ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

原田マハ『楽園のカンヴァス』

おはようございます、ゆまコロです。

 

原田マハ『楽園のカンヴァス』を読みました。

 

ミステリー的な要素も面白いのですが、強く印象に残ったのは、物語の中で語られる画家ルソー(1844-1910)の、画家としての生活の描写です。

 

 アカデミーの画家がなんだというんだ、国民の人気を得てこそ画家は確立されるのだ、とルソーは意気ごみしました。

 

 ルソーの読みは見事に的中しました。ルソーの作品は、アンデパンダンで初めて公衆の面前に掲げられ、驚くべき人気を博しました。人々は会場に到着すると、我さきにとルソーの作品のある展示室を目指しました。そしてルソーの作品の前で、ある者は腹を抱えて大笑いし、ある者は笑いすぎて呼吸困難に陥るほどでした。「こんなに気色の悪い絵は見たことがないわ」と、青ざめて出ていく老婦人もいました。新聞や美術評論誌はこぞって書き立てました。「アンリ・ルソー氏、アンデパンダンで話題騒然。嘲笑にもへこたれず、へっぽこ絵画を描き続けるルソー氏に幸あれ!」これらの記事を見て、さらに多くの人々が会場を訪れます。まるで見世物小屋でした。

 

 それがいかなる中傷記事であっても、ルソーは自分の名前が掲載されている記事はすべて切り取って、スクラップブックにきれいに貼付けておきました。これほどまでに国民の耳目を集め、これほどまでに人気を博しているのに、どうして絵画制作の依頼状の一通もこないのか。もしやアンデパンダンの事務局に依頼が殺到しすぎて、担当者が困惑しているのではないか。そう思って、事務局に問い合わせもしました。

「いいえ、ムッシュウ・ルソー。絵画制作の依頼は一件もきていません」。事務局の担当者は、冷たく返すだけでした。

 

 家族は、ルソーが次第に仕事そっちのけで猛然と絵筆を奮うのを黙って眺めておりました。半ばあきれているといった様子で。完成した自作を、ためつすがめつ、うっとりと眺めて、ついにルソーは家族の前で宣言しました。「私は今日から画家になる」。妻はまったく取り合ってくれず、子供たちはきょとんとするばかりでした。

 

 絵を描くことがあまりにも楽しくて、絵を描くこと以外にいっときたりとも無駄な時間を費やしたくない、とルソーは思い詰めました。それで、四十九歳になったとき、思い切って税関を退職したのです。退職の理由は「このさきは絵筆一本で生活をしていきたい」。上司や同僚には笑われたり、本気で心配されたりしましたが、決意は変わりませんでした。

 

 あれから十年以上が経ちました。気がつけば、妻も息子も逝き、娘も嫁いで、ひとりきりの生活をもう三年ほど続けておりました。パンとスープばかりの食事や、階段の上り下りもきつかったのですが、何より骨身に応えるのは、こんなにも心血を注いで制作した絵がなかなか売れてくれないことでした。

 

 毎年一度、ルソーはアンデパンダンに作品を出品し続けてきました。昨年は、秋のサロン(サロン・ドートンヌ)にも出品して、万人の好評を博しました。にもかかわらず、まともな絵画制作の依頼はほとんど一度も入りませんでした。わずかに近隣の知り合いに静物画を頼まれたり、借金返済の代わりに肖像画の制作をこちらから申し入れたりするばかり。アンデパンダンに出品する作品は年々大きくなっていき、買い手も現れずにたまっていきます。アトリエに使っているアパルトマンの居間が手狭になって ―そして大家からの家賃の督促に耐えきれずに― 何度も下宿を引っ越さなければなりませんでした。

 

 いつか、この絵のすべてが売れる。そう信じて、ルソーは大作の数々をていねいにパラフィン紙で包み、大切に保管しておりました。

 私の絵が売れるようになるのは、決して奇跡などではない。それは必然なのだから、ただ静かに待ちさえすればいいのだ。

 しかし、どれほどの日々を待たなければならないのか。大画商か、大富豪か、大コレクターが現れて、ムッシュウ、すばらしい、あなたは天才だ、あなたの作品のすべてを買い上げましょう、と目の前で小切手を切ってくれるまで。

 

 心がくじけそうでした。自作が売れることは、いや、自分が世の中で正当に評価されるということは、必然ではなく、もはや奇跡なのだろうか。カンヴァス代も絵の具代も馬鹿にならない、もう大作など創らないほうがいいのだろうか。

 

 そうして昨年末、この下宿に落ち着きました。やはりもっと大きな、もっとすごい作品を創ろう、と決心したのは、その一週間後でした。ヤドヴィガという名の、ひとりの女性に出会ってからのことです。

 

 毎週日曜日の午後三時に、ルソーの住むアパルトマンの中庭へ洗濯をしにやってくる女。栗色の、ゆるやかなウェーブのかかった長い髪、濃い眉と切れ長の目、エキゾティックな顔立ちの洗濯女。ちょうどルソーが日銭稼ぎにボンボン売りを始めた頃でした。ノートルダム大聖堂から帰ってきたルソーは、たらいの中の洗濯物と格闘する彼女を一目見て、はっとしました。

 

 その「はっ」とした感じが、いったいなんなのか、すぐにはわかりませんでした。多くの画家たちが「霊感(アンスピラシオン)」と呼ぶものだったかもしれません。とにかく、「この人を絵に写しとってみたい」という衝動が、ルソーの中にふいに生まれた瞬間でした。 

 

ルソーの孤独と苦しみと、その先にある喜びが、本の中で語られるもう一つの現代の物語とうまくリンクしていて、心地良い驚きに浸ることができました。

 

時差ぼけ(ジェットラグ)になったらまず、動物園や植物園に行くとリラックスできる、という話も、覚えておこうと思いました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

楽園のカンヴァス (新潮文庫)