ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

どの道を選んでも、肯定できる女性たちの姿。『マイ・アントニーア』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

先日、友人と話していて、私が学生時代にコロラド州へホームステイをした話になり、その友人(職業は英語教師)が「以前、コロラドが出てきた話を英語で読んだことがある」とウィラ・キャザーさんの本を教えてくれました。

 

ただ、教えてもらった本は最寄りの図書館には置いていなかったため、予約をして、ひとまず同じ作者の別のタイトルの本を借りてきました。

 

それが今回の本、ウィラ・キャザー、佐藤宏子(訳)『マイ・アントニーア』です。

 

 気づかない間に蛇が近寄ることがないように、菜園の真ん中に腰を下ろし、太陽で暖まった黄色いカボチャに寄りかかった。畝に沿って、ホオズキの茂みがあり、実をたくさんつけていた。 中の実を守っている紙のように薄い三角の莢をむいて、いくつか食べてみた。周囲では、これまで見慣れていたものの二倍はありそうな大きなバッタが、干からびた夢の中で曲芸のような離れ業をやっていた。
    ジリスは、耕した土の上を忙しそうに走りまわっていた。土手に囲まれた谷底にある菜園では、風はそれほど強くなかったが、平地では風が歌い、草が波打っていた。 座っている大地は暖かく、土くれを指でほぐすと暖かかった。奇妙な赤い虫が現れて、隊列を作ってぼくの周囲をゆっくりと動いていた。背中は朱色で黒い斑点があった。ぼくは、できるだけじっとしていた。何も起こらなかった。 何かが起こることを期待してもいなかった。ぼくは、カボチャと同じように、太陽の下にころがってそれを感じているのだった。それ以上のものになりたいとは思わなかった。 ほくは完全に幸せだった。
 おそらく、人間が死んで、太陽や空気、あるいは善や知識といった何か完全なものの一部になったとき、このように感じるのではないだろうか。とにかく、何か完全で偉大なものの中に溶け込むこと、それは幸福そのものだ。その時が人にやってくるとき、それは眠りのように自然に人間に訪れる。

(p15)

 

本の舞台は19世紀後半のアメリカ中西部、ネブラスカです。

アメリカの大平原がどのような風景で、違う場所からここへやってきて生活するということはどういうことなのか。物語からは余すことなく伝わってきます。

上記は主人公のジムが祖母と一緒に畑にやってきた場面ですが、土に触れて多幸感に包まれている描写が心地よいです。

 

 ある朝、晴れ間の間に、アントニーアと母親が、 毛むくじゃらの年老いた馬に乗って訪ねてきた。
 シメルダ夫人が我が家に来たのはこれが初めてで、彼女は家中を走りまわり、絨毯やカーテン、家具の品定めをし、その間ずっと娘に向かって羨ましそうな不満げな調子で話しかけていた。台所で、コンロの後ろにおいてあった鉄鍋を取りあげて言った。「あんたは沢山、シメルダない」祖母がその鍋を彼女にやったのは、気の弱いことだとぼくは思った。
 昼食の後片づけを手伝っているときに、彼女は威張った態度で言った。 「あんたは料理するもの沢山ある。あんたのように持っていたら、あたしはもっと上手」
 彼女は思いあがった自慢屋で、不運にあっても謙虚になることはなかった。ぼくは腹が立ったので、アントニーアにたいしてさえ冷淡な気持になり、彼女が父親の具合が悪いと言ったときも、同情の気持はわかなかった。
 「お父ちゃんは故郷のことを思って悲しがっている。 元気がないの。音楽をすることもない。故郷にいたときは、いつもヴァイオリンを弾いていた。 結婚式や舞踏会でね。 弾いてって頼むと、駄目だって首を横に振る。ヴァイオリンを箱からだして、こんな風に指で弦をはじく時もあるけど、弾くことはしない。 お父ちゃんはこの国が嫌い」
 「この国が好きじゃない人は、故国にいればいいじゃないか」 ぼくはきつい口調で言った。「ぼくたちが来させたわけじゃないだろ」
 「お父ちゃんは絶対来たくなかった!」彼女は大声で叫んだ。「お母ちゃんが来させたんだ。いつもこう言っていた。 「アメリカは大きい国。お金も沢山、息子たちのための土地も沢山、娘たちの婿も沢山」 お父ちゃんは、一緒に音楽をやっていた昔からの友達と別れる時泣いた。こんな風な長いホルンを吹いていた人が大好きだった」 ――彼女はスライド・ホルンを手で示してみせた。「一緒に学校に行ってね、子どもの頃から友達だった。だけど、お母ちゃんはアンブローシュに家畜をいっぱい持った金持ちになって欲しいんだ」
 「君のお母さんは」とぼくは怒って言った。 「他の人のものを欲しがる」
 「あんたのお祖父さんは金持ちだ」 彼女は激しく言い返した。 「なぜ、うちのお父ちゃんを助けてくれないの? そのうち、アンプローシュは金持ちになる。そうすれば、返すわよ。 兄ちゃんは頭が切れる。 アンブローシュのためにお母ちゃんはここに来たんだ」
 この家族では、アンブローシュは重要な人物だとみなされていた。シメルダ夫人とアントニーアは、彼が彼女たちに不機嫌な態度をとっても、また、父親を馬鹿にしても、いつも彼に従っていた。 アンブローシュと母親はすべてのことを自分たちの思い通りに運んでいた。アントニーアは家族のだれよりも父親を愛していたけれど、兄のことを尊敬もし恐れてもいた。
 アントニーアと母親が哀れな馬に乗り、鉄鍋を持って丘を越えて帰っていくのを見送った後、 ほくは繕いものに取りかかった祖母に向かって、あの詮索好きのばあさんが二度と来ないといいと思うと言った。
 祖母は含み笑いをし、オットーの靴下の穴にピカピカ光る針を通した。 「ジム、あの人は年寄りじゃありませんよ。あんたにはそう見えるかも知れないけれどね。 そうね、私もあの人が二度と訪ねて来なくても残念とは思わないね。でもね、貧乏というものが、内面のどんな特性を表に出してくるかは、誰にも分からないんだよ。 子どもたちが物に不自由しているのを見ると、女は貪欲になるからね。さあ、『ダビデの家の王子さま』の一章を読んでおくれ。あのボヘミア人たちのことは忘れましょう」
 このような穏やかで雪の降らない日が三週間つづいた。牧場の家畜たちは、男たちがトウモロコシの粒を軸から外すのが間に合わないくらいの速さでトウモロコシを食べたから、早く市場に出荷できるのではないかと期待された。 ある朝、二頭の大きな雄牛のグラッドストーンとブリガム・ヤングは春が来たと勘違いし、彼らを分けている有刺鉄線越しにちょっかいを出したり、お互いを突いたりしはじめた。間もなく本気で怒りだした。大声で鳴き、脚で軟らかな大地を叩き、頭を振りたてた。それぞれ、自分の囲いの隅に引きさがり、それから、相手をめがけて全速力で突進するのだった。彼らの大きな頭がぶつかるドスン、ドスンという音が聞こえ、彼らの吠え声で台所の棚の上の鍋が揺れた。
もし、角を取っていなかったら、彼らはお互いをずたずたに引き裂いていたことだろう。 間もなくこの興奮は太った雄の仔牛たちにも伝染し、彼らも互いに角で突き合いはじめた。明らかに、この事態は止めなくてはならない。フックスがピッチフォークを持って囲いの中に馬を乗り入れ、幾度も雄牛を突いて引き離すのを、ぼくたちは邪魔にならないところから、感心して眺めていた。

(p72)

 

ジムはボヘミア(現チェコ)からやってきた楽団一家の娘アントニーアと親しくなって、一緒に子供時代を過ごします。

解説には作者ウィラ・キャザーの故郷について「大西洋沿岸の肥沃な土地とは違い、アパラチア山脈のふもとの痩せた土地で、発展する余地があまりないところである。そのような土地の農民にとっては、一八六二年に制定された自営農地法によって、一定の条件を充たせば無償で広大な西部の国有地が与えられるというのは、魅力的なことだった。」と、説明されています。

国有地を与えられると言っても、故郷を離れ、夏は過酷な暑さ、冬は凍死者も出る土地で生活することがどれほど骨が折れるか、季節の移ろいとともに克明に描かれます。

また、ひがみや後悔を正直に口にするアントニーアに「この国が好きじゃない人は、故国にいればいいじゃないか」 と、つい言い放ってしまうジムの気持ちも分かります。

アントニーアの母親シメルダを「不運にあっても謙虚になっていない」、と決めてかかったジムに対して、「貧乏というものが、内面のどんな特性を表に出してくるかは、誰にも分からないんだよ。」と優しく戒めるおばあさんが好きです。

 

 ぼくと三年近くともに暮らした後、祖父はブラック・ホークに引っ越すことを決めた。祖父も祖母も農場で重労働をするには齢をとってきたし、ぼくが十三歳になったので、学校に通うべきだと考えたのだ。その結果、農場は「あの善良な婦人、スティーヴンズの後家さん」とその独身の弟に貸すことになり、ぼくたちは、ブラック・ホークの北の端にあるホワイト牧師の家を買った。その家は、農場から来ると、町で最初の家であり、田舎の人たちに長い道のりが終わったことを知らせる目印でもあった。
 三月にブラック・ホークに移ることになり、それが決まるとすぐ、祖父はジェイクとオットーに自分の計画を伝えた。オットーは、これほど気持ちよく働ける場所を見つけることは難しいし、農業に飽きてもきたので、彼が「荒くれの西部」と呼ぶところに戻ろうかと考えていると言った。 オットーの冒険談にすっかり魅了されてしまったジェイク・マーポールは、彼と一緒に行くことを決めた。ぼくたちは、彼に思いとどまらせようと手を尽くした。 彼は読み書きができないし、すぐ人を信用する性格なので、詐欺師たちの格好の餌食になってしまうだろう。彼の人柄を分かってくれる親切なキリスト教徒の中に留まるようにと祖母は懇願したが、彼は聞く耳を持たなかった。 彼は探鉱者になりたかった。コロラドで銀山が自分を待っていると思っていた。
 ジェイクとオットーは最後までぼくたちに尽くしてくれた。町への引っ越しを取り仕切ってくれ、新居に絨毯を敷き、祖母の台所に棚や戸棚を作ってくれた。 ぼくたちと別れたくない様子だった。しかし、とうとう何の予告もなしに彼らは行ってしまった。この二人の男は、いかなる時にも、ぼくたちに忠実だったし、世界のどんな市場でも買うことのできないものを、ぼくたちに与えてくれた。 ぼくにとっては兄のような存在だった。ぼくを気遣って、言葉づかいや態度を抑制していたし、暖かい友情の交わりを与えてくれた。ある朝、晴れ着を着こんで油布のかばんを持ち、彼らは西に向かう列車に乗り込んだ――そして、再び彼らに会うことはなかった。何か月も経ってから、オットーから葉書がきた。それによると、ジェイクが山岳地帯の熱病に罹ったが、今は二人ともヤンキー・ガール鉱山で働いていて、元気でやっているとのことだった。ぼくはその住所に手紙を書いたが、手紙は「受取人不明」で戻ってきた。その後、何の消息もなかった。
(p115)

 

すごくお世話になった人に、感謝の気持ちも十分伝えられないまま、もう二度と会えなくなってしまうことは、時々あると思います。

ジェイクは幼いジムが祖父母の家にやって来るときから、一緒に汽車を乗り継いで来てくれた兄的存在です。そんなジェイクとの別離は結構ショックでした。

 

 リーナはクッションの位置を変え、驚いたようにぼくを見上げた。
 「あら、あたしは、誰とも結婚はしないわ。 知らなかったの?」
 「馬鹿なことを言うなよ、リーナ。それは女の子の言う決まり文句だけど、本当は違うんだ。君みたいな綺麗な人は結婚するのさ、もちろん」
 彼女は首を振った。 「あたしは違う」
 「でも、何故だい? どうしてそんなことを言うのさ?」ぼくはしつこく訊いた。
 リーナは笑った。
 「ご亭主はいらないってことかしら。男の人はお友達としてはいいけれど、結婚した途端に、口やかましい父親みたいになっちゃうの、奔放な人でもね。 何が分別のあることで、何が愚かしいか教えはじめるし、いつも家庭におとなしくしていることを求めるの。あたしは、自分がその気になったときには、 愚かしく振舞いたいし、自分で自分の責任は取りたいわ」
 「だけど、淋しいよ。 そんな暮らしには飽きて、家族が欲しくなるよ」
 「あたしは、違うわ。 あたしは一人が好き。 トーマスさんのところに働きにでたとき、あたしは十九だった。それまで、いつだって一つのベッドに三人で寝ていた。家畜の放牧をしている時以外、一分たりとも自分の時間はなかったの」
 リーナが田舎での暮らしを口にするとき、おどけているか、ちょっと冷笑的かにかかわらず、一言で片づけるのが普通だった。しかし、今夜、彼女は幼いころのことに思いを巡らしているようだった。
 物心ついてからいつも、重たい赤ん坊を抱き、あかぎれができた小さな手と顔を清潔にしようと、赤ん坊の体を洗う手伝いをしていた。彼女の記憶では、家庭とは、いつも多すぎる子どもと、不機嫌な男と、病身の女の上に仕事が山積みになっているところだった。
 「母さんのせいではないわ。 母さんは、できることなら、あたしたちに快適な暮らしをさせたいと思っていた。でも、それは女の子が望むような暮らしではない。家畜の世話をし、乳搾りをするようになると、家畜の臭いを体から消すことはできなかった。ほんの僅かの下着を、あたしはクラッカーの箱にしまっていた。土曜の夜になると、皆が床についた後、疲れすぎていなければ、あたしはお風呂に入ったの。 水を運ぶのに風車まで二往復し、それをコンロの上の洗濯用の煮釜で温めた。 お湯を沸かしている間に、洞穴から盥を持ってきて、台所でお風呂に入ったのよ。それから、洗いたての寝間着を着て、他の二人が寝ているベッドにもぐりこんだ。その子たちは、あたしが洗ってやらない限り、体を洗うことなんてないのよ。あたしは、家庭生活がどんなものか、よく分かっているの。 死ぬまで十分だってくらい知っているわ」
 「でも、全部が全部、そんな風ではないよ」 ぼくは反対した。
 「似たり寄ったり。 すべて、誰かの言いなりになるってこと。 ジム、あなた何を心配しているの?あたしが、そのうち、結婚して欲しいと言いだすとでも思っているの?」
 その時、ぼくはこの地を去ることを話した。
 「どうして出ていきたいの、ジム? あたし、優しくなかったかしら?」
 「リーナ、君は本当に素晴らしかったよ」ぼくは口走った。「他のことが考えられなかった。君と一緒にいるかぎり、ぼくは他のことなんか絶対考えることができないだろう。ここにいると、落ち着いてこつこつ勉強することができないんだ。 分かっているだろ」
 ぼくは、彼女のそばに座り、床を見つめた。 理性的な説明など、すっかり忘れてしまったようだった。
 リーナはぼくに身を寄せた。 彼女が再び口を開いたとき、ぼくを傷つけたあの躊躇いのようなものは声から消えていた。
 「あたし、この関係を始めるべきではなかったのでしょうね?」彼女は小声で言った。「あなたに会いにいくべきではなかったのね。でも、あたしはそうしたかったの。あたし、いつもあなたにちょっと惚れていたんだ。 そんな気にさせたのは、アントニーアのせいかしら。 彼女、あなたに対して、浮わついたことをしては駄目っていつも言っていたから。でも、あたし、随分長い間、あなたに構わなかったでしょ?」
 自分が好きな人に対して、彼女は優しかった、あのリーナ・リンガードは!
 とうとう、彼女は柔らかな、ゆっくりした、諦めのキスでぼくを送りだした。
 「あのとき、あたしが会いにいったこと、後悔してないでしょ?」彼女は囁いた。「とっても自然なことに思われたんですもの。あたしは、あなたの最初の恋人になりたかった。 あなたは、本当におかしな坊やだったもの」
 彼女は、いつも悲しげに、しかも賢く、永遠の別れを告げるようにキスをした。
 ぼくがリンカーンを去るまで、ぼくたちは何度も別れを告げあったが、彼女は決して邪魔をしたり、引き留めたりはしなかった。 「あなたは間もなく去っていくけど、まだ行かないのね」 彼女は繰り返した。
 ぼくのリンカーンでの生活は、突然終わった。数週間、祖父母のもとに帰省した後、ボストンでクラリックと落ちあうまで、ヴァージニア州の親戚を訪ねた。そのとき、ぼくは十九歳だった。
(p236)

 

「男の人はお友達としてはいいけれど、結婚した途端に、口やかましい父親みたいになっちゃうの、奔放な人でもね。 何が分別のあることで、何が愚かしいか教えはじめるし、いつも家庭におとなしくしていることを求めるの。あたしは、自分がその気になったときには、 愚かしく振舞いたいし、自分で自分の責任は取りたいわ」

自分は結婚しない、と宣言するジムのガールフレンド・リーナのこの主張が可愛らしい。ジムを大事に思いながらも、結局は学業を選ぶ彼を最終的には尊重してくれるのが、お姉さんらしくて好きです。

 

 その晩、ぼくは、子どもの頃使っていた部屋で寝た。窓から、夏の風が稔った畑の匂いを運んできた。ぼくは横になって、月の光が納屋や麦藁の山や池を照らし、風車が青い空に黒い影を描くのを眺めていた。


 次の日の午後、ぼくは歩いてシメルダ家に行った。ユルカが赤ん坊を見せてくれ、アントニーアは南西の四分の一区画で小麦の麦藁の山を作っていると教えてくれた。ぼくは畑を横切ってそちらに行った。トニーは遠くからぼくが来るのを見ていた。麦藁の山のそばにじっと立ち、ピッチフォークに寄りかかってぼくが近づくのを見ていた。ぼくたちは古い歌の中の人物のように、涙は流さないが、無言で対面した(※)。彼女の暖かな手がぼくの手をしっかりと握った。
 「来てくれると思ったわ、ジム。昨夜、スティーヴンズさんのところにいるって聞いていたから。一日中待っていたのよ」
 これまでの彼女より痩せていたし、スティーヴンズさんが言うように「やつれて」いたが、彼女の顔の落ち着いた様子には、新たな強さがあり、頬の赤みには、いまだに深く宿る健康と熱意の存在が感じられた。いまだに、だって? あまりにも多くのことが彼女の人生にも、ぼくの人生にも起こったけれど、彼女はまだ二十四歳になったばかりだということがぼくの心に閃いた。

 アントニーアはピッチフォークを地面に突き刺し、ぼくたちは本能的に、十字路のそばの耕されていない一画、話しあうのにもっともふさわしい場所へ向かって歩いていた。シメルダ氏の墓所を世界から隔てている、弛んだ針金の囲いの外側に腰を下ろした。ここでは、丈の高い赤い草が刈られることはなかった。冬になると枯れ、春になると蘇って、ある種の熱帯の庭園用の草のように、鬱蒼と茂り低木のようだった。ぼくは気づかないうちに、彼女にすべてを話していた。なぜ法律を勉強し、ニユーヨーク市にある母方の親戚の法律事務所に入ることを決めたのか、去年の冬の肺炎がもとでのガストン・クラリックの死とそれがぼくの人生にもたらした変化など。 彼女は、ぼくの友人たちのこと、ぼくの生き方、そしてぼくの心に秘めた大切な希望について知りたがった。
 「もちろん、あんたが永久にあたしたちから去っていくということだけど」彼女はため息とともに言った。「でもね、それはあんたを失うっていうことじゃないの。ここにいる、あたしの父さんのことを見てごらんなさい。 死んで随分になるのに、大抵の人より実在しているように思えるの。あたしの人生から消えることはないわ。 あたし、いつも父さんに話しかけ、相談しているのよ。齢をとるにつれて、彼のことが分かるようになり、理解が深まっていくの」
 彼女は、ぼくに大都会は好きになれたかと聞いた。 「あたしは、都会ではいつも惨めだった。 淋しくて死にそうだったわ。 あたしは、麦藁の山の一つ一つ、一本一本の木を知っているところに住みたいの。大地があたしを受け入れてくれるところにね。 あたしは、ここで生きて、死にたい。 ケリー神父様が、人間は誰でも、何かのためにこの世に生まれたんだっておっしゃっていた。 そして、 あたしは自分がするべきことが分かっているの。あたしは、あの小さな娘が、あたしよりいい人生を生きられるようにしてやりたいと思っているの。ジム、あたしはあの子を一生懸命育てるわ」
 ぼくは、彼女がそうすることは分かっているよと答えた。「ねえ、アントニーア。 ぼくはここを出ていってから、この世の誰よりも君のことをよく考えるんだよ。恋人として、妻として、母として、あるいは姉として、男にとって女がなり得る全てのものであって欲しい。君という存在はぼくの心の一部なんだ。 気がつかないうちに数えきれないほど、君はぼくの好き嫌いを、ぼくの好みを左右している。君はぼくの一部なんだよ」
 彼女は、きらきら輝く、人を疑わない目をぼくに向けた。涙がゆっくりと浮かんできた。「どうしてそんなことがあり得るの? あんたは、沢山の人を知っているし、あたしはこんなにあんたをがっかりさせてしまったのに? あたしたちが幼い時、 一緒に過ごせたことがとってもよかったと思っているの。あたしたちが一緒にしたことを、話してやれるくらいに娘が大きくなるのが待ち遠しいわ。昔のことを考える時、あたしのことを思い出してくれるでしょ? 幸せいっぱいの人でも、昔のことは思い出すと思うの」
 畑を越えて家路についたとき、太陽が沈み、大きな金色の球体が低く西の空に掛かっていた。同時に、東の空には月が昇ってきた。車輪のように大きく、淡い銀色に薔薇色の縞模様があり、シャボン玉か幻の月のように儚げだった。五分、おそらく十分の間、二つの発光体は平らな大地を挟み、世界の反対側に位置して対峙していた。
その不思議な光の中で、小さな木、麦藁の山、向日葵の茎、 ハツユキソウの茂みの一つ一つが天に向かって背伸びをしているようで、畑の土くれや畔がくっきりと浮き上がって見えた。ぼくは、大地の魅力を感じた。夜の帳が下りる頃に、畑から立ち上る厳粛な魔力だった。ぼくはもう一度幼い少年に戻り、ぼくの人生の道がそこで終わることを願っていた。
 ぼくたちは、畑の端に着いた。そこは、ぼくたちの道が分かれるところだった。彼女の両手をとってそれをぼくの胸に押し当てた。 この褐色に日焼けした手が、力強く、暖かく、よいものであることを改めて感じ、どれほど多くの優しい行いをこの手がぼくにしてくれたかを思い出していた。長い間、その手をぼくの胸に置いていた。あたりはどんどん暗くなっていった。 目をこらして彼女の顔を見た。
 その顔をいつもぼくの中に留めておくつもりだった。多くの影のような女たちの顔の中で、ぼくの記憶の底に、一番近しく存在感のあるものとして。
 「必ず帰ってくるよ」 しのび寄る闇を通して、ぼくは本気で言った。
 「そうかも知れないわね」―彼女の微笑みを見るというより感じとった。「でも、戻ってこなくても、父さんと同じように、あんたもここにいるわ。だから、淋しくはないの」
 慣れ親しんだ道を一人で帰りながら、 少年と少女が笑い囁き合いながら、 かつてぼくたちの影がついてきたように、ぼくのかたわらを走っていると信じられそうに思えた。
(※ バイロン卿の詩「私たち二人が別れたとき」(一八〇八)の結びの一節。「もし、お前に会うことがあったら/長い歳月ののちにどのようにお前に挨拶をしよう/無言で涙をながして」への言及。この詩には、ベートーヴェンを初めとする多くの作曲家が曲をつけている。) 

(p258)

 

「あたしは自分がするべきことが分かっているの。あたしは、あの小さな娘が、あたしよりいい人生を生きられるようにしてやりたいと思っているの。ジム、あたしはあの子を一生懸命育てるわ」

出自を超えて同じ環境で育ち、どちらも故郷を離れて戻ってきてなお、こんなにお互いを大事に思いやっている二人なのに、なぜ結ばれることはないのだろう、と読んでいる間ずっと不思議に思っていました。

でもこのアントニーアのセリフで、彼女は自分のやるべきことが見えているから、いつも眩しくて、魅力的なんだなと思いました。

 

ウィラ・キャザーさんが生まれたのは一八七三年、ウィーン万国博覧会に、日本が初めて公式参加した年です。

一人で都会に出てたくましく生活するリーナ。11人の子どもをひとりで育てるアントニーア。風土も時代も遠く離れているのに、なぜかつい最近の話のように、目の前で鮮やかに描かれることに親近さを感じました。

 

そして厳しすぎる自然の仕打ちの描写オンパレードなのに、読後感はとても爽やかでした。

アメリカ文学のおすすめを聞かれたら、この本を推したいです。

 

ニューハンプシャー州のジャフリー・センターにある彼女の墓碑には、15ページの「何か完全で偉大なものの中に溶け込むこと、それは幸福そのものだ」が彫られているそうです。

 

近くに行くことがあったらぜひ訪れてみたいです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。