ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

細貝淳一『下町ボブスレー 東京・大田区、町工場の挑戦』

おはようございます、ゆまコロです。

 

細貝淳一『下町ボブスレー 東京・大田区、町工場の挑戦』を読みました。

 

ボブスレーという競技の発祥について、本書ではこのように書かれています。

 

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冬山で人が移動する手段、さらには木材を切って運搬する手段として、ソリを使用していた。

 

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スイス・アルプス地方の冬山リゾートを訪ねたヨーロッパの富裕層が遊びにし、競技化していった。

 

1883年 スイス・サンモリッツでイギリス人が「トボガン」(木製ソリ)をスポーツ化。

 

1884年 「クレスタラン」という競技会を開く。

 

1890年代 鋼鉄製で舵と制動機の備わったソリを作り、「ボブスレー」と命名された。

ボブスレーBobsleigh)のbobは、選手が前後に揺れるという意味から来ている、という説がある。)

 

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町工場の実態についての話が心に残りました。

 

 

  昔もいまも、最高に正確なのは ―意外かもしれないが― 「人の手」だ。工作機械では、大まかに削ることしかできないため、本当に精密さが求められる部品は最後に誤差がないよう、手で削る。1つの部品に職人が何週間もかかりきりになり、彫刻などの芸術品をつくるようにして手で仕上げることもあるくらいだ。しかし、こういったものが、徐々に、徐々に、高額な機械でできるようになってきた。

 

 ところが、町工場が高額な機械を買うことはできない。すると、以前は単価が高かった仕事も「機械でもそれなりのものはできるから」と安く請け負わざるを得ない場合も増えてくるだろう。そんな状況が重なり、すばらしい技術があっても、経営者が高齢化してくると、「もう潮時かな」となって廃業してしまう。

 

 そして、この衰退はわれわれ大田区の町工場の経営者にすれば、すぐ「わが身の問題」になる。誰かが廃業すれば、仲間まわしができなくなるし、仲間がまわしてくれる仕事も減る。大田区に頼めばなんとかなる、というブランドが次第に価値を失っていくだろう。小さな工場は、お互いにお互いを支えている。誰かの廃業は、すなわち自分の痛手なのだ。

 

 しかも、これは日本にとっても大きな問題なのだ。

 大田区の町工場は海外輸出、外貨獲得にもっと貢献し、日本を富ますことができるはずだ。

 たとえば、自動車メーカーや大手電機メーカーから「金属をこんな形に変形させられないか」といった相談に来る場合がある。独自技術を持った町工場が「この技術を生かせば、こんなものがつくれますよ」と大手メーカーへプレゼンに行く場合もある。当然、そこから生まれた新商品も数多くある。私が言うのもおこがましいが、町工場は、これはこれで日本の財産なのだ。

 

 一般の消費者にとっては、大企業が樹木で、町工場は土の下に埋もれてなかなか見えてこない根っこのような存在かもしれない。だが、根っこが成長しない木は、あまり大きく成長できないはずだ。

 

 

どうして大田区の町工場がボブスレーのソリを作ることになったのかは、面白いところなので割愛します。

 

 30社が集まって各々部品を作り、10日後にはソリが完成している、というのも驚きですが、この計画が町工場の仲間のため、日本経済のためと思って、利益が出なくても行う筆者の、自分本位でない姿勢が素敵だなと思いました。

 

共感する人がだんだん増えてくる様子に、読んでいるこちらもわくわくさせられます。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

下町ボブスレー 東京・大田区、町工場の挑戦

下町ボブスレー 東京・大田区、町工場の挑戦