おはようございます、ゆまコロです。
あさのあつこ『さいとう市立さいとう高校野球部 下』を読みました。
我が母親の名誉のために言っておくけど、おふくろは気紛れで、忘れっぽく、かなりの天然で“こまったちゃん”の要素が無きにしも非ずだが、息子や娘に対し純粋な愛情をもっている。純粋な愛情とは、つまり、支配欲とか見栄とか下心とか、諸々の夾雑物が含まれていないってことだ。何の条件も見返りの要求もなく、相手の幸せだけを願えるってことだ。温泉の場合、さまざまな溶存物質がある方が効能も高まるのだろうが、人の愛情は不純物が混ざれば混ざるだけ、どんどん質が悪くなっていく。
おふくろの愛情は、わりに良質だ。
(p13)
15、16歳の男の子にしては素直な感想だという感じがしますが、それだけこのお母さんが、子どもを尊重しつつ真剣に向き合っているのだろうな、という様子が窺えます。
「バッテリー」の時にも思いましたが、主人公の母親が息子をどう見ているか?という眼差しに説得力があります。
しゃべりなさい。
きみたちの言葉できみたちの野球を語るんです。
しゃべれ、しゃべれ、しゃべれ。
鈴ちゃん、おれたち負けていたんだ。鈴ちゃんがあんなに本気で伝えてくれたことを忘れて、どこからか借りてきた、誰かが期待する科白しか言えなくなってた。それって、負けてるってことだよな。おれは息苦しかった。鈴ちゃんのためじゃないのに、鈴ちゃんのために野球をしているように演じなければいけない自分が苦しかった。みんなもそうだった。苦しいのにどうしていいかわからなくなっていたんだ。単純に真剣に楽しいと笑えなくなり、ベンチの中で黙り込むことが多くなった。(p228)
事故で意識不明の先生のために勝利を目指す野球部、という、世間やメディアから押し付けられた動機がいつの間にか自分たちの目標のようになって、息苦しさや噛み合わなさを感じながら過ごす、というのが、リアルで読んでいるこちらも(いい意味で)気持ち悪さを感じました。
本当はどう思っているのか、本当は自分はどうしたいのか、考えているようでも、ふと気づくと見えなくなっていることがあるのが、不思議だなと思います。
「自分の言葉で語ってほしい」、これは、あさの先生が伝えたいことなのかなと思いました。
最後まで読んで下さってありがとうございました。