ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

ポール・オースター『オラクル・ナイト』

おはようございます、ゆまコロです。

 

ポール・オースター柴田元幸(訳)『オラクル・ナイト』を読みました。

 

物語序盤の、主人公シドニーが文房具屋を見つけて入る場面が好きです。

文具好きがこんな文房具屋さんを偶然見つけたら、すごく喜ぶだろうな、と思えるお店の描写なのですが、一品一品のディテールが細かいのと、シドニーもテンション高いのがなんだか嬉しい。

 

好きな場所はこちらです。

 

 

キッチンに入ってみると、テーブルの上に書き置きが載っていた。ずっとよくなりましたと彼女は書いていた。だから仕事に出かけます。昨日の夜はありがとう。シド、あなたは本当に優しい人です。掛け値なしの青組(話中では、「同じ精神を共有する者たちの友愛団」として出てくる。ゆまコロ注)です。そして名前のサインがあって、その下に追伸が書き添えてある。忘れるところでした。セロハンテープがなくなりました。父の誕生日に間に合うようプレゼントを今夜包みたいので、散歩に出かけるとき買っておいてもらえますか?

 

 小さなことだとわかってはいるが、この依頼にグレースのよさがすべて凝縮されている気がした。彼女はニューヨークの大手出版社でグラフィックデザイナーをしていて、セロテープなら部署にいくらでもあるだろう。アメリカ中、ほとんどすべてのホワイトカラー労働者がオフィスから物をくすねている。無数の給与取得者が、毎日のようにペン、鉛筆、封筒、クリップ、輪ゴムを着服し、そうしたささやかな窃盗にわずかでも良心の呵責を感じる者はまずいない。だがグレースはそういう人たちとは違う。つかまるのが怖いとかいうのではない。自分のものではない物を自分のものにするという発想が、頭に浮かんだことすらないのだ。法を尊ぶからではなく、融通の利かない独善ゆえでもなく、子供のころ受けた宗教的教育のせいで十戒の言葉を恐れているというのでもない。盗むという考え自体が彼女という人間には無縁なのであり、彼女が自分の人生をどう生きたいかをめぐる本能的衝動すべてに反しているのだ。概念としては支持しないかもしれないが、グレースこそ根っからの、筋金入りの青組メンバーである。書き置きのなかで、彼女が青組に触れてくれたことに私は胸を打たれた。これもまた、土曜の夜のタクシーでカッとなったことを詫びているのだ。控えめな、いかにも彼女らしい謝り方。(p145)

 

 

この本に出てくる夫婦は素敵だなあと最初から最後まで思って読んでいました。

 

 

汚い言葉などめったに使わないグレースだが、その朝の一分か二分のあいだ、彼女はまさしく怒りに我を忘れて、これまで聞いたこともない罵倒の文句を立てつづけに吐き出した。それから二人で寝室に入ると、怒りはあふれて涙に変わった。私が宝石箱のことを話したときから下唇が震え出したが、リトグラフのこともなくなったのを見ると、彼女はベッドに座り込んで泣きだした。私は何とかして慰めようと、別のヴァン・ヴェルデ作品をすぐ見つけてあげるよと約束したが、何ものも二十歳のとき初めてパリに行って買った品の代わりにならないことは私にもわかった。さまざまな色あいの、内側から光を放つ青が勢いよくのびて重なりあい、中央の丸っこい空白と、切れぎれの赤い筋がアクセントを加えている。私もその絵と暮らすようになって何年かが経っていたが、いくら見ても飽きなかった。見るたびに何かを与えてくれる、決して自らを使いはたすことのないように思える作品だった。(p244)

 

 

こんな絵を私も飾りたいです。しかし、この喪失の場面は辛い。

ただ、こんなものでは終わりませんでした。

 

 

ビル・テベッツは出るとすぐ本題に入り、唯一問うに値する問いを発した。グレースは助かるのか?はい、助かります、と私は答えた。そのことはまだわかっていなかったが、危篤状態であってもしかしたら持ちこたえられないかもしれないなどと父親に知らせる気はなかった。間違った言葉を口にして、呪(まじな)いをかけてしまってはいけない。言葉に殺す力があるのなら、私は自分が使う言葉に気をつかわなければならない。ひとつでも疑念を表明したり、否定的な思いを発したりしてはならない。私は妻が死ぬのを見るために死者の世界から還ってきたのではない。ジョンを失っただけでも充分辛いのだ。これ以上誰も失ってはならない。とにかくそんなことがあってはならない。たとえ私には何の影響力もなくても、そんなことを許すつもりはなかった。(p321)

 

 

作者自身の考え方も反映されているのでしょうか。

作家であるシドニーのこの考え方が、らしさを表現しています。

オースター作品では、理不尽な暴力に巻き込まれる展開がよくあるのですが、この本はその中でもなかなかヘビーな方だと思いました。

 

シドニーが書いている小説(物語内の物語)がすごく面白いのですが、展開に行き詰まり、途中で終わってしまうのが残念でした。

 

でもとても面白かったです。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

オラクル・ナイト (新潮文庫)

オラクル・ナイト (新潮文庫)