ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

他者のために発揮する力。『アウシュヴィッツで君を想う』を読んで

こんにちは、ゆまコロです。
エディ・デ・ウィンド、塩﨑香織(訳)『アウシュヴィッツで君を想う』を読みました。

著者のエディ・デ・ウィンドはユダヤ系オランダ人の精神科医精神分析家です。
作中ではハンス・ファン・ダムと表記されています。
物語はウェステルボルク通過収容所で知り合って結婚した妻フリーデルとともに、アウシュヴィッツ強制収容所に送られたところから始まります。

本書を通して気になったのは、ハンスが常に自分の頭で考え、言われたことを鵜呑みにしないで行動しているところです。

例えば、女性の収容者に人体実験をしていると聞き、担当の教授に事態の真相について尋ねる場面があります。

 

「ハンスは知らないふりをして聞いてみた。「担当医ということですか?」
「そういうわけでもない。やるべき仕事をやっている。あそこにいる女性たちは、ある意味では研究材料と言ってもいい」
「不快なことではないのですね?」
 教授はむきになった。「たしかに苦痛を感じる実験もある。体に悪い影響が出る可能性も否定しない。だが、私の研究はまったく別だ。」私はSS(親衛隊)の許可を得て子宮がんの発症について研究している。ここならたくさんの女性を診られるし、女性たちも私の研究に参加すれば、ほかの危険な実験の対象にはならない」
 ハンスはわかったようにうなずいた。大真面目な説明に納得したわけではなかったが、それは悟られたくなかった。教授の助けはこれからも必要だ。
「判断は任せるよ。私がやっているのは、子宮口の粘膜を採取して顕微鏡で観察することだ。一部の女性で組織に特定の異常が見られる。細胞の構造がかなり違っているんだ。この細胞ががんになるんだと思う。だからこの研究で腫瘍ができる原因を突き止めたい」

 教授の話を聞くかぎり、実験はそれほど危険なものではなさそうだった。もっとも、わざわざそんなことをする意味はわかりかねたが。ハンスは、日本のがん研究の例を知っていた。白ネズミの皮膚にタール生成物をこすりつけて組織の変化を観察したところ、がん化した。つまり人為的にがんを発症させたわけで、タールには発がん性物質が含まれていることが証明された、というものだ。パイプたばこを吸う人には口腔がんと舌がんが多い。かつては口をすぼめて吸う動作のせいだと考えられていたが、この実験の結果パイプの中でできるタール生成物が原因だとわかったのだ。

 どんな事情があろうと、強制的に生体解剖をするなどあってはならない。それは実験に意味があるかどうかとは別の問題だ。ハンスにはそんな考えがよぎった。だが、これはいま決めなくてもいい。まだ実情を知らないし、もっと気になることがほかにある。「昨日来たオランダ人の女性たちも、そのうち実験の対象になるんでしょうか?」
「もちろんだ。だが奥さんのことはなんとかしよう。私の名簿に載せれば、ほかの実験の対象にはならない。そうやって様子を見よう」
 ハンスは教授に礼を言った。これで少しは安心できる。どこまで当てにできるかはわからないが、約束はしてもらえた。フリーデルはとりあえず無事だ。
p49」

 

もちろんハンスに医学的な知識があったから、実験の手法のおかしなところに気づいたということもあるのでしょうが、奥さんのフリーデルが傷つけられないよう、あれこれ立ち回る姿は随所で印象的でした。

 

「 準備が整ったようだ。トラックの後部扉が音を立てて閉じられ、SS隊員がよじ登る。ビルケナウに向けて出発だ。ハンスは両手で窓枠を握りしめた。ポーランド人たちがベッドに寝たまま何ごとかを騒々しく話している。ハンスはわめこうとした。叫び声が届けば、誰かが助けに駆けつけてくれるのではないか。漠然とそう思った。それなのに、どんな声も出せなかった。静かに涙があふれる。その時、ハンスの体に腕がまわされた。ジマーだ。でっぷりした、ポーゼン出身のポーランド人。
「いやな、あいつらはもう苦しまなくていい。嘆きの歌はここで終わりだ」
 ハンスの身震いがジマーに伝わる。
「ほら、しっかりしろ。お前さんは大丈夫だ。この病室の仕事は悪くないだろう。若くて元気だし、医師長にも気に入られているのに」
「それはわかっているよ。ぼくのことで泣いているんじゃない。だけど、あんなふうにおとなしく殺されてしまう人たちは何なんだ」
 ジマーはほんの一瞬笑った。「そんなのはもう何千人、何百人といるぞ。お前さんはその時も泣いたか?目の前で見たから動揺しているだけだ。いや、悪いと言ってるんじゃない。世間知らずなのさ。ドイツ軍がポーランドに侵攻したのは一九三九年だが、その時はユダヤ人の家も捜索された。男たちはまとめて強制収容所送り、女たちは陵辱された。人種恥辱罪(アーリア人と非アーリア人が性的な関係をもつこと)は無視だ。小さな子どもの足を持って、頭を木や柱に打ちつけているのはこの目で見たよ。それが流行りだったんだな。SSでは毎年流行りがあるんだと。一九四〇年は、子どもの体を二人がかりで文字通り引き裂くこと。四一年は、たらいに入れた水に子どもの顔をつけること。10センチの水でも溺れて死んじまう。最近はそこまではやらない。ユダヤ人はガスで殺すようになった。数年前に比べれば、いまの収容所はサナトリウムだ。昔よりもずっと計画的に皆殺しにしているわけだから」
「たいへんだったんだね」
「よしてくれ。おれたちはポーランド人だ。ドイツ人のことはわかっている。狙われるのはいつものことだ。ポーランドはまたしても分割され、ドイツに併合された。ポーゼンは、ポーランド語ではポズナニだ。ダンツィヒグダニスク、シュテッティンはシュチェチン。ポーランドでいちばんいいところが、またドイツに飲み込まれたんだ。でも、新しい国境がどこに決まるかは大したことじゃない。ドイツが戦争に勝てば、どのみちポーランド全土がドイツの奴隷になる。だけどもし奴らが負ければ、そのときこそ、正義が勝つ」
 その朝のひどいできごとから、ハンスの葛藤を紛らわせたのはこの会話だった。
(p112)」

 

ページを開いているのも辛くなるような記述なのですが、それでもこの箇所をとどめておきたかったのは、ジマーの話す一九四〇年の記述が、以前ポール・オースターの作中にあったユダヤ人への処遇とまったく同様のものだったからです。

辛い文章に心がめげそうになりながらも、やっぱりこれは本当にあったことなんだと改めて認識させられました。

 

「 ハンスは、戻った翌日に鍋当番で第10ブロックに行った。フリーデルの顔を見て、今回の冒険が無事終わったことを二人で喜んだ。
「いったいどうやったんだい?」
「別に。医官のクラインのところに行って、何があったかを話したの。あなたが夫だってこともね。そしたら番号を書いてくれて」
「わけがわからないな。先週うちのブロックで選別をやって、パウルを追い出したのと同じ奴じゃないか。月の初めはビルケナウにいたよ。二日間でチェコ人家族の収容区を全部片付けた。男たちのうち一000人はどこかに移送され、五五〇〇人が煙になった。年取った男たちと女子どもだ」
「よくあるんじゃないかしら。SSの若い子たちは無理だけど、年が上の人は、ものすごく残虐なことに手を染めているとしても、小さなことには聞く耳を持ってくれるのかも。今回あなたのことだって親切にしてもらえたわけだし」
「それでよしとはならないよ。むしろよくないと思う。若い奴らは血と土の精神をたたき込まれて育ったから、ほかのことは知らない。だけど医官みたいな年上の連中がたまに小さな優しさを見せるのは、昔の躾の名残がまだどこかにあるからさ。いまとは違うことを習ったんだから、そのまま人間でいることもできたはずなんだ。つまり連中の罪はその分重い。若いナチ信者には分別がないんだから」
 二人はもうしばらく話を続けた。フリーデルは、マラリア患者の血液を注射する実験のことをハンスに教えた。人工的にマラリアに感染させられた女性たちは、高熱に苦しんだという。
(p170)」

 

奥さんのフリーデルが逆に、ハンスを危険な局面から救い出してくれることもあります。SSのちょっとした気まぐれや、ふとした時に舞い込んできた幸運によって危機を回避したエピソードは、収容所の物語では時折見られるように思われます。

 

「 フリーデルの顔色は悪くなる一方だった。縫製室での夜勤が体にこたえて、咳がひどく、熱を出すこともあった。そこでハンスは、彼女を新しい外来局で看護婦として働かせてもらいたいと医官に直訴してみることにした。
 二階の病室の主任医師ヴァレンティンは、気でも狂ったか、とハンスに言った。医官はハンスを〈ぶん殴る〉だろうし、病院から追い払ってきつい労務班に入れることもできる。そのくらい厚かましいことだ。女房がここにいると知られるだけでもまずいのに、それを自分から医官に話す奴があるか。
 だがハンスは、SS将校たちに垣間見える人格の分裂、判断の矛盾に懸けた。そして案の定、病気や衰弱を理由に何千人という人々を死に追いやった張本人が、フリーデルは「古着から出るほこりで咳がひどいため」、縫製室から第二三ブロックの外来局に異動してかまわないと告げたのだった。
(p188)」

 

ここでは「病気や衰弱を理由に何千人という人々を死に追いやった張本人」と表記されていますが、ハンスが直訴しに行ったはヨーゼフ・メンゲレだったそうです。あとがきを読むまではまったく分かりませんでした。

 

「一九四一年初め、占領政府はオランダの大学にユダヤ人の職員と学生を追放するよう命じました。エディは教授・講師陣の理解のもと本来よりも短い期間で単位を取得し、ライデン大学を正式に卒業。ユダヤ人としてはこの時期最後の卒業生でした。続いて精神分析医となるためにアムステルダムに引っ越しますが、この研修は当局に知られないように教授の自宅で行われました。新居はユダヤ人街の静かな運河沿いにありました。第二次世界大戦前のアムステルダムにいたユダヤ人は八万人。大部分が市の中心に位置するこの一画で暮らしていました。
 占領政府はユダヤ人社会に対する締めつけを強めていきます。エディはこの展開に不安を感じていました。ヒトラーが一〇年以上も前に『我が闘争(マイン・カンプフ)』に示した理論がドイツ人によって実行に移される日が来ると考えたからです。それでも、自分が逮捕されるとは思っていませんでした。一九四一年二月二二日から二三日にかけてアムステルダムではユダヤ人の若者四二七人が逮捕されますが、エディもその一人でした。
(p251)」

 

この記述は物語が始まる前の著者の境遇についてのものなのですが、彼がすごいと思うのは、自分の置かれた状況から、これから起こるであろう事態を予測しているところです。実際逮捕されたあと、エディ(=ハンス)は症状について知っていた結核の患者を装って、病気が重く、移送は無理だと判断されて釈放されています。

収容所での出来事が辛いのはもちろん、収容所を出たあとにハンスを待っていた事柄も、ショックが大きかったです。

強制的な人体実験が戦後の女性たちに残したもの、また違う民族と婚姻関係を結ぶことをユダヤ人コミュニティがどう受け止めるかなど、これまで以上に多くの論点を考えさせられました。

それでも、主人公ハンスの芯のある生き方に読み手は心動かされると思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました。