ニジタツ読書

マイペース会社員のゆるふわ書評。なるべく良いところを汲み取ろうとする、やや甘口なブックレビューです。

エミリー・ブロンテ『嵐が丘』

おはようございます、ゆまコロです。

 

エミリー・ブロンテ、田中西二郎(訳)『嵐が丘』を読みました。

 

主人公の性格的に仕方がないことなのかもしれませんが、皮肉な言い回しが多く、セリフのどれが本心なのか判断しかねます。なので、物語の世界に入っていけるまで、とっつきにくい印象を受けました。

 

例えば、キャサリンとの愛憎劇を繰り広げるヒースクリフは、自分の子ども(リントン)は可愛がりますが、嫌いな奴の子ども(ヘアトン。キャサリンの兄の子)には字も教えません。ヒースクリフは終始粗野なふるまいをする上に恨みがましくて、なかなか同調しにくい登場人物です。

 

 

「五分前、ヘアトンの顔を見たときは、若いころのおれが幽霊みたいに化けて出たのかと思った、人間とは思えなかった。あのときはやつに対して、あまりいろんなことを一度に入り乱れて感じていたから、正気で話しかけることはとてもできなかったろう。まず第一に、やつがぎょっとするほどキャサリンに似ていたことから、あいつと彼女(あのひと)とが、なんともいえぬ恐ろしさで連想された。だがおまえなぞは、それがおれの想像力をいちばん強く捕らえる連想だと思うだろうが、実はいちばん弱いのだ。だってそうだろう、おれにとって彼女を連想させないものといったら、何がある?彼女(あのひと)を思い出させないものが一つでもあるか?この床を見おろしたって、彼女の顔かたちが敷石のなかに現れているのを見ずにはいられないのだ!どの雲も、どの木立も― 夜は空中いっぱいに、昼はどんな物でも見さえすればそこに見つかるほど― おれは彼女(あのひと)の姿にとりまかれているよ!―男や女のどんな平凡な顔でもー おれの顔までもー どこか似ていておれを悩ますんだ。なんのことはない、全世界が、『彼女は生きていた、おれはあのひとを失ってしまった』ということを思い出させる記念品の、憎むべき一大コレクションなんだ!ま、とにかく、ヘアトンの姿は、おれの不滅の恋の亡霊でもあったが、またおれの権利を失うまいとする狂暴な努力、おれの堕落、おれの自尊心、おれの幸福、そしておれの苦悶― そうしたものの亡霊でもあったわけだ。」

 

 

ここまで死者への恋に取りつかれていながら、生に対する執着心はすごい。

 

案の定というか、彼がキャサリンの母の亡霊を見て狂っていく頃(最後の最後の方)になって、ようやく物語が盛り上がった感があります。

 

多くの人を苦しめ、自らも苦しんだヒースクリフの年齢を誰も知らず、墓石に名前しか刻めなかったというのがなんとも物悲しいです。

 

そして散々ひどい目にあわされたヘアトンだけが、彼のために心から泣いた、というくだりも好きです。

 

物語そのものよりも、 “シャーロット(姉)のロチェスター” と、 “エミリー(妹)のヒースクリフ” が似ているのは、どちらも彼女らの気難しやの父親パトリックが原型だから、という解説が興味深かったです。

(彼女らの父親パトリックは、好男子の牧師だったが、婚約しながら、もっとよい相手が見つかるだろうと自惚れてその女性を袖にし、教区の人々の非難を買ったとのことです。)

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

嵐が丘 (新潮文庫)

嵐が丘 (新潮文庫)