ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

平井正修『花のように、生きる。 美しく咲き、香り、実るための禅の教え』

おはようございます、ゆまコロです。

 

平井正修『花のように、生きる。 美しく咲き、香り、実るための禅の教え』を読みました。

 

素敵な格言が多く、勉強になります。

心に残った話は、以下の二つです。

 

●詐欺に引っかかるのは、欲があるから。

 

 親心は心情としてわかります。しかし、金を落としたことが会社にばれないように解決してしまおう、交通事故が公にならないようにこっそり示談にしてしまおう、というのは、やはり欲です。そこには、会社にばれたら、事故が公になったら「損」、そうならないことが「得」という損得勘定が働いています。親にとったら、子どものためという純粋な思いだとしても、そんなことを求めてくるような人物を認めてはいけないのです。

 

 霊感商法だって、いまより幸せになれる、裕福になれる、といった「得」のために大金を投じるわけでしょう。 

 

もう一つは、「不落因果(ふらくいんが)、不昧因果(ふまいいんが)」という言葉についての話です。不落因果、不昧因果とは、因果に落ちまいと考えてはいけない、因果をくらまさない、ごまかさないことが大切だという禅語なのだそうです。

 

どうしてごまかしてはいけないのか、それは、思ってはいけないと考えたら、余計それにとらわれることになるので、湧き上がる感情はごまかさないでいったん受け入れてから、自然のうちに手放していけばよい、と筆者は言っています。

 

●妬みや嫉みは、「思ってはいけない」のではなく、思ったらすぐ手放せばいい。

 

 自然に湧き上がってくるのなら、思ったらいいじゃないですか。それは心にまかせて、あとは手放せばいい。水面に石を投げ込めば、波紋が立ちますが、放っておけば波紋はしだいにおさまって、もとの静かな水面に戻ります。波紋を鎮めようとして手を入れたりすれば、新たな波紋ができるだけです。これと同じ。執着せずに、「まかせて、手放す」とは、そういうことです。 

 

著者は臨済宗のお寺の住職なのですが、時々大リーグの話が出てくるので、読んでいてあれっ?という感じになります。でも親しみがわいてきてなかなか良かったです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。