すみません)、とりあえず場面が変わるまで進もう、と思って読んだら最後までたどり着いた、という感じでした。興味を惹かれるセリフも多く、長いですが止まらずに読むと、まあまあ進めるように思います。意外と読書感想文を書きやすい本ではないか?という気もしました。

 

●お知らせ。

紙のノートに書いていた「読書ノート」を、オンラインに移行しようと始めたこのブログでしたが、この本でストックがなくなりました。

現実では読むスピードはたいへん遅いゆまコロですが、こうして駆け足で自分の読書の記録を振り返ってみて、良い復習になりました。

今後は読んだ速度でゆっくり更新していくことになると思います。

 

読んで下さった方、本選びの参考にしてくださった方、コメントを下さった方、ありがとうございました。

またお会い出来たらとても嬉しいです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。