ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

個性と個性がぶつかる時。『一度きりの大泉の話』を読んで

5おはようございます、ゆまコロです。

萩尾望都先生のエッセイ、『一度きりの大泉の話』を読みました。

 

この本は、萩尾先生が1970年10月から1972年11月始めまで、大泉で生活されていた頃のお話が中心に書かれています。

このお家には、竹宮惠子先生が一緒に住んでいました。

 

竹宮先生と萩尾先生が同じ本を読み、インスパイアされて似た雰囲気の作品を作る話が印象的でした。

 

  『11月のギムナジウム』に戻ります。
このエーリクのお母さんはちょっと事情があり、浮気をしました。そして生まれた双子の一人を浮気相手の家に渡したという設定になっています。
このお母さんの浮気の設定のヒントになったのは、この頃、増山さんが勧めてくれたレイモン(レーモン)・ラディゲの小説の『肉体の悪魔』です。これは奔放(我儘?)な青年と人妻との恋愛の話です。この人妻は青年の子供を産んで死にますが、夫は何も知らず、子供を育てます。

 なんつう スキャンダラスな話だ、と思いつつ、意外といじいじしてなくて、エレガントで、これがフランス風の恋愛というのかなあ、と面白かったです。前に私がジャン・コクトーの『恐るべき子どもたち』にすっかりハマって増山さんに読むのを勧めたら、増山さんは「こっちもいいわよ」と、レイモン・ラディゲを勧めてくれたのでした。
 増山さんに言わせると「ジャン・コクトーとレイモン・ラディゲは愛し合っていて恋人同士だったのよ」「ジャン・コクトーはレイモン・ラディゲのことを完璧な天才だと思ってた、ラディゲは足が悪いのよ、コクトーはそれを「不自由な片足を優しく引きずっていた。と言っているのよ。素敵でしょ」などと教えてくれました。
 増山さんは竹宮先生にも同じ頃に『肉体の悪魔』を勧めました。そして竹宮先生は『暖炉』という作品を描かれました。これは美少年と人妻との恋愛の話のようです。最後に死ぬ(らしい?)のは美少年とのことです。

 これはちょうど増山さんから『肉体の悪魔』を紹介されて、それぞれに読んだら、別にお互い本の感想も言い合ってないのに、『暖炉』(美少年と人妻との恋)と『11月のギムナジウム』(浮気した人妻が産んだ双子の話)という、別々の、それでいてどこか共通のものを想像するような話が出来上がってしまった、ということらしいです。

(p94)

 

「別々の、それでいてどこか共通のものを想像するような話が出来上がってしまった」ということ、ありそうですよね。心動かされるものが似ている、ということもあると思います。読者としては、異なる作家さんが同じ本を読んで、その結果これとこれが生まれたのか、と考えるのは、なかなか楽しいのではないでしょうか。

しかし、このアイデアのソースを共有する、という事象が、のちのち萩尾先生と竹宮先生を引き離すことになってしまいます。

 

 「私たちは少年愛についてよく知っている。でも、あなたは知らない。なのに、男子寄宿舎ものを描いている。でも、あれは偽物だ。ああいう偽物を見せられると私たちは気分が悪くてザワザワするのよ。だから、描かないでほしい」という風なことをおっしゃるのですが、私は少年愛ものを描いてるつもりは全くなく、思春期の少年たちの心、友情や友愛、いろんな感情を描いているつもりでした。 『雪の子』や『11月のギムナジウム』を描いても、増山さんからは「違う」と言われていたので、よく理解できない少年愛には関わらないと決めていたのです。
    で、何故ここでそんなことを言われるのかがわからない。私の作品があまりにくだらないので、見るに見かねて描くなと言われてるんだろうか。

「生徒が青いバラを作ろうと研究をしている」ともチラリと聞いてたけど、ドラマにどう絡むのか全然知らない。 吸血鬼の出てくる『小鳥の巣』の温室からはあまりに遠くて、ピンときません。
 私は竹宮先生の描く『風と木の詩』と『小鳥の巣』が同じようなものだとは全然思えなくて、本当に呆然としてしまいました。
 双方とも黙り込んでしまいました。だいたい私は頭が真っ白になってしまって。
 なんだかよくわからないまま話は終わり、私は呆然として下宿に帰りました。
 

 そして、帰ってから、ほんとに困ってしまって、なんと言って説明すれば良かったんだろう、頭が働かなくて、何もうまく言えなかった、でも、違うんだけど。
 ちゃんと説明すればわかってもらえるだろうか。ちゃんと言わないと。川は福岡の中洲がモデルだって。 去年の海外旅行の時、パリの郊外で電車の窓から川と沼地を見つけて、細い木々や葦のそよぐ風景に、エドガーが転入した学校の中洲がこんなだと美しいなあと思ってスケッチをしたこと。高校にガラス張りの温室があったって。私も転校生だったって。 私はその夜言われたことを思い出せる限りクロッキーブックに書き出し、どう説明すればわかってもらえるだろうか、何がいけないのか、必死で考えました。

 

 ぐるぐる考えて、3日ほど経った時、竹宮先生が私のアパートにやって来ました。
 彼女が一人で来たのは初めてなので、不思議でした。お茶を出しました。
 相手は黙っています。さあ、説明しなくちゃ。うまく言えるかしら。
 あの、あれは少年愛の話じゃあないのよ、と。私は少年愛なんて描けっこないんだから。
 竹宮先生がちゃんと描くんでしょ。私の作品は読むに耐えないくだらないものかもしれないけど、下手だけど、真面目に真剣に描いているのよ。その前に、ええと、わざわざ来るなんて、何の用で来たかを聞かないと。
 そっと「何かまた私に言いたいことがあって来たのでしょ?」と聞くと、「この間した話はすべて忘れてほしいの、全部、何も、なかったことにしてほしいの」と、おっしゃいます。この声の調子を今でもよく覚えています。不思議と、声の記憶は残るものです。
 そう聞いて、こちらもびっくりして、つまりこの間した話というのはあの話しかないけど、それを忘れてくれとは、よく考えたら誤解だったということ? そう聞いていいだろうか? 何か、勘違いしてたってこと? 誤解が解けたってこと?
 こうやってわざわざやって来て、「なかったことに」というのは、ええと、つまり? あの話はつまり、誤解だった?なのかな? 言ったことは間違ってた、ってことかな?
 それなら私はそうなのかとホッとするけど、そう思って良いのかな?そ
 詳しく聞きたいけど、なんて言っていいかわからない。

 迷っていると、すうっと封筒に入った手紙を出して、
「私が帰ったら、これを読んでください」
 そして手紙を置いて帰っていきました。私は手紙を読みました。
 そして、それまでもあの夜以来あまり眠れなかったのですが、全く眠れなくなって
しまいました。
 疲れて布団に入っても一睡もできません。いつの間にか朝です。お腹が空いていると思うのですが、お茶は飲んでも何も食べられません。
 その手紙を読んでも、私には彼女の意図がわかりません。
 わかるのは、私にしてほしいことがいくつか指示してあり、そのことぐらいです。してほしいというか、してほしくないことですね。
 お二人はOSマンションの4階に住んでいましたが、
「OSマンションに来られては困る」
「せっかく別々に暮らしてるのに前より悪くなった」(私が遊びに行くので?)
「書棚の本を読んでほしくない」
「スケッチブックを見てほしくない」
「節度を持って距離を置きたい」
「『11月のギムナジウム』ぐらい完璧に描かれたら何も言えませんが」

 

 そして、私の何がいけないのかは、具体的には何も書いてありません。
 例えば騒ぐから嫌だとか、暗いから嫌だとか、声が嫌いだとか、臭いから嫌だとか、そんなことは何も書いてありません。


 全体で考えると「近寄るな」ということらしいと思いました。
 そしてまた、なぜそう言われるのか、さっぱりわからない。
「どうして? これまで仲良くしてもらっていたのに、なぜ?」
 聞きたいけど、怖くて聞けない。
「私、何か向こうが怒るようなことをしたのだろうか?」
 もちろん、したに決まってます。でも何をしたのかわからない。
 なんで嫌われたの? そしてまた、さらに眠れません。
 やっぱり夜に呼ばれた話?
 でも、話はすべて忘れてほしいと言われたし。あれは考えちゃあ、ダメなんだ。あれはなし。忘れなきゃ。
 ほんとは、あの夜のことから考えるべきだったのだと思いますが、洗脳というか、自分で自分に暗示をかけたようになってしまいました。「すべて忘れてほしい」のだから、そう頼まれたから、私も忘れなきゃ。それでOSマンションで夜に言われたことを日記のようにクロッキーブックに書いていましたが、そのページは破って、折り畳んでクロッキーブックの間にしまってしまいました。 忘れようと封印したのです。
 

 それを封印しても、渡された手紙があります。
 近づくな、と解釈できる手紙。
「忘れて」と頼まれた。うん、忘れる。それでまた仲良くなれるのかと思ったら、「近づかないで」と頼まれた。
 

 なぜなの? どうしてなの? 何がいけないの?
 頭が働かず、山の中の道なき道に迷い込んでしまい、右へ行くのか左へ行くのか、前に出るのか後戻りするのか、全く思考停止の状態。どうしていいかわからないまま、時間ばかり過ぎていきました。

 

 貧血で倒れる


 何日か過ぎ、気がつくと土曜日でした。銀行に行って生活費をおろして、パンか卵か食べるものを買わねばなりません。仕事の用意もしなければなりません。
 外出しましたが、眩暈(めまい)がして、交番の前で倒れ込んでしまいました。お巡りさんが奥の部屋で休ませてくれて、動けなかったので救急車を呼んでくれました。
 それで、運ばれて入院しました。
「貧血だね。朝食は食べたの」と聞かれ、食べてないと言うと、「若い子は生活が不規則になっていけない」と注意を受けました。確かに2、3日食べてないんです。
「家の人に来てもらうか」と聞かれ、増山さんに連絡をしました。ささやさんでも良かったのですが、ささやさんが来て何か聞かれたら、夜のことも手紙のことも、黙っているのがきっと辛くなります。
 その時は、誰かにいろいろそういう説明をする体力がありませんでした。
それに「なぜ寄宿舎ものを描いたのか」という質問をしたのも、手紙を持ってきたのも竹宮先生だし、増山さんは竹宮先生のお友達だからそばにいるけれど、竹宮先生ほど私を嫌ってないかもしれない。実際、増山さんはあの夜そばで聞いていたけれど、巻き込まれただけなのかもしれない。
 電話すると増山さんは、気軽に着替えを持ってすぐに病院に来てくれました。 「どうしたの?」「貧血なの」「そうなの? 元気になってね」
 点滴を受け、1泊して帰ってきました。

 家に帰ってから、再び締め切りのやって来る 『小鳥の巣』の仕事を続けました。『週刊少女コミック』に依頼された読み切り 『オーマイ ケセィラ セラ』の原稿も描かねばなりません。
 無理にでも食べ、眠りましたが、やがて目が痛くなってきて、痛みは日ごとに増しました。針でずっと刺されているようで、目を開けると痛さに涙が止まりません。目を開けると、チリチリと痛い目から涙がたらたら出てきます。それをふきふき、仕事をしました。
 何度か近所の眼科に行って診察を受け、眼圧の検査もしましたが、目に異常はなく、なぜ痛いのかわからずじまいです。
 熱いタオルを当てるとちょっと痛みが和らぐので、仕事中はずっとタオルを当て、目がおサルのお尻のように真っ赤になりました。
 仕事を手伝いに来ていた城章子さんが、生活のことも、いろいろと手伝ってくれました。
(p150)

 

『雪の子』や『11月のギムナジウム』が、少年愛についてのお話なのかは、受け取る側の解釈によると思います。

ただ、『風と木の詩』を世に出すために準備をされていた竹宮先生からすると、同じ主題の作品を萩尾先生に先に出されるのは、困った事態だと判断されたのだろうということも理解できます。

倒れて入院したのに、帰ってすぐに仕事なんて…。過酷すぎる。どう見てもハチャメチャに働きすぎだろうという場面はこの箇所だけではなく随処で見られて、現代の感覚とは違うのだろうけど、ハラハラしてしまいました。

『オーマイ ケセィラ セラ』は明るくて可愛くて、みんなにモテる女の子の話で大好きです。モッテモテなのにぜんぜん嫌味がないところがまた良い。テンポも良くてほんとにポジティブなお話なのに、こんなに身体的につらい状況で描かれていたのかと思うと、苦しくなります。

 

 心因性視覚障害とグルグル回り


 後にわかりましたが、目の痛みはストレスから起こる「心因性視覚障害」というものでした。4、5年後に心理学の症例を読んでいるうちに似た症例があり、「おんなじだ、ああ、これかあ」と気がつきました。心理的なストレスで視神経が圧迫されるのです。病状は目や目の奥の痛み。涙が止まらない、頭痛、不眠。その頃はまだあまり知られていない病でした。
 今でこそ心理的なショックがあったのだと理解できますが、当時は心理学の知識などもなく、急な目の痛みも、貧血で倒れて入院したのも、きっと睡眠不足と食事が不規則なせいだと思っていました。無理にそう思っていた感じです。

 

 いただいたお手紙の内容も、うまく理解できません。
 頭は合理的な理由を求めてグルグル回ります。
「『小鳥の巣』について言ったことはみんな忘れて、なかったことにして、というわけだから、「小鳥の巣』について言ったことは忘れてしまえってことだよね。『風と木』の盗作じゃないかとか、なぜ川のそばに学校があるかとか、なぜ寄宿学校があるかとか、言われたことはみんな忘れて、なかったことで良いんだよね。ええと、つまり、何か知らないけど、誤解が解けたということだから、ええと? でも、この手紙を読むと、まだなんかある」
「ええと、なんだろう、クロッキーブックは、見せてってちゃんと断ってから見せてもらってたけど、本当は見せたくなかったってこと? でも、『ねえ、見て見て』っていつも見せてくれるから見てたんだけど、本当は見せたくなかったってこと? 本を読まないでって、う〜ん、竹宮先生の本って何かあったっけ? 増山さんの本はたくさん貸してもらったけど、 竹宮先生のはあまり覚えがないなあ。忘れてるのかなあ。何かを借りていって『面白くなかった』とか、不愉快なことを言ったのかなあ」

 

 わからない。何かで怒らせたらしい。何かで不快な目にあわせたらしい。
 私、何をしたんだろう? 『小鳥の巣』のこと? でも、あれは忘れてくれと言われたから、あれじゃあないんだよね。グルグル思考です。

 

 じゃあ、何?何かしたんだ。思い出さないと。いやあ、たぶん、私というノロマな存在がいけないんだ。見ててうんざりしてきたんだ。とうとうああいう手紙を書くほど嫌になったんだ。
『11月のギムナジウム』ならいいというのは、これはいいけど他のは読むに耐えないぐらいいけないという意味かなあ?

(p160)

 

うぅ、萩尾せんせぇ…。困惑ぶりが伝わってきて辛い。

竹宮先生と萩尾先生のこのお手紙にまつわるすれ違いは、この後に記述されている、お二人のお手伝いをされていた方のお話を読むと腑に落ちます。 

 

 この頃、鬱っぽかったのだと思います。たぶん、手紙を読んでから、ずっと悲しかった気がします。脳の中で何かが死んでいる。私は死体と暮らしている。誰の死体? それは人格ではない。たぶん、大泉の死体です。時間と記憶の死体です。
 こんなものと暮らしたくはないけど、仕方がありません。
そうだ、埋葬すれば良い。早く埋葬しないと。どうすれば埋葬できるだろう。どこに埋めればいいだろう。わからない。ブライトンの海を見ながら歩きます。わからない。

 

 お店で綺麗なレターセットなどを見つけると、あ、こういうの増山さん好きだよね、竹宮先生のはこっちのシックなのがいい、お土産に買おうかな。
帰った後、英国のお土産を持ってOSマンションを訪ねたら、「久々ね」と中に入れてもらえるだろうか。増山さんとは時々、近況報告の手紙のやり取りをしていた。イギリスから手紙も出した。留学気をつけてと返事ももらった。帰ったら、また仲直りできないだろうか。
 私は何を考えてるのかな。私は追い出されたんだよ。増山さんは優しいけど、竹宮先生が漫画を描いてる私とまた付き合ってくれるはず、ないじゃあない。
 だから、漫画をやめたらいいのかな。 やめようかな。そしたら友達に戻れる。漫画をやめて、私、過ごせるかな。
 毎晩、眠る前にクロッキーブックを広げて、浮かんでくるお話や絵を描きました。漫画は趣味にすればいいんじゃあないかな。やめて、何の仕事ができるかな。そして1年経ち2年経ったら、やっぱり描きたくなるんじゃあないのかな。私、こんな理由で決心して漫画をやめたら、絶対、竹宮先生と増山さんを恨んでしまいそう。「やめたから、友達に戻ってね」と言って戻っても、その後何年も二人のせいでやめたんだって恨みそう。
 ずっと恨み続ける体力なんて、私にはない。結局、自分が決めたことのせいで人を恨んだら、自己嫌悪だ。自分で自分が嫌いになる。


 自分を好きでいるためには、自分に正直でいないといけない。毎晩浮かぶ物語を、これからも描き続けたい。それが一番やりたいこと。
 そのために嫌われたり失うものがあっても、これがなければきっと生きていけない。
 右に左に揺れ動きましたが、結局「これからも、漫画は描き続けたい」
その気持ちに落ち着きました。
(p180)

 

漫画をやめたら、友達に戻れる。

萩尾先生がそう考えるほど思い詰めていたなんて。漫画家生活の中ではいろんなことが起こるのだろうと頭で理解していても、「漫画をやめたら」と萩尾先生が考えていた時期があったという事実が衝撃で、この辺りは読んでいて私も文字を追うのがしんどかったです。

 

  帰国 1974年

 

 5ヵ月後、私は帰ってきました。そして田舎の家(4畳半・6畳・台所・風呂トイレ庭付き家賃1万3千円。安い!)でぼちぼちと仕事を始めました。
 留守を頼んでいた城章子さんと、アシスタント兼おさんどんをお願いした花郁悠紀子さんが同居してくれました。
 彼女たちは下井草のOSマンションにも出入りし、竹宮先生の仕事をお手伝いしていました。 私はあの方たちとの交流はなくなりました。でも、それまでの共通の友人たちは薄々事情を知っていたのかいないのか、何も言わず、大人な対応をし、双方の友人であってくれました。それはありがたかったです。

 

 帰ってきて、近くの木原先生の家に編集部にかける電話を借りに行ったりしながら、『みんなでお茶を』(1974年 『別冊少女コミック』4月号掲載。 『精霊狩り』シリーズ第3作)を描きました。

 電話は1ヵ月後ぐらいにつきました。佐藤史生さんが来て手伝ってくれました。
 この時、気がつきました。
『みんなでお茶を』は、シリーズもののファンタジーSFの3作目でした。この作品の仲良し精霊のキャラクター3人のうち、2人は増山さんと竹宮先生をモデルにしていました。
 主人公のダーナは萩尾の理想的冒険型モデルとでも言いますか、私ができないことをやってもらっていたのです。 描きながら、もうこのシリーズは描けないなと気がつきました。
 仲良し精霊の3人キャラクターというのが辛かったからです。描く前に気がつけよ、と、自分で突っ込みました。
 でも、好きなキャラクターだったので、動かせるかもしれないと思ったのですね。 ネームまではできましたが、絵に入るとため息ばかりついてしまいました。このシリーズは続きがありましたが、以後、描いていません。
 ああ、私はやっぱり、今後は二人に会うのは無理だな、と思いました。
 それからは増山さんに手紙も書いていません。
 あちらからもいただきませんでした。

(p214)

 

『精霊狩り』シリーズは主人公格の女の子3人が皆可愛くて個性的で、萩尾先生の作品の中でもかなり好きなお話です。私はカチュカが好きで、萩尾先生の描かれる彼女の細い脚、着ているお洋服の可愛いパフスリーブなど、飽くことなく眺めていました。

『精霊狩り』というタイトルから怖い話なのかと思いきや、第三次世界大戦が集結した後の世界という設定なのに、登場人物はみんな過去の歴史のことはかなり忘れてあっけらかんと生きているし、特にダーナを始めとした女の子は、好きという気持ちに忠実にのびのび生きていて、元気をもらえます。

 

なんでこんなにおもしろいのに、3話で終わりなんだろうとずっと思っていました。リアルタイムで読んでいたら、続きを読みたいです、と雑誌に手紙を送るのになと思っていました。でもそんな理由があっての終了だったんですね。しかも続きは萩尾先生の中にあったのだという。寂しいけれど、いちファンとしては我慢するしかありません。

 

 昔の原稿はやはりコマがチマチマと小さく、絵がめちゃ下手です。オスカーなんか顔も髪型も定まらず、自分で吹き出すくらい滑稽です。
 「これは全部描き直そう」と言っていたら、城さんが「綺麗なとこもあるじゃあない。使えそうなところは使えば?」とアドバイスしてくれました。
 そうか、と、それで使えそうな部分は使いました。で、この作品は初めの頃は、新旧の原稿ページが混ざっています。
 『トーマの心臓』の連載にあたっては、さすがにもう少しドイツの資料がほしいと思い、探しました。 まだネットもない時代です。ドイツの資料がないか山本さんに聞いたら、小学館の本の資料室からドイツの歴史や地理などの本を探してきてくださって、それが役に立ちました。
 実は一番役に立ったのは、その本の中のドイツの年間降雨量と月ごとの平均気温でした。
 味も素っ気もありませんが、意外とこういうデータが役に立つのです。
 これで気温、つまり、暑さ寒さがどれくらいかわかり、キャラクターに着せる服を決められます。 コートを着せるかマフラーも着けるか手袋は要るか、帽子はどうか、長靴かブーツか、気温で考えられます。雨が降るか、雪の季節か、風が冷たいか、いろいろと想像ができるのです。
 また、ドイツの樹木の分布図もあって、これも助かりました。日本は亜熱帯に属していますので、亜熱帯の樹木があり、また種類も豊富ですが(この説明は大雑把です。日本は縦に長いのでもう少し複雑)、ドイツは日本より緯度が高いので、もっと北の植生になります。 樹木の種類も、日本ほど多くはありません。樹木は学校や街に植えられているでしょうから、なんの木があるのか知ってから背景の木を描くのです。窓の外から見える木1本、何の種類か決めるのは楽しみです。日本なら桜の木などが絵になりますが、ドイツだと何の木がいいでしょう。 白樺? 樅(もみ)の木? 素敵だな。
 それから、日の出と日没の時間も調べました。これは天文の本で調べたと思います。  それによって、朝起きた時―例えば、4月の早朝6時頃にはもう陽が出ているのかがわかります。で、まだなら暗いから室内に電気が必要ですし、カーテンを開けても窓の外は暗いし、月か星が見えるかもしれません。
 しかしどんなに想像しても、住んだことのない土地のイメージを肌感覚で知るには限界があります。そういう時は、ドイツの詩人の詩を探して読むのです。 春の詩には「しらかばの花が咲く4月」などという表現が出てきます。白樺なんて、北海道に行くまで見たことがありませんでした。日本だと柳の花が咲く3月というイメージでしょうか。 

(p218

 

萩尾ワールドの作り方が凄い。年間降雨量と月ごとの平均気温を見て、服装を考えるんだ。なるほど。(そんなにカチッと決まるものなのでしょうか。そこを苦と思わなかったり、楽しめるのがプロなんでしょうけど。)

その土地の樹木を知ってから背景を描く、なんて美術の時間に課題が出たとしたら、何年経っても木すら描き終わらないような、嫌な予感しかしない。

そしてそこに住んでいる人の肌感覚を知るために、詩を探すというのも驚きました。イマジネーションを総動員させて作品の世界を構築されていることが伝わってきます。それを漫画にするだなんて、頭がパンクしそう。

 

 『トーマの心臓』は33回の連載で完了しました。無事に終わってほっとしました。
執筆の半ば頃でとても良いエピソードが浮かびました。3人の主役の一人エーリクがユリスモールに語るセリフです。
 「僕の翼をあげる」というセリフです。 ユリスモールはどうやって救われるのか、エーリクはそれができるのか、どうやるのかとずっとずっと考えていたのですが、ある日、エーリクの口からホロリとそのセリフが出てきて、もう、エーリクに感謝!です。
 エーリク! 君って本当に天使だったんだね!

 

 お話をずっと考えていると、深い海の底から、または宇宙の星々の向こうからこういうものが突然落ちてくることがある。落ちてこない時はただ苦しいだけだけど、でも、それがふっと目の前に現れる時、宝物を発見した、という気持ちになります。自分が見つけたというより、エーリクが見つけてくれた、そういう気分になります。
(p237)

 

エーリクに感謝している萩尾先生を思い浮かべると可愛い。

こういうときのひらめきは、本当に言葉にできないくらいの嬉しい贈り物なんだろうなということが伝わってきます。

 

最後の最後に、萩尾先生の眼の具合が良くなかった頃のお話が、違う人から語られています。

 

 でも、その時の私には、竹宮先生と萩尾先生の漫画の手伝いをしているのが、本当に面白かったんです。絵の一つ一つ、1コマ1コマ「こんな描き方があったのか!」って驚かされるし、1作描くごとに前より確実にうまくなっていくのを、一番近くで見ていられることが嬉しかったんですね。今ここで実家に帰りたくないなって思っていました。


 萩尾先生の変調


 そんな頃に、萩尾先生の眼病が発症しました。
 『小鳥の巣』の連載3回目の原稿の仕事に呼ばれて行ったんです。そしたら、萩尾先生の目が真っ赤で。眼球の白いところが真っ赤で、身体には蕁麻疹も出ていて、見るも恐ろしい状態だったんです。原因も全然わからないし、どうしたらいいんだろうって「あったかいタオルを目に当てたらいいかもしれない」なんて言いながら、あたふたとタオルをあたためた覚えがあります。
 本当に酷い症状で、一言で言うなら悲惨というような。漫画を描き出すとばーっと症状が悪化するんです。 本当に目を開けていられない、外も歩けない。とても放っておける状態ではありませんでした。
 萩尾先生は一人暮らしだったから「一人暮らしって寂しくないですか?」って聞いたら、「ちょっと寂しいです」って言うので、「同居人がいたら少しはいいんじゃないでしょうか?」「そうですね」って。だからすかさず「同居人にしてください」ってお願いして、同居することになりました。
 目を開けているのが辛くて辛くて、あまりに目の症状が酷い時には、「漫画家やめようかな、原作者になろうかな」って言い出したこともありました。私は「いやいや、萩尾先生の場合は、話よりも絵柄でしょう!」って。 「あなたの原作で他の誰かが絵を描いても売れない、萩尾望都萩尾望都じゃないとダメでしょ!」と言って、思いとどまってもらいました。

 

 竹宮先生と増山さん、萩尾先生の間でそこまでの葛藤があったなんて、私は
まったく知りませんでした。
 竹宮先生の本には、その時期ずっとスランプだったと書いてありましたけど、アシスタントで出入りしていた私にはそんな素振りは一切見せませんでしたし。プライドもあってアシスタントにそんな弱音を吐くわけにはいかないと思っていたのかもしれません。 特に私は竹宮先生と萩尾先生の両方に手伝いに行っていたし….....。 だから筆があんまりのっていないなと思ったことはあっても、長編は苦手なのかなとか、そのくらいにしか思っていませんでした。
 しかも、増山さんがずーっと仕事場のそばにいて、締め切りのラストあたりで決まって騒ぎ出すんですよ。竹宮先生とアシスタントが原稿をやっていると、その輪の中に入れない増山さんは腹が立つんでしょうか。「私ね、今これが食べたいの!」って、ホットケーキだか、スパゲッティだか、その時食べたいものを言うんです。「どうしても食べたいの!」って。すると竹宮先生もギリギリなのに「今じゃないとダメなの?」って言いながら作り始めるんです。他の人が作るのは増山さんが許さないんですよ。竹宮先生の優先順位は自分が一番だってアシスタントのみんなに意思表示したかったんだと思います。それやこれやで、手伝っているこっちもへとへとでしたから、あまり他のことを考えている暇がなかったのかもしれません。

 

 でも竹宮先生が一度だけ、萩尾先生がいない時に「モーサマが怖い」って言ってた覚えがあります。萩尾先生は、例えば棚とかカップとか、見たものをぱっと覚えてすぐに絵にできるんですよ。特技というか才能、ですね。見たらすぐにそれを漫画に落とし込んで描ける。だから竹宮先生は、自分の家にある好きで集めているお気に入りの品とか家具とかを萩尾先生が「あら素敵」ってすぐに漫画に描きそうで怖い、っていうようなことを言ってたんですよね。
 竹宮先生の手紙について萩尾先生から相談された時も、そのことは頭にあったと思います。なので「人のことはわからない」なんて答えたんじゃないかと。「あなたがなんでも覚えてしまうからだ」とは言えなかったんでしょう。

 

 「竹宮先生が萩尾先生に嫉妬して大泉が解散した」ということを最初に言ったのは私ではなくて、佐藤史生さんなんです。史生さんと一緒にアシスタントしていた頃、 下井草や岸さんちを行き来していた時だったかな? 「ケーコタンがモーサマに嫉妬して大泉を解散させたんだ、ケーコタンに同調してモーサマを苦しめるんじゃない」との注意でした。
 それこそ増山さん言うが如く、萩尾先生の少年同士のマンガって、私には「はてな?」で、ちがーうと口にしていたんです。萩尾先生に直接言ったことあるかなぁ? ないような気がします。 なぜ言わなかったかというと、20代の萩尾先生は、ただの1コマの疑問でも、自分の漫画を100%否定されたんだと受け取りかねない人だったからです。
 で、その嫉妬の話を聞いた時、「ええ? 嫉妬!?」って驚きました。私から見たら竹宮先生は自信たっぷりに暮らしているように見えたし、アシスタントへの指示や指導ひとつとっても、萩尾先生よりよほど合理的でわかりやすく説明できる方でした。
 例えば竹宮先生は「本当は構造的にこの階段はこうは見えないんだけど、漫画としてはったりがほしいから、このように描いてほしい」とか、そんな風です。かたや萩尾先生の場合、どんぶらこっこと川を流れる桃を描くとなり、「桃の点を打って」と、まだ来たばかりのほとんど素人のようなアシスタントに指示を出した時があったんですね。アシスタントが桃に点々を打って出したら、先生が「いや、石じゃない、桃の点を打って」と。アシスタントが「え? 桃の点はどうやったら打てるんですか?」って聞いたら「桃、桃と思いながら打つ」って(笑)。ダメでしょう、そんな教え方じゃ。
(P341)

 

多分今の世の中より流通している漫画が少なかった頃、誰も見たことのないジャンルや、万人に受け入れられなそうな分野の漫画を描くことは、並大抵でない覚悟が必要であったと思います。竹宮惠子先生も、『風と木の詩』を雑誌に載せるために、強い批難と闘って、かなりの時間と労力を費やされて実現されたことを、別の本で知りました。

竹宮先生とは別の世界観を展開されていた萩尾先生も、常人には到底推し測れない才能と多面的なアプローチで、漫画を描き続けてくださったことが、読み手が辛くなるほどこの本から伝わってきました。

 

萩尾先生、喜びや学び、好きや興奮を引き出す作品をたくさんこの世に送り出してくださって本当にありがとうございます。

 

母娘とともに、ずっと萩尾先生が大好きです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。