ニジタツ読書

読んだ本の感想です。胸に刺さった言葉をご紹介します。時々美術館のことなども。

ブッツァーティ『タタール人の砂漠』を読んで

おはようございます、ゆまコロです。

 

ブッツァーティ脇功(訳)『タタール人の砂漠』を読みました。

 

そう、いまでは彼は将校なのだ、金も入るし、美しい女たちも振り向くことだろう。だが、結局は、人生のいちばんいい時期、青春の盛りは、おそらくは終わってしまったのだ、と彼は気づいた。こうしてドローゴはじっと鏡を見つめていた、どうしても好きになれない自分の顔に、無理につくった微笑が浮かんでいるのが見えた。
 なんとしたことだろう、母が別れの言葉をかけてきたときに、なぜお義理にもなんの屈託もなげな笑顔を見せてやれなかったのだろう。どうして母が最後にいろいろと気づかってくれる言葉をろくに気にもとめずに、その優しい情味のこもった声をただの音としてしか耳にしなかったのだろう。なぜ、ちゃんとあるべきところにあるのに、時計や、鞭や、軍帽が見つからず、むやみにいらだって、部屋の中をあちこち歩きまわったりしたのだろう。もちろん戦さに出かけるわけではない。古くからの仲間の、彼とおなじ十人ばかりの中尉たちが、そのおなじ時刻に、まるで祭りにでも出かけるみたいに、楽しそうな笑い声に送られて、生家をあとにしているのだ。母を安心させるような、情愛のこもった言葉のかわりに、なぜ曖昧な、無意味な台詞しか口に出なかったのだろう。みんなの期待のもとに生まれ育ったわが家を初めてあとにするつらさ、変化というもの自体にともなう不安、母に別れを告げる感動などで心がいっぱいだったのは確かだが、しかし、それにもまして、よくは分からないが、二度ともどることのない旅に出立しようとでもしているかのような、なにか運命的なものに対する漠とした予感のような、つきまとって離れぬ想いが彼に重くのしかかっていたのだった。
(p8)

 

主人公ドローゴの家を出た時の自分の振る舞いへの後悔と、薄っすら感じる不安が、その後の彼の人生を予言しているようで、出だしから気になりました。

(この不安は折に触れて出てきます。)

 

 そのときまで、彼は気楽な青春期を歩んできたのだった、その道は若者には無限につづくかに見えるし、また歳月はその道を軽やかな、しかしゆっくりとした足取りで過きて行くものだから、誰もそこからの旅立ちに気がつかないのだ。物珍しげにまわりを見ながら、のんびりと歩いて行く、急ぐ必要はさらさらない、後ろからせきたてる者もいなければ、先きで待っている者もない、仲間たちもしょっちゅう立ち止まってはふざけながら、のんきに道を行く。家々の戸口からは、おとなたちが優しく挨拶をして寄こしながら、うべなうような笑みを浮かべて地平線の方を指し示す。こうして、英雄的な、あるいは甘い望みに心が躍りはじめ、先きで待っているいろんなすばらしいことを前もって想像裡に味わうのだ、それはまだ視野にはない、だが、いつかそこにたどり着けることは間違いないのだ、それは疑う余地のないことなのだ。
 まだまだ先きは遠いのだろうか? いや、むこうに見えるあの川を渡れば、あの緑の丘を越えればいいのだ。それとも、もしかしてもう着いたのではないだろうか? この木立が、この野原が、この白い家が探し求めているものではないだろうか? 一瞬そのように思えて、足を止めようとする。だが、先きへ行けばもっといいものがあるという声が聞こえてきて、またのんきに歩き出す。
 こうして、確かな期待を抱いて道を続ける、日は長いし、平穏だ。太陽は空高く輝き、いっこうに沈む気配もなさそうだ。
 だが、あるところまで来て、本能的に後ろを振り返ると、帰り道を閉ざすように、背後で格子門が閉まりかけている、そしてあたりの様子もなにか変わってしまっていることに気づく、日はもう頂点にじっと留まってはいず、急に傾きはじめ、もはや留めるすべもなく、地平線に向かって落ちて行く、雲はもう蒼穹にゆったりと漂ってはいず、次々と折り重なるように、足早に逃げて行く、雲も急いでいるのだ、時は過ぎるし、道もいずれは終わることが分かっているからだ。
 そしてまたあるところまで来ると、背後で重い鉄門が閉まり、あっという間にかんぬきが掛けられ、引き返そうにも間に合わない。だが、ジョヴァンニ・ドローゴはその時間をなにも知らずに眠っているのだった、赤児のように笑みを浮かべた顔で。
 ドローゴはわが身に起こったことに気づくにはまだ幾日かかかるだろう。そのとき彼はまるで夢から覚めたように思うだろう。信じられないような思いであたりを見まわすだろう。すると背後から押し寄せてくる足音が聞こえ、彼より先きに目覚めた者たちが息せき切って駆けてきて、先きに着こうと彼を追い越して行くのを目にするだろう。むさぼるように人生を刻んでいく時の鼓動を聞くことだろう。窓辺に立つ人々ももう微笑みを浮かべてはいず、無表情、無関心な顔をしているだろう、そして彼がまだどのくらいの道のりがあるのかたずねても、地平線の方を指さしはするものの、その人たちの顔にはもう親切そうな、楽しそうな表情のかけらも見えないだろう。その間に、仲間たちも、疲れてずっと後ろになってしまう者もあれば、はるか先きへ進み、地平線上の小さな点になってしまう者もいて、彼の視野からは消え去るだろう。
 あの川のむこう―人々は言うことだろう――あと十キロも行けば着くだろう、と。ところが道はいっこうに終わらない。日は次第に短くなるし、旅の道連れも次第にまれになっていく、窓辺には生気のない、青白い顔をした人々が立っていて、首を横に振るだけ。
 ついにはドローゴはまったくのひとりぼっちになるだろう。と、地平線に一筋の続となって果てしなく伸びた、死んだように動かぬ鉛色の海が見える。もう彼は疲れ果てている、道沿いの家々はたいてい窓を閉ざし、まれに見かける人々は陰鬱そうな身振りで彼に答える、いいことは後ろに、はるか後ろにあり、彼はそれに気づかずに、通り過ぎてきたのだと。ああ、もう引き返すには遅すぎる、彼の後ろからは、おなじ幻想にかられて押しかけてくる大勢の人間の足音が轟き寄せてくるが、その群れはまだ彼の目には見えず、白い道の上にはあいかわらずひとけはない。
 いまジョヴァンニ・ドローゴは第三堡塁の中で眠っている。彼は夢を見て、笑顔を浮かべている。その夜、完全無欠な幸せに満ちた世界の甘美な幻影が、彼のもとに最後の訪れをしているのだ。ああ、彼がやがて訪れるいつの日かのおのれの姿を見たならば、道の尽きたところ、一様に灰色の空の下、鉛色の海の岸辺に立ち尽くすおのれの姿を。そしてまわりには家もなければ人影もなく、立木もなければ一本の草もない、すべてはるか太古からそうなのだ。

(p72)

 

 

この部分を読んで、ドラえもんのび太に時間の流れを見せた「タイムライト」というひみつ道具のことを思い出していました。

「きみがひるねしてる間も、時間は流れつづけてる。一秒もまってはくれない。

そして流れさった時間は二度とかえってこないんだ!!」

というあれです。

 

 なにか崇高にして大いなる出来事への予感がーーそれともそれは単なる希望にすぎなかったのだろうか?--彼をこの砦に引き止めたのだったが、しかし、それもただ砦を出るのを先(さ)き送りしただけのことかもしれず、結局のところはなんの支障ももたらさないだろう。彼にはこの先き時間は充分にある。人生における善きことのすべてが彼を待っているように思えるのだった。なにを心配することがあろう。女性というあの愛すべくも不可思議な生き物も、彼には確かな幸せをもたらすもの、人生におけるごく普通の定めによってはっきり約束されたもののように思えたのだった。

 先きはまだなんと長いことか!ただの一年でさえ彼にはとても長いものに思えるし、すばらしい年月はやっと始まったばかりなのだ。それは果てしなく続き、その行き着く先きを見きわめることはできなかった。それは飽き飽きするには大きすぎる、いまだ手付かずの宝なのだった。

 「ジョヴァンニ・ドローゴよ、気をつけろよ」と彼に言う者は誰もいなかった。青春はもうしぼみかけているのに、彼には人生は長々と続く、尽きせぬ幻影のように見えた。ドローゴは時というものを知らなかった。この先き、神々とおなじように、何百年と青春が続こうが、それさえも大したことではないだろう。ところが、彼にはただの、人並みな人生しか、両手の指で数えられるほどの、ごく短い青春しか、そんなみすぼらしい贈り物しか、与えられていないのだったし、そんなものは気づくよりも前に消え失せてしまうだろう。
 まだまだ先きは長い、と彼は考えた。でも、ある年齢になると(おかしなことに)死を待ち始める人間もいるとのことだ。しかし、そんな、よく耳にする、馬鹿げた話は彼には関係はなかった。ドローゴはそう思って微笑むと、寒さにせきたてられて、歩き出した。
(p113)

 

ドローゴは4カ月でこの砦を出る、と決めたのに、その間に新しい環境に愛着が湧き、結局砦で暮らすことを選びます。最終的にはその決定が彼の人生を決めるものになるのですが、職場にも仲間にも不満がない、というのは考えようによってはなかなか恵まれた環境ではないのかな、と思いました。

 

 確信は次第に薄れていった。人間はひとりっきりで、誰とも話さずにいる時には、あるひとつのことを信じつづけるのはむつかしいものだ。その時期、ドローゴは、人間というものは、いかに愛し合っていても、たがいに離ればなれの存在なのだということに気づいた。ある人間の苦しみはまったくその人間だけのものであり、ほかの者は誰ひとりいささかもそれをわがこととは受け取らないのだ、ある人間が苦しみ悩んでいても、そのためにほかの者がつらい思いをすることはないのだ、たとえそれがいかに愛する相手であっても。そしてそこに人生の孤独感が生じるのだ。
 時計の打つ音が次第に繁くなってゆくように感じるにつれて、ドローゴの確信は弱まり、焦躁がつのってゆくのだった。幾日も北の方角には目を向けずに過ごすことさえあった(そして、すっかり忘れていたのだとみずからそう思い込もうとし、そう言いきかせようとするのだったが、本当は次に見るときにはより可能性が濃くなっているかもしれないと思って、わざとそうしているのだということは自分でも分かっていた)。
(p286)

 

「人間というものは、いかに愛し合っていても、たがいに離ればなれの存在なのだ」というのは、作者からのメッセージであるようにも感じられます。

 

  九月のよく晴れたある朝、ドローゴは、ジョヴァンニ・ドローゴ大尉は、平地からバスティアーニ砦へと通じる急な坂道を、ふたたび馬でのぼって行く。一か月の休暇を取たのだが、二十日もたたぬうちにもう砦へもどって行くのだ。今ではもう町にはなじめなくなってしまったのだった、昔の友達たちは出世して、要職につき、その辺のありきたりの将校に対するみたいに、ぞんざいに彼に挨拶するだけだった。わが家も、もちろんドローゴは自分の家を愛しつづけてはいたが、もどってみると、言いがたい苦痛が心を満たすのだった。家にはいつもひとけはなく、母の部屋はもう永久に空いたままだし、兄たちは家を離れたまま、ひとりは結婚して、別の町に住み、もうひとりは絶えず旅をつづけていて、居間にはもう家庭の団欒の気配ひとつなく、声だけがやけに大きく響いて、窓を開け、日差しを入れてみてもむなしかった。
 こうしてドローゴはまたもや砦へと谷道をのぼって行く、少なくともまだ十五年はそこで暮らさなければならないのだ。だが彼は自分があまり変わったとは思っていない、時があまりにも速く過ぎ去ったので、心が老いる間がなかったのだった。過ぎゆく時に対する漠とした不安が日々につのるとはいえ、ドローゴは大事なことはこれから始まるのだという幻想になおもしがみついているのだった。ジョヴァンニはいまだ訪れない自分にとっての運命の時を辛抱強く待ちつづけて、未来がもうひどく短いものになっていることには思い至らない、もう以前のように将来の時間が無限にあり、いくら浪費しても心配ないほど無尽蔵だと思うことはできないのに。
 それでも、ある日、彼はしばらく前から砦の裏手の広っぱで馬を乗りまわしたことがないのに気がついた。と言うよりもむしろいっこうにそんな気が起こらないし、それからまた最近では(だが正確にはいったいいつからだろう?)仲間と階段を二段ずつ駆け上がる競争もしなくなっているのにも気づいた。他愛もないことを、と彼は考えた、肉体的には今までどおりだし、また始めるかどうかだけのことだ、その気になればできるに決まっているが、そんなことを試すのは馬鹿げた、余計なことだと。
 そう、肉体的には、ドローゴは衰えてはいない、もう一度馬を乗りまわしたり、階段を駆け上がったりしようとすれば、充分できるだろうが、大事なのはそんなことではない。そんな気にならないということが、昼食後に石ころだらけの広っぱを馬で走り回るよりも、日なたで居眠りをする方がよくなったということが由々しい問題なのだ。大事なのはそのことなのだ、そしてそれが過ぎ去った歳月の証なのだ。

(p290)

 

 

「彼は自分があまり変わったとは思っていない、時があまりにも速く過ぎ去ったので、心が老いる間がなかったのだった。」

心が老いる間がない…、不思議な表現です。成熟しないまま歳を取ったことを表しているようで、なんだか怖い言葉だと思いました。

 

 「いいかね」ドローゴは言葉を返したが、言い争うのも馬鹿げたことだと分かっていた、その間彼は木の壁を斜めに登ってくる日差しにじっと目をやっていた、「断ってすまないが、私はここに残りたいんだ。厄介はかけないよ、誓ってもいい、なんならそう一筆書いてもいい。もう行ってくれたまえ、シメオーニ、私をそっとしておいてくれたまえ、私はもうあまり長くはない、私をここにいさせてくれたまえ、三十年以上もこの部屋で寝てきたんだ……」
 相手はしばらく口をつぐみ、軽蔑するような目で病気の同僚を見て、意地の悪そうな笑みを浮かべ、それから声を改めてたずねた、「もし上官としてそう要求したら? 私の命令だとしたら、君はなんと言うかね?」そしてしばらく間をおいて、その台詞の生み出す効果を味わっていた。「ねえ、ドローゴ、今度は君のいつもの軍人精神とやらを発揮してもらいたくないんだ、こんなことを言わねばならないのはつらいが、結局のところ、君は安全なところへ行くんだし、君の代わりは大勢いるんだ。残念だろうとは思うけど、この人生からすべてを望むことなどできはしないんだ、諦めなきゃあならんことだってあるさ……いますぐ君の従卒をよこして、荷物の準備をさせるからな、馬車は二時に来るはずだ。じゃあ、またあとでな……」

(p325)

 

 

30年以上も待ちに待って、ついに現実となった敵襲を目前にして、病に倒れるドローゴ。

事態を尻目に、足手まといだから街に帰れと言われてしまいます。

「残念だろうとは思うけど、この人生からすべてを望むことなどできはしないんだ、諦めなきゃあならんことだってあるさ……」

その通りかもしれませんが、自分事として受け入れるのは耐えがたいだろうなと思います。

 

 戸口のところにひとりの女が座って、熱心に靴下を編んでいた。そしてその足元の質素な揺籃の中には赤ん坊が眠っていた。大人のそれとはまるで違った、柔らかく、深い、そのすてきな眠りを、ドローゴは驚いたように見つめた。その赤ん坊にはまだ不安な夢も芽生えず、その小さな魂は、まだ望みも悔恨も知らず、静かな、澄みきった大気の中を無邪気にたゆたっていた。ドローゴは立ち止まって、じっとその赤ん坊の寝顔を見つめているうちに、刺すような悲しみに胸が突かれるのを感じた。彼は眠りにおちている自分の姿を、自分では決して知ることのできない一個のドローゴの姿を思い描いてみようとした。暗い不安に掻き乱され、寝息も重く、半ば開いた口元をだらしなく垂らして、醜く眠っている自分の姿が浮かんできた。だが、彼もかつてはその赤ん坊のように眠っていたのだ、彼もまた可愛く、無邪気であったのだ、そしておそらくは年老いて、病んだひとりの将校が彼の前に立ち止まり、苦い驚きをもって、彼の寝顔を見つめたかも知れないのだ。《哀れなドローゴ》と彼は呟いた、そして、たとえそれが弱音であったとしても、結局自分はこの世でひとりぼっちで、おのれ以外には誰ひとり自分を愛してくれる者はいないのだと悟った。
(p332)

 

 最後に自らも赤ん坊だったと顧みる、このシーンが印象的です。

 

物語全般を通して、老いに対する不安や、青春がなくなっていくことへの寂寥感が散りばめられているのが良いです。

 読者にタイムライトのように時間を見せてくれる本でした。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。