ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

サマル・ヤズベク『無の国の門 引き裂かれた祖国シリアへの旅』

おはようございます、ゆまコロです。

 

サマル・ヤズベク、柳谷あゆみ(訳)『無の国の門 引き裂かれた祖国シリアへの旅』

を読みました。

 

私は顔と頭を黒いヒジャーブとサングラスで隠し、足を早めて同行者を追い抜き、密航屋のすぐ近くに出た。それから私はさらに急ぎ足になり、彼をも追い越した。必死だった。この一行が遅れる原因が私だと思われたくなかった。密航屋は私にちょっと待ってくれと頼んだ。私はその場で立ち止まり、彼らが追いつくのを待った。それから彼らと並んで歩き、最年長の密航屋を見た。私はサングラスを外し、彼を見つめた。密航屋は歩き出し、私を追い越していった。その後、彼はまったく不平をこぼさなかった。一行で唯一の女性である私のせいで、これからどんどん遅れたり苛立ったりするだろうと思っていたのに、そうでもなかったからだ。

 

 大方の男たちは、私が女性であり、ここにいるべきではないということをまず忘れない。私の周りの、長身でがっしりとした、力強く明るいまなざしと長い顎鬚の戦闘員たちは、この痩せっぽちの女を一顧だにせず、一言も口をきかない。多くの人が、端的に言えば男らしさや勇猛果敢の印だと思っているものは、私には死と生の差異をなくしていくもののように見える。彼らは滅亡に向かって駆けている。彼らの信条は、彼らを死のなかで生きさせようとする。生から来世の生へと移る行程ゆえに彼らは進むのだ。死は彼らを連れて永遠の楽園へと飛翔させる魔法のボールだ。だから、生きていくことの意味といった感動を私は彼らに見いだせない。生き続けるかぎり、私は彼らを哀れみ、その存在を拒み抜くだろう。

 

 銃声が聞こえ、私たちは小休止を取った。空中への発射で、皆それが密航防止の威嚇射撃だと知っている。(p48)

 

著者が国外から故郷であるシリア国内に戻る際、密航屋と呼ばれる入国を手助けする人と行動を共にする時の描写です。「死から来世の生へと移る工程」という表現が、死を恐れない彼らの考え方をよく表しています。

 

 この地上では、革命は非日常の現実だ。革命の現況を記録するのも非日常のことである。

 この現実を比較したり整理したりする必要はない。毎日の結果を知る必要すらない。必要なのは、毎時、神経を鎮め、諸事をこなしていくことだけ。爆撃から遠く、ごく安全な出口がわかっていて、医師や救命救急士が確実に駆けつけ、爆撃地点では活動家たちがすぐさまアサド政権の戦闘機やロケット砲による被害状況を確認する、という調子で。でも、そんなことは不可能だ。せめて接続できるように願いながら、ネット上で、世界の縁の外側で破壊と撃滅にさらされた小さな黒点を、ささやかな、だが注視すべき出来事として見守っていくしかない。そして、そうしたことよりはるかに大切なのは、互いに手を繋ぐことだ。引き裂かれた人間の手足や無惨に破壊された住居の前で正気を失わないように。一瞬であれ誰かが崩れれば、その周りの人が悲嘆にくれる。

 

 やすやすと小さな指に近づいて瓦礫の下から拾い集めなければならない。さらに別の女の子のおもらしのぬくもりまで残った遺体を掘り出さないといけない。それからまた歩き出し、犠牲者探しを続けるのだ。犠牲者たちの顔を忘れないようにしなくてはいけない。樽爆弾が降り注ぎ、無料で死が振りまかれる空の下でどのように人間の瞳が完全に光を失い白くなっていったかを書き留め、語り、外の世界に向かって報せるために。

 

 今起きている出来事を分析できたとしても、なぜ民間人の家々に爆弾を投下するのかを読み解けたとしても、意味はない。アサド政権がこの地域の破壊へと踏み出したのは、市民意識が育んだ革命を頓挫させ、活動家が男も女も解放地域へ戻って取り組んできた市民プロジェクトを潰すためなのか、あるいは軍隊の補給線を確保するためなのか。そんなことは何ひとつ重要ではない!今、大切なのは、空が私たちに樽爆弾やクラスター爆弾を注ぐただなかでも、自分自身の足で一本の釘のようにしっかりと立つことだ。(p137)

 

女の子の遺体を掘り出すところを想像すると胸が痛みます。

 

 翌日。若者たちはまた別の学校で上映会を完遂し、子どもたちとも話ができた。

 その学校はカファル・ナブルの外にあり、約十世帯、七十人以上の子どもたちが住みついている。年齢層はまちまちで、二歳から十三歳まで。参加して夢中になるのはたいてい女の子だ。ここの男の子たちは警戒心が強く、「俺たちは大人の男だ。こんなところに用はない」と言っている。「どうぞ参加していってね」と声をかけると、九歳の男の子が私に言った。

 「子どもだと思ってんのかよ!明日にはずらかって、ヌスラ戦線に行くからな。俺、射撃もできるんだぜ」

 その子の姉が微笑みを浮かべて言った。

 「嘘ばっかり。撃ち方なんか知らないくせに」

 姉のほうは十歳で、きれいな子だった。男の子は姉に「黙れ!」と怒鳴りつけた。「男たちがいるところで、女が口をきく権利なんかないんだからな」と。こんなふうに考えているのはその九歳の男の子だけではなかった。ある戦闘員の甥っ子は、十二歳にもなっていないのに家の柱に縄で縛りつけられていた。家を飛び出し、ヌスラ戦線に入って戦闘に加わろうとしたからだ。家族がどうにか連れ戻すと、その子は口汚く家族を罵って、お前らは不信仰者だ、殺してもいい連中なんだぞと言ったという。

 

 絶望を覚えた。どれだけ心を育む文化的な支援活動を行ない、避難民の学校や野宿する人たちを対象とした経済的支援まで行なっても、日常的な、すさまじい数の悲劇と恐怖を前にしてはまったく無力だ。この子どもたちはほとんど食事をとっていない。避難の連続のなかで暮らしている。(p182)

 

この9歳の男の子の発言が衝撃的でした。

大人の考え方をそのまま踏襲しているようです。

 

 私は立ち上がって紅茶のポットを持ってきた。そのとき急に熱意があふれてきて、あと二十四時間は不眠不休でいられる気がしてきた。逮捕・拘束された人や活動家、戦闘員など地上のすべての人たちの証言を書き留めたい、という誘惑にかられた。私は語り部、歴史のなかの曖昧模糊とした真実を紡ぐか細い糸の一端なのだ。完全なひとつの真実などない。アサド政権が現代史上、類を見ないほどの害悪に浸かりきっているという太い糸がある。また他方には、経済的・社会的状況や社会の性質や宗教文化を利用する形で陰謀が進められ、(アサド政権からの)解放地域がジハード主義の大隊の支配領域に変貌させられてしまったという糸もあるのだ。さらに、この場所がアサド政権とジハード主義大隊の双方に抵抗しているというのも真実だ。多くの者が殺され、逮捕・拘束され、誘拐され、出国してしまった後も、革命家たちが依然として抵抗を続けていることも真実だ。彼らの抵抗運動はきわめて独特で、曖昧かつ込み入っている。だがそれは少しずつ宗教戦争へと変化しつつある。歴史上で革命というものがつねにそうであったように、変容を遂げていく。(p226

 

本書では全般を通して、筆者が出会ったりインタビューしたりした人たちを淡々と描写している印象なのですが、ここでは珍しく、彼女の決意が表に出ているような書き方で、目を引きました。

 

 私はさらに尋ねた。「これはつまり、一国としてのシリアはあなた方にとってはもはや受け入れられないということですか」

「どういうことだね?」彼は不審そうに訊き返した。

「つまり、あなた方はイスラーム国家を望んでいますが、それはシリアという国の完全な崩壊と言えるのではありませんか」

 彼は答えた。「そうは言えない。我々はただイスラームの旗を掲げるだけだ。シリアは、シリアとして存続する。ただし、イスラーム的にはなる。アラウィー派は出ていくことになる」

 私は言った。「彼らは二百万人以上いるんですよ。キリスト教徒についてはどうなりますか、あとそれ以外の他の宗教は?」

 彼は答えた。「シリアから出ていくか、イスラームに改宗するか、人頭税を払うかだ」

「出ていかない人は?」と言うと、彼は「その運命を受け入れることになるだろう」と答えた。

「殺す、と?」と訊くと、怒気を含んだ声で答えた。

「それが彼らの報いだ」

「女性や子どもは?」

「出ていく、出ていってもらう」

 彼はそう答えたが、私は話を切り上げさせなかった。

ドルーズ派イスマーイール派についてはどうするつもりですか?」大きな声で私は尋ねた。

「これらの派については、もしイスラームに復帰するのであれば歓迎する。だが、そうしないのであれば彼らは不信仰者と判定される。我々は彼らに正しい信仰へと呼びかけるだろう。アラウィー派についていえば、彼らは背教者だ。殺さなければならない」

 張りつめた気持ちをかき消そうとして、私は思わず笑い出してしまった。

「でも女性や子どもたちは?女性は何が罪になるんですか?」そう訊くと彼は答えた。

「女は子どもを産む。子どもは大人の男になる。大人の男は我々を殺しに来る!」

 アブー・ターレクが立ち上がって言った。「これはあなたらしくない言葉ですね!神のご加護がありますように。マダム、もう行かなくては」

 私も理解した。もう発言は許されない。(p240)

 

著者がジハード主義集団のアミール(イスラム世界の称号)の面前で行ったインタビューです。

彼らにとって子どもは育ったら自らを殺しに来る存在なのか、と思うと、どうしたものかと思考が止まりそうになります。

 

この国の人々がどんな風に現代を生きているのか知りたくて手に取りましたが、翻って自分の置かれている環境など、いろいろ考えされられました。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

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無の国の門:引き裂かれた祖国シリアへの旅

無の国の門:引き裂かれた祖国シリアへの旅